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玉城デニーの過去を辿ることは、沖縄と日本の未来を見つめること|藤井誠二

ノンフィクション作家の藤井誠二さんは、最新刊『誰も書かなかった玉城デニーの青春〜もう一つの沖縄戦後史』(光文社)を上梓しました。玉城デニーさんは2018年9月、前沖縄県知事・翁長雄志氏の死去に伴う知事選で圧勝、選対本部でカチャーシーを舞い踊った姿は記憶に新しいところです。藤井さんは今回、なぜデニーさんの少年期から青年期に焦点をあてたのでしょうか。そこから見えてきたのは、「沖縄戦後史」の生々しい断面でした。発売を記念して本書の「まえがき」を公開いたします。

思いもよらないデニーさんの一言


私が初めて玉城デニー沖縄県知事に会ったのは、拙著『沖縄アンダーグラウンド――売春街を生きた者たち』が第5回沖縄書店大賞をいただいたとき、その受賞式が行われたホテルの大広間でだった。

沖縄書店大賞とは、沖縄の書店員たちがその年――第5回は2018年に刊行された本の中から――いちばん読んでほしいと感じた一冊を投票で選ぶ。大賞には三部門あって、その年は、絵本部門がヨシタケシンスケの『おしっこちょっぴりもれたろう』、小説部門が真藤順丈の『宝島』、沖縄本部門が拙著の『沖縄アンダーグラウンド――売春街を生きた者たち』だった。沖縄で本の販売現場にいる人たちが選んでくれる賞なので、沖縄に関わりを持つ書き手としては、格別の栄誉を覚える。

沖縄関連本はその年には400点近く全国の出版社から出版されていて、「沖縄本部門」大賞は沖縄書店大賞の目玉だった。他の二つは沖縄に関係ない作品もエントリーされるのだが、真藤の『宝島』は、戦後の沖縄で食糧などの物資をかすめ盗って生き抜いてきた集団「戦果アギャー」を題材にしており、おりしも第160回・直木賞を受賞するなど、第5回沖縄書店大賞はとりわけ沖縄を深掘りする感があって、大いに盛り上がった。

実は、拙著が刊行された2018年9月、玉城デニーは沖縄自民党の重鎮・翁長雄志前知事の死去に伴う知事選の真っ最中であった。選挙以前は、デニーは自由党所属の衆議院議員だったが、翁長が後継指名したことから国会議員を辞し、世紀の決戦とも弔い合戦とも言える激しい選挙戦に臨んだのである。辺野古新基地に反対して保革を超えた支持を受けたデニーは見事、県知事に当選した。

開票日は同年9月30日。相手の佐喜眞淳に8万票の差をつけて圧勝、選対本部でカチャーシーを舞い踊るデニーは、觔斗雲に乗って空を自在に飛び回る孫悟空のように見えた。

実は私は『沖縄アンダーグラウンド』を、選対事務所あてに献本していた。選挙戦の真っ最中だから、うずたかく積まれた書類等の中に紛れて、デニー候補の目に留まることはないだろうと思いつつ。

2019年4月、ホテルの授賞式会場にゲストとして早めに一人でやってきたデニー知事は、パイプ椅子に座っていた。一通りの式次第が終わった後、デニーは、拙著と真藤の作品を取り上げて、「これはまさに私の時代の物語だ。私が生きてきた沖縄戦後史が書かれている。感動しましたし、いろいろな思いも込み上げてきました」と語り、最大限の称賛をくれた。

私は式が終わった後、真藤と共にデニーに挨拶した。そのとき、玉城デニーは選挙戦中に拙著を読んでくれていたことを教えてくれたのである。あの激しい闘いの最中に、350ページ近い大部のノンフィクションを読む心の余裕があるとは。私は拙著がデニーの関心を引き付けたことがうれしくなった。そして、献本に律儀に向き合ってくれたデニーに感謝した。

知事就任後、デニーは知事選の争点となった「辺野古」の新基地を巡って、国と鋭く対峙することになる。県は国の要請を拒否し、裁判に訴えるなどして闘い続けている。一方で、国は仲井眞弘多知事時代の埋め立て「承認」を根拠に基地建設を停止する気配もない。

2019年10月には首里城が原因不明の火災で燃え落ちる。2020年に入ると、観光や在日米軍の影響で何波もやってくる新型コロナウイルスの坩堝となり、沖縄県は苦難と混乱の中に置かれ続けた。国と対峙する一方で、翁長知事から結束してきた「オール沖縄」勢力も経済界人の離脱が相次いだ。玉城デニー知事は危機の連続の只中にいる。

