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ピケティの弟子が明らかにした衝撃の真実『つくられた格差』

こんにちは。光文社新書編集部の三宅です。2019年10月にアメリカで刊行され、衝撃をもたらした書籍があります。原題"The Triumph of Injustice"(不公正の勝利)、著者は気鋭のフランス人経済学者、エマニュエル・サエズとガブリエル・ズックマン。何が衝撃か? それは、アメリカの富裕層の税率が貧しい労働者よりも低いことを明らかにしてしまったからです。つまり、税制が格差の拡大を後押ししていたのです。「そんなバカな!?」と思われるかもしれませんが、サエズとズックマンの二人は膨大なデータの分析によって、税制がいかに歪められたきたかを解き明かしていきます。まさに「不公正の勝利」としか言いようのない事態です。以下に関連記事を貼り付けておきます。
そんな衝撃の一冊が、このたび邦訳されることになりました。邦題は『つくられた格差 不公平税制が生んだ所得の不平等』。発売日は9月17日予定ですが、先行して電子版を刊行しています。今は期間限定で、定価よりも20%近く安くなっています。【追記】割引は9月16日に終了しました。
本記事では、その衝撃的な内容の冒頭部分、目次と長めの序章を公開します。現状を変えたいという著者たちの熱い思いを感じ取っていただけると幸いです。

つくられた格差 目次

序 民主的な税制を再建する
不公平税制の勝利/世界の税制の現状/民主主義

第一章 アメリカの所得と税  
アメリカ人の平均所得――七万五〇〇〇ドル/アメリカの労働者階級の平均所得――一万八五〇〇ドル/上位一パーセントの所得が増えた分だけ、下位五〇パーセントの所得が減る/税金を払っていない人はいない/税金を支払うのは人間のみ/アメリカの税制は累進的なのか?/なぜ貧困層の税率が高くなるのか?/なぜ富裕層の税率が低くなるのか?/金権体制

第二章 ボストンからリッチモンドへ  
財産への課税の始まり――一七世紀/新世界植民地の二つの側面/所得税が違憲だった時代/累進課税の誕生/最高税率が高ければ格差は縮小する/アイゼンハワー政権下の富裕層の平均税率――五五パーセント

第三章 不公平税制の確立  
文明社会のための税金/租税回避のビッグバン/租税回避対脱税――不完全な議論/徴税の限界/「貧困層は脱税し、富裕層は租税回避する」と言われるが……/大規模化する租税回避――国境を越えた脱税/脱税への対処――外国口座税務コンプライアンス法の成果

第四章 バミュランドへようこそ  
大企業が多額の税金を支払っていた時代/利益移転の始まり/バミュランドへようこそ/多国籍企業の利益の四〇パーセントがタックスヘイブンに/タックスヘイブンに移転されているのは生産活動なのか帳簿上の利益だけなのか?/国家主権の商品化/租税回避を抑制する取り組み/租税競争の勝利

第五章 悪循環  
労働と資本――あらゆる所得の源/資本への課税はますます減り、労働への課税はますます増える/医療保険料――目に見えない多大な労働税/資本所得に対する最適な税率はゼロパーセントなのか?/長期的に見た資本課税と資本蓄積/税制ではなく規制が資本蓄積を増やす/崩壊に向かう累進所得税

第六章 悪循環を止めるには  
これまでなぜ国際的に協調できなかったのか?/各国が自国の多国籍企業を取り締まる/いまこそ国際協調を/企業が回避した税を回収するには/タックスヘイブンへの制裁/「底辺への競争」から「頂点への競争」へ

第七章 富裕層に課税する 
富裕層に課税する理由――貧困層を助けるため/富裕層に最適な平均税率は六〇パーセント/富裕層の租税回避を防ぐには――公衆保護局の創設/抜け穴をふさぐ――同額の所得には同じ税率を/企業の租税回避を終わらせる――所得税の統合/上位一パーセントが支払う税額はどれぐらいになるのか?/富裕税――大富豪への適切な課税方法/財産に課税するには――市場の力を利用する

