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第四章 昇太も動いた――2004年「SWA」旗揚げ/広瀬和生著『21世紀落語史』11050字公開

「SWA(創作話芸アソシエーション)」の結成

「六人の会」の発足から1年後の2004年、もうひとつのグループが始動した。春風亭昇太を中心に、三遊亭白鳥、柳家喬太郎、林家彦いち、神田山陽(講談師)が結成した創作話芸集団「SWA(創作話芸アソシエーション)」だ。これは、それぞれ自分で新作落語(山陽は新作講談)を創作してきた彼らが、集団でのブレインストーミングで新作を練り上げ、共通の持ちネタとして演じようという趣旨で結成されたもので、2003年末に白夜書房の演芸専門誌『笑芸人』(「高田文夫責任編集」を謳ったムック/実際の編集人は田村直規氏)のVol.13誌上で旗揚げを宣言、2004年に始動した。

発起人の春風亭昇太によれば、SWAは単に創作落語のネタおろしの会ではなく、総合的に創作落語にとって有意義なことを何でもやる集まりで、(1)新ネタの創作(2)過去のネタのリニューアル(3)作品を共有することによってネタを練る、を三本柱に、あくまで「パッケージとして有意義な会」を目指したもの。2007年2月をもって神田山陽が脱退して以降は昇太、白鳥、喬太郎、彦いちの4人体制となった。(2005年、2006年も山陽抜きの公演がほとんどで、山陽の実質的な在籍期間は極めて少ない)

当初は2~3年の活動を念頭に置いていたようだが、スタート当初から人気爆発、2011年12月の活動休止まで8年間続いた。

「SWA」の客層は若者中心、それも女性が多く、それまで「落語ジャンクション」(SWA発足の切っ掛けとなった新作落語ネタおろしの会)他でごく一部にマニアックに支持されていた新作落語をメジャーな存在に押し上げ、従来の落語ファンとはまったく異なる若い層を新たに落語の世界に誘った。

初めて行なわれたSWAの公演は2004年6月5日、新宿・明治安田生命ホール(客席数342)での「SWAクリエイティブツアーVol.1」。このチケットは発売して数時間で完売。この結果はSWAのメンバーにとって意外だったという。もともと昇太の独演会は毎回女性が大半を占める「昇太ファン」で大盛況、喬太郎にも既に女性を中心とする熱烈な「追っかけ」たちがいたので、そうしたファン層が「SWA」に殺到した、ということも言えるだろうが、それだけではない。それまでSWAと同様の顔合わせで落語会を開いても、それほどのチケットの売れ行きはなかったのだから。

ではどうしてSWAを結成した途端、人気が一気に爆発したのか。「SWAという名称のユニットを組んだ」という事実が大きかった。人は「ユニット名」という「わかりやすさ」に敏感に反応し、興味を持つ。小朝の「六人の会」然り、後年の「成金」(落語芸術協会の二ツ目が2013年に結成したユニット)も然りである。

しかもSWAは昇太、喬太郎、白鳥、彦いちといった曲者たちが「新作落語ブームが来た!」「昇太爆笑革命」(『笑芸人』Vol.13見出しより)といった煽り文句と共に派手に打ち上げた、スペシャル感満載な企画である。これはファンでなくても「何かが起こる!」と期待せずにはいられない。
「六人の会」発足から1年、「落語ブーム前夜」の2004年に、既に人気のあった昇太や喬太郎が今までにないタイプのユニットを旗揚げしたことは、落語ブーム勃発の「もうひとつの起爆剤」となったのである。

そんな「スペシャルなイベント」SWA公演のチケット争奪戦は激烈を極めた。当時、明治安田生命ホールで毎月行なわれていた「志の輔らくご 21世紀は21日」は「発売開始と同時に完売」が当たり前だったが、SWAもそれと並ぶ激戦区となった。発売時刻にPCでサイトに入ろうとしても「アクセスが集中しています」と表示され、そのうち「枚数終了」となってしまう危険性が高いので、ファンは皆、色々な方法で挑んだものだ。僕は「志の輔らくご」は「チケットぴあのカウンター前に早朝から並ぶ」方式で入手していたが、SWA公演は「ローソン店内の発券機Loppiの前に発売開始時間よりかなり前から陣取る」派だった。店に遠慮して20分前くらいに行くと別の誰かが陣取っていたりするので、40~50分前くらいに行くことが多かったが、それでも先客がいて慌ててタクシーで別のローソンへ、なんてこともあった。

