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中東情勢の「むずかしさ」を解きほぐす|『中東政治入門』 ちくま新書

軍事的緊張が高まるパレスチナ・ガザ地区。イスラエルおよび周辺諸国を巻き込む「第5次中東戦争」にも発展しかねない現状は、どのように招かれてしまったのでしょうか。それを知るには、中東政治への理解が欠かせません。末近浩太さんの『中東政治入門』 (ちくま新書)は、その強力な一助となるはずです。

国家・独裁・紛争・石油・宗教

ミシガン大学大学院に留学していた頃、何度も学部で数学の必修科目を落としていたアリという留学生に個人指導したことがある。彼はレバノンの部族長の息子で、宝石のついた指輪を何個も指にめて、ポルシェに乗って大学に来ていた。ようやく単位が取れると、お礼だとステーキハウスに招待してくれた。

彼は、ボーイが皿を持ってくると「レアと注文したのに焼き過ぎだ」と文句を言って、別の肉を表面だけ焼いて持ってこさせた。私は、ミディアムのフィレを美味しく戴いたが、彼は、血の滴る肉を口に運びながら「本当に旨いのは、ほふったばかりの羊の生肉だ。いつかお前がレバノンに来たら、この手で羊を絞め殺して、胸を割いて、動いている心臓を取り出して食べさせてやる」と、恐ろしいことを言った。

アリは、何年かの兵役を終えて留学してきたので、私よりも年長だった。普段はニコニコしているが、ふとした瞬間に眼がギラリと光る。戦闘中、何度も人を殺した経験があるという。髪と髭を伸ばし、スーツを着て、ワインをガブ飲みし、フィリピン出身の美人留学生のガールフレンドがいる。彼は完全にアメリカ化した生活を送りながら、「アメリカは大嫌いだ」と公言していた。

大学卒業後、アリは父親の部族と共に母国を立て直すと言ってレバノンに戻り、その後、内戦の途中に消息不明になった。なぜ彼は、アメリカの優雅な生活を捨てて、わざわざ命懸けで祖国に戻ったのか?

|末近浩太『中東政治入門』 ちくま新書、2020年。


さて、イラクでシーア派とスンナ派の武力衝突が起こり多数の死者が出たとする。ニュースでは、イラクの住民は六割がシーア派で二割がスンナ派だというコメントが付け加えられる。視聴者は、中東で相容れない宗派同士が衝突したのかと脳内で整理する。

なぜ両派が武力衝突にまで至ったのか、その「理由」を理解していないにもかかわらず、わかったような気になる。それこそが問題だと本書の著者・末近浩太氏は指摘する。本書は、中東が根本的にどのように動いているのか「国家・独裁・紛争・石油・宗教」の五つのテーマから解明する。

本書が対象とするのは、イランからモロッコに至る二一の中東諸国である。シリアやイエメンのように強固な権威主義体制を維持する国々も多い。第二次世界大戦後、国家間の戦争と難民流入・民主化運動などに起因する内戦は増加の一途を辿り、今では中東の武力紛争数は過去最高に達している。全世界の石油量約48%を所有し、総人口3億4102万人の93%程度がイスラム教徒である。

本書で最も驚かされたのは、それぞれ「体制・政治・社会・経済・信仰」の状況が大きく異なる中東諸国の「多様性」である。同じイスラム教徒でも、まったく戒律を守らないアリのような人間もいれば、毎日の礼拝を欠かさない厳格な信仰者もいる。安易に「中東」と一括りにする発想が、どれほど「理由」を見え難くさせるか、本書の多面的な考察によって明らかになるだろう。


本書のハイライト

中東は難しい。そう感じている人は、少なくないであろう。戦争や内戦が絶えず、民族や宗教の問題が複雑に絡み合っている。加えて、石油や天然ガスをめぐる国際的な争奪戦が問題をさらにややこしくしている[……]中東で起こっていることは、グローバルな広がりを見せ、いまや世界全体の趨勢
を左右するものとなっている。だとすれば、日本にとっても、もはや対岸の火事ではなく、その理解に努めていくことは、いまや喫緊の課題となっている。

pp. 13-14



以上の記事は、高橋昌一郎『新書100冊』(光文社新書)に掲載された文章を一部抜粋・再構成したものです。

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