岩田健太郎 「プロとアマチュアの違いは『間違えないこと』ではない」(新刊より一部公開)
神戸大学医学部感染症内科教授の岩田健太郎氏の新刊『丁寧に考える新型コロナ』(光文社新書)。発売直後より好評を博しています。
その第1章で、岩田氏は「医者は間違えるものであり、臨床家は未来予測すべきでない」と言っています。
いったいどういう意味でしょうか? ここでご紹介しましょう。
医者はしくじる生き物、臨床家は未来予測すべきでない生き物
ぼくは臨床医です。臨床医は診療のプロで、通常未来予測はしません。
予測のプロもいます。数理モデルという特殊な技術を用いて感染症流行を予測する専門家もそうした「予測のプロ」です。
ぼくも自分の研究のために数理モデルを用いることはありますが、基本的には「予想」を目的にはしていません。臨床屋は「この患者はこうなる」という予測は通常しないものだからです。少なくとも、一点買いの予測はしない。
一点買いの予測でなければ、ぼくら臨床屋も予測はします。
この患者さんは〇〇病に罹ったんだろうなあ。であれば、これとあれの検査をしよう。検査の結果はこういうふうになるはずだ。検査の結果を確認したら、こんなふうに、あんなふうに治療して、入院後5日程度でこんな感じで回復して、7日目に退院させて、14日後に外来でフォロー……みたいに予測します。
これは、まあ、予測というよりも、患者の体内に起きていることを見積もるための作業と言い換えることができます。
ぼくらはこれを「アセスメント(見積もり)」とそのまんまの名前で呼んでいます。
アセスメントの正しさは診断の正しさであり、診断の正しさは見通しの正しさでもあります。アセスメントが正しければ、検査の選択も、検査結果の解釈も正しくできます。治療も正しく選択できます。で、退院時期や外来フォローの方法やタイミングも予見できるのです。
これは患者という人間を通じて病気の本質を感得する体験とも言えます。学術的な意味で言うところの「予測(forecasting)」とは、若干意味合いが違うようにぼくは思います。
おまけに、臨床屋はよく「外します」。診断が間違っていることもあれば、検査の解釈をしくじることもあれば、治療が失敗することもあります。
結構な確率でそういうことは起きます(どのくらいの確率かというと、それは病気のタイプにもよるので、一概には言えません)。
残念ながら、臨床屋は万能なる神ではありません。医者はしくじる生き物なのです。診断をしくじり、検査をしくじり、治療をしくじる生き物なのです(ちなみに、「診断」は「検査」に先行します。この点が肝心です。ここを間違えないよう。あとでまた説明します)。
そこで、臨床屋は「正しい(と信じる)のはこれだ」という「私が正しい時の予測」をやる一方で、「私がしくじっていた場合のシナリオ」も設定します。
診断が間違っていた場合、検査の解釈をヘマしていた場合、治療をしくじったり、副作用が出てしまった場合。
こうやって、あらゆる「間違っていた場合」の予測をやり尽くすのが、プロの臨床屋である。少なくとも、ぼくはそう考えています。
プロの臨床屋とアマチュアの違いは「間違えないこと」ではなく、プロは「間違えるパターンを学習し、網羅し、検証し尽くしている」点において違っているのだと。
よって、プロの臨床屋は、患者の診断や治療について「えええーー、そうなるなんて想像だにしなかった!」ということが起きないことが大事です。少なくともそのレベルを目指すべきです。
まあ、白状するとぼくも年に数回は「えええー、そのシナリオは完全に想定外だったー」ということが起きるんですけど。
ということで、臨床屋は「診断が正しい時の予測」をしつつ、「間違っていた場合に起こりうるシナリオ」すべてを網羅している人(であるべき)です。
これは、通俗的な意味での「予測屋」ではないですよね。
ちなみに、「網羅する」とは、「この胸痛はおそらくは心臓が原因ではないだろう。しかし、心筋梗塞などの冠動脈疾患は否定できない。否定すべきだ。大動脈解離や、気胸や、帯状疱疹や、食道破裂なんかも検証すべきだ」みたいに胸痛の原因を広く、あまねく検証するということです。ちょっとこのたとえは、我ながら無理があるのですけどね。
犯人をプロファイリングするとき、「犯人は30代から40代。が、50代から60代という可能性も。70代以上、ということもひょっとしたらあるかもしれないし、10代、20代ということもありえなくはない。おそらく犯人は男性だが、場合によっては女性かも」というのが「網羅的」ということです。
網羅的ではありますが……およそ予測にはなっていませんね(笑)。
臨床屋は予測のプロではないために、(通俗的な意味での)未来予測はしないことにしています。臨床屋がやるべきは「想定されるシナリオを全部想定して、そのすべてのシナリオに対する最適解を模索する」ことです。
なので、予測の欲望には抑制的であるべきで、「未来はこうなる」とは言わないものです。
しかしながら、今回はその定石をあえて選択せず、ある程度未来予測めいたものについても言及します。すなわち、「第二波(次の波)がどうなるか」です。
なぜ、未来予測めいたものを述べるに至ったかは、本稿をお読みいただければご理解いただけると思います。
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以上、第1章(「ファイル1」)の冒頭の部分を、少しだけご紹介いたしました。いかがでしたか?
第1章(「ファイル1」)のその他の項目は、以下の通りです。
ファイル1: なぜ国ごとに差が出たのか。そして第二波がどうなるか。
◆医者はしくじる生き物、臨床家は未来予測すべきでない生き物
◆なぜ日本は第一波をそこそこうまく乗り切ったのか?
◆死亡者数が少ないのは日本だけなのか?
◆最も大事な指標は「人口あたりの死者数」である
◆日本人は屋内で靴を脱ぐから感染者が少ないのか?
◆「日本人の習慣」のおかげなのか?
◆欧米型とアジア型?――遺伝子は変異してもキャラはめったに変わらない
◆BCG接種の効果なのか?
◆血栓と人種の関係
◆したくても、できなかった「PCR検査」
◆PCR検査のキャパシティはなぜ重要か
◆PPEを着る意味、PPEの持つリスク
◆検査数は「目的」ではなく、状況が生み出す「結果」である
◆日本の医療現場で起きた「消耗戦」――悪しき精神主義を脱せよ
◆感染対策が上手くいった本当の理由
◆新型コロナの危険性は「水」のようなもの
◆新型コロナにロックダウンは非常に効果的
◆最大の要因は「運が良かった」
◆長年のラッキーの連続が招いた「感染対策の遅れ」
◆日本はどうしたら第二波に対応できるのか?
◆そして……外れたイワタの予測
光文社新書『丁寧に考える新型コロナ』は全国の書店にて発売中です。電子書籍は10/23(金)リリースです。ぜひ、読んで見てくださいね。
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