今「志の輔らくご」を例に挙げたが、SWAで昇太が目指したのは、志の輔がパルコ公演で体現したような「公演そのもののエンターテインメント化」だった。「落語会に来てもらう」のではなく、「SWAというエンターテインメントを観に来てもらう」という発想だ。

昇太は前掲の『笑芸人』Vol.13において「落語は東京や上方の地域芸能じゃなくて全国芸能になっている」「ライヴのチョイスのひとつとして来ている人が増えていて、落語のビッグネームがありがたがられる時代じゃなくなった」「要は、いかに自己プロデュースして、チョイスされる落語家になるかっていうこと」と発言している。

その文脈で言うならば、SWAは、落語の伝統の中ではマイナーに見られがちな新作落語を、マイナーであることを逆手に取って、従来の落語とは一線を画す新鮮なエンターテインメントとして見せる「自己プロデュース公演」なのだ。

「六人の会」は、春風亭小朝がプロデューサーとしての腕を存分に奮って「マスを動かして落語にスポットを当てる」ための基盤だった。一方SWAは、プレーヤーであり脚本家であり演出家でもある春風亭昇太が、同じ志を持つ仲間と力を合わせて「集団プロデュース公演」を提供するために考案したシステムであり、目指したのは「エンタメ好きで好奇心に満ちた人々」へのアプローチだった。

新作落語の地位向上を果たしたSWA

SWAは、目の前の観客との連帯感のようなものを大事にした。SWAが熱烈に支持された最大の理由は、そこにある。

SWAはユニフォームとしての揃いの着物(必ずしも高座で落語を演るときに着ていたわけではないが)を作り、そこには各々の背番号が入っていた。「1=彦いち」「2=白鳥」「3=山陽」「4=昇太」「6=喬太郎」がそれだが、さらに「5=御贔屓」としてTシャツを売ったりもしていた。この「5=御贔屓」は、サッカーにおける「サポーター」の発想に近い。(昇太がサッカー好きであることと無関係ではないだろう)

SWAのライヴは、映像やトークなどで手作り感満載な「楽屋裏」を垣間見せ、それによって観客に親近感を持たせていた。それは、ヘタすれば単なる「内輪ウケ」になってしまうが、SWAの場合はそれ自体が公演パッケージを構成する不可欠な要素であり、エンターテインメントとして成立していた。その親近感ゆえに、一度足を運んだ観客は「SWAの世界」の一員となった連帯感のようなものを覚えて、リピーターとなる。もっともそれは「誰もが楽しめる公演内容」であることが大前提で、そのために演者たちは知恵を絞り、クオリティの高いエンターテインメントを提供し続けた。

落語は、演者の個性を楽しむ芸能だ。そしてSWAのメンバーは、それぞれ別個にその個性を発揮することで充分に観客を楽しませる一流の演者である。そんな彼らが一丸となって「クオリティの高いパッケージ」を目指した公演が面白くないわけがない。従来の落語会とは一線を画した「団体芸を楽しませる」SWA公演は、演劇などのエンターテインメントに関心が高い新しい客層を掘り起こして、落語ブームと呼ばれる現象に拍車を掛けた。

「大銀座落語祭」や『タイガー&ドラゴン』、九代目正蔵襲名イベントなどが2005年頃のいわゆる「落語ブームの到来」のきっかけになったのは事実だ。だが、世間の目が落語に向いたときに、そこに面白い落語が存在しなければブームはすぐに去る。そうならなかったのは談志や小三治を筆頭に志の輔、志らく、談春、さん喬、権太楼、市馬、喜多八、志ん輔、花緑、歌武蔵、文左衛門等々豊富な人材がそこにいたからだが、中でも「落語にハマって熱心にチケットを買って足繁く通うようになった若いファン層」を多く生んだという点で言うと、SWAの果たした役割は非常に大きかった。SWAを入口にして落語という「新鮮なエンターテインメント」に目覚め、自ら積極的に情報を収集してチケット取りに走るようになった人たちが落語ブームのファン層の「核」となった、というのが当時の実感だ。

