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【第3回】雨季でも干上がったままの天空の水鏡|ウユニ塩湖編(前編)

数々の極地・僻地に赴き、想像を超える景色に出会ってきたネイチャー・フォトグラファーの上田優紀さん。ときにはエベレスト登山に挑み、ときにはウユニ塩湖でテント泊をしながら、シャッターを切り続けてきました。振り返れば、もう7大陸で撮影してきているかも!? そこで、本連載では上田優紀さんのこれまでの旅で出会った、そして、これからの旅を通して出会う、7大陸の数々の絶景を一緒に見ていきます。第3回はアイスランドから舞台を移して南アメリカ大陸のボリビアへ。ウユニ塩湖で驚愕のチャレンジに挑みます。


原点の景色をもう一度

うだるような暑さで目が覚めた。見慣れたオレンジ色の天井。だらだらと流れ落ちる額の汗をぬぐい、腕を伸ばすこともできない狭いテントの中で横になったまま、腕時計を手探りで探しだす。時計の針はちょうど正午を指し、気温計に目をやると、テント内の気温は三十八度まで上がっている。脱水症状なのか、高山病なのか、重い痛みが脳天にある。どうにか体を起こし、外に出てみると、いつもと変わらず地平線の向こうまで青い空と白い塩の大地だけが続いていた。そんな大地に僕のオレンジ色のテントがひとつだけぽつりと立っている。どこを見渡しても人はもちろん、動物や植物の影すらない。

ここは世界で最も美しく、過酷な場所。南米、ウユニ塩湖。

二〇一六年冬、フリーの写真家として独立し、活動を始めた僕ははじめての海外撮影に向けて準備を進めていた。最初に行く撮影地は南米にあるウユニ塩湖と決めていた。期間は一月の終わりから三月中旬までの雨季の間。学生の頃から数えると、もう三回も来たことのある場所だが、世界中を放浪してもここを越える絶景はなかなかなかった。

旅をはじめ、ウユニ塩湖に出会い、写真につながった。僕には写真の前にまず旅があり、その根っこにはいつも二十代の時にはじめて見たウユニ塩湖の絶景があった。写真家として生きると決めた以上、この場所を撮らずして何を撮るのだろうと思った。

今や南米旅行でのハイライトになってしまったウユニ塩湖は、多くの旅行客やメディアが世界中から訪れ、様々な写真や映像であふれている。ただ、一日や二日、塩湖の隅に行ったくらいでは出会えないウユニ塩湖の表情がきっとあるはずで、僕が撮りたいのはそんな風景だった。世界的に有名な場所に隠れたまだ見ぬ風景なんて、撮影欲も湧くではないか。そんなお宝のような写真を撮るために何をするべきか考えた結果、突拍子もない結論にたどり着いた。

「四〇日間、ウユニ塩湖でテント生活をする」

ウユニ塩湖に行ったことのある人なら分かると思うが、通常の旅行者は車で一時間くらい離れたウユニ村を拠点にして、日帰りでウユニ塩湖を訪れる。ただ、それでは広大なウユニ塩湖の入り口付近しか訪れることはできない。そうではなく、塩湖の真ん中、誰もいないような場所に一ヶ月以上テントを張って撮影をする。こんなことを考えた人間は世界中でも僕ひとりだろう。一ヶ月ではなく、四〇日としたのはウユニの雨季にあたるシーズンがだいたいそれくらいだからだった。世界一の絶景を独り占めにして好きなだけ写真を撮る。そう考えただけで心が躍った。

ただ、この時の楽観的な判断が自分を生死に関わるほど苦しめることを、僕はまだ知らない。後にキャンプ生活中に書いた日記には、「こんな旅を考えた自分をぶん殴ってやりたい」と書くことになる。

何を持っていくのが正解?

