「グローバルサウス」の思考体系と行動原理|脇祐三
まえがき
2024年の米大統領選挙はトランプ氏が制した。トランプ政権が復活し、米国の中国との対立は、より激しくなる。第1期トランプ政権から強まった米中対立はバイデン政権下でも続き、ウクライナに侵攻したロシアと米国・欧州諸国の対立も激化した。その一方で、中国の協力がロシアを支えている。米国が主導する冷戦後の秩序が崩れ、米国と中国・ロシアの対立が国際情勢を左右する。しかし、世界は大きく2つに割れたわけではない。
日本のメディアで、「グローバルサウス」(Global South)ということばをよく見聞きするようになった。かつて、世界の北のほうに多い先進国と南のほうに多い発展途上国の間の経済格差、いわゆる南北問題について、途上国の総称として用いられていたことばだ。このことばがいま、世界の政治状況を説明するときに、新興国・途上国の総称としてつかわれている。グローバルサウスの国々のほとんどは、米国側にも、中ロの側にも、全面的にくみすることはない。そして、自国の利益になると判断すれば、テーマごとにどちらの側と連携することもあり得る。これが、いまの世界の大きな見取り図である。
中国が自らグローバルサウスの一員と言う場合もあるが、いまの国際関係を整理するときには、中国、ロシア以外の新興国・途上国の総称とするほうがわかりやすい。
米国のバイデン大統領は世界の状況を「民主主義と専制主義の戦い」と図式化し、民主主義が勝利しつつあると語っていた。ロシアの脅威に直面する欧州では、中立政策を取ってきたフィンランド、スウェーデンが米欧の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)に加盟、拡大するNATOがロシアと向き合い、ウクライナを支える形になった。
ただし、米国をはじめとする主要7カ国(G7)や欧州連合(EU)が主導する対ロシア経済制裁に加わったのは、世界の200近い国・地域のうち48程度だ。制裁参加は、G7、EU加盟国、オーストラリア、韓国など、広い意味での西側諸国にほぼ限定された。
百数十ある新興国・途上国のほとんどは、ロシアを批判することはあっても、G7やEUに追随するわけではない。経済的な結び付きの強い中国とも衝突しないように動く。ロシアがウクライナに侵攻した後の国際関係は、「西側諸国は結束を強めたが、新興国・途上国とはすれ違い」という構図だ。
米国も、中国やロシアも、自国の影響力の維持、拡大を狙って、新興国・途上国へのアプローチを強め、自国の側に引き付けようとする。これに対して多くの国は単純に中立を保つのではなく、大国間の綱引きの状況を利用して、自国の安全保障と経済的な利益を確保しようとする。
これらの国々を、一つの大きなグループとみなす例が増えた。その総称としての「グローバルサウス」が、国際関係についての新たなキーワードになった。外交のやり方という点では、有力な産油国であるサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)なども、このグループに含まれる。
有力な新興国は、世界の秩序の再形成も意識して自分たちの意見を世界に発信する。国際政治のさまざまな舞台で、インド、ブラジル、南アフリカなどが存在感を高めている。
インドのモディ首相は、2023年5月にG7首脳会議の主要ゲストとして広島を訪れ、6月には米国の国賓としてワシントンを訪問し、7月にはフランスの革命記念日の名誉賓客としてパリに赴いた。その一方でモディ首相は23年7月に、中国とロシアが中心の地域協力の枠組みである上海協力機構の首脳会議の議長を務め、9月にはG7諸国のほか中国、ロシアや主要な新興国を含む20カ国・地域(G20)の首脳会議をニューデリーで主催した。24年の後半になると、モディ首相は7月にプーチン・ロシア大統領、8月にゼレンスキー・ウクライナ大統領、9月にバイデン米大統領と会談し、10 月には習近平中国国家主席とも5年ぶりに公式に会談した。
インドは特定の大国に引っ張られて動くのではなく、判断の基準はあくまでも自国の安全保障と経済的利益の確保だ。そういう「戦略的自律」の考え方に基づいてインドは活発な外交を展開し、「グローバルサウスの声」の結集を試みる。
23年1月12日、モディ首相は120あまりの国に呼びかけてオンライン方式で開催した第1回「グローバルサウスの声サミット」の開幕演説で、食料危機、エネルギー危機、インフレ、気候変動など世界の問題の大半は「グローバルサウスがつくり出したものではないが、きわめて大きな影響をわれわれが受けている」と指摘した。そして参加各国に向けて「あなたたちの優先事項はインドの優先事項だ」と語り、「G20の議長国として、インドはグローバルサウスの声を増幅していく」と国際的なリーダーシップに意欲を示した。
