「酔っぱらい」はどう描かれてきたか? 意外と知らない「酒と美術」の深い関係
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「酔っぱらい」はどう描かれてきたか? 意外と知らない「酒と美術」の深い関係

カラヴァッジョ研究の第一人者、美術史家、神戸大学教授の宮下規久朗さんによる美術をめぐる最新エッセイ集『名画の生まれるとき――美術の力Ⅱ』(光文社新書)が刊行されました。本書は、「名画の中の名画」「美術鑑賞と美術館」「描かれたモチーフ」「日本美術の再評価」「信仰と政治」「死と鎮魂」の6つのテーマで構成されています。長年、美術史という学問に携わってきた宮下氏が、具体的な作品や作家に密着して語った55話が収録されています。刊行を機に、本書の一部を公開いたします。今回は、第三章「描かれたモチーフ」の中から一話をお届けします。

酒は創作意欲をそそる?

酒と美術とは深い関係にある。古来、酒は世界中で様々な儀式や宗教儀礼に用いられてきた。感覚を麻痺させる酒は、日常と非日常、人間と神とを媒介する手段であった。また、酒のもたらす酩酊状態は、往々にして人間の通常とは別の側面を表出させるため、文学や美術の主題になってきた。また東洋では、美術家が酒を創作意欲の契機とすることが多く、酔いの中で制作して称賛される者もあった。

私はかつて『食べる西洋美術史』(光文社新書)において、西洋美術と食事との密接な関係を論じたことがあったが、酒と美術との関係について、酔態と酔作という観点から考えてみよう。

描かれた酔態――西洋では

西洋では酒神バッカス(ディオニソス)は、異教の神でもっとも人気のある神で、古代以来多く表現されてきた。インドに遠征したといわれ、東洋との結びつきもある。葡萄を手にして微笑(ほほえ)む青年として表現されたミケランジェロの彫像以来、若者の姿で表されることが多くなった。ただしバッカス自身は酒を飲ませる側で、自ら酔う姿を見せることはない。

バッカス自身が酔っているように見えるのはカラヴァッジョの《バッカス》(図1)である。ふくよかな肉付きをしたやや東洋風の容貌のバッカスが上気した顔でグラスのワインをこちらに差し出す。寝台に横たわって右手で帯をほどこうとしており、酒と肉体の逸楽に観者を誘っている。

3-1カラヴァッジョ《バッカス》1598年頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館

(図1)カラヴァッジョ《バッカス》1598年頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館

ベラスケスの《バッカスの勝利》(図2)は、「酔っ払いたち(ロス・ボラーチョス)」と呼ばれてきたように、若者バッカスを取り巻く男たちが酔態を示している。粗野な男たちは酔眼をしてろれつが回らないようである。ベラスケス特有の鋭い観察眼が、今でもどこにでもいそうな酔っ払いの生態を見事にとらえている。

3-2ベラスケス《バッカスの勝利(ロス・ボラーチョス)》1628年頃 マドリード、プラド美術館

(図2)ベラスケス《バッカスの勝利(ロス・ボラーチョス)》1628年頃 マドリード、プラド美術館

酔態は、平時とのギャップがある方が目を引き、立派な人間の酔態が好まれた。英雄ヘラクレスが酔って朦朧とするさまはしばしば描かれ、ルーベンスの作品は、サテュロスの男女に肩を支えられながらふらつく巨漢のヘラクレスを描いている(図3)。

3-3ルーベンス《酔ったヘラクレス》1611年頃 ドレスデン美術館

(図3)ルーベンス《酔ったヘラクレス》1611年頃 ドレスデン美術館

ルーベンスはバッカスの従者であるシレノスの同じような姿も描いており、こうした作品が人気を博したことがわかる。シレノスはバッカスよりも年長の中年の太った姿で、古代からバッカスの行列のときにたびたび担がれて表現され、酔った姿が一般的であった。

17世紀以降さかんになる風俗画では、庶民や農民が飲んで騒ぐ様子がよく表現された。ブリューゲルの農民の絵を始祖とし、フランドルのアドリアーン・ブラウエルやオランダのヤン・ステーンらは好んで宴会の情景を描き、そこには社会風刺とユーモアが見られる。

ヤーコプ・ヨルダーンスの《豆の王の祝宴》(図4)は人気を博したのか、7点の作品が残っている。これは1月の東方三博士の到来を祝う宴会で、切り分けられたケーキに豆が入っていた者が一座の王になり、掛け声とともに夜通し乾杯を繰り返すというもの。酒が入って宴が大いに盛り上がっている様子が活写されているが、画面左には嘔吐する男も見える。

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(図4)ヨルダーンス《豆の王の祝宴》1640年頃 アントウェルペン王立美術館

こうした絵を享受するのは王侯貴族や富裕な市民などであったが、彼らは酔った庶民の愚かさやだらしなさを嘲笑し、あるいは楽しんだのである。

西洋美術の主流をなすキリスト教美術では、酒といえばキリストの血であるワインであり、ワインや血や葡萄は神聖なモチーフとして繰り返し表現されてきた。しかし、酒に酔うことは堕落に結びついており、聖書にはそのような逸話がいくつも登場する。

