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【第78回】日本の歴史学はどこに向かうのか?

■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!

「ヒストリカル・コミュニケーター」を目指す歴史学者の半生記

1970年8月9日、68歳の評論家・小林秀雄が『文学の雑感』という講演の質疑応答で「歴史を見る態度」を問われ、次のように答えている。第一に小林は、歴史といえば過去を研究することだという常識を覆して、「過去を現在に生き返らせるのが本当の歴史家」だと主張する【逆説】。第二に、「うまく過去を甦らせる」ことのできる「本当の歴史家」と、「あったんだという知識を書いただけ」で、実は「歴史を知らない歴史家」が対比させられる【二分法】。
 
第三に、「古いも新しいもありゃしないんです。みんな、君です、君の知識です。そしてそれを生き返らせるのは君の自力です、君の能力です。人に聞かしてもらうことはできない。だから歴史は常に主観的です。主観的でなければ客観的にならんのです」と語る【論点飛躍】。第四に、歴史の「証拠がみたい」からといって「やたら掘り返して」その結果を論文に書き「そうすると博士になれるんだ」という「考古学者」への皮肉が表明される【反権威主義】。
 
ここに挙げた【逆説・二分法・論点飛躍・反権威主義】が絶妙に組み合わされた総体が、小林の一般的な論法である。彼の作品には、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」という逆説や、「本物と贋物」「一流と二流」「名人と凡人」のような二分法が頻出する。そこから飛躍して権威を笑う論法は、読者に気持ちよく響く一面もあるが、実は重要な論証の過程が切り捨てられているため、極端な結論に誘導される可能性に注意が必要である(小林の論法については拙著『小林秀雄の哲学』をご参照いただきたい)。
 
「生涯一書生」を貫いた作家・吉川英治が文化勲章を辞退しようとした際、小林が説得して受賞に至った逸話は、よく知られている。『親鸞』『宮本武蔵』『上杉謙信』『新書太閤記』『私本太平記』などで「うまく過去を甦らせる」ことのできた吉川は、小林にとっては「本当の歴史家」だったのである。
 
本書の著者・本郷和人氏は1960年生まれ。東京大学文学部卒業後、同大学大学院人文科学研究科修了。同大学助手、同大学院情報学環助教授などを経て、現在は同大学史料編纂所教授。専門は史学・日本中世史。著書は『中世朝廷訴訟の研究』(東京大学出版会)、『戦国武将の明暗』(新潮新書)など数多い。
 
さて、明治維新から第二次大戦中に至るまで「国威発揚」のために適用された「皇国史観」、その反動として戦後に流行した「マルクス主義史観」を経て、現在の歴史学の主流は「実証主義」である。小林のように「人間の内面に立ち入って」歴史を蘇らせる論法や、吉川の書く「物語の歴史」は、歴史学ではない。本郷氏によれば「一級資料を精読して帰納的に考えていく手法」こそが「科学としての歴史学」なのである。とはいえ、その方法論には学者間で見解の相違があり、論争や喧嘩の様子が本書に赤裸々に解説されている。
 
本書で最も驚かされたのは、本郷氏の上司に当たる史料編纂所の所長が奥様の恵子氏だということである。本郷氏は東大の駒場時代のゼミで一緒になった超優秀な恵子氏に「参った」そうで、日本中世史を専攻したのも、史料編纂所に入所したのも、恵子氏の影響からだという。24歳の大学院時代に「突如ダイヤモンドの指輪を購入」して結婚を申し込むが「撃沈」。数年後に再度申し込んで、ようやく受諾され、30歳で結婚した。要するに、歴史学者としての本郷氏に必要不可欠な現実は、実は奥様だったというわけである(笑)!


本書のハイライト

これから私は、私なりの視点で「歴史学とは何か」「歴史学者とは何か」ということについて筆を進めていくが、この世に生をうけ、歴史学者として生きてきた自らの60年間の半生を、かなりきわどい部分まで、あえてさらけ出すことで、その正体と実像に迫っていこうと思う。戦後から続く、わが国の歴史学の大きな流れを描くためには、歴史学者の端くれである私を狂言回しとするのが、もっとも効果的でわかりやすい方法だと考えたからだ(p. 8)。

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著者プロフィール

高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

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