インドの動きが示唆するものは何か。米国を中心とする西側諸国と、中国・ロシアなどの対立という世界の二極化ではなく、グローバルサウスの国々の台頭によって世界がより複雑な構造になっていく可能性だ。世界の「多極化」ともいわれるが、グローバルサウスは共通の政策でまとまっている第3の極ではない。
米国と中国・ロシアの対立で国連のような多国間(マルチラテラル)の枠組みが機能不全に陥る一方、個別のテーマで目的が共通する数カ国が連携を強める「ミニラテラル」の枠組みづくりが広がり、ミニラテラルの枠組み同士が結び付いたり、重なり合ったりする。そこに、トランプ政権化で一方的な動きをしがちな「ユニラテル」の米国が覆いかぶさる。さまざまな枠組みと異なる方向性の動きが重なり合うという点では、世界は「多重化」しつつあるともいえるだろう。
米国や日本では、中国の脅威にいかに対抗するかが外交の最大の課題であり、ウクライナ危機に伴ってロシアの脅威への対抗も重要課題になった。政府の情報発信も、メディアの記事も、この課題に沿ったものが中心になる。ワシントン発、東京発の情報にもっぱら接していると、世界中のほとんどの人が米国や日本と同じように国際情勢を認識し、中国やロシアに向き合おうとしていると錯覚しがちである。
だが、さまざまな地域の世論調査を見ると、米国より中国のほうが好ましいという結果になる国も少なくない。23年10月に新たな中東危機が始まった後、イスラエルの攻撃で多数のパレスチナ人住民が犠牲になるのを止められない米国への不満が強まった。多くの途上国では食料やエネルギーの価格が最大の関心事であり、「ウクライナが勝利するまで支援すべきだ」よりも「とにかく戦争を早くやめてほしい」という答えのほうが多い。
理念や理想ではなく、重要なのは生活の安定と経済的な実利。よしあしは別にして、世界の大半の人たちがそういう形で暮らしている現実を認識する必要もある。
欧州の国際シンクタンクである欧州外交評議会(ECFR)は「団結した西側、その他から分断され」という報告書をまとめた。英国のエコノミスト誌は「西側は、その他に勝てるのか?」という特集記事を掲載した。西側諸国とは考え方が同じではないグローバルサウスが世界の多数派であることを踏まえた問題提起である。
グローバルサウスの国々を米国の側に引き寄せたり、引き止めたりする狙いのバイデン政権の外交は、だいたいうまくいかなかった。
人権の尊重、法に基づく秩序、言論の自由などの普遍的価値を高く掲げていたはずの米国で、大統領が選挙での敗北を受け入れないような事態が起き、国民の多くが対外的な関与を望まない内向きの傾向も強まった。いまの米国は、自由貿易の推進、自国の市場の開放に後ろ向きだ。経済安全保障を理由とするサプライチェーンの再編も、国外に出ていった生産拠点を米国内に呼び戻す狙いの産業政策だと、多くの国は受け止める。軍事力も経済力も断然トップであることに変わりはないが、米国の国際的なリーダーシップには陰りが生じている。
2024年の大統領選挙は、民主党のハリス副大統領と共和党のトランプ前大統領の争いになり、最後はトランプ氏が勝利した。トランプ氏は物価の大幅上昇や不法移民の流入問題を「バイデン・ハリス政権の失政」として強調し、輸入品に高い関税をかけて米国の製造業を復活させると訴えて、ブルーカラー層の支持を固め、すべての激戦州を制した。米国社会の分裂や保護主義への傾斜が、大統領選であらためて印象付けられた。それは、米国の国際的な求心力の低下につながる要因でもある。
一方で、中国への求心力が強まっているともいえない。驚異的な成長を遂げ、世界の大国として台頭した中国の経済に、いま急ブレーキがかかっている。人口減少などの構造要因もあり、中国の国内総生産(GDP)が米国を抜いて世界最大になるという予測にも疑問符が付き始めた。習近平政権は、経済成長よりも共産党による統治の徹底を重視し、経済運営などの実務能力よりも忠誠心を人事で重視する。そういう政権の長期化も、大きな構造問題だ。中国を最大の貿易相手とする新興国・途上国の中国についての見方も厳しくなっている。
国内の需要の伸びが鈍った中国の過剰な生産能力と製品の安値輸出は、他の国々の産業にとって大きな脅威になる。その一方で、脱炭素に向けたエネルギー転換の推進を迫られる途上国が、電気自動車(EV)や太陽光パネル、電池などを低価格で供給できる中国への依存を強めるような状況も生まれつつある。