ここで重要なのは、SWAは(白鳥以外は古典も多く演じる噺家であるにもかかわらず)「新作」に特化したユニットだったこと。SWA人気の沸騰は、「新作落語という表現方法の持つポテンシャルの高さ」を従来の落語ファンに正しく認識させた点で大きな意味があった。SWAが落語ブームを牽引した8年間を経て、新作落語の地位がかつてとは比べものにならないくらい向上したのは間違いない。SWA以前は、いくら面白い新作落語があっても、総体として新作は「邪道」であり「古典より下」と見られていた。だが、SWAが落語ブームを牽引した8年間を経て、今やそんなことを言うのは一部の古典至上主義者だけで、少なくともチケットを買ってナマの落語を聴きに行く観客全体の中で占める割合は極めて少ない。

SWAはまた、「エンターテインメントとしての落語」という価値観を普及させたことで、古典落語のあり方にも影響を及ぼした。それまでは専ら志の輔や志らくといった立川流の演者が提示していた「現代的な面白さをアピールする古典」が、邪道ではなく当たり前になっていった背景には、SWAの活躍があった。「落語は硬直化した古典芸能ではなく現代人のためのエンターテインメントである」という事実をSWAがわかりやすく提示した、ということだ。

もちろん落語は伝統を背景にしている芸能だから「面白ければ何でもいい」というものではないが、「面白い落語が聴きたい」という人たちが落語会の客層の主流を占めるようになったのは極めて健全なことだ。

かつて、「教わったとおりの古典をそのまま堅実に演る」ことが、自称「落語通」の間で良いこととされていた時期があった。だが、教わったとおりに堅実に古典を演っていた名人なんて落語史上一人もいない。志ん生も文楽も圓生も五代目小さんも志ん朝も、「面白かった」から偉大なのであり、なぜ面白かったかといえば「面白い落語をこしらえて面白く演った」からなのである。

いくら面白い演者が面白い落語を演っても「こんなのは邪道だ」と決めつける観客ばかりだったら、落語の世界は確実に衰退していく。(実際にそれが起こったのが1990年代だ)逆に言うと、今の落語界の繁栄は、当時のSWAの活躍に負うところが大きい。

SWA人気は(後述する「談春の飛躍」と並んで)2004~2008年頃の落語ブームを象徴する現象だったと僕は思っている。

2004年と2005年のSWA

SWAは2004年6月5日の「SWAクリエイティブツアーVOL.1」(新宿・明治安田生命ホール)で始動、同年12月15日にVOL.2が同会場で行なわれた。演目は以下のとおり。

【VOL.1】昇太『夫婦に乾杯』/山陽『男前日本史』/白鳥『江戸前カーナビ』/彦いち『青畳の女』/喬太郎『駅前そだち』

【VOL.2】白鳥『好きやねん、三郎』(後に『山奥寿司』と改題)/山陽『最期のリクエスト』/昇太『群青色』/喬太郎『思い出芝居』/彦いち『臼親父』

VOL.1とVOL.2はプログラム全体に統一するテーマはない。ちなみにVOL.1の延長線上として2004年10月には山梨・大阪・名古屋でも公演が行なわれ、昇太は『パパは黒人』、白鳥は『マキシム・ド・呑兵衛』、彦いちは『熱血怪談部』、山陽は『バブー』を演じ、喬太郎は山梨と名古屋で『夫婦に乾杯』、大阪のみ『鍼医堀田と健ちゃんの石』(後に『結石移動症』と改題)だった。

初めて公演にパッケージとしてのテーマを持たせたのが2005年4月3日の「SWAクリエイティブツアーVOL.3」(新宿・明治安田生命ホール)。掲げられたテーマは「同窓会」だ。

