【1万字】狂うなら、本気で狂え。捻じれ続けてまっすぐになった三島由紀夫から我々が学ぶこと
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【1万字】狂うなら、本気で狂え。捻じれ続けてまっすぐになった三島由紀夫から我々が学ぶこと

「カリスマぼんくら書店員」市川淳一がお気に入りの本や最近関わった本を出発点にして、縦横無尽に(≒脱線だらけで)出版業界やコンテンツ文化を語りつくします。
今回からnoteにお引越し!そしてテーマは、三島由紀夫。昨年は没後50年で映画公開などもあり、盛り上がりました。一方、その文章・思想・行動のインパクトを考えるともっとフィーチャーされてもよかったのではないか? 現代社会への広がりを許さない何かがあるのではないか? との問いも浮かんできます。『美しい星』を取り上げた前編に続き、脱線に次ぐ脱線を経て、その思想の核心へと迫ります。

前編はこちら↓↓↓

◆「巨人・大鵬・卵焼き」がなくなった現在、「国民的記憶」は災害だけに?

――今の日本で、三島のようにキャリアの初期・中期・後期という、先ほどおっしゃっていたフィルモグラフィー的に追いかけられる作家は誰がいますか? 著作物だけでなく、活動や自身の思想遍歴も含めたスケール感で。村上春樹はそれに該当すると思いますが、その他に、狭い文壇的な意味ではなく一般社会や思想史全体の文脈で語ることのできる作家はいるのでしょうか?

市川 たとえば野球の話をするんですけど、趣味が細分化する今の時代、長嶋茂雄がかつてどれだけすごいスターだったのかは、たぶん現代の若い人にはわからない。それと一緒な気がしますよね。

――(20代の)私も当然、肌感覚ではわからないですね。「ONと言われて~」「みんながテレビに夢中になった~」とか、教科書的な情報としてはわかりますけど。

市川 だって宮崎県に新しい野球場ができたので名前を決めてください、皆さんの応募を待ってますという話になった時、長嶋茂雄がそれを聞いて、僕だったらサンマリンスタジアムがいいなって言ったら、それになっちゃったんですよ。今だったらツイッターで叩かれてますよ。

――権力の濫用(笑)

市川 そう。なに考えてるんだそんな名前!とか、いっぱいツイートされる。

――高輪ゲートウェイみたいな。

市川 そうそう。ふざけるなと。

――名前がサンマリンでまだ良かったですよね。長嶋スタジアムとか言ってなくて。

市川 長嶋がサンマリンスタジアムって言ったらそれになっちゃったから、公募も一切なくなっちゃったんだもん。意味ないじゃないですか、それ(笑) そういうレベルの人がいなくなりましたね。

――それこそ、三島が葛藤したであろう「英雄なき時代」じゃないですか? 19世紀に詩人のバイロン卿がギリシャの独立戦争に身を投じたような、スター性のあるエピソードは生まれにくい。20世紀は基本的に集団主義。三島はそういうのが嫌だったのかもしれないですし、今なんてそれがもっと進んでいって、英雄を代替するのがインフルエンサーになっていくわけじゃないですか。

市川 インフルエンサー。

――「ツイッターやインスタのフォロワーが数万人います」って人たちが、それぞれの村社会のプチ英雄になっていって、サロンを開くなりして富を吸い上げる構造。人数という観点だけでなく、器が小さいというか、しょぼくなっていきますよね。社会が民主化されたからだとも言えますし、昔とどっちがいいのかはわかりませんが。

市川 「懐古厨」かもしれないですが、僕はたとえばプロ野球で言うと、一強全弱の時代とか好きでしたけどね。その方が国民性に合っていると思う。例えば今流行っている曲って、国民の誰もが知っているワケではないですよね。あと何十年か経って、時代を振り返った時、みんなの会話に挙がるのは事件や災害しかないような気がするんです。「それでいいじゃん」って話かもしれないけど。

――難しいところですよね。それって深いところで、やっぱりナショナリズムに接続していくのかな。「巨人・大鵬・卵焼き」だったり力道山がいたほうが、民衆に共通の思い出を体験させられるから、国家的にはいいと思うんですよね。ただ自由度を考えると、僕はそういう時代って嫌だな。インフルエンサーとかは大嫌いですけど、コンテンツは民主化、細分化されていったほうが好きです。やっぱり自由度が高いから。それが本当に自由なのか、選んでいるつもりが選ばされているのかもしれないけど。でも、巨人を無意識で自然と応援しているよりは、12球団平等とまでは言わないですけど、それぞれにしっかりとカラーがあって戦国時代的なほうが好きかなあ。