第八章 ラッファー曲線の呪縛を乗り越える  
ラッファー以前の所得税の最高税率/所得税の最高税率を一〇〇パーセントに近いレベルにすべき根拠/莫大な富が社会にもたらす利益――データなき議論/一九四六〜一九八〇年――公正な高成長/一九八〇〜二〇一八年――経済成長から締め出される労働者階級/労働者階級の所得の成長率――二つの国を比較する/成長は過小評価されているのか?/再分配の限界/富の集中を抑制する――高めの富裕税

第九章 将来可能な世界
社会制度の発展/民間医療保険――重い人頭税/給与税や付加価値税以外の方法で社会制度をまかなうには/二一世紀の社会制度を支えるために――国民所得税/国民皆保険が可能に

最終章 いまこそ公平な税制を  

謝辞  

原注

序 民主的な税制を再建する

 二〇一六年九月二六日夜、民主党の大統領候補ヒラリー・クリントンは幸先のよいスタートを切った。実業家のドナルド・トランプとの最初の大統領候補テレビ討論会で、元国務長官のクリントンは優位に立っていた。テレビ番組のホストとして人気を博し、共和党の大統領候補に指名されていたトランプは、執拗かつ攻撃的に相手の話に口をはさんできた。だが十分に準備を整えてきたクリントンは、落ち着いてそれに対応し、着々と得点を稼いでいった。ところが、話題が納税に移ると、突然潮目が変わった。

 トランプは、一九七〇年代初頭にまでさかのぼる伝統を無視し、納税申告書の公開を拒否していた。いま内国歳入庁の監査が行なわれているところだから公開できないのだという。クリントンは、不動産開発業で巨万の富を築いたトランプがこれまでにどれほど納税を回避してきたかを明らかにしようとして、こう述べた。

「カジノのライセンスを申請したときに提出した納税申告書しか公開されていませんが、それを見るかぎり、彼は連邦所得税を一銭も支払っていません」。

 するとトランプは、誇らしげにそれを認め、「それは私が賢いからだ」と返した。これにはクリントンも二の句が継げなかった。たとえここで、課税の公平性を慎重に考慮して合理的に設計した税制改正案を冷静に述べたとしても、この一言には勝てなかっただろう。

 それは、政治的に見ればみごとな一句だった。アメリカ有数の富豪がまったく税金を支払っていないなどというのは、理屈に合わない。だがそれがかえって、トランプの選挙運動の中心テーマをさらに印象づける結果になった。トランプは、首都ワシントンのエリート層がこの国をだめにしたと主張していた。だから、ほかの仕組み同様、税制も不正に操作されているというわけだ。

 トランプのこの言葉は、ロナルド・レーガン大統領に通じるものがある。レーガンは税制を「日々繰り返される路上強盗」にたとえた。トランプもレーガンもこう考えている。自己利益を追求すれば万人が豊かになる。資本主義では人間の強欲も善になる。税金はその障害になるため回避したほうがいい、と。

 だがその一方で、「それは私が賢いからだ」という一句は、この考え方の矛盾も明らかにしている。自己利益ばかりを追求していれば、豊かな社会の核となる信頼や協力が損なわれる。現在のトランプは、自身の所有する高層ビルとほかの世界とをつなぐインフラや、そこから出る汚水を処理する下水設備がなければ存在しない。トランプが弁護士を雇うには、弁護士になる人物に読み書きを教える教師が必要だし、自分の健康を維持するには、医師や公的研究が必要だ。財産を保護してくれる法律や裁判所も欠かせない。社会を発展させるのは、自由競争ではなく、協力や共同行動である。税がなければ、協力も、繁栄も、運命共同体も生まれない。それなら大統領も必要ない。

