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アルコール、薬物、拒食や過食――依存症からみえてくる現代社会の「生きづらさ」。そして、回復コミュニティから導く「希望」。『依存症と回復、そして資本主義』より「はじめに」公開

アルコールや薬物などの依存症状に悩む人々は、この日本にもたくさん、たくさん、いますよね。最近では、朝日新聞の永田記者が依存症の妻との日々を綴った壮絶な体験記が、大きな話題になりました。

そして、彼・彼女たちの依存をめぐる行動を「自己責任」と感じている人は、もっともっとたくさんいます。しかし、光文社新書5月の新刊『依存症と回復、そして資本主義 暴走する社会で〈希望のステップ〉を踏み続ける』の著者で社会学者、そして摂食障害からの回復者でもある中村英代さんは、依存症は現代社会で生じる必然的な行動パターンだと語ります。痛み、恐れ、怒り、欲望。私たちの心に日々湧きあがってくる感情の先に依存につながる行動があり、あるポイントを過ぎると、もはや私たちは「意志の力」ではその行動をとめることができなくなってしまいます。

この本では、依存症の回復コミュニティが考察されます。金銭の追求から距離を置き、上下関係のある人間関係を排し、人と人とが弱さでつながり合う回復コミュニティの考察からは、私たち誰もが生きづらさを感じる現代社会の姿が次第に浮き彫りになっていきます。では、「もっと、もっと」を求める資本主義社会のなかで、「生きづらさ」を抱える私たちはどのように生き、他者とどうしたらつながれるのか。希望をベースとした新しい生き方、人類が共に生きる可能性を提示するのが、この本の試みです。

本記事では「はじめに」と目次を公開します。

『依存症と回復、そして資本主義 暴走する社会で〈希望のステップ〉を踏み続ける』より「はじめに」


〈智〉が広がっている領域はどこか。

(ベイトソン1972=2000: p.594)

自分は依存症かもしれないと思ったことがある人や、家族のとまらない行動に困っている人はたくさんいるだろう。アルコール、薬物、ギャンブルやダイエット。困りごとの対象はさまざまだが、依存をめぐる問題は時代や地域を問わず人々を苦しめ続けてきた。大袈裟ではなく、とまらない行動は人類が抱える難題のひとつであり、私たちの幸福を大きく左右する問題なのだ。
では、

①「依存症」とはどのような問題で
②回復支援の現場ではどのようなことが行われているのか。

①の問いに対して本書では、社会学の立場から、とまらない行動を個人病理としてではなく、この社会のなかで必然的に生じる行動パターンのひとつとして考察していく。

②の問いに対して本書では、ダルクと十二ステップ・グループでの回復を考察していく。

ダルク※は薬物依存の回復支援施設である。そして、十二ステップ・グループは依存症からの回復のための世界規模の共同体で、アルコホーリクス・アノニマス(AA)※やナルコティクス・アノニマス(NA)※を含む。どちらも当事者のコミュニティだ。

現在、全国のダルクは厚生労働省のウェブサイトに薬物問題の相談窓口として掲載されているし、十二ステップ・グループは厚生労働省の依存症啓発パンフレットでも紹介されている。つまりどちらも、公的に認められた回復支援ということだ。だがいまなお、ダルクやAAで行われていることの内実はあまり知られていない。

ダルク研究会のメンバーと連れ立って、私がはじめてXダルクを訪れたのは2011年の1月の終わり──冬の寒い夜だった。その頃私は摂食障害の回復者へのインタビューをまとめていて、研究対象も近いだろうということでダルク研究会に誘われたのだ。ダルク研究会は南保輔先生(成城大学)を中心とした社会学研究者のグループで、その後、研究会ではダルクについての書籍も出版している※。だが、当時の私はダルクのこともNAのことも知らず、薬物依存は自分とは遠い世界で起きている事柄だと思っていた。

こうした経緯で研究会に加わり、依存症を追いかけていくと、その先にみえてきたのは現代社会とこの社会を生きる私たち自身だった。私たちが馴染んでいる思考や行動が、依存の問題につながっていたのだ。だから、依存症とそこからの回復について理解すると、人々の行動やいま私たちが生きているこの社会の傾向性が、それまでとは違った角度から理解できるようになる。
このように、本書の主眼は依存症の理解には置かれていない。本書の目的は、依存症の理解を経由しながら、私たちの日々の行動と現代社会の傾向性をとらえなおすことにある。