◆90年代の「絶対正義」フジテレビとナンシー関

市川 それを言うのであれば、80年代から90年代ぐらいまではフジテレビが絶対的におしゃれというか、最先端だった。

――東京(=日本)の最先端でしたね。ドラマもバラエティも。

市川 そう。フジテレビがやるんだったら何をやっても正しいみたいな。滑っても。

――ああ、おそらくそれで僕はフジテレビ嫌いなんだな。

市川 ああ、そうなんだ。

――僕の小さいとき(90年代後半~00年代前半)は「めちゃイケ」が全盛期だったんですけど、すごい嫌いで。

市川 たぶんその頃はフジテレビが絶対的にカッコいい、おしゃれみたいな時代だったから、たとえばナンシー関のような人が活きたと思うんですよね。ナンシー関のテレビ批評がどうしてあれだけすばらしかったかと言ったら、やっぱり強大な敵、フジテレビの存在があったから、より輝けた気がします。

――それは納得できます。絶対的な仮想敵がいて、そこにぶつかっていくから盛り上がる構図ですね。文字通りの群雄割拠って、見世物になるかといえば不安定です。スターがいた上での対立構造とか、競馬でいう「本命」「対抗」「大穴」のような、盛り上がるための「黄金比」は確実にある。戦国時代すぎると、どんぐりの背比べのように見えて盛り上がらない、売れない側面もあります。

市川 さっき言った三島的な人が出ていないというのは、カウンターになれないから。何のカウンターになればいいのか?と。

――そうなんですよ。例えば相撲でも若貴時代なり朝青龍、白鵬全盛期などは構図がはっきりしている。そこに日本人力士頑張れという応援も加わって。ただ、稀勢の里が引退して、今は群雄割拠すぎて素人には誰が強いのかわからない。名前も覚えられなくて、誰がいたっけ?となっている。力士の平均レベルは上がっているのに。よく(テレビを中心に)メディアは「スターが必要」と言うのですが、ある程度までは頷けますね。あるコンテンツを国民的、世界的にするためにはスターが必要。そうやって祭り上げる行為が個人的に好きじゃないというだけですね。

市川 ああ、そうなんだ。僕もスーパースターそのものが好きというよりは、さっき言った話と一緒です。構図が明確なほうがいい。

――必要存在としてのスター。

市川 今はだって、すくい上げるものがないでしょ。だって、巨人の坂本勇人がこの認知度なわけじゃないですか。

――世が世なら坂本はもっとね。

市川 いや、とんでもないですよ。オロナミンCのCMとかやってるはず。

――でも、それで言うと、ソフトバンクの柳田とかも同じかな。イチローや松井秀喜ばりの成績を残しているけど、全国区で野球知らない人にまで知られているかといえば……。大手企業のCMに誰が出るかと言えば大谷翔平やバスケの八村塁とか、やっぱり世界で戦う人。最初の話に戻りますが。

市川 大谷はイレギュラー。二刀流だし存在が異次元。だってあんな選手、パワプロのサクセスモードでも作れないんだもん。でも菅野智之はどれだけ出ているかっていう話。

――菅野は成績を見れば上原以上ですからね。いわゆるゆとり世代がギリギリ、巨人戦を地上波で見ていた。だから、最近プロになった選手は巨人へのあこがれはある一方、当時ほどの注目度ではなくなっているじゃないですか。そういうギャップは感じるのかも。

市川 それは絶対あります。

――だから、巨人軍にこだわる選手やファンの気持ちも伝わりにくくなっている。菅野の日本ハムへの入団拒否や丸のFA移籍も、彼らと同世代ならともかく今の20歳ぐらいの子からすると、「えっ、なんでそんなに巨人にこだわるの?」みたいな感じでしょう。巨人へのアンチ意識すらなくて、普通になんで巨人に固執するかわからない。

市川 でも長嶋と王の巨人軍がいなければ、野村克也だってこんなに注目されなかった。

――アンチ巨人というと落合監督もそうですよね。

市川 そう。

――だから光り輝いたし、ファンもついた。巨人を対抗軸にしたライバル関係があったわけですよね。でも、今はそういう「倒すべき相手」がいなくなってしまった。そこはけっこう難しいところで、ちょっと憎らしい敵がいたほうがいいんですかね。

市川 憎らしいというのは?