「ノアの泥酔」(図5)でノアは嘲笑した息子ハムを呪う、「ロトとその娘たち」でロトは娘たちと近親相姦する、「ユディトとホロフェルネス」でホロフェルネスはユディトに首をはねられる、「放蕩息子」は財産を蕩尽する、といったように酒に酔った者は悲惨な運命をたどることとなる。これらの例からは、酔って我を忘れることへの危険性と教訓が感じられよう。

3-5ミケランジェロ《ノアの泥酔》1509年頃 ヴァチカン、システィーナ礼拝堂 

(図5)ミケランジェロ《ノアの泥酔》1509年頃 ヴァチカン、システィーナ礼拝堂

描かれた酔態――東洋では

東洋ではどうであろうか。「酔李白」という画題があり、唐の詩人李白が従者に支えられながら歩く姿がよく描かれた(図6)。

3-6曽我蕭白《酔李白図屏風》部分 18世紀 ボストン美術館

(図6)曽我蕭白《酔李白図屏風》部分 18世紀 ボストン美術館

「李白一斗詩百篇」、つまり酒を一斗(約六リットル)飲む間に詩を百篇も作ったと杜甫の「飲中八仙歌」に歌われ、「酒仙」とも称された。西洋でヘラクレスやシレノスの演じていた酔態の役を東洋では李白が担っており、酒豪の天才の代名詞となったのである。李白は酔態をさらしても、それによって才能が発揮されて詩を生み出したとして、決して嘲笑の対象になっていない。

日本では、風俗画に酔っ払いがしばしば表現された。鎌倉時代の《絵師草紙》(図7)では、領地が与えられると知って喜び、酔って踊る貧乏絵師が描かれている。それは後に失望に終わるのだが、本人も周囲の人物たちも笑顔にあふれ、温かい雰囲気に満ちている。

3-7《絵師草子》部分 14世紀 宮内庁三の丸尚蔵館

(図7)《絵師草紙》部分 14世紀 宮内庁三の丸尚蔵館

また、《酒飯論絵巻》(図8)というユニークな作品がある。

3-8伝狩野元信《酒飯論絵巻》部分 16世紀 宮内庁

(図8)伝狩野元信《酒飯論絵巻》部分 16世紀 宮内庁

16世紀に狩野元信によって制作され、以後江戸期にも繰り返し模写されて多くの異本が残っている。酒と飯のどちらが優れているか、あるいはどちらもほどほどがよいのかという不毛な議論を描いたもので、酒、飯、双方の情景に分けて描かれ、楽しそうに飲食する情景や調理する場面が生き生きと描かれている。日本美術史上、飲食の情景を取り上げたほとんど唯一といってよい貴重な作品であり、近年注目を集めて展覧会が開かれ、研究も進んでいる。このうち、酒上位論者の箇所には、飲みすぎて庭先で嘔吐し、肩を預けて連れ帰られる男が描かれる。神でも英雄でもない、架空の武士を主人公としており、風俗画に近いものだが、酔態を客観的かつユーモラスにとらえている点で注目される。

酒の魅力は、日常から離れて別の人格を現出させることにある。そのため、傍から見ると人間の愚かさやおかしさが感じられ、風俗画の格好の主題となったのである。

エドガー・アラン・ポーはアルコール依存で命を縮めたが……

李白のような天才が酒に酔って詩作したということが称えられるのは、きわめて東洋的である。東洋には、天才が酒の力によってその才能を発揮する例がいくつもあるが、西洋ではそのような伝承や逸話は聞かない。芥川龍之介は、『文芸的な、余りに文芸的な』で次のように書いている。

エドガア・ポオは酒飲みだった為に(或は酒飲みだったかどうかと云う為に)永年死後の名声を落していた。「李白一斗詩百篇」を誇る日本ではこう云うことは可笑しいと云う外はない。

ポーはアルコール依存で命を縮めたが、それは決して褒められたものではなく、自堕落さを意味するだけであった。日本は酔っ払いに寛容だという。あるいは、酒の席の無礼講ということもいわれる。西洋では、酒を飲んで理性を失うことは非難されるべきことであり、酔態は失笑や侮蔑の対象にはなっても、酒によって才能を発揮する天才の話というものはありえないのだ。ポーを評価したボードレールも酒を愛してしばしば詩に歌っているが、彼は李白のように酒に酔って創作したと称(たた)えられることはない。

現代では堕落を象徴する手段は酒に代わってドラッグになったが、西洋では酒は天才の創作意欲につながるというよりは、ポーのように破滅をもたらすものと思われている。20世紀初頭のエコール・ド・パリの画家モディリアーニはつねに酒に酔っており、破滅的な生活の中で死んだ。戦後アメリカ美術を代表する抽象表現主義の祖ジャクソン・ポロックはアルコール依存の挙句、最後は泥酔して自動車事故で死んでいる。しかし彼らの作品が酒の力によって生まれたと考える者はいないし、それを称賛する言説もないだろう。

