【書評】岩田健太郎「やめられない、止まらない、キレキレの文章で保健所の激闘を描き出す」――『保健所の「コロナ戦記」TOKYO2020-2021』
『保健所の「コロナ戦記」TOKYO2020-2021』(関なおみ著、光文社新書、2021年12月15日発売)の書評を、神戸大学医学部教授の岩田健太郎氏よりいただきました。ここに掲載させていただきます!
「コロナの中の、保健所の中の人。一気に読める。一気に読むべし」――『保健所の「コロナ戦記」TOKYO2020‐2021』書評(岩田健太郎)
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文章の書ける医師が稀有だった頃
あくまで私見だが、医者は文章書きがあまり上手ではない。特にぼくが医者になったばかりの数十年前はそうだった。
当時の医者は、そもそも患者や家族、同業者たちにさしたる説明責任を持っていなかった。なぜ、この病気だと思うのか。なぜ、この検査をするのか。なぜ、この薬を処方するのか。
誰にも説明を求められず、誰にも説明しない。それでなくても読みにくい乱筆のカルテは、じつは読める字で読んでも意味不明だった。
日本語の医学書は過剰なまでに難解で、論理的ですらなかった。海外のテキストと比較すればその違いは明らかだった。もちろん、近年は素晴らしい若手の書き手が激増中なので、このトレンドも早晩消失することとは思ってはいるが。
少なくとも、ぼくが研修医になったばかりの頃は、分かりやすく、読みやすく、合理的で、説得力のある文章の書き手は、医者の中には稀有だったと記憶している。
よって、ぼくは「医学・医療系であれば、よいテキストを書けば、足りないニーズを満たせるのではないか」と考えた。そりゃ、ガチな小説家とか評論家の筆には敵(かな)わないにしても、狭い医療業界であれば、読みやすくて理解しやすい文章で、何かをなせるのではないかと思ったのだ。
ぼくの予測は当たった。研修医のときに書いた、ささやかな抗菌薬のテキストは一定の評価をいただき、その後、多種多様な書籍を出版するきっかけになった。
ロックな文章で描かれる「保健所」の記録
そんな、ささやかな自負を持っていたぼくだったが、「この人には逆立ちしても敵いませんや」とシャッポを脱いだ人がいる。それが関なおみさんだ。
関さんとは学生時代に微生物のセミナーで一緒になって以来の長い友人だ。田舎でふんわか医学生をやっていた人間には、大学教育改革を舌鋒(ぜっぽう)鋭く論ずる関さんは異次元の存在だった。
その後たまたま偶然に本の共著者になってしまい(『研修医って何だ?』ゆみる出版)、その文章の切れの良さ、ロックなリズムの文体に唖然とした。関さんは文章の達人なのである。
そんなわけで、本書は保健所の医師が書くコロナに関する書物なのだが、決して「お役所の文章」みたいなものを想像してはならない。一回本書を手に取り、ページを繰り出したら、最後まで読み切る覚悟を持ったほうがよい。
やめられない、止まらない。読者の目はそのキレキレの文章に釘付けになること、必然だ。お休み前の一冊にはしないほうが、よい。
何をやってるのかよくわからない保健所が、何をやってきたのかがよく分かる
新型コロナで苦しまなかった人はいない。が、特に困窮を極めたのは保健所職員であろう。
医療機関ももちろん大変だ。が、「波」がピークにいたり、病床が満床になり、長期入院が必要な入院患者で満たされてしまえば、医療機関は驚くほどに静かな場所になる。
もちろん、治療は続くし一定数の患者は死亡するし、そこには少しも平安はないのだが、患者が入れ代わり立ち代わりという大混乱は消失する。
プラトー(停滞状態)になる医療機関とは違い、保健所にプラトーはない。紹介できる医療機関は潰(つい)えても、患者自体はどんどん発生する。自宅で待機する患者も様態が悪化する。
なにより、一般市民からの数々の電話による問い合わせ、苦情、誹謗中傷と対峙(たいじ)せねばならない。厚労省の絶え間ない通知にも対応せねばならない。
医療機関の臨床医はボーカルな人が多く、テレビやネットで「どれだけ俺たちがしんどい思いをしているか」アッピールすることもできる。が、保健所の職員は概(おおむ)ね寡黙だ。自分たちがどのくらいつらく、しばしば理不尽な立場にいるか、アッピールする術(すべ)がない。
一般市民の目には「保健所って大変そうだけど、何やってるかよくわからない」ブラックボックスとなる。
本書は、「何をやってるのかよくわからない保健所が、何をやってきたのかよく分かる」、2020年から始まった保健所とコロナとの闘いを描写した「戦記」である。非常に質の高いドキュメンタリーであり、たくさんの興味深いエピソードと、躍動感あふれる文章に読者は引き込まれることだろう。
同時に、本書は「保健所職員の苦労を分かってくれ」という理解と共感を求めた本なのだけれど、決して理解と共感「のみ」を求めた本でないことも、すぐに読者は気づくであろう。
