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遊牧民に”転生”してみたら|相馬拓也

地平線の先までずっと続くモンゴルの大草原。そこに生きる”悠々自適”な遊牧民。大自然に囲まれた彼らの暮らしを想像して、一度は憧れたことがある人もいるかもしれません。しかし、彼らの暮らしは本当に”悠々自適”なものなのでしょうか。一度で150kmにもおよぶ遊牧、マイナス40℃を下回る極寒の冬、家畜という懐事情をあけすけにした生活——。光文社新書9月新刊『遊牧民、はじめました。』では、そんな遊牧暮らしのリアルを、彼の地で長年フィールドワークを続けてきた研究者の相馬拓也さんが赤裸々に綴ります。刊行を機に本記事では「はじめに」を抜粋して公開。草原世界での暮らしを振り返ります。

はじめに

モンゴルの山岳草原で過ごしていたとある朝、牧童(家畜の番をする子ども)が「俺様の放牧技術を見せてやるよ!」と言い放ったので、標高2800mの山岳地で、騎馬にまたがる牧童とヒツジの後ろをついていってみることにしました。と言っても、歩みはヒツジと同じ速度、行くと言っていた場所にも向かっている様子がありません。しかも、ときおり馬上でうとうとまでしている始末。進んでは止まり、止まっては進む。その日の最高標高地点にたどり着いたのは、これを2時間半ほど繰り返した後でした。

目的地に着くと、牧童はすぐさま寝転がって、ごろごろしながらケータイをいじりだし、眠りこけたかと思うと、ケータイの電波探しに小高い丘の上へ。それも束の間、今度はすごい形相で駆け下りてきて、ヒツジに石をぶん投げています……。結局、下山するまでの5時間半が終始こんな感じで時が過ぎていきました。そんなはじめて目にした牧童のことは今もよく覚えています。はてさて肝心の放牧技術とは……とツッコミたいところですが、この行為にはさまざまな理由があり、本書を読み進めればきっと理解いただけるものと思います。

遊牧民と聞くと、皆さんは何を思い浮かべるでしょう? モンゴルやチンギス・ハーンを連想する人も多いと思います。筆者の生まれる少し前には、「騎馬民族」という言葉がまことしやかに流行っており、子どもの頃にもしばしば耳にすることがありました。江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」は教科書にも載っていたし、手塚治虫の『火の鳥』に騎馬で列島に攻め込んできた騎馬民族(?)と思しき人たちが登場したのも憶えています。血なまぐさい馬賊を想起したり、朝青龍や白鵬を思い浮かべて、腕っぷしの強さに結びつける人もいるに違いありません。

田舎でのフィールドワーク中に、騎馬の悪童に取り囲まれたときに、まっさきに頭に浮かんだのは、バイクにまたがるモヒカン男が斧を振り上げる「ヒャッホ~!!」の名場面でした。草原世界で数年間を暮らした今だから分かることがたくさんあります。ついぞ100年から150年前まで、モンゴルの大草原とは、リアル北斗の拳にも等しい荒くれた世界がおそらく繰り広げられていたのだ、と。きっと草原の旅にはどこなりと危険がつきまとい、隊商はつねに襲撃の危機にさらされていたに違いありません。

狭く閉じたコミュニティと親族関係が強固なつながりを持ち、その反面、家族と親族すら牙をむく無情な世界―。初めて訪れた2000年代のウランバートルですら、街中でカツアゲされたり、不良少年にカバンをふんだくられたり、国営デパート内でいきなり殴られたり、などは日常茶飯事でした。近年『乙嫁語り』に登場する遊牧民出身のアミルの愛らしさで、「遊牧民」というイメージの再生産が進んでいることを願いたいと思います。

それでも、遊牧民を知りたい、モンゴル人の生き様を見てみたい、屈指の馬技で荒ぶる大草原を駆ける姿を見てみたい、という思いで草原世界に乗り込んでいったのが2000年代の初期です。草原世界に放り込まれることは、もうほとんど「リアル異世界転生モノ」だと思うこともしばしばありました。残念ながら、現世を無双するチート能力も、その先にある希望も持ち合わせていないので、草原暮らしはほとんど罰ゲームにすら等しく……。結局、地理学者や民族学者のフィールドワークとは、異郷を自らの力で、自身の暮らしの場所へと変えてゆくしかない。そんな試行錯誤の数年間でした。

言葉や文化を学び、現地の人々との邂逅と誤解を繰り返しながら分かり合う。本書の執筆を機に記憶や昔の写真を掘り起こしてみると、そんな苦痛に満ちた旅が、なぜか懐かしくて、愛おしくてたまらなくなるのでした。旅が人生にもたらしてくれる価値には、計り知れないものがあります。そのとき、その旅で得た激情には、そのときにしか感じえない刹那があふれているからです。

遊牧民でも、はじめてみるとするか。

それは、まったく異なる世界の、見たこともない文化の、トンデモない民族に生まれ変わったような、自身の価値観や当たり前という積み木を根本から積み直してゆく、まるで人生のやり直しにも似た体験でした。

この著書は、筆者が研究者として駆け出しだった20代後半~30代前半にかけて、モンゴルの大草原で過ごした研究生活の日々をつづった旅物語でもあります。かれこれ20年前の経験も含まれているため、本書に書かれていることすべてが、現代のモンゴル社会や遊牧民にあまねく当てはまるものではきっとありません。

荒くれた無慈悲な草原世界にも、遊牧民が滅びないための数々の掟があります。家畜を生かすための知恵があります。自然と調和するための認知があります。野生動物の生態をつぶさに観察して狩り、食らう習慣があります。襲い襲われるかもしれない人付き合いの法があります。それらは、かつての人間たちが秘めていた野性の強さをいまに伝える、美しい姿でもあります。

本書を読み進めていった先に、遊牧民と暮らしてはじめて分かった大草原の掟の数々が、おぼろげながら読者の皆さんにも見えてくれば、嬉しく思います。

以上、「はじめに」より抜粋。

目次

はじめに
第1章|遊牧民に出会う
第2章|草原世界を生き抜く知恵
第3章|遊牧民にとっての家畜
第4章|野生動物とヒトの理
第5章|ゴビ沙漠の暮らしを追う
おわりに 〜草原の旅が誘うさらなる冒険〜

より詳しい目次はこちらをどうぞ

著者プロフィール

相馬拓也(そうまたくや)
1977年、東京都生まれ。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)修士課程修了、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。カッセル大学エコロジー農学部博士課程修了。博士(農学)。カッセル大学エコロジー農学部客員研究員、早稲田大学高等研究所助教、筑波大学人文社会系助教などを経て、現在は京都大学白眉センター特定准教授。専門は人文地理学、生態人類学など。過酷な世界で〝いきもの〟として生存してきた人類と動物の適応戦略を、中央ユーラシアを舞台に研究している。これまでの著書は『鷲使いの民族誌』『草原の掟』(ともにナカニシヤ出版)など。



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