ウユニ塩湖に張り付いて撮影すると決めてからは、準備に追われる日が続いた。ただ、旅仲間にいくら話を聞いても、インターネットで調べてみても、ウユニ塩湖で一ヶ月以上生活するのに役立つ情報は全く見つからない。最終的に、素人ながらも自分の経験や想像力を頼りに、頭の中で現地での生活をできる限りリアルに再現して持っていく荷物を選定するしかなかった。

アンデス山脈にあるウユニ塩湖は標高三七〇〇メートル近いので、寒暖の差が激しいはずだ。たった四〇日間の滞在でも、半袖シャツからダウンジャケットまで揃えなくてはいけない。カメラの電池やパソコンを充電するために防水のソーラーパネルも必須アイテムだし、長靴も折りたためて小さくなるものを探した。同時に必要な食料と水も計算した。ウユニ塩湖の水は海水の五倍も塩分が濃いので飲み水としては全く期待できず、飲料水や調理に使う分など、生活に必要な水は全て近くの村から持って行かなくてはいけない。

荷物を背負って歩くこともあるだろうから可能な限り軽くしたかったが、結局キャンプ用品や撮影機材を合わせると、日本から持っていく荷物だけでも四〇キログラムを超えてしまった。けど、準備が終わって出発が近づいてくると、そんなことは小さいことのように思え、自分が世界中でまだ誰も見たことがないウユニ塩湖を撮影するんだ、と想像して気持ちは高まる一方だった。

ウユニ塩湖がある南米ボリビアの都市、ラパスまでは、アメリカで飛行機を二回乗り継ぎ、約三〇時間の道のりだ。そこから夜行バスで一〇時間ほど走ればウユニ村に到着する。たった四〇時間で地球の裏側のさらに辺境の村まで辿り着けるなんて、ヴァスコ・ダ・ガマが聞いたらどう思うだろう。便利な世の中に生まれてよかったのか、冒険という楽しみがなくなったのか、少しだけ複雑な心境になる。

結局、家を出る直前までパッキングをしてしまい、バタバタの出発となったが、なんとか出国の日を迎えることができた。成田空港でアメリカ、ロサンゼルス行きの飛行機を待っている間、ふとパンパンに膨らんだバックパックに目をやる。自分で裁縫しながら、もう一〇年使っているバックパックは、アフリカでゴミ袋みたいだと笑われたこともあるほどボロボロだが、はじめてのアジア周遊も、一年半の世界一周も、ヨーロッパ周遊も、三回の南米だって僕の荷物を運んでくれた。本当にいろんな場所に一緒に行った、もはや旅の相棒と思えるバックパック。ロストバゲージされがちで、僕を置いて二、三日どこかに行きがちなのがたまにキズだけど、使っている時間が長いだけに自分の背中にもぴったりとフィットし、いくら背負っても体が痛くならない。今回もよろしく、ロストバゲージだけは気をつけて。なんて思っていたら、チェックインカウンターに人が並び始めた。

先行きが不安なスタート

ラパスのエル・アルト空港を降りると、空が目の前に広がっていた。痛いほど強烈な日差しが降り注いでいるが、風が冷たい。アンデス山脈特有の気候がなんだか懐かしい。標高四〇〇〇メートル以上にあるこの空港は、世界で一番標高が高い空港として知られており、そんな場所にあるからか、この空港には高山病患者用に酸素ボンベがあるらしい。

空港からラパスの街中にある長距離バスのバスターミナルまで移動する。すり鉢状の不思議な街は、三年前に訪れた時とさほど変わらないように見えた。夜まで時間を潰してウユニ村行きの夜行バスに乗る。ラパスからウユニ村への道は悪路として有名で、前に乗った時はバスのオンボロさも相まって、一〇時間もの間ずっとジェットコースターのような道のりだった。だが、この数年間の観光客の増加もあってか、驚くほど道は整備され、飛び跳ねることのない快適なバス旅に様変わりしていた。

明け方に村に到着すると、道路と同様に村の変化にも少し驚く。メイン通りには観光客用のレストランやお土産屋さんが軒を連ね、なんのためにあるのか分からない信号機も設置されている。ただ、ボリビア人らしい、少しシャイな子供たちのはにかんだ表情や、小さな雑貨屋さんに座るおばあちゃんの素朴な笑顔は全く変わっていないのが少し嬉しかった。

