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豆腐が日本で独自の進化を遂げたワケ|巽好幸

 日本独自の食文化、和食。出汁や醤油、豆腐に豊かな海産物は欠かすことのできない食材です。では、これらの食材はなぜ日本で育まれてきたのでしょうか——。その理由は日本列島の成り立ちにあります。例えば、昆布出汁。軟水でこそその旨味を十分に引き出すことができますが、日本は活発な地殻運動により急峻な山地が形成されて川の流れが早くなり、水にミネラルが溶け込む時間が短いために軟水が多いそうなのです。
 切っても切れない「和食」と「日本列島」の結びつき。光文社新書の11月新刊『「美食地質学」入門』では、そんな2つの素敵な関係をマグマ学者である巽好幸さんが丁寧に紐解いてくれました。発売を機に本記事では、豆腐が日本で進化した地質学的理由に迫る箇所を抜粋して公開いたします。

豆腐:進化のきっかけは「軟水」

 和の多様な食材の中でも、豆腐は最も身近なものの一つだろう。日本人の約8割が週に一度は豆腐を食べるという。さらにその料理法も実に様々だ。やっことして生でいただくのも良し、湯豆腐や鍋の具材として煮込んだり、揚げとして使うこともある。また焼いて味噌などをあしらえるのも美味い。

 このように料理法は実に多岐にわたるが、豆腐そのものは至ってシンプルで、原料は大豆のみである。そんな豆腐の9割ほどは水分であることから、日本列島を特徴づける「軟水」が日本の豆腐文化に大きな影響を与えたことは想像に難くない。豆腐発祥の地である中国と日本では豆腐の製造方法が異なるのも、硬水主体の中国と軟水の国・日本の違いではなかろうか? 今後はこの豆腐について、日本列島との関わりを探ってみたい。

種類豊富な豆腐

 まず、豆腐の製造工程を眺めてみよう(図表1)。豆腐を作るには、大豆に含まれるタンパク質を抽出する必要がある。そのために、まず大豆を水につけて柔らかくした上で細かく砕いて「」を作る。日本ではこの呉を煮て豆乳を搾る「煮搾り」が一般的であるが、中国や沖縄(島豆腐)、それに日本の各地に残る堅豆腐の一部では、呉を煮ずに豆乳とおからを搾り分ける「生搾り」を行う。

 次は豆乳へと抽出したタンパク質を凝固させて豆腐とする工程だ(図表1)。凝固剤には、海水から塩分を取り去った「にがり」(塩化マグネシウム)や石膏から作られる「すまし粉」(硫酸カルシウム)などが用いられる。熱い豆乳(生搾りの場合は加熱後)を器に流し込んで凝固剤を投入、かくはんして少しおくと固まる。これが「寄せ豆腐」である。一方、凝固した豆腐状のものを一旦崩して箱に入れて、圧をかけて水や油分を絞り出して成型したものが「木綿豆腐」だ。

 滑らかな食感が特徴の「絹豆腐」は、木綿豆腐とは違って、凝固剤を入れた型箱に豆乳を流し込んで均質化し、その状態で静かに凝固させる。絹豆腐では一般には圧搾を行わないために水分が多く柔らかい。また京都の豆腐では凝固剤にすまし粉を使うために、にがり豆腐と比べると柔らかい。そこで微圧搾を加える技術を工夫して豆腐の形に成型しているのだ。こうしてあの滑らかさの、まさに絹のような豆腐が生まれる。「京豆腐」というネーミングを使いたいために、工場を京都に置いて大量生産される豆腐とは全く別物である。

 スーパーなどでよく見かける「じゅうてん豆腐」は、豆乳を一旦冷やし、凝固剤と一緒に一丁ずつの容器に注入(充填)・密閉し、そのあとに加熱して凝固させる。機械化による大量生産が可能で、豆乳充填のあと密閉して加熱・殺菌が行われるため日持ちも良い。
 さて代表的な豆腐の製法を概観したところで、生搾りと煮搾りの違いが生まれた背景を考えてみることにしよう。

地質に根ざした豆腐の製法

 大豆から抽出されたタンパク質は、豆乳の中では互いに反発し合ってバラバラに存在しているのだが、これらを結合させて三次元的なネットワークの形成を促す役割を演ずるのが、マグネシウムとカルシウムイオンである。いずれも凝固剤であるにがりとすまし粉の主成分であるとともに、硬水と軟水の分類に用いられることにご注目いただきたい。

 硬水を用いて製造した呉には、すでにタンパク質を凝固させるこれらの成分が含まれている。煮絞りは、大豆に含まれる成分をさらに抽出するために加熱する。だが、硬水呉を加熱するとタンパク質の凝固が進みすぎるため、搾りカスであるおからと同時にタンパク質も取り除かれてしまうのだ。そのためにタンパク質の収率が悪くなり、豆腐を作るために必要な大豆の量が極端に多くなってしまう。

