「倫理の問題」とは何か メタ倫理学から考える:序章全文公開後編
光文社新書の永林です。倫理学者・佐藤岳詩さんの新著「『倫理の問題』とは何か メタ倫理学から考える」が4月14日に発売になりました。
前回記事では、本書の序章の前半を公開しました。今回は序章のつづき、そして専門書のごとく丁寧な目次を(ほぼ)全文公開します。哲学の知識のある方にはサラサラと読めて、そうでない方にには脳みそに心地よい疲労感を残しつつ、生きるうえでの楔となるような名著(になる予感)です。序章を読んで気になった方は、どうぞ一冊、お手元に。
序章前半はこちら ↓
●倫理とは何のことかという問い
前節の最後に述べたことを、もう少し詳しく掘り下げてみましょう。この本で考えたいのは、倫理の問題との向き合い方です。それは個々の倫理の問題に答えを出すこととは違っています。
数学の問題と対比して考えてみましょう。数学の問題に答えを出す方法は、様々あるでしょうが、その一つは計算をしたり、証明をしたりすることです。「2+3はいくつ?」という問題に答えを出すには、足し算という計算方法を覚えて、それを使えばよいでしょう。他方、数学の問題との向き合い方を考えるというのは、それとは違った問いです。それはむしろ、微分や積分を習って何になるの? とか、数学の問題を考えるというのは人生にとってどんな意味をもつの? とかいった問いです。そして、それに答えるために、そもそも数学の問題を考えるって何なの? 数学って何なの? ということまで考える、それが数学との向き合い方を考えるということです。
倫理の問題に向き合うというのも同じです。倫理の問題に答えを出すとは、クラスメイトに暴力をふるってもいいかとか、人の受精卵の遺伝子操作を行ってもいいか、とかいった具体的な問いに、何らかの論証を通じてその是非を答えることです。他方で、倫理の問題との向き合い方を考えるというのは、倫理のことを考えて何になるの? とか、倫理は人生にとって何か意味があるの? とかそういうことに焦点を当てます。そして、それに答えるために、倫理の問題って答えがあるの? そもそも倫理って何なの? などといったことを考えていきます。
もちろん、自分は倫理という言葉の意味くらい分かっているし、皆、同じように分かっているはずだ、と思った人もいるかもしれません。現に私たちの多くは、日常のなかで倫理という言葉について深く考えたりしませんが、それでもたいてい倫理的に適切に振る舞っています。あらためて言葉にして考えずとも倫理のことは分かっている、と言いたくなる気持ちも分かります。
しかし、私たちは本当に倫理のことを分かっているのでしょうか。たとえば、冒頭の事例で「遺伝子操作は倫理的に許されない」と言う場合、これはただ単に「遺伝子操作は許されない」と言う場合と何が違っているでしょうか。「それは倫理的に問題だ」と言うとき、それはいったいどんな問題を指しているのでしょうか。それは数学の問題とどう違っているでしょうか。
実際、子どもの頃から家庭でのしつけや学校教育などを通して何度も言われているので、私たちは何が倫理に反するか、ということについては、ある程度、共通の理解をもっています。人のものを盗んだり、嘘をついたりしてはいけない。しかし、それがいったい何に反しているのか、倫理とはそもそも何を意味しているのか、についてはそこまではっきりと説明できる人は少ないのではないでしょうか。
これはちょうど、赤いものとは何かという問いには答えることができる一方で、赤さとは何かを説明せよと言われると戸惑ってしまうこととも似ています。赤いものなら、トマト、信号、ポスト、テントウムシなど、たくさんのものを挙げることができます。ですが、赤いものではなく、赤さとは何かを説明してほしい、と言われたら、私たちは困ってしまうように思います。
また、最近では、ロボットに倫理や道徳をプログラムする、しないということが、人工知能を開発する研究者たちによって議論されています。そのときによく問題になるのが、いったいどんな機能を搭載したら、そのロボットは倫理を身につけたことになるのか、ということです。
たとえば、落ち込んでいたら優しい声音で慰めてくれるロボットは、たとえそのように行動するようプログラムされた機械だとしても、倫理的なロボットと言えるでしょうか。あるいは事故を起こしそうなときに、巻き込まれそうな人の数を瞬時に計算し、その数をもっとも少なくする行動をとるロボットなんかはどうでしょうか。
