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中国はなぜ台湾に固執するのか|野嶋 剛

日本での関心が日に日に高くなる台湾。観光地としてはもちろん、安倍晋三元首相が「台湾有事は日本有事」と言及してからは、安全保障の面でもその動向が注目されています。
ただここまで関心を寄せながら、私たちは台湾についてどれくらい知っているでしょうか。中国と台湾の関係性、台北が首都ではないワケ、台湾が親日である理由……。あらためて聞かれると答え悩むものもあるのではないでしょうか。〝隣の国〟でありながら、私たちは台湾の歴史や社会のことについて思っている以上に知らないことが多いです。
そこで、光文社新書12月新刊『台湾の本音』では6つの大きな問いを出発点に台湾を深掘り。長年台湾で取材をしてきた野嶋 剛さんが、その歴史や文化はもちろん、台湾の置かれている政治状況やその価値観、アイデンティティまでを丁寧に解説します。本書では刊行を記念して、第3章より一部を抜粋・再構成して掲載。中国が台湾統一に執着する理由に迫ります。

台湾統一は中国共産党のドグマ

しょうけいこく(台湾の第6・7期総統)の時代には、中国も少しずつ変革の時期を迎えていました。

長く中国の最高指導者であった毛沢東は台湾に対して武力による解放を主張してきました。しかし1976年に毛沢東が死去し、文化大革命以後権力を誇った四人組、毛沢東の跡を継いだこくほうが追放されると、とうしょうへいがリーダーとなります。

鄧小平は毛沢東的な台湾統一論から、新たに「一国二制度」「平和的統一」を打ち出します。平和統一論は「主権は中国中央政府にあるけれど、台湾に一定の自治も認めます。それを受け入れれば、武力行使はしませんよ」という意味も込められています。そもそも中国は中央集権国家ですが、地方自治はそれなりに尊重する側面もあります。台湾を共産党政府のもとに置くという意志は変わりませんが、かなりソフトなアプローチです。

「一国二制度」はのちに香港、マカオに対してもとられた方針ですが、もとは台湾に対して編み出されたものです。しかし、このとき蔣経国は「交渉せず、談判せず、妥協せず」という「三不政策(3つのノー)」という方針でつっぱねます。

こういう歴史は、中国と台湾の関係を学べば知ることはできます。しかし、見落とされがちなのは、なぜそこまでして中国は台湾を統一したいのか、という本質の部分です。これが意外に理解されていません。多くの人は「領土拡大の野心だ」と受け止めています。ですが、私からすればそれは的外れです。「一つの中国」論は中国共産党にとって政策や理想ではなく、原則だからです。

原則というのは、何がなんでも絶対に曲げないということです。通常、外交方針というのは「原則」ではなくて「政策」ですね。でも中国はそうではなく、原則だと言う。その意味が重要です。中国にとって、台湾を飲み込むことは絶対に変更を認めない原則、いわゆる信仰に近い、宗教的な教義(ドグマ)となっているわけです。

ちなみに中国は各国との国交樹立の際に、「一つの中国」を受け入れるように要求していました。しかし、アメリカや日本のように、台湾との関係性を考えて、「留意する」「理解し、尊重する」と留保した表現をとった国も少なくありませんでした。中国の原則を「はい、そうですか」とすべて受け入れたわけではないことは知っておくべきことです。

李登輝が発表した「二国論」

そんな中国のドグマを、台湾の人たちはどう捉えているのかといえば、当然受け入れることはできません。国民党とともにやってきた外省人は国民の約1割。そのうえ時代とともに世代も入れ替わって、二世三世となった外省人の子孫は見たことも行ったこともない中国に、祖国感情を抱けるはずがないですよね。

こうした台湾の思いを、時代が後押しします。1980年代には海外輸出の黒字と、世界的な好景気によって、台湾は急速な経済発展を遂げています。さらに民主化を平和的に進めた李登輝は「中国の正統政府は中華民国である」という主張をあえて強くは唱えず、国交のない国を含めて積極的な実務外交を進めます。その時期の中国は1989年の民主化運動を武力制圧した天安門事件などによって、国際的なイメージが大幅にダウンしていました。

初めての直接総統選挙の前年、1995年には李登輝は以前留学していたアメリカのコーネル大学に招待されます。この招待をアメリカの方針転換と考えた中国はアメリカと台湾への抗議の意を込めて、軍事演習としてミサイルを発射し、アメリカは台湾海峡に軍を派遣する事態となります。さらに総統選挙直前にもミサイルを発射、李登輝の当選を阻止しようとしました。これらはまとめて「第三次台湾海峡危機」と呼ばれます。このときは危機を感じて台湾から逃げようとする人々が現れ、株価も下落して大変な混乱が起きました。

直接選挙で総統に当選した李登輝は、1999年に一つの方針を打ち出します。それが「二国論」と呼ばれるものです。「中国と台湾は特殊な国家の関係で、中央政府と地方政府という関係ではありませんよ」という主旨で、もっといえば、台湾独立という見方を避けつつも、台湾と中国は別の国であることを、初めて主張したことになります。この「台湾は台湾として生きていきますから」と読める発言は、中国を激怒させます。

明けて2000年の総統選挙で李登輝は副総統のれんせんを後継指名します。ところがそれに反発したそうが国民党を離党して無所属で出馬したことで情勢が変わります。結局、国民党支持票が割れて、民進党の陳水扁が漁夫の利で当選、少数与党という立場ではありながらも、初めて民進党による総統に就任しました。中国では2002年に共産党主席がこうたくみんからきんとうに交代し、中台関係は新たな局面を迎えていくことになります。

以上、「第3章 台湾の人々は「中国」をどう考えているのか」より一部抜して再構成。

目次

まえがき
第1章|台湾は「国」なのか
第2章|台湾の「歴史 」はいつから始まるか
第3章|台湾の人々は「中国」をどう考えているのか
第4章|「台湾アイデンティティ」はなぜ生まれたのか
第5章|台湾は「親⽇」と言っていいのか
第6章|「台湾有事」は本当に起きるのか
あとがき

より詳しい目次はこちらをどうぞ!

野嶋 剛(のじまつよし)
1968年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業。大学在学中に香港中文大学・台湾師範大学に留学。’92年に朝日新聞社入社後、中国・厦門(アモイ)大学留学、シンガポール支局長、政治部、台北支局長、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年に独立。現在はジャーナリスト活動と並行して、大東文化大学社会学部教授も務める。著書に『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『蔣介石を救った帝国軍人』『日本の台湾人』(以上、ちくま文庫)、『台湾とは何か』『香港とは何か』(以上、ちくま新書)、『新中国論』(平凡社新書)など多数。その多くが中国、台湾で翻訳刊行されている。


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