――嫌われるぐらいがいいみたいなことです。たとえば巨人がFAとかで大金はたいて強奪しないで、ほんとにマジで自前の育成選手だけで最強になっちゃったら、誰も文句を言えないじゃないですか。08-09シーズンのFCバルセロナがそうでした。

市川 長嶋監督の時代でたくさんね、江藤を取ったり、ペタジーニを取ったりとか。あと、誰だ、もう山ほど。そのまま自前の選手で、1番仁志、2番清水、3番高橋、4番松井とかでやってても、優勝したと思いますけどね。あれ、余計だったでしょ。

――結局、大量補強の後の堀内政権は暗黒期ですからね(笑)

市川 あれなんか、巨人は普通にやっても強いから、ちょっとツッコミどころをあげてるんですって(笑)

――ちょっとバカになった。

市川 そうそう。これのほうがツッコミやすいでしょって。

◆ペタジーニを代打で使ってこその巨人だろ!

――強すぎるチームはたまにそういうことをやるんですよね。ソフトバンクも一時期はそういうことをやってました。そのせいでパ・リーグは盛り上がるけど。でも今は改善された結果、ソフトバンクが強すぎちゃって。巨人も日本シリーズで4連敗でぼこぼこにされてる。そもそも今のご時世、巨人ファンか、それ以外かみたいな感じじゃないですよ。12球団の中の1つでしかない。

市川 もちろん、そうでしょ。今、巨人ファンってどんな人がなるんだろう?

――当然、親がそうだからっていうのが多いですよね。東京出身で。親はもちろん地方から来てる場合もあるんですけど、その子どもは東京に生まれて、小さい頃親に東京ドームへ連れてこられて。だから宗教と一緒で、地上波放送も含めた刷り込みですよね。

市川 いや、でも昔は、テレビを点けたら巨人だから好きになる現象はもちろんのこと、ちゃんと選択権が自分にあったとしても、巨人を選び取る人がいたと思うんです。今って自分に選択権があったら巨人を選ぶ人がそんなにいると思えない。

――人によりますね。結局、自分が初めて見たときに強いかどうかではないでしょうか。だから僕は中日がなんとなく好きでしたし、阪神も悪いイメージがあまりない。

市川 巨人は今でもリーグ優勝してるからそこまでではないけど、なんだろう、かつて隆盛を極めた古豪がだんだん落ちぶれていくのを、敢えて乗ろうみたいなのは? サッカーだとACミランやマンチェスター・ユナイテッドとかが没落し始めてから、追っかけで乗るみたいな感じで、巨人に乗る人はいるのかな。

――カープはそれだったんじゃないですか、一時期。

市川 ああ、そうか。

――しかも、復活したからまた、なおさらいいよねって。カープは復活したからいいじゃないですか、世代交代して。未来があった。マンチェスター・ユナイテッドはある程度復活したけど、ミランなんて低迷が長すぎて。今シーズンは頑張ってるけど、これまで10年近くひどかったし、予感もないままだったから。あれを衰退の美として楽しむ人は相当な変態だと思いますよ(笑)。

市川 あっ、ほんとに?(笑)。でも、いるでしょ。

――少しはいますね。「これ、くせになるぜ」みたいな。

市川 そうそう。そんな感じで巨人ファンになったりするの?

――フロントの迷走具合とかを含めて、一種のエンターテインメントとして、もう茶番を楽しむんだと。そういう乙な楽しみ方は、1周回ってありますよね。金持ちクラブのバカな補強を嗤う、みたいな。

市川 そうそう。だから、逆にすっごい秀でたインテリな人が巨人ファンだったりして。

――それはあり得ますね。むしろ、ファーストを3人ぐらい取るのが巨人だろ、みたいな。バランス良く補強なんてするんじゃねえ、と。

市川 ファーストとレフトしか取らないとか。

――そうそう。代打でペタジーニ出してこいよ、センターをタフィー・ローズに守らせるのがエンターテインメントだろ、みたいな感覚は回り回ってありますよね。そういうアンバランスさを楽しむ考えもありますが、まあ、相当変態の枠ではあると思いますよ。それはやっぱり強いほうがいいから、みんな。普通はなんでもっとバランス良く補強しないんだと文句をつけるから、これは勝敗を度外視した楽しみ方ですよ。

市川 ちゃんとバランス良く補強して、面白い? ……あっ、それはもうダメなのか。ひねた見方。

――ロマン主義ですよね。

市川 バランス良く補強する意味あるのかな?