実際のところ、倫理とは何のことなのか、ということを明らかにすることは、非常に困難です。辞書を引けば「人としての道、うんぬんかんぬん」などといったことが書いてありますが、それも漠然として何だかよく分かりません。動物たちもときに助け合いますし、チンパンジーは与えられた作業の報酬としての餌の配分が不平等だと怒る、という動物行動学の知見もあります。それでも彼らは倫理をもたないのでしょうか。
あるいは、倫理は受精卵の遺伝子改変を禁止するかもしれません。飢餓救済への寄付を推奨するかもしれません。では、禁止や命令、推奨などによって、私たちを一定の振る舞いの道筋へと導くものこそが倫理でしょうか。しかし、何かを禁止したりするのは倫理だけではありません。経済、効率、美醜、マナー、エチケットなど様々なことが、私たちの行動に口出しをしてきます。
仮に、ルールという言葉の意味を非常に広くとって、何か固有の観点から理想的と言えるような行為をするように私たちを導く働きをするようなものをすべてルールと呼ぶことにしてみましょう。その場合には、「倫理とは何か」という問いは、倫理的なルールとそうでないルールとの違いは何かという問いとして読み替えることもできるかもしれません。
皆の役に立つのが倫理だと考えた人もいるかもしれません。では、熱心に慈善活動を行い、結果として多くの人を幸せにしているのだけれど、その方が名前が売れて儲かるから、という理由でそのような活動をしている企業は倫理的でしょうか、それとも偽善的で非倫理的でしょうか。
ここまで様々な事例を出してきましたが、結局、私たちが倫理と呼んでいるものの正体は何なのでしょうか。どうして私たちは倫理が気になってしまうのでしょうか。倫理はそんなに大事でしょうか。
本書はこうした一連の問いに、基本的にはいわゆる西洋倫理学、なかでもイギリスやアメリカを中心として展開されてきた現代倫理学の立場から取り組んでいきます(こうしたアプローチは倫理について、一歩退いたところ、メタ的な観点から考えるということで、学問的にはメタ倫理学と呼ばれています)。この立場のポイントは、私たち自身の日常の振る舞いや言葉遣い、考え方やものの見方などを題材にしながら、倫理に関して「それってどういうことなの」と、ひたすら自分自身の頭で論理的に突き詰めて考えていくことにあります。
したがって、本書も基本的には、大上段から何かを偉そうに説教するとか、大哲学者のありがたい名言を書き連ねるといった類いのものではありません。また、最新の機器を使った実験の結果、しかじかのことがわかった、という発見をお伝えするものでもありません(ただし、近年の心理学の実験の成果などは、適宜、紹介しようと思います)。
むしろ、日常生活の中で倫理というものにひっかかりを覚えたときのために、読者の皆さんが自分自身で倫理というものについて、より深く理解し、考えていくための手がかりを示すものと思ってもらえればよいと思います。
●本書の流れ
本書の流れはざっと以下のようになっています。何度か述べてきたように、全体を貫くテーマは、「倫理の問題と私たちはどう向き合えばいいのか」というものです。まず第一章では、「そもそも倫理って何のこと?」ということをスタート地点にして、「倫理の問題って何のこと?」ということを考えます。「倫理が問われています」とか「倫理的側面についてよく考えてみなければならない」などと言われるときに、私たちが直面している問題、倫理の問題とはいったい何なのかを、あらためて考えてみます。ただ、様々な考え方を紹介しますが、残念ながら、この章では決定的な答えは出せず、結論は第五章に持ち越しになります。
第二章と第三章は倫理の問題とは何なのか、ということをより深く考えるために、問題とその「正解」の関係を考えます。普通、問題には正解があるものですし、そもそも正解を求めて、問いというのは立てられるはずです。したがって、問題について考えるためには、同時に、正解について考える必要があります。
しかし、倫理の問題はしばしば「答えがない」問題と言われます。では、倫理の問題に、本当に正解はないのでしょうか。第二章では、倫理の問題には客観的な正解があるという立場と、そのような正解はないという立場について考えてみます。数学の問題なんかと同じように、客観的な正解があるのなら、倫理の問題にも誰にとっても当てはまる正しい答えが存在するということになります。
他方、そのような正解はないのだとすれば、どうなるでしょうか。私たちはいつでも自分の好きなように振る舞っていいということになるのでしょうか。本章では、仮に私たちには正解がわからないとしても、私たちには求められる一定の態度があるという結論を出していきます。