本書は保健所の激闘を描く「戦記」ではあるが、決して「ガリア戦記」のように洗練された戦いのあり方を指南するものではない。「世間からは理解されなかったかもしれないけれど、自分たちはこんなに素晴らしい仕事をしてきたんだぜ!!」という、新型コロナ関連図書アルアルの、自画自賛の書でもない。
本書がたくさんの「世の中を左右するような立場の人々」に読んでもらう必要がある理由
では、本書の正体はなんなのか。
ぼくには一定の見解があるが、ぼくの口からそれは言うまい。
もちろん、ぼくにも本書のテーマに見解はある。東京都では活躍したらしい、しかし兵庫県ではほとんど役に立たなかったHER-SYS(ハーシス)についてなど、異論もある。
が、本書のテーマに関する限り、それは関さんの文章から直接届けられるべきメッセージなのだ。実際、関さんからは、ぼくがこの書評であまり過激なことを言ってあちこち刺激しないよう、釘を刺されている(釘を刺す気持ちは分かります)のだが、そんな心配をしなくても本書自体が十二分にワイルドなのである。
GHQ公衆衛生福祉局長であったクロフォード・F・サムスの言葉が、本書の312ページに引用されている。
「日本の公衆衛生が進歩しないのは、専門家の意見が専門家でない者によって左右される仕組みになっているからである」
「日本の〇〇が進歩しないのは……」我々の胸にも突き刺さる言葉である。本書がたくさんの人々に……、特に「世の中を左右するような立場の人々」に読んでいただく必要があるのは、そのためだ。
感染症の問題が勃発するたびに、同じ物語がループし、ループし、ループし……、悪質なスタンドに攻撃されているんじゃないかという錯覚に襲われることがある。
本書は、この循環を打破する一撃になるパワーを持っている。
できれば、一撃が「そこ」に届かんことを。
(評:岩田健太郎)
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岩田健太郎ブログ「楽園はこちら側」
【評者プロフィール】
岩田健太郎(いわた・けんたろう)
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学医学部)卒業。沖縄県立中部病院、ニューヨーク市セントルークス・ルーズベルト病院、同市ベスイスラエル・メディカルセンター、北京インターナショナルSOSクリニック、亀田総合病院を経て、2008年より神戸大学。神戸大学都市安全研究センター感染症リスクコミュニケーション分野および医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野教授。著書に『丁寧に考える新型コロナ』『ぼくが見つけたいじめを克服する方法』『予防接種は「効く」のか?』『1秒もムダに生きない』『99・9%が誤用の抗生物質』『「感染症パニック」を防げ!』『サルバルサン戦記』『ワクチンは怖くない』(以上、光文社新書)、『インフルエンザ なぜ毎年流行するのか』(ベスト新書)、『「患者様」が医療を壊す』(新潮選書)、『絵でわかる感染症 with もやしもん』(講談社)など多数。
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あの夏、我々が闘った相手は
組織か、人か、ウイルスか――
保健所・都庁でCOVID-19対策の最前線に立ち続けた
公衆衛生医師の壮絶な記録
【内容】
2020年1月23日深夜から、東京は戦争状態に突入した。そしてその2020年から21年にかけて、保健所と東京都庁の感染症対策部門の課長として新型コロナ対策の第一線に立ち、指揮を執り続けた公衆衛生医師がいた。
ミッションはただ一つ、つぶれないこと。
戦場にたとえていうならば、とにかく生き延びることである。
本書は、メモ魔・手紙魔で、日記を書かないと眠れず、読むことより書くことに依存している「活字中毒者」である公衆衛生医師が、未曽有の事態の中で経験したことを、後世に伝えるためにつぶさに記録したものである。
巻末では、新型コロナ発生時から医療の最前線で闘う大曲貴夫医師(国立国際医療研究センター、東京都医療アドバイザー)との特別対談も収録。
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『保健所の「コロナ戦記」TOKYO2020-2021』の著者プロフィールです。
【著者プロフィール】
関なおみ(せきなおみ)
1972年神奈川県生まれ。東京女子医科大学卒。英国リバプール大学熱帯医学大学院にて熱帯医学修士、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院にて疫学修士、順天堂大学医学部・大学院医学研究科(公衆衛生学)にて医学博士。順天堂大学医学部小児外科学講座非常勤助教。国立感染症研究所昆虫医科学部協力研究員。現在、特別区の保健所に課長級の公衆衛生医師として勤務。いつ終わるともしれないコロナとの闘いの日々に今も晒されている。著書に『時間の止まった家――「要介護」の現場から』(光文社新書)、共著に『研修医って何だ?』(ゆみる出版)、『疥癬はこわくない』(医学書院)などがある。