――いや、これはファンの難しいところです。何を求めるかによる。でも、勝ってほしいは勝ってほしいんですよ、やっぱり。勝敗のつく世界である以上、弱すぎるところは見たくない。たとえば私はサッカーだとアーセナルが好きなんですけど、ロマン主義代表。ベンゲル監督のときはいわゆるテクニシャンの10番タイプを5人ぐらいそろえて、守備はザル(笑)

市川 でも、その分大きいでしょ、夢が。ファンタスティックな。

――そういう感じで、パス回しはめちゃめちゃきれいなのに、なんか、2対3ぐらいで常に負ける。それじゃ時代遅れということで監督も代えましたけど、結局そんなにうまくいってない。魅力も薄れてそんなに勝てないという……。

市川 ユベントスも、(アメリカに移籍するまで)イグアインも出せないかってずっと思ってたんです。ディバラとイグアインとロナウドの夢のフォワード三人同時起用、「ディグアルド」とか言って。ゲームの超必殺技みたい(笑)。ロマンがあっていいよなぁ。

――そうそう。ああいういびつなフォーメーションの感じ、笑えていいですよね。パリサンジェルマンも「ウイイレ」みたいな4トップをやってほしい。国内リーグの下位相手にしか通用しないでしょうけど。そういう、後ろからの組み立てなんていらねえんだ、みたいな勢いはちょっといいですよね。偏ってるからこその美をちょっと感じてしまう。

市川 でも、それこそメジャーリーグなんかは、そういうのがなくなってきたから面白くないって。

――そうなんですよ。バランスが取れてしまうから。でも、勝利至上主義になると、やっぱりみんな同じチームになってくるんですよ。だから、アンダースローのピッチャーなんてもう絶滅危惧種ですし。そういう物語的な、エンタメ的な面白さはメディア的発想ですよね。キャッチコピーがつけにくくなってるんですね、今は。

「サブマリン」とか異色の経歴とか、たまにあるじゃないですか。今もいるけど、絶対数が減ってる。基本的にエリートがキッチリ育成されてるから、つまらなくはなってますよね。良い意味での馬鹿さ加減や野蛮さがなくなっちゃってる。スポーツがあくまで興行と考えると、ちょっと難しいところですね。やっぱり、英雄なき時代ですよ、いつの間にか三島の話に戻りますけど。

◆三島の圧力が毒になる人もいる

――ちなみに、三島作品は若い人に読んでほしいですか。それとも同世代でも、誰でもいい? あるいは世代とかじゃなくて、どういうことを思っている人にとか。

市川 いいことを言ったほうがいいですかね?

――いや、全然(笑)。身も蓋もない感じでいいです(笑)。どういう人だったらハマりそうとか。

市川 逆に、どういう人が読んでるんですかね。

――やっぱり悩みを抱えてる人じゃないでしょうか。太宰とかとカテゴリーはある種近いんじゃないですか。

市川 これは知り合いから聞いた話なんですけど、20代の新入社員と話をしてて、どんな作家が好きなの?と聞いたら、「私、三島由紀夫が大好きなんです」って。ああ、そうなの。俺もすごい読んだよっていう話をして盛り上がったそうなんですけど、徐々に会社へ来なくなっちゃったらしいです。でも、その子はちゃんと三島の没後50周年を記念した『三島由紀夫vs東大全共闘』の映画まで観に行ってたそうなんですよ。それでも、どこかしら心が折れたっぽい。

――太宰が好きならそうなるのもわかるけど、三島好きがか……。

市川 たとえば三島作品の中でも『潮騒』とか、『金閣寺』とか、『豊饒の海』とかだけを読んでる人がそうなるのはわかる。でも、『三島由紀夫vs東大全共闘』を1500円も払って、2時間拘束されて、あのずっとダラダラ議論するやつを観た上で、それですからね。もちろん事情は色々あるんでしょうけど。