引き続いて、第三章では、倫理の問題と真理というテーマで、そもそも「正解」すなわち真理にこだわるという姿勢について考えます。答えがないかもしれない問題について、私たちはなおも正解にこだわる必要が本当にあるのでしょうか。正解が分からない、ないかもしれないなら、そんな問題にこだわるのはやめて、極力楽しく暮らそうとするのではいけないのでしょうか。それとも、なおも正解を目指して、探求を続けることには何か意味があるのでしょうか。ここでも、正解にこだわるにせよ、こだわらないにせよ、私たちは自らの不完全さというものと向き合う必要があるということを述べていきます。
第四章では、引き続き倫理の問題とは何なのかを考えていきますが、少し角度を変えて、言葉の側面から、倫理の問題について考察します。倫理を巡っては、問題にも答えにも、善悪、義務、正不正、正義、~すべき、~しなければならない、~してはならない、など特有の言葉がたくさん含まれています。
こうした倫理の言葉はいったいどんな意味を持っていて、それらは倫理の問題とどういう関係にあるのでしょうか。「それは倫理的に良いことか」と言うことで、私たちは何を問おうとしていて、「その通り、それは倫理的に良いことだ」と言うことで何を答えようとしているのでしょうか。それらの言葉は「それは楽しい」とか「それは儲かる」とかとどう違っているのでしょうか。これらを通じて、倫理の問題は他の問題よりも大事な問題なのか、といったことも考えていきます。
最後に、第五章では結局のところ倫理とは何のことなのか、ということを、第一章から第四章までの議論を踏まえて、もう一度、腰を据えて考えていきます。「日常」や「かかわりあい」といった言葉がキーワードとなります。こうしたことを考える中で、読者の皆さんが自分自身の倫理の問題との向き合い方を見つけていただければ幸いです。
なお、本書には最終章である第五章の後に「メタ倫理学をもっと勉強したい人へ」という補章が付されています。本文は倫理学を勉強したことのない人に向けて、なるべく専門用語を使わないようにして展開されるので、その分、少し分かりにくかったり、言葉が足りなかったり、これが倫理学の議論とどうつながるのかが不明瞭になってしまったりしている箇所があります。そういった点を補うための章なので、本文を読んで関心が湧いた人はそちらも読んでみてほしいと思います。
特に、本書はあえて、一般的な倫理学のメインルートとは少し違ったところから、倫理の問題を論じており、登場する哲学者たちもあまり聞きなれないであろう人たちばかりです。ですので、倫理学を勉強したことがある人は、アリストテレスやカントといったビッグネーム、あるいは功利主義や義務論といった言葉がほとんど出てこないことに戸惑うかもしれません。
そのため、そうした王道の倫理学をしっかり学びたいという人は、補章で挙げた参考文献を見てもらって、そちらから読んでみた方がよいかもしれません。本書はむしろ、そうした倫理学者や倫理学理論を直接論じる一歩手前で、そうした倫理学者たちも論じた倫理の問題に向けてどんな態度をとったらよいのか、ということを問うものになっています。王道の倫理学を論じる著作とセットで読むことで、本書からは私たちの身の回りの倫理の問題を問う意義、そしてそれらをより上手に問うていくためのヒントを得てもらえればと思います。
目次:「倫理の問題」とは何か メタ倫理学から考える
第一章 ◆ 倫理の問題って何? 「そもそも倫理って何のこと?」
1・1 倫理にかかわるもの、かかわらないもの
倫理とは社会のルールのこと?
1・2 倫理学者たちの見解
1・2・1 深刻で重要なものとしての倫理
1・2・2 人の理想像としての倫理
フットの反論
フットの立場の深化「人間にとって良いこと、害あること」
ヘアの立場の変化「優越性」
1・2・3 倫理の二つの方向性:フットとヘアの考えから分かったこと
1・2・4 意図的な振る舞いとしての倫理
道徳の射程の広さ
道徳の特別性
1・2・5 見方としての倫理
偏在する倫理
1・3 倫理の理解の違いがもたらすもの
重なる部分と重ならない部分
倫理の理解から、倫理の問題の理解へ
問いの強さ
記述の仕方
理由の違い
発言を封じられているもの、立場を声にできないものはいないか
第一章のまとめ
第二 章◆ 倫理の問題に正解はあるか 「二つの思い込みについて」
2・1 倫理の問題と正解の存在
「ある」のいくつかの意味
「実在する」と「構成されたものとして『ある』」の区別は大事と言えるか
2・2 倫理の問題に客観的な正解は存在しない?