【VOL.3】彦いち『真夜中の襲名』/山陽『はだかの王様』/喬太郎『路地裏の伝説』/昇太『遠い記憶』/白鳥『奇跡の上手投げ』

これ以降『路地裏の伝説』は喬太郎にとって重要な持ちネタのひとつとなっていく。

昇太・山陽不在で2005年7月19日に半蔵門・国立演芸場で行なわれた「SWA shuffle」は、これまでSWAで発表された作品を別のメンバーが演じるというものだった。

【SWA shuffle】喬太郎『臼親父』(彦いち作)/白鳥『駅前そだち』(喬太郎作)/彦いち『奇跡の上手投げ』(白鳥作)/喬太郎『はだかの王様』(山陽作)/彦いち『群青色』(昇太作)/白鳥『真夜中の襲名』(彦いち作)

九代目正蔵襲名が話題となった時期に彦いちが作った『真夜中の襲名』は、この「シャッフル」以降、白鳥が誰かの「名跡襲名」のタイミングで演じる危ないネタとして定着することになる。

2005年8月13日の「SWAクリエイティブツアーVOL.4」(明治安田生命ホール)は、文化庁交流使節でイタリアに行く山陽の壮行会を兼ねたもの。

【演目】喬太郎『不在証明』/彦いち『拝啓、南の島より』/白鳥『幸せの黄色い干し芋』/昇太『レモン外伝』/山陽『花咲く旅路』

同じく2005年の12月には「SWAゲリラ」と称する4日間連続の公演が下北沢の「劇」小劇場で行なわれた。

【26日・SWAシャッフル】白鳥『愛犬チャッピー』(昇太作)/彦いち『宴会の花道』(昇太作)/昇太『保母さんの逆襲』(彦いち作)/喬太郎『横隔膜万歳』(彦いち作)

【27日・辺境の旅~崖っぷちトーク】白鳥・彦いち(トーク)/白鳥『砂漠のバー止まり木』/彦いち『キングサーモン愛宕山』

【28日・SWAも粋だね!古典落語】喬太郎『反対車』/昇太『つる』/彦いち『厩火事・北の国から』/白鳥『実録・お見立て』

【29日・ネタおろし】昇太『東海道のらくだ』/白鳥『へび女』/彦いち『長島の満月』/喬太郎『ハンバーグができるまで』

SWAらしい趣向に満ちた4日間。特筆すべきは29日のネタおろしで『長島の満月』『ハンバーグができるまで』という2つの名作が生まれたことだろう。

2006年5月16日・17日には中野・なかのZERO小ホールで「SWAクリエイティブツアー」が、〝VOL〟のカウント抜きで2日間興行として行なわれた。

【演目】喬太郎『軒下のプロローグ』/昇太『空に願いを』/彦いち『水たまりのピン』/白鳥『雨のベルサイユ』

運動会が雨で中止になってほしい小学生が主人公の『空に願いを』は昇太にとって「SWAで作って最も気に入っている噺」のひとつだという。『雨のベルサイユ』は後に全10話で完結する「流れの豚#ぶた$次#じ$」シリーズの第4話となる噺で、この時点ではシリーズの原点『任侠流山動物園』の続編という位置付けだった。

同年8月20日に明治安田生命ホールで開かれた「SWAクリエイティブツアー」のテーマは「夏休み」。

【演目】昇太『罪な夏』/白鳥『明日に向かって開け』/彦いち『掛け声指南』/喬太郎『八月下旬』

今や彦いちの鉄板ネタとして定着している『掛け声指南』はこの公演で登場した。「新作なのに古典落語」「変な動きなのに江戸前」「くだらないのに人情噺」という3つのテーマを掲げた白鳥の『明日に向かって開け』も、その後しばしば高座に掛けられることになる。

2006~2008年のSWA

2006年1月、夢枕獏が『楽語・すばる寄席』(集英社)という書籍を出した。2005年に『小説すばる』に連載した書き下ろしの新作落語脚本(各メンバーに当て書きしたもの)などを1冊にまとめたもので、同年9月24日にはその夢枕獏作品を高座に掛ける「SWA獏噺の会」が国立演芸場で開かれた。この公演で神田山陽が久々に復帰している。