 トランプのあの一言は、アメリカ社会が破綻していることを明らかにしている。富裕層が税金を支払わないのが当然となってしまった結果、大統領候補がそれを堂々と認め、対立候補が明確な解決策を打ち出せない状況が生まれた。つまりアメリカでは、民主社会の最重要制度である税制が機能していない。

 本書を執筆した目的は二つある。第一に、アメリカがこのような状態に至った経緯を正確に把握するため、第二に、それを修正するためである。

不公平税制の勝利

 トランプの言葉以外にも、アメリカで新たな不公平が確立されていることを示す証拠はたくさんある。アメリカの最富裕層の所得はグローバル化の恩恵を受けて急増し、その所有財産はかつてない規模にふくらんでいるのに、最富裕層の税率は低下している。一方、労働者階級の賃金は停滞し、労働条件は悪化し、負債は増加の一途をたどっているのに、その税率は上昇している。一九八〇年以後、アメリカの税制により、市場経済の勝者はさらに豊かになり、経済成長の恩恵をほとんど受けていない人々はさらに貧しくなった。

 どのような民主主義であれ、政府の適切な規模や、理想的な累進税制について議論する必要はある。そのなかで、過去の歴史や諸外国の経験、統計や論理的思考などをもとに、ときには個人や政府が意見を変えることもあるだろう。だが、アメリカで過去数十年間に見られた税制の変更は、そのような情報や考察に基づいたものだったのか? アメリカ社会は、超富裕層の税率の引き下げを望んでいたのか?

 筆者はそうは思わない。こうした税制の変化のなかには、意識的に選択したものもないわけではない。だが大半は、外的な影響によるものだ。租税回避産業が出現し、所得や財産をわかりにくくした。グローバル化に伴い、新たな抜け穴が生まれ、それを多国籍企業が利用した。国際的な租税競争が起き、多くの国が次から次へと税率を引き下げた。税制が変化したのは、国民が富裕層を優遇したいと思ったからではなく、有権者の要求とは関係のないところでこうした影響が広まってきたからだ。減税が経済にプラスの効果をもたらすかどうかはともかく、過去数十年間の大変化は、市民が情報をもとに合理的選択を行なった結果ではない。つまり、この不公平税制は民主主義とは関係ない。

 本書ではまず、税制が大きく変化していった経緯を明らかにする。それは、左派対右派の物語でもなければ、小さな政府を支持する保守派が、富の分配を支持するリベラル派に勝利する物語でもない。ニューディール政策により確立された税制が崩壊していく物語である。その崩壊の各段階では、同じパターンが見られる。まずは、租税回避が突発的に増える。次いで政治家が、このどうしようもない問題(タックス・シェルター、グローバル化、タックスヘイブン、不透明な会計など)で身動きがとれなくなり、租税回避をさらに悪化させる。そして最後に政府が、富裕層への課税が困難になったと言って富裕層の税率を引き下げる。

 どのような選択をし、どのような選択をしなかったことがこの不公平につながったのかを理解するため、筆者は経済にかかわる調査を徹底的に行なった。過去一世紀の統計を利用し、最貧困層から最富裕層まで、アメリカ社会の各階層が一九一三年以来どれだけの税金を支払っているかを推計した。利用した統計データには、連邦政府・州政府・地方政府に支払われたあらゆる税が含まれる。連邦所得税のほか、州所得税、さまざまな売上税や物品税、法人税、事業用・居住用財産の財産税、給与税などである。「家庭が支払う税」と「企業が支払う税」を区別するのは意味がない。税金はすべて人間が支払う。そのため、過去一世紀以上にわたるすべての税金を既存の個人に割り当てた。

