【第22回】なぜエリート教育が必要なのか?
■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、哲学者・高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!
「衆愚政治」に陥る「民主政治」
古代ギリシャ時代の哲学者プラトンは、50歳代で書いた全10巻におよぶ主著『国家』において、どうすれば「正義」を実現し、堅固な「政治」体制を整え、理想の「国家」を建設できるか、詳細に議論している。
プラトンは、アテネとスパルタが地中海世界を二分して30年近く戦ったペロポネソス戦争の最中に生まれた。当時のアテネでは「民主政治」が腐敗し「衆愚政治」に陥り始めていた。アテネ市民は、国家全体を見渡す視野に欠け、扇動者の演説で感情的に右往左往し、欲得ばかりを求めて理性的な判断ができなくなっていた(近年の日本の閉塞状況を想い起させる)。
美男で知られるアルキビアデスは、イタリアの穀倉地帯シチリアに大遠征すべきだという無謀な作戦にアテネ市民を誘導し(真珠湾攻撃を主張した日本の軍部を想い起させる)、その後スパルタに寝返って、アテネを完敗させた。プラトンの師ソクラテスは、ソフィストに扇動された市民の多数決判決によって、死刑となった。これらの事件に大きな衝撃を受けたプラトンは、「民主政治」そのものに大きく失望し、政治家になる夢を捨て去った。
プラトンは、強く安定した理想の国家を建設するためには、「哲人王」と呼ばれる厳しい選抜から選び抜かれた哲学者が王となり、「独裁政」で国家を運営するのが最善だという結論に達した。彼が想定したのは、もちろんヒトラーやスターリンのような独裁者ではなく、「哲人王」を国家という患者の病気を治療し、外敵から守り、元気を与える「医者」に喩えている。
本書の著者・本村凌二氏は、1947年生まれ。一橋大学社会学部卒業後、東京大学大学院人文科学研究科修了。法政大学講師、東京大学教授などを経て、現在は東京大学名誉教授。専門は西洋史・ローマ史。『薄闇のローマ世界』(東京大学出版会)や『世界史の叡智』(中公新書)など著書も多い。
さて、プラトンの弟子アリストテレスは、「独裁政」があまりに強大な権力を一個人に与える危険性に気付いていたため、少数のエリートが国家を率いる「貴族政」を推奨した。この政治形態は「元老院」支配による「共和政」ローマで実現した。アメリカやフランスでは、大統領が強大な権限で国家を率いて、それを議会が監視する「共和政」に近い政治形態といえる。
本書で最も驚かされたのは、本村氏が「私は、必ずしも民主政が最善理想の政体ではないと考えています」と明確に断言していることである。民主政は基本的に多数派による支配であり、結果的に「ポピュリズム」にすぎない。それが「ましなポピュリズム」に向かえばよいが、多数派の「独善的意見や欲得に流されてしまう」と「大衆迎合主義」に陥ってしまう。
親の選挙地盤を受け継いだ二世や三世のような政治家は、必ずしも有能でなく、国家に対するビジョンを欠き、大衆に迎合して右往左往することも多い。世界を見渡しても、国家がパンデミックのような大きな危機に陥ったとき、真のリーダーシップを取ることができる政治家は、本当に稀にしか存在しない。
ここで本村氏が求めるのは「自らの職務と責任から逃げない」という「エリート意識」である。「皆同じ・平等・優劣を付けない」という「ポピュリズム」ではなく、適材適所の「エリート教育」が必要だというのである!
本書のハイライト
民主政にせよ、独裁政にせよ、それをましなものにするのはリーダーが見識と説得力を備えていることです。もちろん、国民にも自覚と見識が求められます。フェイクニュースに振り回されたり、ラクな話や得する話に飛びついたり、聞こえのいい話になびいたりするようでは、危険なデマゴーゴスや独裁者をのさばらせることになるでしょう。(pp. 64-65)
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著者プロフィール
高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。