旅行シーズンだけあって村は活気に満ち溢れ、どこからもウユニ塩湖ツアーへの客引きの声がしている。誘われるがままあるツアー会社のオフィスに入ってみた。今回の撮影の成否は天気で九〇%が決まると言っても過言でなく、一番神経質になっている懸念を少しでも早く明確にしておきたかった。ツアーオフィスというには大げさな、小さな東屋のような建物の奥に座るおばちゃんに最近の天気を聞いてみる。すると、最悪の言葉が返ってきた。

「六〇年間、ここで暮らしているけど、ここまで雨の降らない年ははじめてだよ」

そもそもウユニ塩湖とはどんな場所なのか。はるか太古の昔、まだ海の下にあったアンデス山脈が大量の海水と共に隆起した。地上に上がった海は途方もない時間をかけて干上がり、結果、標高三七〇〇 メートルという高地に世界最大の大塩原を生み出した。約一万二千平方キロメートルという広大な平原が塩で覆われ、その広さは四国の半分に相当する。

そして、ウユニ塩湖は一年のうち限られた時期にまとまって雨が降る。その雨水が巨大な塩の平原を満たし、いくつかの複雑な条件が揃うと大地が鏡のようになり、空の色を忠実に映し出す。その幻想的な風景は奇跡の絶景と言われ、天空の水鏡とも評されている。ぼくはまさにこの風景を撮りに来ていた。

南半球のボリビアでは一月から三月が雨季にあたり、ウユニ塩湖は二月にベストシーズンを迎える。この時期に狙いを定めて遠く地球の裏側まで来たのに、ウユニが奇跡を起こす大前提となる雨が今年は全く降っていないらしい。その日に塩湖を見に行った人に話を聞いても、乾期のように真っ白な塩の大地が広がっているだけだと話していた。なんとも幸先の悪いスタート。それでも二、三日待てば、と前向きに考えて、長期ロケに向けて村で準備をはじめることにした。

だが、そんな希望は見事に砕かれる。なんと日照りは日に日に深刻になっていき、村では水道が止まるなど、水不足は日常生活にも支障をきたすほどになった。村に来て五日がたち、撮影の準備はすでに終わった。四十日分の水や食糧の米を購入し、市場で買ったトマトやじゃがいも、キャベツなどは宿の屋上で天日干しして自作の乾燥野菜にした。あとはいつ出発するか、というだけだった。すぐにでもウユニ塩湖に行ってしまいたいのだが、今行ったところで、奇跡と言われる絶景を撮影できないのは分かりきっている。天気を待つにしても村にいる方が良い環境なのは間違いない。食料も電気も豊富にあるし、インターネットで天気図を見ることだってできる。分かってはいるが、現地に入らないと何もはじまらないという気持ちが胸を燻るばかりだった……。

お前を連れてはいけない

村からウユニ塩湖へは、4WD車をチャーターして向かうのが一般的な方法だ。チャーター車は費用が高いのでできれば避けたいが、バイクや自転車を安く買って自走で塩湖へ行っても、一ヶ月ものあいだ塩だらけの場所に置いておけば、間違いなく帰る頃には使いものにならないほど錆び付いてしまうだろう。色々と考えてみたが、結局、チャーター車で行くしか方法はない。翌日、朝一番で旅行会社へ足を運ぶことにした。旅行会社と言っても、掘っ立て小屋のようなボロボロの建物で、四畳半ほどの室内には老婆が一人、床には野良犬が寝ていた。

その老婆に話しかけてみると、チャーター車は一日一台七〇〇ボリビアーノ、当時のレートにして日本円で約一万円。ドライバー付きチャーター車としては決して高くはないが、ボリビアということを考えれば、かなり高額な請求だった。それだけあれば村に2週間は滞在できる。