 筆者はまた、体系的なアプローチを採用した。トランプ大統領はあまり税金を払っていないと豪語しているが、ほかの富豪はどうなのか? トランプは例外なのか、それとももっと幅広い現象の一例にすぎないのか? 個々のケースにより認識が深まる場合もあるが、どれほど目を見張る事例であれ、それだけで社会全体の趨勢を見きわめることはできない。そこで筆者は、税制の変化やその影響を理解するため、利用できるデータを一貫した枠組みのなかで系統的に組み合わせることにした。所得税申告書の集計、税務監査の結果、世帯調査データ、アメリカの多国籍企業がオフショア(海外)子会社で計上した利益の報告書、マクロ経済のバランスシート、国民経済計算や国際収支といったデータである。

 経済統計は完璧なものではなく、筆者が利用した統計にも限界はあるが、それについては追って説明する。それでもこうしたデータを組み合わせれば、どのような選択・法制・政策が不公平税制を悪化させてきたのかが明らかになる。

 長年にわたるアメリカ経済の研究から生まれたこの総合的な視点があれば、アメリカの税制全体の累進性が、歴史を通じてどのように変化してきたかを把握できる。これは、いかなる政府機関も研究機関もできなかった取り組みである。そのデータを見れば、ドナルド・トランプ政権の税制改革を含め、過去数十年の間にいかに大きな変化が起きていたかがわかる。

 たとえば一九七〇年には、アメリカの最富裕層は、あらゆる税を合算すると、所得の五〇パーセント以上を税金として支払っていた。これは労働者階級の二倍に相当する。ところが、トランプの税制改革後の二〇一八年には、大富豪たちが支払った税金の割合が、製鋼所の労働者や教師、退職者が支払った割合より少なくなった。これは、過去一〇〇年間で初めてのことである。富裕層の税率はいまや、一九一〇年代のレベルにまで戻っている(当時の政府は、現在の四分の一ほどの規模しかなかった)。まるで税制の歴史が一世紀分まるごと消えてしまったかのようだ。

世界の税制の現状

 これは、一国の政治を超えた、グローバル化の未来や民主主義の未来にかかわる問題である。というのは、税制の変化がアメリカで顕著に進んでいるのは確かだが、不公平税制はアメリカ特有の現象ではないからだ。租税回避や自由な租税競争が活発化した結果、程度の差はあれ、大半の国で格差が拡大し、税制の累進性が低下している。そのため世界中どこでも、次のような切実な課題が表面化しつつある。

 選挙で選ばれた政治家が決めた税制により、ごく一部の富裕層の所得ばかりが増え続けるとしたら、誰が民主制度をいいと思うだろう? グローバル化により、その勝者だけがかつてないほど低い税率を手に入れ、グローバル化から取り残された人々はかつてないほど高い税率を課されるとしたら、誰がグローバル化をいいと思うだろう? もはや一刻の猶予もない。新たな税制、新たな協力体制を早急に生み出さなければ、民主主義やグローバル化は二一世紀を生き残れない。

 だが心配するには及ばない。不公平税制はすぐにでも修正できる。グローバル化が進んだからといって、大企業や富裕層に課税できなくなるわけではない。すべてはわれわれの選択にかかっている。選択次第で、多国籍企業が利益を計上する国を自由に決められるようにすることもできれば、その国を政府が指定することもできる。不透明な会計や、それに付随するさまざまな租税回避を黙認することもできれば、財産をきちんと評価・記録し、それに不足なく課税することもできる。富裕層の租税回避を支援する産業の肥大化を容認することもできれば、それを規制し、租税回避を一掃することもできる。グローバル化と累進税制は両立が可能だ。本書では、これらを両立させていく方法も説明する。

 多国籍企業に課税するのはほぼ不可能だと思っている人は、左派にも右派にも多い。課税しようとすれば、アイルランドやシンガポールに拠点を移してしまう(いずれは中国がそのような場所になるかもしれない)。多国籍企業の資本には実体がないため、わずか一ナノ秒でバミューダ諸島に資金を移動できる。このような状況だと、ほかの国が低い税率を採用すれば、自国も税率を下げざるを得なくなる。ほかの国が多国籍企業や高額所得者への課税をあきらめれば、自国もあきらめなければならなくなる。そのため、税制の国際的調和など夢のまた夢であり、未来には「底辺への競争」(訳注:国が外国企業の誘致や産業育成のため、減税や規制の緩和などを競うことで、労働環境や自然環境、社会福祉などが最低水準へと向かうこと)しかないと思い込んでしまう。