 だから、硬水呉では生搾りを行う方が大豆タンパクの多い豆乳を作ることができるのだ。とはいえ、煮搾りの豆乳に比べるとやはりタンパク質の量は少なく、収量も悪くなる。だから、凝固物に含まれる多量の液体成分を絞り出すために強い圧搾が必要となる。その結果、生搾りで作られた豆腐は堅くずっしりとしている。

 中国やカルシウムが主成分のサンゴ礁の地盤が多い沖縄のような硬水優位の地域では生搾りが用いられ、日本列島の多くの地域では軟水を利用することができるために、生搾りよりもさらに効果的に大豆成分を取り出し、そして滑らかな豆腐を作る技法として煮搾りが発達したものと考えられる。

 軟水の国であるがゆえに、煮搾りによって柔らかい豆腐が広まった日本列島ではあるが、一方で沖縄以外にも「堅豆腐」は残っている。例えば、九州では熊本県・五木や宮崎県・椎葉、四国では土佐豆腐、中部地方では石川・岐阜・富山県境付近の白山、五箇山、利賀など、そして関東では神奈川県の大山豆腐などである。なぜこれらの地方では堅豆腐文化が継承されてきたのだろうか? これらの地域の地質を眺めると、一つの答えが浮かび上がってくる。

 図表2に示すようにこれらの堅豆腐地域にも沖縄と同様に石灰質の岩石が分布しているのだ。先にも述べたように石灰岩の主要成分はマグネシウムとカルシウムであり、これらを溶かし込んだ硬水が堅豆腐製造に適していたと推察される。実際、図表3に示すように、五箇山や白川、大山、それに沖縄の水は硬水系なのだ。

 ただ、これらの地域では、今でも生絞りで堅豆腐を製造している豆腐屋さんもあるにはあるが、多くは煮搾りが採用されているようだ。それでも、このような硬水地域では、呉を煮る段階で凝固が進むために、滑らかな絹ごしは作りにくい。硬めの木綿豆腐、あるいは強い圧搾を加えて運搬にも便利な堅豆腐を作る伝統が残っているのであろう。

 京豆腐に代表されるような軟水と煮搾り、さらにすまし粉を凝固剤に使って作られた豆腐には、滑らかさと大豆成分のコクがある。一方、硬水を用いることから必然的に生搾りを行い、さらにはにがりを使用する島豆腐は、自然と大豆特有のえぐみが抑えられて、特有の食感を楽しむことができる。いずれも甲乙つけ難い日本の食文化である。

 そんな中で私が違和感を覚えるのは、生搾りを「伝統的手法」と呼ぶことで煮搾りに対する優位性を強調するような風潮があることだ。確かに生搾りは中国伝来の手法ではあるが、一方で煮搾りは軟水の国・日本で発達した世界に誇る優れた技法である。また、にがり、特に天然にがり以外の凝固剤を用いた豆腐はあたかも偽物のように言う向きもある。この偏見は、凝固剤などの食品添加物の意味合いを理解せず、「天然」という言葉を魔力的に用いているにすぎない。豆腐作りに打ち込む職人さんの手になる豆腐は、それぞれに特徴があってどれも間違いなく美味いし、きちんと製造された豆腐は全く安全である。軽薄な商業主義に乗せられることなく、しっかりと豆腐作りの工程とその意味を理解して味わうことこそが、日本の食文化を守り育てることにつながると思う。

石灰岩が育む食の多様性

 島豆腐の沖縄には、そのほかにも素晴らしい硬水食文化がある。その一つが沖縄そば。この麺はもちろんソバではなく小麦が用いられるのだが、出汁にも大きな特徴がある。出汁の旨味の重要な担い手が、昆布ではなく豚であることだ。

 沖縄は琉球時代から本州北方や北海道産の昆布を中国へ運ぶ拠点であったために、昆布文化が広がった。しかし、それは出汁文化ではなく、むしろクーブイリチーやウサンミなど、食べる昆布文化であった。もちろんその原因は、硬水であるために昆布の旨味成分を抽出することが難しかったからだろう。一方で、この硬水の特性を生かして、豚を丁寧に灰汁をとりながら煮ることで、ブイヨンと同様に旨味たっぷりのスープができあがったのだ。

 沖縄の石灰質地盤は比較的最近にサンゴ礁が陸化したものだ。一方で日本列島に点在する石灰岩も、面積こそそれほどではないのだが、純度は極めて高い。だから、資源に乏しい我が国にあって、石灰岩は自給率100%の資源として、鉄鋼やセメントなどの工業製品の原料として使われ、明治以降の日本の近代化に大いに貢献してきた。この純度の高い石灰岩もやはりサンゴ礁起源であることは、含まれる化石などで確実である。

