【第18回】どうすれば「中東」を理解できるのか?
■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、哲学者・高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!
国家・独裁・紛争・石油・宗教
ミシガン大学大学院に留学していた頃、何度も数学の必修科目を落としていたアリという留学生に個人指導したことがある。彼はレバノンの部族長の息子で、宝石のついた指輪を何個も指に嵌めて、ポルシェに乗って大学に来ていた。ようやく単位が取れると、お礼だとステーキハウスに招待してくれた。
彼は、ボーイが皿を持ってくると「レアと注文したのに焼き過ぎだ」と文句を言って、別の肉を表面だけ焼いて持って来させた(私は、ミディアムのフィレを美味しく戴いた)。彼は、血の滴る肉を口に運びながら「本当に旨いのは、屠(ほふ)ったばかりの羊の生肉だ。いつかお前がレバノンに来たら、この手で羊を絞め殺して、動いている心臓を取り出して食べさせてやる」と言った。
アリは、何年かの兵役を終えて留学してきたので、私よりも年長だった。普段はニコニコしているが、ふとした瞬間に眼がギラリと光る。戦闘中、何度も人を殺した経験があるという。髪と髭を伸ばし、スーツを着て、ワインをガブ飲みし、フィリピン出身の美人留学生のガールフレンドがいる。彼は完全にアメリカ化した生活を送りながら、アメリカは大嫌いだと公言していた。
大学卒業後、アリは父親の部族と共に母国を立て直すと言ってレバノンに戻り、その後、内戦の途中に行方不明になった。なぜ彼は、アメリカの優雅な生活を捨てて、わざわざ命懸けで祖国に戻ったのだろうか?
本書の著者・末近浩太氏は、1973年生まれ。横浜市立大学文理学部卒業後、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。ロンドン大学研究員、立命館大学准教授などを経て、現在は立命館大学国際関係学部教授。専門は、中東地域研究・国際政治学。著書に『イスラーム主義』(岩波新書)や『イスラーム主義と中東政治』(名古屋大学出版会)などがある。
さて、イラクでシーア派とスンナ派の武力衝突が起こり多数の死者が出たとする。ニュースでは、イラクの住民は6割がシーア派で2割がスンナ派だというコメントが付け加えられる。視聴者は、中東で相容れない宗派同士が衝突したのかと脳内で整理する。なぜ両派が武力衝突にまで至ったのか、その「理由」を理解していないにもかかわらず、わかったような気になる。それこそが問題だと末近氏は指摘する。本書は、中東が根本的にどのように動いているのか「国家・独裁・紛争・石油・宗教」の5つのテーマから解明する。
本書が対象とするのは、イランからモロッコに至る21の中東諸国である。シリアやイエメンのように強固な権威主義体制を維持する国々も多い。第2次大戦後、国家間の戦争と難民流入・民主化運動などに起因する内戦は増加の一途を辿り、今では中東の武力紛争数は過去最高に達している。全世界の石油量48%を所有し、総人口3億4102万人の93%がイスラーム教徒である。
本書で最も驚かされたのは、それぞれ「体制・政治・社会・経済・信仰」の状況が大きく異なる中東諸国の「多様性」である。同じイスラーム教徒でも、まったく戒律を守らないアリのような人間もいれば、毎日の礼拝を欠かさない厳格な信仰者もいる。安易に「中東」と一括りにする発想が、どれほど「理由」を見え難くさせるか、本書の多面的な考察によって明らかになるだろう!
本書のハイライト
中東は難しい。そう感じている人は、少なくないであろう。戦争や内戦が絶えず、民族や宗教の問題が複雑に絡み合っている。加えて、石油や天然ガスをめぐる国際的な争奪戦が問題をさらにややこしくしている……中東で起こっていることは、グローバルな広がりを見せ、いまや世界全体の趨勢を左右するものとなっている。だとすれば、日本にとっても、もはや対岸の火事ではなく、その理解に努めていくことは、いまや喫緊の課題となっている。(pp. 13-14)
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著者プロフィール
高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。