一方、東洋では酒は天才の創作を助けると思われた。古今東西の芸術家伝説を集めて『芸術家伝説』(邦訳ぺりかん社)を著した美術史家オットー・クルツとエルンスト・クリス、そしてそれを翻訳解題した大西廣氏によれば、中国では制作時に酒を必要とする画家たちのことが数多く画史画伝に伝えられている。唐代の人物画の巨匠、呉道元はいつもしたたかに酔ってからでなければ制作を始めなかった。同じく唐の郭昇は、絵に取り掛かる前に床に絵絹を広げておき、楽師たちに音楽を演奏させ、自分は酔いしれるまで酒を飲んでから制作したという。また、唐で「溌墨」という技法を創始した王墨は、酒に酔い、手や髪に墨をつけて描くという一種のパフォーマンス的な制作をしたと伝えられる。

五代から北宋にかけて活躍して華北系山水画の祖となった李成も大量の酒を飲まないと筆を執らなかったという。もっとも李成の代表作《喬松平遠図》(図9)などは、緻密な筆遣いによって入念に描き込まれた大画面で、とても酔って描いたとは思われない。

3-9李成《喬松平遠図》10世紀 三重、澄懐堂美術館 

(図9)李成《喬松平遠図》10世紀 三重、澄懐堂美術館

北宋の画僧、擇仁はつねに飲みながら制作していたが、酒亭の壁が新しく塗ったばかりなのを見て、ありあわせの布と墨で描き散らしたところ、見事な枯木が表れたという。わが国の画聖、雪舟も、制作するときはいつもまず酒を飲んだと『本朝画史』に伝えられている。雪舟の作品でも、前述の溌墨を意識した《破墨山水図》は弟子に授与したことが賛からわかるが、酔って一気に描いたとしても不自然ではないと思われる。

このように、中国でも日本でも、酒の酔いに乗って制作するという画家がひとつの定型のように多く伝えられている。それは酒が理性的な構想や人智を超えた霊感をもたらし、天才はそれに身をまかせるという天才信仰を補強するものであった。

酒は文人画家にとっても重要であった。世間から隔絶し、人里離れた山林の孤独の中で詩書画を楽しむ文人は東洋では長らく理想とされたが、江戸期の文人画家・浦上玉堂はこれを実行した。50歳のときに突然脱藩し、2人の息子を連れ、七弦琴を抱いて諸国を放浪し、多くの文人と交わりながら琴と詩書画の世界に生きた。大阪で玉堂と1ヵ月ほど同居した田能村竹田は、玉堂はつねに酒を飲んで描いたことを記している。少し飲んで描き、酔いが覚めるとまた飲んでは描き足すという作画であったらしい。

玉堂の最高傑作、国宝《東雲篩雪図(とううんしせつず)》(図10)では、画面上部の左に隷書で「東雲篩雪」という画題とともに、「玉堂琴士酔作」という落款がある。

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(図10)浦上玉堂《東雲篩雪図》19世紀初頭、鎌倉、川端康成記念会

「酔作」とあっても、酔いにまかせて一気呵成に描いたものではなく、薄い墨を丹念に重ねて雪山の量塊や細い木々、夜空や雲を繊細に表現している。酒を飲んで会津の厳しい雪山を思い出して描き、覚めるとまた飲んでは描き足していったと思われる。玉堂にとっての酒は、山水に遊ぶ境地をもたらして制作意欲を刺激するものであったのだろう。あえて画中に「酔作」と記したことは、それほど真面目に描いたわけではないといった謙遜や韜晦の一種ととることができ、実際は時間をかけて入念かつ真剣に描いたにちがいない。

以上、酒による酔態が神話画や風俗画のテーマになり、幾多の名作となったことを見てきた。西洋では酔態にユーモアを見ることはあっても批判的なものが多かったが、東洋では好意的であり、また天才と酒が結びつき、酒による酩酊状態が天才を刺激するという伝説が見られた。こうした視点は、日本における酔っ払いや酒の席での寛容さにも表れているようだ。

かく言う私も、酒の勢いにまかせて本稿を一気に書いてみたが、結果は読者の判断に委ねるとしよう。

『名画の生まれるとき』目次

第一章 名画の中の名画
第二章 美術鑑賞と美術館
第三章 描かれたモチーフ
第四章 日本美術の再評価
第五章 信仰と政治
第六章 死と鎮魂

著者プロフィール

宮下規久朗(みやした きくろう)
1963年愛知県名古屋市生まれ。美術史家、神戸大学大学院人文学研究科教授。東京大学文学部美術史学科卒業、同大学院修了。『カラヴァッジョ──聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)でサントリー学芸賞などを受賞。他の著書に、『食べる西洋美術史』『ウォーホルの芸術』『美術の力』(以上、光文社新書)、『刺青とヌードの美術史』(NHKブックス)、『モチーフで読む美術史』(ちくま文庫)、『闇の美術史』『聖と俗』(以上、岩波書店)、『そのとき、西洋では』(小学館)、『聖母の美術全史』(ちくま新書)など多数。

宮下規久朗さんの好評既刊


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