【演目】彦いち『史上最強の落語』/白鳥『カニの恩返し』/昇太『ウルトラマンはどこですか』/喬太郎『鬼背参り』/山陽『陰陽師安倍晴明化鼠退治』

『鬼背参り』は悲しく切ない感動の物語。喬太郎の迫力溢れる話芸が堪能できる名作だ。後に昇太もこれを手掛けている。

2006年12月26日・27日の「SWAクリエイティブツアー」(明治安田生命ホール)にも山陽が参加した。

【演目】白鳥『恋するヘビ女』/昇太『吉田さんの携帯』/彦いち『カラダの幇間』/山陽『傘がない』/喬太郎『明日に架ける橋』

『明日に架ける橋』は白夜書房の『落語ファン倶楽部』(『笑芸人』の発展形と言うべき落語専門ムック)Vol.3付録CD連動企画の三題噺として創作されたもの。お題は「2007年問題」「バイオエネルギー」「吾妻橋」で、CDでは昇太が演じていた。ちなみに同ムックVol.2では「ファン倶楽部」「カテキン」「革の財布」というお題で『母さんファン倶楽部』が創作され、白鳥が演じてCD付録となっている。

2007年2月19日~22日には下北沢「劇」小劇場で「SWAリニューアル」。

【演目】喬太郎『路地裏の伝説』/昇太『空に願いを』/山陽『しまふくろうの城』/白鳥『江戸前カーナビ』/彦いち『掛け声指南』

この公演は2月13日~25日に昇太プロデュースで開催された「下北沢演芸祭2007」の一環として行なわれたもの。この演芸祭では他に昇太、喬太郎、山陽それぞれの独演会や談春の「昇太トリビュート」独演会といった催しもあり、25日にはSWAのメンバーがまったく別人になりきってショート落語を次々に披露する「別キャラ亭」も行なわれた。この「別キャラ亭」がSWAに山陽が参加した最後の公演となったが、この時点ではまだ脱退表明はない。山陽のSWA脱退が正式にアナウンスされたのは2008年1月号の『東京かわら版』誌上、SWA持ち回り連載コラム「新作日和」の昇太担当回においてであったが、この頃にはもはや「山陽がいないSWA」しか知らない観客のほうが圧倒的に多く、脱退はむしろ当然のように受け入れられ、大きく騒がれることはなかった。

2007年7月22日の「SWAクリエイティブツアー」(明治安田生命ホール)の総合テーマは「東京」。

【演目】喬太郎『華やかな憂鬱』/昇太『手紙の中の君』/白鳥『後藤を待ちながら』/彦いち『頭上からの伝言』

歌舞伎町のキャバクラの店長が主人公の『華やかな憂鬱』はその後も喬太郎がしばしば演るネタのひとつとなった。なお、この公演に山陽が参加しなかった理由についてはSWAのブログ「SWA! すわっ!」において「スケジュール管理ミスというバカな理由で、出演できません」と。チケット発売直前に告知されている。

2007年9月23・24日の「SWAリニューアル~第二章~」(明治安田生命ホール)で、総合タイトルは「明日の朝焼け~たかし11歳から退職までの物語~」。4人別々の噺がひとつの物語として繋がる、記念すべき「初のブレンドストーリー」だ。2007年2月号の『東京かわら版』の巻頭インタビューで昇太は「それぞれの噺が、全体の流れの中で、ひとつのストーリーの一部として完結する、というのを最終的に目標にしている」と語った。それが遂に実現したのである。

【演目】白鳥『恋するヘビ女』/昇太『夫婦に乾杯』/彦いち『臼親父』/喬太郎『明日に架ける橋』

「たかし」の人生を4編の新作落語で描いたこのブレンドストーリー「明日の朝焼け」は、2008年1月14日に大阪・ワッハホールで再演された。

SWAは2008年、さらに2つのブレンドストーリーを生み出す。まずは2月12・13日に「下北沢演芸祭2008」の一環として本多劇場で行なわれた「SWAブレンドストーリー2」で、総合タイトルは「黄昏の母校」。母校の廃校をテーマにした連作で、喬太郎と彦いちはネタおろしとなった。

