【第11回】何もない砂漠に現れた1匹のオリックス|2つの砂漠(後編)
数々の極地・僻地に赴き、想像を超える景色に出会ってきたネイチャー・フォトグラファーの上田優紀さん。ときにはエベレスト登山に挑み、ときにはウユニ塩湖でテント泊をしながら、シャッターを切り続けてきました。振り返れば、もう7大陸で撮影してきているかも!? そこで、本連載では上田優紀さんのこれまでの旅で出会った、そして、これからの旅を通して出会う、7大陸の数々の絶景を一緒に見ていきます。前回に引き続き、今回もアフリカ編。花が咲き乱れる砂漠から一転、砂だけが広がる"何もない"砂漠を目指します。
もう一つの花畑
ナマクワランドでの撮影を終えて、ケープタウンに帰る途中でウエストコースト国立公園にも立ち寄った。ナワクワランド近郊の村に泊まっている時、モーテルのおばちゃんがケープタウンに戻るならぜひ立ち寄ったほうが良い、と教えてくれた場所だった。ウエストコースト国立公園は大西洋に面しており、ランゲバーン湖やサルダーニャ湾を含む半島は何千羽という渡り鳥たちの保護区になっているが、ここもまた八月、九月になると見渡す限りの花畑が出現するらしい。
おばちゃんの言う通り、ウエストコースト国立公園もまた素晴らしかった。サルダーニャ湾に突き出した半島をまっすぐに進んでいくと真っ青な海に向かって花畑が伸び、青い海と空、地面に色とりどりの花々が咲き誇っている。そして、ナマクワランドとの大きな違いは動物の多さにあった。ナマクワランドは一年のうち多くの時期が砂漠地帯であるがゆえ、それほど多くの動物たちを見ることはできなかった。やはり過酷な環境を生き抜くことは容易なことではないのだろう。一方で、ここは鳥たちの保護地区となっていることからも分かる通り、多くの野生動物たちが暮らす豊かな場所だった。
サバンナに生息しているイメージの強いシマウマたちも花畑を歩いている。僕は花の上に寝そべって姿を隠しながら、しばらくその不思議な景色をひとり観察した。すると、アンテロープの親子もやって来た。アンテロープの大人たちは草花を食べ、子供はその後について一生懸命に母親の乳を飲んでいる。そのうちお腹いっぱいになったのか、子供たちは花畑の中で遊びはじめた。ここにはライオンなど大型の肉食動物はおらず、彼らにとって命の危険を気にしなくてもいい文字通りの楽園だった。もし天国というものがあったなら、きっとこんな景色に違いない。
「何もない」を求めた先は
南アフリカで花と動物たちの楽園を訪れた後、予定通り、ケニアのマサイマラ保護地区に向かった。そこはまさに野生動物たちの世界だった。ヌーたちは命懸けで川を渡り、ワニやライオンもまた生きるためにヌーを食べていた。やがて肉食動物たちも土に還り、植物たちの栄養となる。サバンナでもまた命の循環がはっきりと見てとれた。
ナマクワランドやマサイマラを巡り、アフリカの生命にふれて、ふと逆の世界も見る必要がある気がした。どこか良い場所がないか地図を広げると、ひとつの砂漠が目に止まった。ナミブ砂漠。ナミビアにある世界最古の砂漠。ナミブとは先住民であるサン族の言葉で「なにもない」を意味する。ここだ。僕は南アフリカからケニアまで四〇〇〇キロの大移動をした後、再び、南アフリカに戻って、ナミブ砂漠のあるナミビア共和国へ飛ぶことにした。
ナミビア共和国、通称ナミビアは北部にはアフリカ最大の国立公園の一つであるエトーシャ国立公園があり、赤土と脂肪を混ぜた顔料を全身に塗る美しいヒンバ族が暮らしている。そして、街があり、人や野生動物たちが暮らす北部とは対照的に、南部の大部分にはただ砂漠が広がっているだけであった。
ナミビアの首都ウィントフックの空港から車に乗り換えて五時間。ナミブ砂漠の入り口には多くの人がいた。その美しさゆえ仕方ないことだが、世界中から観光客が訪れ、ホテルやバーなんかもあって少し驚いた。「なにもない」と言われた砂漠は「なんでもある」砂漠になっていた。もちろんそれは悪いことではない。行けるのであれば行きたい人は多いだろうし、僕もその一人だ。この国にとって観光資源は外貨を得る上で大きな役割を果たしているだろう。人類が生まれるより遥か昔、八〇〇〇万年前に生まれた世界最古の砂漠なんて好奇心を持つなというほうが難しい話である。そんなことは分かっていた。分かっていたけど、どこまで行っても人がいる砂漠ではアフリカの地図を広げた時の好奇心はどうしてもしぼんでいく一方だった。
