本を読む時間なんてない!? 読書はつまらない!?―現代版「本の読み方」|印南敦史
本書を手に取っていただき、ありがとうございます。
私はウェブサイトや雑誌などに寄稿したり、自分で本を書いたりしている人間です。文章を書いて原稿料をいただくようになってから30年以上経ちますが、ここ十数年は書評を中心とした仕事をしています。その時点でできることを地道に続けてきただけなのですが、いまでは書評家と認知されることが圧倒的に多くなっています。つまり、本や読書について書く機会がとても多いのです(そもそも締め切りは毎日あります)。簡単にいえば、「読んで、書いて、読んで、書いて」というサイクルをずっと続けているわけです。
2016年に、『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社、現・PHP文庫)という本を出したことがあります。タイトルからもわかるように「読めずに困っている」方に向けて書いたものですが、発売当時、とても印象的な出来事がありました。
発売に際して、あるメディアからインタビューしていただいたときのこと。インタビュアーの方が開口一番、こう口にされたのです。
いきなりそこかよ?
ことばは乱暴ですけれど、思わずそう感じてしまったことは否定できません。なんだか、がっかりしてしまったのです。
たしかに、大学生に限らず、本を読む人が減っていることは事実です。その証拠に、あらためて指摘されるまでもなく、〝本が売れない〟とか〝読書人口の減少〟といった文言はいやでも目に飛び込んできます。ただ、たしかにそうかもしれないけれども、本当に本や読書について考えたいのであれば、注目すべき点はそこではないと思うのです。
だから、こう答えました。
要するに、「読まない人が増えたー、大変だー」と騒げばなにかが変わるのかということです。もし変わるのであれば私は率先して先頭に立ちますが、そんなことがあるはずもありません。そうではなく、「書店にも図書館にも人はいる」ことに注目し、それを評価し、そういう人をいかに増やすかについて、もっと前向きに考えることのほうがよっぽど大切ではないかと思うのです。解決策はなかなか出せないかもしれないけれど、ネガティブに考えるよりはそのほうが楽しいし。
もうひとつ。「最近の人は本を読まない」というような発言は、それが事実である一方、もうひとつの事実を覆い隠し、歪めてしまう可能性をはらんでいます。つまり否定的な論調は、「程度の差こそあれ、誰でも過去に読書体験はあり、無意識のうちにそこからなにかを学んでいた」という事実を覆い隠してしまうということです。しかし、(極論だと思われるかもしれませんが)本を読む人が減ったといわれるいまこそ、そういった過去の境地に立ち戻るべきだと私は思います。具体的には、小学校低学年から思春期あたりまでの記憶を蘇らせてみることに大きな意味があると考えているのです。
大人になるにしたがって知識が蓄えられていくと、人は原体験を忘れてしまいがちです。でも気持ちをフラットにして記憶を少しずつたぐり寄せていけば、多かれ少なかれ、本を前にしてワクワクした記憶が蘇ってくるのではないでしょうか。
たとえば、初めて足を踏み入れた図書館の静謐な空気とか、誕生日に買ってもらった岩波書店の児童書を手にとって、「この本は大切にしよう」と思った記憶とか、ページを開いた瞬間にふわっと感じる紙やインクの匂いとか。
当時、そうした体験は多少なりとも、読書に対する欲求を刺激してくれたはずです。しかも純粋な子どもだったから、余計な理屈をこねようともしなかったでしょう。だから自然と、そこに書かれている世界に入り込むことができたのです。そして知らず知らずのうちに、それらが記憶として蓄積されていったわけです。
ところが大人になると、どういうわけか本が読めなくなってしまいます。先に触れた『遅読家のための読書術』も、「昔は読書家だったのに、社会に出てから本を読まなくなっちゃって」「ああ、そういうところはあるよね」という、編集者との会話のなかから生まれたものです。編集者ですらそうなのですから、本にあまり縁のない人が読めなくなったとしても当然でしょう。事実、「私もそうでした」というような共感の声がたくさん届きました。自分の著作が優れているといいたいわけではなく、読めずに悩んでいる人はそれほど多いということです。だから、「読書術」のたぐいの本が次々と発売されていくのです。
もちろん本書も、そういう方々を対象にしたものです。しかし、だからといって現状をただ憂いたり、効率化を重視した〝速読〟を勧めたり(後述しますが、むしろ私はアンチ速読派です)、あっという間に本が読めるようになる魔法のような読書術を公開したりしたいわけではありません。最終目的は〝ふたたび読めるようになること〟です。だからこそ初心に立ち戻り、そこからリスタートすることを提案したいのです。そのため、本書を読み進める過程においては、当たり前のことをあえて問いなおすことになるかもしれません。しかし、いまこそそうするべきだと強く感じます。
なぜなら本来、読書とは楽しいものだから。
もちろん、仕事のために読まなければならないという状況に直面することもあるでしょう。そんなとき、読むことが面倒な行為になってしまう可能性は高いかもしれません。
でも、あえて前向きな気持ちで読んでみたらどうなるでしょう。面倒だなと思いながら読むのであれば、誰だってその時間を楽しむことはできません。しかし、どのみち読まなければならないのなら、「これは自分の好みではなく、仕事のために読む本だから」というような思いは横に置いておき、あえて視点を変えてみるべきなのです。「もしかしたら、つまらないと決めつけているだけで、おもしろい部分もあるかもしれない」「自分とは違った考え方と出会えるかもしれない」というように。逆に、「読んでみたら期待したほどではなかった」というケースもあるでしょうが、少なくとも失望しながら読むよりは健康的ですし、読んでみれば無意識のうちに、必要な部分は自分の内部に蓄積されていくものです。だから有意義なのです。私が思うに、それが読書です。
とりあえず、「読書はつまらない」「本を読む時間なんてない」などの思い込みを捨て去るところからスタートしてみましょう。そして足元の先にあるものをつま先でひとつずつ確認して進んでいくようなペースで、あらためて本と向き合ってみましょう。また前述したように、子どものころの読書体験を記憶の隅のほうから引き出してみましょう。そうやって進んでいけば、きっと本はまた身近なものになってくれるはずです。
なお本書は、あくまで「紙の本」に特化した内容となっています。もちろん考え方や価値観は多種多様ですし、電子書籍を否定したいわけではありません。しかし、少なくとも私は紙の本に愛着があり、今後もそこから離れないだろうという確信があるのです。その点はご理解いただければと思います。