【演目】昇太『遠い記憶』/喬太郎『やとわれ幽霊』/彦いち『アイアンボーイ』/白鳥『明日に向かって開け』

続いては10月27・28・29日に明治安田生命ホールで行なわれた「SWAクリエイティブツアー ブレンドストーリー3」で、総合タイトルは「願い」。幕が開くと喬太郎が板付きで登場、「癌で入院中の少女サチコの手術に必要な血液が届くのを待つ医師とサチコの父との会話」で状況を説明し、「運動会を楽しみにしていた」とか「死んだ親父が世話してたムアンチャイ」といった台詞が出てきて後の落語との関わりを仄めかす。

【演目】彦いち『掛け声指南』/白鳥『奥山病院奇譚』/昇太『空に願いを』/喬太郎『カラダの幇間』

白鳥はネタおろし、『カラダの幇間』は彦いち作品をブレンドストーリー用に喬太郎がアレンジしたもの。「SWAクリエイティブツアー ブレンドストーリー3」は11月20・21日に名古屋テレピアホール、12月26日に大阪ワッハホールで再演された。

目標としていた「ブレンドストーリー」を3回達成したSWAは、その反動か、翌2009年には活動のペースを落とすことになる。
SWAは「青春の落語」だった 2009~2011年

2009年のSWAは3月9・10・11日、「下北沢演芸祭2009」の一環として、客席数80前後のシアター711で「SWAクリエイティブツアー」を行なった。テーマは「古典アフター」。

【演目】白鳥『かわうそ島の花嫁さん』/喬太郎『本当は怖い松竹梅』/彦いち『厩大火事』/昇太『本当に怖い愛宕山』

白鳥のネタは『大工調べ』現代版、喬太郎は『松竹梅』その後、彦いちは『厩火事』その後、昇太は『愛宕山』その後。

この年はそれ以降、12月に「大名古屋らくご祭」にSWAとして参加した以外、活動はなかった。

2010年には再び活動が以前のペースに戻る。まずは2月15日、下北沢・本多劇場での「下北沢らくご二夜」の第一夜として「3人SWA」。彦いち不参加の公演だ。

【演目】白鳥『ガンバレJAL』/喬太郎『同棲したい』/昇太『加藤支店長奮闘記』/昇太・白鳥・喬太郎『三題噺公開創作』

白鳥は『奥山病院奇譚』リニューアル、喬太郎は自作リメイク、昇太は彦いち作『保母さんの逆襲』リメイク。「腰パン・朝青竜・オリンピック」で公開創作した三題噺は白鳥→喬太郎→昇太→白鳥でリレー。なお「下北沢らくご祭」第二夜は「昇太の日」だった。

9月22~26日には赤坂レッドシアターにて「SWAクリエイティブツアー」。総合テーマは「温故知新」。

【演目】昇太『温かい食卓』/喬太郎『故郷のフィルム』/彦いち『知ったか重さん』/白鳥『新婚妄想曲』

全作品ネタおろしで、それぞれのタイトルの頭文字「温」「故」「知」「新」を合わせて「温故知新」という趣向。この5夜連続公演は「春風亭昇太28周年落語会」と謳われており、これに先立ち17~21日にも昇太の独演会がやはり「28周年落語会」として同会場で開催された。