 しかし、どれだけ多くの人が心の底からそう考えていようと、こうした考え方は間違っている。世界規模の租税競争に参加せず、税制を調和させることは可能だ。実際、国際関係のそのほかの分野ではそれに成功している。現行のグローバル化では、それにより多大な恩恵を受けているのは一部の国や一部の社会階層だけだが、ほかの形のグローバル化もありうる。後に述べるように、一部の国々が共同行動をとれば、ごく一部の人々だけを豊かにするこの租税競争を終わらせることができる。タックスヘイブンを防止することも、現在の「底辺への競争」を「頂点への競争」に置き換えることも可能なのである。

「国際競争」「租税回避」「抜け穴」といった外的・技術的制約により、公平な税制など意味のない幻想でしかなくなったという主張には、説得力がない。今後の税制においてできないことなど何もない。所得税の廃止(過去四〇年の傾向が続けばそれもありうる)から、かつてないレベルの累進税の導入まで、考えうる未来は無限にある。

民主主義

 富裕層の税率は、現在のアメリカのような二三パーセント程度が望ましいのか、一九七〇年ごろの五〇パーセント前後が妥当なのか? 法人税率は、一九六〇年当時の五二パーセントにすべきなのか、二〇一七年の税制改革以降の二一パーセントでいいのか? ありがたいことに、これらの問題はデータや科学では解決できない。それは、経済学者が決めるべき問題ではなく、全市民が民主的な討議や投票を通じて決めるべき問題である。経済学者にできるのは、人民の、人民による、人民のための政治に欠かせない情報を集め、可能な方策がいくつもあることを示し、それぞれの方策やその影響を説明することだけだ。具体的には、税負担の配分を変えれば、一人ひとりの生活にどんな影響があるか、現在ある選択をすれば、将来さまざまな社会階層の所得がどう変わるか、といったことである。

 本書では、そのための新たなツールも紹介したい。そのツールとは、taxjusticenow.org という税制シミュレーション用ウェブサイトである。政治傾向や学派、経済学に関する知識などに関係なく、政治家や活動家など全市民がアクセスできるこのシミュレーターを使えば、税制の変更により、税負担の配分、各社会階層の所得や財産、格差がどう変化するのかを予測できる。現行の税制で採用されている数値を修正すれば(あるいはもっと大胆な修正を行なえば)社会にどんな影響があるのかを、誰でも簡単に判断できるのである。たとえば、所得税の最高限界税率を七〇パーセントまで引き上げれば、あらゆる税を合算した富裕層の税率は労働者階級の税率を上まわることになるのか? 法人税率を三〇パーセントまで引き上げたり、超富裕層に新たな富裕税を導入したりしたらどうなるのか? 中流階級の税率や赤字はどれだけ削減できるのか?

 こうした疑問はいつの時代も政治的な議論における重要なテーマなのに、これまでは大衆がその正確な答えを知る方法がなかった。財務省や議会予算局(予算や経済的問題について議会に情報を提供する)、税政策センターや税制・経済政策研究所などのシンクタンクには、以前から税制シミュレーターがあるが、ジャーナリストや選挙候補者や有権者は利用できなかった。
 