値段交渉のために片道のみの送迎であることを伝えると、怪訝な顔をされた。当然のことだろう。誰もいない、何もないウユニ塩湖に片道切符で行くなんて普通は思いつきもしない。そこで、自分は写真家で撮影のために来たこと、そして、そのために一ヶ月間、ウユニ塩湖の中でキャンプ生活をしたいと話した。すると、そんなことをする人は初めて見たと、目を丸くして驚く老婆。そして、予想外の言葉が返ってきた。

「NO!」

何に対してノーなのか分からないでいると、老婆はこう続けた。「お前はそれがどれほど危険なことか分かっていない。もしお前が死んでしまったら、うちのお客さんが減ってしまう。そんなことに協力はできない」。自己責任だし、お店のせいにはしないよ、といくら言っても首を縦に振ってはくれない。

困ってしまったが、チャーター車を出している会社はここだけではない。そこで、ウユニ村にある他のツアー会社もくまなく巡ってみる。しかし、どこも答えは同じだった。天気の問題もあって、客が少ないからか、今日にでも出発できると提案されるが、テント泊することを話すとみんな口をそろえて「そんな危ないことに協力はできない。やめておけ」と言う。この返答が予想外に思えたのは、何度か南米を旅してみて、お金さえ払えばあとはどうにでもなる、というイメージがあったこともあるだろう。一般の旅行客にとってツアー会社が責任を持つということはとても良いことなんだろうけど、僕にとっては想定外で大きな問題だった。

救世主か、悪人か

どうやって塩湖までいけばよいのだろう。ことごとく車のチャーターを断られた僕は途方に暮れるしかなかった。沈んだ気持ちのまま大通り沿いのベンチで、ちょっと遅めのランチにお気に入りのサルテーニャを食べていると急に「アミーゴ!」と声をかけられた。顔を上げると全く知らない青年が笑顔で立っていた。知らない人にアミーゴかフレンドと声をかけられた時はよっぽどの暇人か物売り、もしくは詐欺師か、いずれにせよロクなことがない。それは今まで世界中を旅してきて学んだことだった。と言っても、全てのツアー会社に断られた僕も相当な暇人だったので何の気なしに話しはじめた。日本から来たこと、ウユニ塩湖でテント生活をしたくて、真ん中まで連れて行ってくれるツアー会社を探したが、危険だと全部断られたこと。写真家と言うと、カメラを盗られる可能性もあったので、一応旅行でウユニに来たことにした。機材や身を守るため、海外で知らない人と話すときは基本的にそうしている。

すると、その話を聞いた青年は「おれに任せろ!」と笑顔で答えた。怪しさしかない。これまで南米だけでなく、アフリカやアジアなど経済的に貧しい国や街を年単位で旅してきた。もちろん、そこでの人々との出会いは他には変え難いほど素敵なものが多いが、決して綺麗なものばかりでもなかった。スリ、詐欺、強盗。世界中で色々な目にあってきたからこそ分かる。僕の怪しい人センサーは警戒度マックスに反応している。絶対に詐欺だ。

しかし、ホセと名乗る青年は怪しむ僕をよそに話を続ける。自分はいつもはツアー会社のドライバーをしているが、知っての通り今は観光客が少なくて仕事がない。だから料金さえ払ってくれたら、ウユニ塩湖の真ん中でもどこでも連れて行ってやる。

普通なら絶対に信じない。仮に先に料金を払ってしまえば、帰りは迎えに来ないだろう。それは危なすぎる。けど……これしか方法がない気もする。ホセはひとまず車を見に来いと言う。「ミルダケタダ!」。これまで世界中でそう声をかけられては無視を決め込んできた僕は、はじめてその言葉にしたがってみることにした。

駅前に路駐されていたホセの車はトヨタのランドクルーザー70だった。確かにこの車ならウユニの真ん中にも行ける。実際、ツアー会社が持つ車のほとんどはこのランドクルーザーだった。しかも新しいカーナビまで付いているなんて。今考えてみると、絶対に正常な判断ではないし、別の方法を探すべきだったが、はじめての海外遠征で撮れないで帰るわけには行かないこと、そして貯金のほとんどを使ってウユニまで来ていることがあったからか、僕はホセに往復のチャーターを依頼することにした。最終的に相場より高い往復一〇〇〇ボリビアーノで交渉は成立。その代わり、まずは三〇〇ボリビアーノだけ支払いし、残りは一ヶ月後に帰ってきてから払うことにした。