――もし、色々な事情に関係なく単にメンタルが折れたのであれば、それは三島のことをあくまで客体として消費していたにすぎなかったのかもしれない。

市川 なんかね、そう思うと、実際は太宰治と三島で消費のされ方がそんなに変わってなくないか?と思っちゃうんです。

――前編で話していた「近寄りがたさ」「いじりにくさ」が薄れてきているのでしょうか……。たしかに三島をあまり知らない世代からのイメージは、戦後の純文学っぽい尖った感じの人、くらいのものです。いわば太宰と同じカテゴリーですね。

市川 そうそう。僕の中では絶えず三島由紀夫がせっついてるような感じなんですよ。だから、ある程度精神的に健康な人じゃないと毒物になるのかも。三島由紀夫の小説も、随筆もそうなんですけど、基本的に「上げろ」と言ってるんで。

――あっ、そうか。確かに。バイブス上げてくぞ!というスタンス。

市川 だから、読むためには精神のステージが合ってないといけないんですよね、要は。まず具合が悪かったら消化の良いおかゆなんかを食べて、ゆっくり静養して、健康な体になったらステーキやら焼肉を食べるように。そんな作品なのかなあと思います。

――劇薬。そのパワーやエネルギーが。

市川 でも、今の時代の作家さんとか作品を考えたら、こんなに「上げろ」「もっと頑張れ」って言ってる人はいませんよね。

――たぶん三島は、考えが何百周もグルグル回った先のそれじゃないですか。単純にそういうことを言ってるんじゃない。それゆえの凄みとか迫力があるから、怖いですよ。もう畏怖の感情。

市川 すごいひねくれ者がひねって、ひねって、ひねり続けたら、結果、真っ直ぐになったと。

――ひねって、ひねったけど、結局、もう剛速球。

市川 あれ? 真っ直ぐになっちゃったと。

――そうなんですよね。ねじれにねじれを繰り返しての。

市川 そう。シンプルに戻っちゃうという。

――「結局、これだから」という言葉には、凄みとか迫力があるんですよね。場合によっては哲学者とか思想家の言うことって、結局、行動しろか、慎ましく友達と幸せに生きろとか、受け取り方次第で普通の結論になっちゃうじゃないですか。その身も蓋もない話をどうやって信ぴょう性を持たせて読者を納得させられるかの勝負。

市川 いや、でもそれを言ったらなんでもね、小説でも、映画でもそう。基本は人間讃歌。人間を悪く書いたとしてもそれはそれで、人間讃歌だと思うんで。

――本質はここだ、人間ってこういうものでしょ、みたいなことですよね。

市川 そうそう。ただ、切り取り方が違うだけだと思う。だから、そういう意味では、三島由紀夫が歩いてきたプロセスってとんでもないものであって。

――それは行動しているということも含めてですね、その行動自体の評価がどういうものであれ。

市川 自分はすごいひねくれ者だなあとか、ちょっと斜に構えているなあっていう人は、三島を読んでほしいなと思いますね。もっとひねくれて、真っ直ぐになっちゃった人がいるから。

――ひねくれるならひねくれ続けろというか、もっとひねくれ倒せと。

市川 ひねくれて、ひねくれて、ひねくれたら、真っ直ぐになっちゃった人がいるんだから、こっちのほうが上だよと。

――そうですよね。あなたは、私たちは三島に勝てるほどひねくれてるのかと。

◆革命を起こすには三食きちんと食べることから

市川 そうそう。だから、書いてあるエッセイとかも、見るとね、普通なんです、ほんとに。ちゃんと三食食べてと(笑)。早寝早起きして、軽い運動をして、生活しなさいって、書いてあるんですよ。

――わかります、それ。坂口安吾も乾布摩擦しろとか言ってますから(笑)。マジで身も蓋もねえと。

市川 書いてあることをその通りに読んだら、この人はなんて真面目なことしか言わないんだと思うかもしれない。でも、本当は違うんですよ。めちゃくちゃその前がひねくれて、ひねくれて、ひねくれた結果、早寝早起きして、健康な生活を送ると。だから太宰治をディスるときも、あの人が早寝早起きして、ちゃんとごはん食べて、軽い運動をしてたら、あんな思考には行かなかったと書いてあるんですよ。