正解であるためには何が必要か
2・2・1 なぜ客観的な正解が存在すると(誤って)考えてしまうのか①
感情の投影
2・2・2 なぜ客観的な正解が存在すると(誤って)考えてしまうのか② 人生の意味
2・3 倫理の問題に客観的な答えは存在する?
2・3・1 なぜ客観的な正解が存在しないと(誤って)考えてしまうのか① 文化相対主義
2・3・2 なぜ客観的な正解が存在しないと(誤って)考えてしまうのか② 心理学
2・3・3 なぜ客観的な正解が存在しないと(誤って)考えてしまうのか③ 証明の不在
2・4 マッキーの(したかもしれない)反論
2・5 二つの思い込みと二つの態度
結局、倫理の問題に正解はあるのか
倫理の岩盤
第二章のまとめ
第三 章◆ 倫理の問題と真理「正解を求めることはそんなに大事?」
3・1 真理と誠実さ
3・2 真理の探究など不要
真理を気にしなくても大丈夫?
私たちと世界の偶然性、傷つきやすさ
3・3 真理の探究はやっぱり大事
ウィリアムズと現代の哲学の根本的な問題
真理を求めるとはどういうことか
なぜ誠実であることは必要なのか
なぜ正確であることは必要なのか
「本当の私」
テイラーの「ほんものという倫理」
3・4 認識的不正義
証言的不正義という悪徳
証言的不正義と差別、暴力
3・5 ポストトゥルースの現代を生きる
アイロニストと真理を探究する者
不完全な自己と他者との交わり
第三章のまとめ
第四 章◆ 倫理の問題と規範的な言葉 「『良い』ってどういう意味?」
4・1 規範的な言葉の用法
4・1・1 規範的な言葉の用法① 態度表現
4・1・2 規範的な言葉の用法② 助言・推奨
態度表現と助言の違い~助言がもつ二つの特徴
4・2 規範的な言葉の特徴
4・2・1 規範的な言葉の特徴① 一定の規準、根拠に基づく
理由になるものとならないもの
4・2・2 規範的な言葉の特徴② 心を動かす
動機づけの内在主義と外在主義の行方
4・3 規範的な言葉の第三の用法~対象を記述する
評価の記述
第三の用法としての記述
私たちがお互いに負いあうもの
4・4 単なる言葉の使い方の違いを超えて
概念工学
4・4・1 道徳、倫理の文脈における規範性――義務による理解
4・4・2 義務以外のものとしての道徳、倫理
第四章のまとめ
第五章 ◆ 日常とかかわりあいの倫理 「結局、倫理って何だったの?」
5・1 倫理の問題のバリエーション
5・1・1 私は何をなすべきか~これは本当に正しいことなのか
日常にひっかかりが生じるとき
日常の成立にかかわる問い
ひっかかりと不正義
「かかわりあい」としての倫理
日常とかかわりあい
5・1・2 悪いことをしてはならないのはなぜか~倫理には本当に従わね ばならないのか
カヴェルの懐疑論
倫理的懐疑論と日常を愛おしむこと
5・2 倫理と四つの基準――第一章との関係から
5・3 倫理と客観性、主観性――第二章との関係から
5・4 倫理と真理、言語――第三章との関係から
第五章のまとめ、終わりに
補章
メタ倫理学をもっと勉強したい人へ 文献リスト
作者紹介
佐藤岳詩(さとうたけし)/ 一九七九年、北海道岩見沢市生まれ。京都大学文学部卒業。北海道大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。熊本大学文学部准教授を経て、現在、専修大学文学部哲学科准教授。専門はメタ倫理学、およびエンハンスメントを中心とした応用倫理学。主な著書に『R.M.ヘアの道徳哲学』、『メタ倫理学入門:道徳のそもそもを考える』(いずれも勁草書房)。