冷戦後の世界秩序が崩壊した後、米国はG7を中心とするリベラルな秩序の立て直しをめざし、中国は米欧主導の秩序に代わって自分たちが主導権を握る秩序をめざす。そして世界の多数を占める新興国・途上国も、自分たちの意見がより大きく反映されるように世界のガバナンスの枠組みの再形成を求める。
理念ではなく実利に基づいて動くグローバルサウスの国々の自己主張が強まり、その動向が世界の行方に大きな影響を及ぼす時代が始まりつつある。
本書では、新興国が米国やEU、日本などの動きをどう見ているかという話も織り込みつつ、グローバルサウスを全編のキーワードにして、世界の変化とその行方を考えてみたい。
目次
まえがき
第1章 なぜいま「グローバルサウス」なのか
中国・ロシアとの対立を避ける国々/二元論的な世界認識の限界/インドが体現するグローバルサウスの本質/サウジアラビアが求める実利/米国がめざすグローバルガバナンス/ちぐはぐなBRICS/日本のグローバルサウスに対する意識/広島サミットとグローバルサウス
第2章 グローバルサウスの覚醒
引き金は気候変動とエネルギー転換/冷戦と「第三世界」/南北問題と経済開発/「南」「北」を明確にしたオイルショック/南も北も一枚岩ではなかった/冷戦終結とユーフォリア/「援助から投資へ」/「団結」から「競争」へと転じた途上国/グローバル資本主義への抵抗/「共通だが差異ある責任」/災害とパンデミックで生じた先進国への反発/食料・エネルギーの危機で募るロシアへの不満/強まるグローバルサウスの存在感/COP28の予想外の成果/グローバルサウスと対になる「グローバルウエスト」
第3章 「理」ではなく「利」で動く国々
機会主義を象徴するUAE/外交の最重要目的は経済的利益/「ミニラテラル」な協力体制/ドバイやアブダビへ移住するロシア人/石油「玉突き」の価格差で稼ぐ/ロシア国旗に染まるブルジュ・ハリーファ/油だけでなく金・半導体・電子機器なども/米国の「回廊構想」の狙い/サウジとイスラエルの関係正常化の内幕/サウジが要求した大きな見返り/焦る米国だったが
第4章 中東危機とグローバルサウス
ハマスの奇襲とイスラエルの攻撃/絶えることのないガザの人道危機/パレスチナ問題を再び中東のテーブルに/米国の対応への評価/アラブ諸国のジレンマ/パレスチナの国家承認というカード/「ジェノサイド」だと訴える南アフリカ/世論受け狙う中ロはイスラエルと関係悪化/独自のスタンスを保つインド/UAEは仲介役で存在感/さらに強まるイスラエル非難/表に出た「影の戦争」/動く国際社会/「その後」へのシナリオ/米国の失点=中国の得点ではない/攻撃と報復の連鎖
第5章 中国の変調とグローバルサウス
「台頭」から「頭打ち」へ/冷え込む対内直接投資/「安全」と「規制」により失われたもの/中国株が下落/不透明な当局の動き/人事のミステリー/今一度、投資を呼び込むために/「忠誠心」優先の習近平流ガバナンス/過剰生産の果て/本格回復への道は険しい/途上国向け融資の不良債権化/止まらない「追い貸し」/ザンビアとは「リスケ」で手打ち/パートナーシップが格上げされたベネズエラ/「一帯一路」会議に首脳の参加減る/パキスタンの事業で問題に直面/アフリカ支援の中身が変わる/「南南協力」から「南北問題」へ/相対的に見つめるASEAN諸国/中国の夢の目標は変更できず/「受け身ではない中立」をとるベトナム
第6章 これからの国際秩序
「未来のための協定」をめぐる争い/常任理事国という既得権への不満/国連改革の方向性の違い/米国の求心力が落ちた理由/ハリスはなぜ伸び悩んだのか/「新ワシントン・コンセンサス」とは/安全保障を反映する通商政策/市場開放しない米国への失望感/BRICSサミットはロシアの思惑通りにいかず/バラバラな13の「パートナー国」/「脱ドル化」の現在地/ビジネスが促す対立緩和/トランプ復帰に備える同盟国/インド・太平洋地域に「格子細工」を作ろうとする米国/ミニラテラルの時代における日本の役割
あとがき
◎著者プロフィール◎
脇祐三(わき・ゆうぞう)
1952年生まれ。1976年一橋大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。80~81年カイロ・アメリカン大学留学。85~88年バーレーン特派員、90~93年ウィーン特派員、93~95年欧州総局編集委員。その後、論説委員兼編集委員、国際部長、論説副委員長、執行役員などを経て2019年に退社。現在は日本経済新聞社客員編集委員。BSテレビ東京の「日経モーニングプラスFT」などで、金融市場から戦争まで幅広く国際情勢を解説する。