 さらにこれらの石灰岩には大きな特徴がある。それは、現在のハワイやガラパゴスなどの大洋に浮かぶホットスポットと呼ばれる火山島(図表4)を造る玄武岩の溶岩、しかも多くの場合水中を流れた溶岩と一緒に周囲の地層に含まれているのだ。そして周囲の地層には、この火山島の断片のみならず、海洋プレートを造る地殻(玄武岩)や、海溝などに溜まった砂や泥などの堆積物が渾然一体となって含まれている。このような「混在岩」の形成は、海洋プレートが沈み込む場所で、プレート上の物質がはぎ取られて陸側プレートに付け加わっていた「付加体」が舞台であると考えられている(図表4)。

 では、日本列島に点在する石灰岩の元となった火山島のサンゴ礁は、一体いつどこでできたものだろうか? このことを明らかにしようと、私たちは石灰岩と一緒に産出する玄武岩の化学分析を行った。その結果、これらの石灰岩と玄武岩の大部分は、現在の南太平洋で数億年にわたって続く火山活動で誕生した火山島起源であることが分かった。そしてその年代はおよそ1億年前と3億年前。このころに南太平洋で起きた火山活動によって火山島が誕生し、それらはサンゴ礁を乗せながらプレートに運ばれて、現在は太平洋の周囲の陸域に付加されたのだ(図表5)。とりわけ約1億年前の火山活動は大規模だった。というのも、この時代に南太平洋で形成された超巨大海底火山(海山や海台)の一部は、今も太平洋の海底に潜んでいる(図表5)。

 日本列島で堅豆腐を育んだ石灰岩に、このようなドラマチックでダイナミックな歴史が秘められているのだ。こんなにまでして日本列島の一部となった石灰岩なのだから、私たちはもっとしっかりとその恩恵に浴しても良い気もする。その恩恵の一つが、これらの石灰岩地域では、日本列島では珍しい硬水食文化を発展させることができる可能性があることだ。先に紹介した富山県利賀村の谷口シェフのオーベルジュは良い例であろう。利賀村の背後には石灰岩が分布し、この地域の名物の一つが堅豆腐なのだ(図表2)。さらに、あとで詳しく述べるように、硬水系の水は力強く個性的な日本酒を生み出す可能性がある。日本酒の醸造過程でカルシウムが麹菌の酵素分泌を促すために、軟水よりも硬水系の方が発酵が進んで力強い酒が誕生するのだ。実際、私もいくつかの石灰岩起源の硬水系仕込み水で造られたお酒をいただいた経験がある。いずれもしっかりした力強い銘酒だった。
 生搾りを用いて堅豆腐を作っている地域では、新たな食文化を発展させることも地域振興の一つの道であると思うのだが、いかがであろうか?

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 かつてこの国では、ある意味で救荒作物としての大豆を田んぼのあぜ道などで栽培していた。この大豆を用いた郷土料理は日本全国にあるが、最もシンプルなものは図表1に示す「呉」を味噌汁に入れた呉汁である。さらに呉を加工して豆腐や揚げとして食す「豆腐文化」は日本独特のものであろう。元はといえば硬水優位の大陸から伝わった豆腐作りが、軟水の国で進化を遂げたのである。ただ日本列島の中で稀に見られる石灰岩起源の硬水を産する地方では、柔らかい豆腐を作るのは難しいために堅豆腐の文化が残ったと思われる。

目次

プロローグ
第1章|旅立ちの前に
第2章|変動帯がもたらす日本の豊かな水
第3章|火山の恵みと試練
第4章|プレート運動が引き起こす大地変動の恵み
第5章|未来の日本列島の姿と大変動の贈りもの
第6章|日本列島の大移動がもたらした幸福を巡る旅
第7章|地球規模の大変動と和食
エピローグ

より詳しい目次はこちらをどうぞ!

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著者プロフィール

巽好幸(たつみよしゆき)
1954年、大阪府生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程を修了。京都大学総合人間学部教授、東京大学海洋研究所教授、国立研究開発法人海洋研究開発機構地球内部ダイナミクス領域・プログラムディレクター、神戸大学海洋底探査センター教授などを歴任。地球の進化や超巨大噴火のメカニズムを「マグマ学」の視点で探究している。2003年に日本地質学会賞、’11年に日本火山学会賞、'12年に米国地球物理学連合(AGU)N.L.ボーエン賞を受賞。著書に『地球の中心で何が起こっているのか』(幻冬舎新書)、『地震と噴火は必ず起こる』(新潮選書)、『和食はなぜ美味しい』(岩波書店)などがある。


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