インタビューを続けるうちに……

初対面から数カ月経ったとき、私はこの人はどんな人生を歩んできたのだろうという思いがふとわき、思いつくままに連絡をつけて県庁の知事室の応接間でデニーと向かい合った。2019年の年の瀬だった。

当初、私は、沖縄の戦後政治史の中にデニーを位置付けたいといった大仰なオファーをした。しかし、インタビューを続けていくうちに、彼が弾むように、ときに遠くを見る目をしながら話す、自身の青年期の波瀾に満ちた話に、私は身を乗り出すようになっていた。

私の関心は、玉城デニーの少年期から青年期を辿り直す旅にシフトするようになっていた。デニーの出自や、青年期に彼と伴走するように生きてきた人々に向かっていったのである。それは、政治家・デニーへの興味を失くしたということではない。しなやかで強靱な意志を持つ政治家は、いったいどんな青春を送ってきたのだろうか、ということだ。時代の中で自らの過去を熱っぽく語るデニーが、私の関心をそちらに仕向けたと言えるかもしれない。

彼は、沖縄県伊江島出身の母親と、米軍に所属したアメリカ人の父親を持つ、1959年に沖縄で生まれたアメラジアン(アメリカ人とアジア人の血統を引く者)である。将来はアメリカに渡ることを前提に「デニス」と名付けられた。「デニー」は愛称で、小学4年生のときに家庭裁判所で「康裕」と改名手続きを取っている。

デニーの実母・玉城ヨシの故郷で親族を取材していると、デニーは「トミヤ」と呼ばれていた時期もあったことを知った。それはヨシが身ごもっているとき、「トミヤ」という名をつけようとしていたので、いつのまにかそう呼ばれるようになり、誕生してからもしばらく定着していたそうだ。

幼い頃、デニーは「育ての母」である知花カツに預けられ、高校卒業後は東京で福祉の専門学校に通い、帰沖後はプロに混じって音楽活動や内装業、音楽プロダクションのマネージャー、ラジオ番組のパーソナリティなどをして食いつないできた。

父方はもちろん、母方の家系もほとんど政治には無縁だった。何よりもアメリカ人との間に生まれた子どもということで、ルッキズムが跋扈する沖縄で差別と偏見の中を生き抜いてきた。

そんな青年が、沖縄の政治の舞台にとつぜん現れ、沖縄市議会議員から衆議院議員、そして沖縄県知事となり、日米の喫緊の政治的課題の最前線にすっくと立ち、「日本」と向き合い続けている。

沖縄で30代以下の人たちと話すと、玉城デニーという人物について、「元ラジオの人気パーソナリナィ」や「元国会議員」ぐらいしか情報がないことも私は気になっていた。それ以下の年齢になると、沖縄県知事・玉城デニーになる前の個人史についてはまったく知らない場合が多い。

私は沖縄出身者ではないし、沖縄と東京等で半移住生活を送る身にすぎないが、誰も書いていない「玉城デニー」の少年期から青年期、つまり「デニーの青春」をできるだけ丹念に辿ることが自分の役割だと自覚するようになった。つまり、彼が政治家を志すまでの「時間」の記録である。それを本人と、数多くの同時代を生きた友人や知人の、「語り」を重ね合わせて再構築していきたい。

取材を進めるごとに、私は沖縄県知事・玉城デニーの人格を、新しい視点で描き出せるという手応えを得るようになった。それは、授賞式にデニー本人が語った「沖縄戦後史」の生々しい断面そのものでもある。沖縄のアメラジアン、デニーの過去を書くことは、沖縄と日本の未来を見つめることでもあるような気がしている。

◎目次

戦後青春から未来への旅--まえがきに代えて
第1章 四畳半の青春 --伝説の高校生ロックバンド「ウィザード」
第2章 5人の「後輩」たち
第3章 激動の日々
第4章  「あんたは『日の丸』を振らなくていい」
第5章 ミックスルーツと「沖縄アイデンティティ」
第6章 政治家、結婚、ルーツ
あとがき

◎著者プロフィール

藤井誠二(ふじいせいじ)
1965年愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターも務めてきた。沖縄関連の著書に『沖縄アンダーグラウンド―売春街を生きた者たち』(集英社文庫、第5回沖縄書店大賞・沖縄部門大賞受賞)、『沖縄の街で暮らして教わったたくさんのことがら―「内地」との二拠点生活日記』(論創社)。仲村清司氏と普久原朝充氏との共著に『沖縄 オトナの社会見学 R18』(亜紀書房)、写真家のジャン松元氏との共作に『沖縄ひとモノガタリ』(琉球新報社)などがある。対談本等もあわせると50冊近い著作がある。ミックスルーツの女性の人生を描いたウェブ媒体のルポで「PEPジャーナリズム大賞2021・現場部門」を受賞。


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