【第95回】いかにして「破滅」寸前の日本が救われたのか?
「日本のいちばん長い日」
1936年(昭和11年)2月26日午前5時、陸軍大尉・安藤輝三の指揮する一隊が侍従長官邸を襲撃した。侍従長・鈴木貫太郎は、兵隊から頭・肩・左脚・左胸の四カ所を撃たれて倒れた。血の海になった八畳間に安藤が現れると、下士官が「中隊長殿、とどめを」と言った。安藤が軍刀を抜くと、部屋の隅で兵隊に押さえ込まれていた妻・たかが「お待ちください」と叫び、「老人ですからとどめは止めてください。どうしても必要というなら私が致します」と言った。安藤は頷いて軍刀を収め、「鈴木貫太郎閣下に敬礼する。気をつけ、捧げ銃」と号令した。そしてたかの前に進み出て「誠にお気の毒なことを致しました。我々は閣下に対しては何の恨みもありませんが、国家改造のためにやむを得ずこうした行動をとったのであります」と言って、引き上げた。
たかは、近所に住んでいる日本医科大学学長の外科医・塩田広重に助けを求めた。鈴木は、出血多量のため一度は心臓停止となったが、たかが枕元で大声で呼びかけると、奇跡的に息を吹き返した。この「226事件」の発生直後、たかは昭和天皇に直接電話を掛けて、鈴木が命をとりとめた状況を説明した。
たかは、1905年から1915年にかけて、皇孫御用掛として、1901年生まれの昭和天皇の教育係を務めていた。昭和天皇は、侍従長となった鈴木に「たかのことは、母のように思っている」と話しかける間柄だったのである。その背景を知ると、「終戦は、私と肝胆相照らした鈴木であったからこそ、できたのだと思っている」という昭和天皇の言葉も、よく理解することができる。
本書の著者・半藤一利氏は1930年生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋新社に入社。『週刊文春』『文藝春秋』編集長などを経て近現代史作家。著書に『日本のいちばん長い日』(文春新書)や『歴史探偵』(文春新書)など多数。2021年老衰のため逝去。本書は2015年11月刊行書籍の復刻版である。
さて、1945年(昭和20年)8月14日、首相・鈴木貫太郎は、最後まで「徹底抗戦」を叫び続ける軍部を抑え込むため、天皇が自ら御前会議を招集して「ポツダム宣言」受諾を「聖断」するという奇想天外な方法を画策した。
会議での昭和天皇の言葉は「自分ノ此ノ非常ノ決意ハ変リナイ。内外ノ動静国内ノ状況、彼我戦力ノ問題等、此等ノ比較ニ附テモ軽々ニ判断シタモノデハナイ」から始まる。「本土決戦」に対しては「然シ戦争ヲ継続スレバ、国体モ何モ皆ナクナッテシマヒ、玉砕ノミダ。今、此ノ処置ヲスレバ、多少ナリトモ力ハ残ル。コレガ将来発展ノ種ニナルモノト思フ」と冷静に拒否する。
本書で最も驚かされたのは、海軍大臣・米内光政と次官・井上成美がクーデターを断行すべきだと考え、「ソ連とは万難を排して手を握ること」と国際情勢の「無知」を晒していたことだ。軍部がクーデターを起こせば、日本は二分割や三分割された可能性もある。日本は真に「破滅」寸前だったのである!