本書にはもうひとつの目的がある。それは人類学者グレゴリー・ベイトソンの認識論の一端を紹介することだ。二十世紀後半にアメリカで活躍したベイトソンは、依存症の研究もいくつか残している。

ダルクも十二ステップ・グループも豊かで多様な世界であり、本書で説明し尽くすことなどできない。そこで本書ではベイトソンを視座に据え、主にその射程内で考察を進める。ベイトソンを経ることでしかみえてこない世界は確実にあり、そこでは依存症や回復コミュニティが新たな姿で立ち上がってくるはずだ。本書では、このようにして依存症、ダルク、十二ステップ・グループを考察しつつ、ベイトソンの知を再確認していく。

ベイトソンの論考を読む醍醐味は、何といっても、自分が慣れ親しんだ思考の外側に連れ出してもらえることにある。というのもベイトソンは、〝思考の前提〟──それは人々が物事をどう考えるかを決定づける──について繰り返し考察しているからだ。ベイトソンは固有の方法で私たちの頭のなかにある思考習慣をとらえ、それを机の上に並べて目の前に差し出してみせるのだ。「ほら、これだよ」と。

人々が無意識に前提としている思考習慣を明らかにし、そこに含まれる問題を指摘し、警告を発し続けたのがベイトソンだ。

思考の前提が不適切であれば、その枠組みのなかでどれだけ世界や社会を正そうと試みたところで何もよくならない。だから、私たちが世界について語るのではなく、まずは私たちの頭のなかにある思考のパターンを把握し、それを問い直そう。ベイトソンは生涯これを探求し続けた。

資本は暴走し、事実は歪めて伝えられる。インターネットは裁きで溢れ、人々は他者の評価に怯えて暮らす。他方で、新種のウイルスが世界中に蔓延し、気温が上昇する環境を私たちは生きていかなければならない。こうした現代、二十世紀にベイトソンが投げかけた警告と希望を振り返って確認することには一定の意味があるだろう。

本書でみていくように、ダルクや十二ステップ・グループ、そしてベイトソンは、依存症からの回復だけでなく、私たちが慣れ親しんでいる生き方とは異なる〝新しい生き方〟や、資本主義的な組織とはまったく異なるコミュニティのあり方を示してくれる。二十世紀に生み出されたこれらの叡知は、二十一世紀を生きる私たちにとって素晴らしい財産であると私は考える。



本書の構成は次の通りである。

第1章では、依存症を理解する。第2章では、ベイトソンの分裂生成理論と依存症研究を確認する。第3章では、ダルクでの回復支援をみていく。第4章では、十二ステップ・グループを考察した上で、そのコミュニティとしての独自性を指摘する。第5章では、精神科医、カウンセラー、弁護士などの依存症支援に携わる十名の専門家の語りを紹介し、依存症支援のあり方を示す。

本書の考察は、2011年以降、私が継続しているインタビュー、ミーティングの参与観察を含めた国内外のフィールドワークに依拠している。
私が実際に関わることができたのはダルクや十二ステップ・グループのごく一部である。当然、ここからダルクや十二ステップ・グループを一般化することはできない。本書にそのような限界があることはあらかじめ述べておきたい。

本文注
※DARC(Drug Addiction Rehabilitation Center) :日本で当事者によって運営されている薬物依存のリハビリテーション施設。
 
※Alcoholics Anonymous(AA) :アルコール依存からの回復のためのセルフヘルプ・グループ。
 ※Narcotics Anonymous(NA) :薬物依存からの回復のためのセルフヘルプ・グループ。
 
※ダルク研究会編(2013) 、南・中村・相良(2018)など

著者紹介

中村英代(なかむらひでよ)
一九七五年東京都生まれ。日本大学文理学部社会学科教授。お茶の水女子大学文教育学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(社会科学)。専門は社会学。『摂食障害の語り―〈回復〉の臨床社会学』(新曜社)で第十一回日本社会学会奨励賞を受賞。著書に『社会学ドリル―この理不尽な世界の片隅で』(新曜社)、編著に『当事者が支援する―薬物依存からの回復 ダルクの日々パート2』(春風社)などがある。

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