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馬場紀衣の「読書の森」

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書物の森は、つねに深いものです。林立する木々のあいだで目移りするうちに、途方に暮れてしまうことも珍しくないでしょう。新刊の若木から、自力では辿り着けない名木まで。日頃この森を渉猟… もっと読む
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#本好き

触れることの科学|馬場紀衣の読書の森 vol.47

触れることで気持ちのすべてを伝えられるなんて信じていないけれど、人に触れることで、不確かだった気持ちを言葉よりずっと的確に伝えることができるとは信じている。そういう確信めいた予感がある。誰かとの触れあいが、言葉を簡単に超えてしまうという経験を、きっとしたことがあるからだ。 感情伝達における対人接触の役割を調べた実験によると、内向きの感情(困惑、嫉妬)よりも外向きの感情(愛情、感謝)のほうが解読されやすいのだという。もちろん、触れあいに関する考えかたは文化や性差あるいは社会

味わいの現象学|馬場紀衣の読書の森 vol.46

「味」という言葉には、少なくとも二つの意味がある。英語でいうところのtaste とflavorがそれだ。辞典によればtasteには食べものを「味わう」ほかにも、「味覚」や「味」という意味がある。そしてflavorには「味わい」とか「風味」という訳語が当てられている。とはいえ、この二つの単語をきっちりと使いわけている人はそれほど多くないように思う。それどころか味をめぐる言葉の使い分けはとても複雑で、正解を知っている人がいるかどうかもあやしい。 ただ、重要なのは言葉の使いかたで

美とミソジニー|馬場紀衣の読書の森 vol.36

ひっきりなしにお腹をしめつけるワンピースとか、気の抜けないヒール靴とか。メイク、ファッション、美容整形など女性がそうすることを社会から期待される美容行為のなかには、美しさと引きかえに身体への負荷を求めるものがある。こうした美容行為は男性による支配であり「有害な文化習慣」で、女性の従属を促進している。西洋中心的で男性中心的な価値観に美の規範を押しつけられた女性たちは、男性消費のフェティシズム的な興味に合わせて体を変形させているのだ。 という著者の痛烈な批判は、いささか強引な主

魚はエロい|馬場紀衣の読書の森 vol.35

ビデオカメラ片手に海中へと潜りこむ。海のなかでは光の屈折の影響で魚の「モノ」は近く大きく見えるから、そのサイズは実寸の2倍以上。「魚」と「エロ」。あり得ない組みあわせ、と思いきや、海のなかは想像よりずっと豊穣な世界だった。地上にいては知ることのできない世界。そう、海に住む生き物たちの生態はロマンチックで、神秘的だということをこの本で初めて知った。 タイトルのとおり、本書にはエロい魚が数おおく登場する。でも、著者いわく半分くらいは「エロくない」、真面目な記述に努めているらしい

時間の終わりまで|馬場紀衣の読書の森 vol.34

誰かに教えてもらわなくても、とうに私たちは知っている。どんなものもやがては亡びてしまうし、自分の住処である惑星でさえ、いつかは滅びてしまうということを。私たちは知っている。永続するものなど何もないし、自分が消滅した後も世界は何事もなかったかのようにありつづけるということを。日常生活では、なんでもないように振る舞ってはいるけれど。 こうした認識は、自分がつかの間の存在であることを気づかせてくれる。失ったものを嘆いたり、人と交流したり、楽しいときに笑ったりすることが、どれほど驚

私の半分はどこから来たのか|馬場紀衣の読書の森 vol.33

まず、表紙に惹かれた本だ。透明な身体を抱き寄せるようにして、こちらを見つめる人がいる。読み始めると、表紙の人が自分を抱き寄せているようにも、水のように流れてしまいそうな自分をすくいあげているようにも見えてくる。 自分は何者なのかと問うとき、親や祖父母の存在を意識せずにはいられない。子どもは血縁という大きな流れの中で育つから、家族との関係を考えることは、私という存在を考えることでもある。私はたしかにここにいると実感させてくれたのは母であり、父であり、私はその知らない時間や巡り