その日の午後、車で行ける限界まで奥に向かった。そこでも何人かの人たちが砂漠の風景を楽しんでいる。だが、もちろんそこから先にも砂漠は続いていた。なんといってもナミブ砂漠の面積は八一〇〇〇平方キロメートルにも及び、それは日本の四分の一ほどに相当する広さだ。ガイドに話を聞くと、車は無理だけど歩いてだったらこの先も行くことができるらしい。と続けてガイドは、ただし、と付け加えた。この先は何もないから行っても意味がないよ、と。それを待っていた! その言葉は乾いた砂漠に降り注ぐ恵みの雨のように感じた。
凛と立つオリックス
早速、車を降りて準備をする。カメラと念には念を入れて行動食と水、方位磁石をバックに入れた。時計は午後三時を指している。日が暮れるまでには戻ってきたい。三時間で戻るから、とだけガイドに伝えて一人で砂漠の奥の方へと歩きはじめた。特に目指す場所もないので磁石を見ながらひたすら西に向かった。歩きはじめて三〇分もするともう周りは砂漠しかなくなり、風に砂が舞う音しか聞こえてこなくなっていた。
空を見上げると雲ひとつない青一色の空が広がっている。確かシアンという色は古代ギリシャ語が語源だったななどと考えていると、ザッザッという音が聞こえた。なんの音だろう。こんな場所にいるのは僕みたいな奇妙な人くらいなものだろう。そういえば、ナミブ砂漠にはデザートライオンという砂漠に住むライオンがいて、ヒンバ族の家畜を襲うという話を聞いたことがある。さすがに餌のないこんな場所にはいないとは思うが……。緊張しながらその場で姿勢を低くして待っていると、砂丘の稜線の上に一頭のオリックスが現れた。アプリコット色の砂丘とシアン色の空の間に立つオリックス。それは何もかもが完璧な風景だった。息をするのも忘れて何枚か写真を撮る。カシャというシャッター音に反応してオリックスは僕の方を向くと、レンズ越しに目が合った。何秒にも満たない短い時間だったが、彼と時間を共通しているような不思議な感覚を覚えた。それはたった百年も生きられない僕と悠久の時を生きるナミブ砂漠が交差した瞬間だったのかもしれない。その後、オリックスはすぐに背を向けて砂丘の奥に消えていった。
さらに一時間ほど進むと大きな砂丘が見えてきた。砂丘の稜線まで登ると太陽が西の地平線に沈もうとしているところだった。鉄分を含んだナミブの砂は酸化し、赤い色をしている。その色は夕日を受けてさらに濃く、彩度は高くなっていた。どこまでも赤い砂丘が広がっている。何もない。かつての先住民がナミブと名付けた砂漠がそこにはまだ広がっていた。砂漠で出会ったオリックスも、夕陽に染まる赤い砂漠も、きっと八〇〇〇万年前から変わらない風景なんだろう。短い時間だったけどそんな風景に出会えたことがたまらなく嬉しかった。
一ヶ月に渡るアフリカ旅も終わりを迎えようとしていた。砂漠に咲く花畑もケニアやウガンダの動物たちも何もない砂漠もアフリカは色鮮やかな大陸だった。その鮮やかさは地球の歴史と生命によって生み出された美しいものだった。
著者プロフィール
1988年、和歌山県生まれ。ネイチャーフォトグラファー。京都外国語大学を卒業後、24歳の時に世界一周の旅に出かけ、1年半かけて45カ国を回る。帰国後は株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり、想像もできない風景を多くの人に届けるために世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行う。近年はヒマラヤの8000m峰から水中、南極まで活動範囲を広めており、2021年にはエベレスト(8848m)を登頂した。
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