不登校児を救え!―カマラ・ハリス氏自伝『私たちの真実』より
光文社新書編集部の三宅です。
副大統領就任から遡ること10年前の2011年1月、カマラ・ハリス氏は女性初・アフリカ系初・インド系初のカリフォルニア州司法長官に就任します。そのとき最優先で取り組んだのが、児童の不登校問題でした。
司法長官がなぜ不登校問題?と思いますが、そこには地方検事時代以来の深謀遠慮が隠されていたのです。
『私たちの真実』より、カマラ氏が不登校問題解決に奔走したエピソードを2回に分けてお送りします。
※こちらのマガジンで、『私たちの真実』関連の記事を全て読むことができます。
受刑者の八割以上が高校中退者
州司法長官になったとき、私は幹部チームに小学校の無断欠席問題の解決を職務の最優先事項にしたいと話した。私をよく知らない人たちは、冗談を言っていると思ったにちがいない。州の法執行機関のトップがなぜ、七歳の子どもの不登校をなんとかしたいなどと言うのだろう? だが、しばらく私と仕事をしたことがある人たちは、私がふざけているわけではないことを承知していた。実をいうと、州全体における無断欠席問題に関するプログラムの実施は、司法長官に立候補した理由の一つだったのである。
私が地方検事として犯罪防止の分野で成し遂げたのは、おもに成人への介入だった。たとえばバック・オン・トラック(ハリス氏が始めた軽微な犯罪者の社会復帰プログラム)は、若年層が服役しないですむように、また重罪の有罪判決を受けて人生を棒にふらないように手を貸すためのプログラムだった。しかし、私は早期介入、つまり子どもたちの安全を守り、正しい道を歩ませるために、コミュニティとして、国として、最初にとれる措置についても同様に関心をもっていた。司法長官の力で変えることができる、子どもの人生における重要な時期を見きわめたいと思ったのだ。
そのプロセスのなかで、私が始めたのは点と点を結びつけて結論を導き出すことだった。最初の点は、小学三年生の読解力の重要性だ。研究の結果、三年生終了時が生徒にとってきわめて重要な節目であることが明らかになっている。それまでは、カリキュラムの焦点は読み方の指導に当てられているが、四年生からは読んで学ぶことに主眼が置かれるようになる。読む力がなければ学ぶことができず、月を追うごとに、年を追うごとに落ちこぼれていく。そういう子どもたちは貧困に足を踏み入れるよりほかなく、貧困から抜け出す術はほとんどない。身長たかだか四フィート(一二〇センチほど)のときに、チャンスの扉が閉ざされるのだ。子どもに教育を受けさせないのは、犯罪に等しい。
私が同時に目を向けたのが、サンフランシスコ市郡における殺人の急増である。それは地域全体にとってだけでなく、政府内外の組織のリーダーにとって大きな問題だったため、どのような対策を打つべきかについて活発な議論が行われ、大きな関心が集まっていた。データを分析したところ、受刑者の八割以上が高校中退者であることがわかった。
私は学校区の教育長に会い、高校の中退率について尋ねた。教育長はアーリーン・アッカーマンという優秀な女性で、高校を常習的に無断欠席する生徒のかなりの割合が小学校から欠席しがちで、何週間、ひどければ何か月も続けて休むケースもあったと答えた。それを聞いて、私は行動を起こさねばと思った。関連はあまりに明白だ。幼くして教室から足が遠のきはじめる子どもたちが、どんな道をたどるかは想像がつく。不登校児は街をうろつくようになり、……格好のターゲットとしてギャング団に引きずり込まれ、……幼くして麻薬の運び屋となり、……暴力犯罪の加害者、あるいは被害者になる。いなければならないはずの学校で姿を見ない子どもは、のちに高い確率で刑務所か病院で、そうでなければ死体となって私たちの前に現れることになるのだ。
私の政治顧問のなかには、無断欠席の問題に対処しても人々の関心を集めないのではないかと難色を示す人がいた。いまでも、その取り組みの意図を正しく評価しない人もいる。そういう人は、親たちを刑務所に入れるのが私の目的だったと思い込んでいるが、言うまでもなくそれは事実ではない。私たちの取り組みは、子どもを再び学校に通わせる助けになるように親を援助するためのものだった。私たちはサポートしようとしたのであって、罰しようとしたわけではない。そして、大多数のケースがうまくいった。
ほとんど注目されなかった問題に光が当たるのなら、私は悪者になってもかまわなかった。政治的資本(訳注/人脈、実績、支持など、利害関係者との関係や信頼を通じて構築された政治的影響力)は利益を生まない。それは違いを生み出すために使うべきものだ。
州司法長官室は市および学区と協力し、無断欠席防止プログラムを構築した。私たちは二〇〇九年までにサンフランシスコの小学生の無断欠席を二三パーセント減らすことができたが、それは実に誇らしいことだ。(続く)