 そのため、税に関する議論はたいていはっきりとした結論が出ないまま終わる。左派はよく、所得階層の上位一パーセントは多大な財産を所有しているため、彼らへの課税を増やせばかなりの額を徴収できると主張する。確かにそのとおりだが、その主張には正確さが欠けている。富裕層への課税を増やせば、どの程度の収入の増加が見込めるのか? それで、大学教育や医療保険を万人に無料で提供できるのか? 中道派の多くは、既存の税の抜け穴を絶えず批判しており、それをふさぐことさえできれば、ほかの修正は必要ないと主張する。確かに抜け穴をふさぐことは重要だが、それで税負担の配分が実質的に改善されると言えるのか? 右派の正統派は、あらゆる税を合算すれば最高限界税率はすでに高く、これ以上の徴税は過酷であり、経済成長に弊害をもたらすおそれもあるため、むしろ消費税の導入が望ましいと主張する。確かにそれもいいが、そのような税制では、現行の税制より逆進性が増すのではないだろうか?

 taxjusticenow.org はこれらの疑問に対し、新たな経済学的アプローチにより事実に基づいた回答を提供する。このシミュレーターは、連邦政府・州政府・地方政府に支払うあらゆる税を考慮している。万人に医療を提供するため累進的な富裕税や包括的な税を導入するといった、抜本的な改革のシミュレーションも可能だ。また、既存のシミュレーターは、税制の変更による税収への影響ばかりに着目しているが、このシミュレーターを使えば、税制の議論で見落とされがちな格差への影響も把握できる。

 アメリカでは、所得や富の集中度が高まっているという報道をよく目にする。ほかの階層の富は緩やかにしか増加していないのに、富裕層の富ばかりが急増しているという。これは事実だ。アメリカの上位一パーセントの所得が国民所得に占める割合は、一九八〇年には一〇パーセントだったが、現在ではおよそ二〇パーセントに増えている。この傾向はまだ続くのか? それは、今後政府がどのような政策を選択するか、どのような税制を実施するかにかかっている。

 このまま何も変わらない場合、雪だるま効果により、中期的には所得の集中がさらに高まるおそれがある。富裕層はほかの階層に比べ、所得に対する貯蓄率が高いため、さらに財産を蓄え、それがさらなる所得を生むことになるからだ。二〇世紀の大半は、累進税制や資本課税の強化によりこの悪循環が抑制されていた。だが過去二〇年の税制改革により、この抑制手段が取り除かれてしまった。

 格差が極端化するのを防ぐためには、二一世紀の新たな税制が必要だ。本書では後に、この改革を実現するための現実的な案をいくつか提示する。莫大な資産への課税や多国籍企業からの徴税、万人に医療を提供するための財源確保や累進所得税の再構築などである。本書に提示する案が完璧だというわけでもなければ、それ以外に解決策がないというわけでもない。だが少なくともこれらの案は、精度が高く(その導入について慎重に考察し、入念に評価している)、透明性に優れ(税負担の配分の変化や各社会階層の所得や富への影響を誰でもシミュレーションできる)、最新の研究に基づく証拠や理論に裏づけられている。

 だが、格差を抑制しようとするこれらのアイデアは、政治的に現実的なものなのか? あきらめるのは簡単だ。政界では黒い金が幅を利かせ、勝者に都合のいい考え方がまかり通っている。こうした問題があるのは事実だが、そこで望みを捨てるべきではない。現在のような不公平税制に支配される以前、アメリカは公平な税制の手本ともいうべき存在であり、民主主義国ではおそらく世界一累進性の高い税制を導入していた。

 一九三〇年代には、最富裕層の所得に対する最高限界税率は九〇パーセントだった(それがおよそ半世紀間続いた)。企業利益には五〇パーセント、広大な不動産には八〇パーセント近い税率が課されていた。政府はこれらの税収をもとに学校を建設し、市民の生産性を高め、その生活を向上させた。こうした資金で運営されてきた公立大学は、現在も世界の羨望を集めている。

 後に説明するように、課税の歴史には大々的な方針転換が無数にある。過去の歴史を見るかぎり、現在あまり税金を支払っていない「賢い」富豪も、いつまでも安穏としてはいられないだろう。

※「第一章 アメリカの所得と税」へと続く。以降は本書でお読みください。ちなみに下記ネットギャリーでは、登録が必要ですが全文公開しています。


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