翌朝、時間通りにチャーター車は僕の宿まで迎えに来た。いよいよウユニ塩湖へ向けて出発する。これから始まる四〇日にも及ぶ撮影が、僕の人生を大きく変えてしまう気さえする。不安なんてものは微塵もなく、自分ならやりきれる、という全く根拠のない自信だけがあった。

そして、何度もウユニ塩湖と村を往復しているであろうボロボロのランクルは、僕一人を乗せて塩湖に向けて走り出した。途中、窓の外では野生のリャマやアルパカが痩せた草原をゆっくりと歩いている姿が見える。しばらくするとコルチャニという集落に着いた。露天のお土産屋さんがあるだけのこの小さな集落を出ると、もう誰もいない世界に入る。そこではじめて少しだけ不安になり、同時に気が引き締まった。集落を通り抜けると、徐々に道が白っぽくなってくる。土と塩が混ざった地面は次第に白みを増していき、ついには真っ白になった。そして、日本を離れて十日、ようやくウユニ塩湖が僕の目の前に姿を現した。

地平線のずっと向こうまで真っ白な塩の大地が続いている。その大地の白と空の青とのコントラストがとても美しい。ウユニ塩湖に入って四〇分ほど走ると、大きなモニュメントも見えてきた。このモニュメントがある場所には小さな塩でできた建物があり、そこはかつてホテルとして使われていた。十五年前、はじめてウユニ塩湖を訪れた時にはここに宿泊した。現在は観光客用の博物館兼お土産屋さんになっているらしく、観光客が集まっているのが車から見えた。モニュメントの前で記念撮影をする観光客を横目に、僕を乗せた車はさらに真っ白な大地を進んでいく。

どれくらい進んだだろう。ウユニ塩湖に入ってからもう二時間以上たっていた。ホセがこの辺りでどうだ? と聞いてくる。一度、車から降りてみると建物はもちろん、人ひとり影さえ見当たらない。ここでいいか。ウユニ塩湖の真ん中に行くと言っても特に正解はないので、なんとなく決めてしまった。車から全ての荷物を下ろして、ホセに四〇日後に絶対に迎えにきてくれ、と話し、彼のスマホのカレンダーに「PICK UP YUKI!!!」と記した。
(続く)


上田優紀さんからのお知らせ

今まで世界最高峰のエベレストをはじめ、世界各地の極地・僻地へと足を運び撮影をしてきました。そして、今年、また新たなプロジェクトをはじめます。
世界各地には神話に登場する動物たちがいます。それは時に神の使いであり、時に守護者でもありました。何百年前に生きた人たちはそんな神を思わせる動物たちと出会った時、何かを感じたからこそ、その野生動物たちを神話に残したんだと思います。その姿や風景を僕は見てみたいし、伝えたい。そこにはきっと今の人にとっても心が動く風景があるはずだから。新たなプロジェクトではそんな神話で出てくる野生動物たちの撮影に挑みます。
そこで、ぜひ僕の次なる旅に関心を寄せていただけるようでしたら、無理のない範囲でクラウドファンディングにご協力いただけたら、大変嬉しいです。見たことのない世界を見たい人、日々の生活にちょっと疲れている人、何かに挑戦して頑張りたい人。時に癒しになり、時に好奇心をかき立てる、きっとそんな多くの人々の心を満たすような風景をきっと皆さまにお届けします。何卒、ご協力をいただけますと幸いです。

著者プロフィール

1988年、和歌山県生まれ。ネイチャーフォトグラファー。京都外国語大学を卒業後、24歳の時に世界一周の旅に出かけ、1年半かけて45カ国を回る。帰国後は株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり、想像もできない風景を多くの人に届けるために世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行う。近年はヒマラヤの8000m峰から水中、南極まで活動範囲を広めており、2021年にはエベレスト(8848m)を登頂した。

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