そして10月19日には本多劇場で「SWAクリエイティブツアー 古典アフター」。2009年にシアター711でやった「古典アフター」の再演だ。

【演目】白鳥『かわうそ島の花嫁さん』/喬太郎『本当は怖い松竹梅』/彦いち『厩大火事』/昇太『本当に怖い愛宕山』

前半二席、後半二席の前にはそれぞれ昇太が聞き役、喬太郎が評論家役で「落語研究会」風の演目解説が行なわれた。

その他、10月30日には「博多・天神落語まつり」にSWAとして出演している。

2011年に入ると2月10~13日の4日間、本多劇場で「SWAクリエイティブツアー」が行なわれた。「下北沢演芸祭2011」の一環としての公演だ。

【演目】喬太郎『東海道のらくだ』/昇太『鬼の背』/白鳥『灼熱雪国商店街』/彦いち『二月下旬』

テーマは互いのネタのシャッフルで、白鳥の『灼熱雪国商店街』は喬太郎が三題噺で作ったネタ、『二月下旬』は喬太郎の『八月下旬』からの改作。

『鬼の背』とは『鬼背参り』のこと。この公演の千秋楽に舞台上から「今年いっぱいで活動休止」ということが告げられ、ファンは衝撃を受けた。(SWAブログには2月23日にアップ)

7月25・26日には新宿の紀伊國屋サザンシアターで「SWAクリエイティブツアー 楽語・すばる寄席シャッフル」が行なわれた。夢枕獏の書籍『楽語・すばる寄席』に収録された各メンバーの持ちネタをシャッフルするのがテーマ。

【演目】喬太郎『任侠流山動物園』(白鳥作)/彦いち『自殺自演』(昇太作)/白鳥『全身日曜日』(彦いち作)/昇太『火打石』(喬太郎作)

喬太郎はこれ以降『任侠流山動物園』を持ちネタとして演じるようになる。

そして11月28日~12月4日、本多劇場で「SWA FINAL」と銘打ってのサヨナラ興行が開催された。まずは11月28・29・30日の「SWAファイナル書き下ろし」。

【演目】喬太郎『再会のとき』/彦いち『泣いたチビ玉』/昇太『心をこめて』/白鳥『鉄砲のお熊』

12月1・2・4日は「SWAブレンドストーリー」。総合タイトルは「クリスマスの夜に~三姉妹それぞれのクリスマス~」。SWAが生んだ第4のブレンドストーリーだ。

【演目】彦いち『青畳の女』/喬太郎『想い出芝居』/白鳥『砂漠のバー止まり木』/昇太『パパは黒人』

12月3日には昇太抜きでの「3人SWA」公演が行なわれたが、後半の三題噺から昇太が飛び入り出演している。

【演目】白鳥『シンデレラ伝説』/喬太郎『彫師マリリン』/彦いち『長島の満月』/昇太・彦いち・白鳥・喬太郎『三題噺リレー(立川流・火消し・美顔ミスト)』

そして最終公演は12月5日、有楽町のよみうりホール「SWAファースト・ラスト」が行なわれ、4人それぞれが思い入れのある演目を披露して、SWAの歴史に幕を下ろした。

【演目】白鳥『真夜中の解散式』/喬太郎『ハンバーグができるまで』/彦いち『掛け声指南』/昇太『空に願いを』

SWAは、8年間の活動期間における実際の公演数自体は多くなかったが、若い観客層に「落語で遊ぶ」楽しさを教えてくれた、という意味で絶大な影響があった。あの時期の「落語ブーム」の熱気の中心には、間違いなくSWAがあった。オモチャ箱のようなSWA公演の楽しさは、落語につきまとっていた「古典を鑑賞する」というイメージを払拭し、エキサイティングなエンターテインメントとしての落語を提示した。

メンバーたちによるネタ作りには「文化祭前夜に高校に泊まり込んだようなドキドキ感」があった、とは白鳥がSWAのCDのライナーノーツに書いたことだが、そうした熱気を観客も共有できたのがSWAという稀有なパッケージだった。

SWAの持っていた熱量を最も適切に表現する言葉として僕が思い浮かべるのは「青春」だ。

そう、SWAとは瑞々しい「青春の落語」だったのである。

【追記】活動休止から丸8年後の2019年12月12日・13日の2日間、よみうりホールでSWAの復活公演「SWAリターンズ」が行なわれた。演目は喬太郎『八月下旬』/昇太『心をこめて』/彦いち『泣いたチビ玉』/白鳥『奥山病院奇譚』で、総合タイトル「心をこめて」のブレンドストーリー。エンディングトークで2020年以降も活動を継続することが発表された。

(次回、第五章に続きます)

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