――北方謙三の「ソープに行け」に通じるものがありますよ。

市川 でも、それって逆説的に言えば、自分はちゃんと健康な生活を送って、早寝早起きして、ちゃんと運動もしたのに、こういう思考に至ったのだろっていう当てつけ、皮肉でもあるんですね。

――俺は健常な思考プロセスでこうなってるんだぞ、何もおかしいこと言ってねえだろ、みたいな話になりますからね。

市川 おまえは歯が悪いから、湯豆腐しか食べられないから、そういう思考に至ったわけだろ、みたいなことを言ってるわけですよ。俺は違うぞと。ちゃんと生きて、ここに至ったんだから、俺のほうが狂ってるぞという。

――そうですね。なよなよして、何かちょっとシニカルなことを言えば狂ってるというのは大間違いで。

市川 そうそう。俺のほうがすごいぞと。

――狂うなら、本気で狂え。

市川 本気で狂ったら、すごい健康体になったぞという。

――そうですね。本気で狂って、本気で革命するなら、三食きちんと食わなきゃダメだみたいな。

市川 そう。

――ちょっと話は飛んじゃうんですけど、エミネムってラッパーがいるじゃないですか。彼は最近、朝9時から夜5時で曲作りをするらしいんですよ。ラッパーのイメージと全然違うじゃないですか。そうしないとラップを嫌いになっちゃうのかもしれない。それがめちゃくちゃクール。

市川 そうそう。夜のテンションとかじゃないんだよね。

――そういうことじゃダメなんだ、ちゃんと「9時5時」でラップを作るからいいんだぞと。でもきっと、エミネムはずーっと曲を作ってきて私生活も色々あって、何周か回ってそこにたどり着いているはず。これは深いなあと。

市川 絶対そうです。ちょっと斜に構えていたりする人には、いつもそう思いますね。

――いわゆる文学青年とか、書店員や編集者になりたがる人には多いですよね、絶対。自分もそうでしたし。それは別に悪いことじゃなくて、そういうプロセスは誰にでもあるし、今でも続いている。

市川 ただ、それでひねくれてると思わないでくれと。

――おまえのひねくれ程度で、ひねくれてるなんて言うなと。100年早いと。三島に叱られますね。

市川 早いよと。もっとひねくれたら、真面目になるからっていう。

――それは面白いですね。確かに。

市川 何かに対するアンチテーゼがあるじゃないですか。ずっとアンチを繰り返し何かに対して反抗したりとかしてたら、結果的に自分を責めると思うんですよ。なにやってるんだ、おまえ、みたいな。親に反発して、先生に反発して、世界に反発して。行き着くところは自分への反発だと思うんですよね。じゃあ、おまえ自身は何やってるの?って。

――生活は親に面倒見てもらってるんだろとか、世界を変えるために何かしてるのかと。

市川 そうそう。最終的には自己否定しちゃうと思うんです。

――否定を極めていくプロセスは面白いですね。文学や音楽に触れると、こんなにヤバい人がいる=自分は普通の人間だと相対化させられる。大げさに言えば、そうやって大半の人は大人になる。

市川 世俗にまみれても拭い去れない個性というのが本来の個性であって。

――そうですよね。変に厭世的になるのがクールな感じじゃねえだろうと。

市川 だから、僕は「型破り」という表現があんまり好きじゃなくって。型にはまっているがゆえに、型を破る。その人がどう破っていくのかに対する関心のほうが強いんですよ。その人がフリーの立場、何の抑圧もない状態でおかしなことをやっても、それはただのおかしな人であって。タレントさんが事務所とさんざん揉めて、結局辞めたりするじゃないですか、もったいないですよね。僕は小康状態をキープし続けて欲しいんです。そのギリギリのつばぜり合いが一番面白いから。

――守破離のダイナミクスみたいなものが欲しいわけですよね。

市川 まぁ、書店員なのに変な連載をしている自分への自戒も込めて(笑)。

――これがフリーランスのライターだったら仕事の一環っぽくなりますしね。

市川 だから、まず型にはまる。ちゃんと社会に根付く。早寝早起きして。

――飯を食えと(笑)。

市川 そう。それが一番ひねくれた人の姿なんじゃないかなと。そして自決するんですよ、最後に。突然。

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