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手食酒|パリッコの「つつまし酒」#149

手酌酒ならぬ

「ミールス」ってご存知でしょうか? 数種類のカレーやおかず、それからごはんがひとつの大皿に盛られ、それらを少しずつ混ぜながら食べる南インド料理。
 そもそも日本の食事って、あんまりあちこちに手をつけたり、こねくり回したりといったことは無作法とされがちですが、それらを全肯定し、全力で推進してくるのがミールス。独特のワクワク感があり、とても楽しくて美味しいんです。
 そんなミールスに興味が湧き、専用の食器を買って、なんでもかんでもミールスみたいに盛りつけ、食べてみよう! という主旨の記事を、とあるサイトで書かせてもらったのがつい先日。それが思いのほか楽しく、取材は済んだにも関わらずお皿は食卓に登場し続け、ふだんのお昼ごはんをミールスっぽく食べたりして楽しんでおります(朝と夜は家族と食べることが多く、さすがに僕だけそんな食べかたしてるのは気が引けるので、あくまで昼だけ……)。
 そんなふうにミールスのことを考えてばかりの日々を過ごしていたら、やがてこう思うようになりました。「手で食べてみたい」と。そもそもミールスやインドカレーを食べるにあたっては「手食」のほうが主流であり、そして調べていくと、スプーンで食べるよりも確実に美味しいという話もたくさん目にしました。それに、世界的に見ると、手食文化の割合は約4割で、箸およびフォーク&ナイフのそれぞれ3割よりも多いらしいんですよね。
 なんでやらなかったんだろう。あ〜もうダメ。今すぐにインドのカレーを手食してみたい! そしてそれをつまみに、ビールが飲みたい! 手酌酒ならぬ、手食酒がしたい!

手食することによる気づきの多さ

 ただ、インド料理店に行って、日本人の僕がいきなり手食をしだすのはちょっと抵抗があります。いや、まったく問題はないんだろうけど、初心者なので……。
 ならばまずは家でやってみようと、大好きな地元のインド・ネパール・タイ料理店「ススマ」で、お弁当をテイクアウトしてきました。数種のカレーから選べる「ライス弁当」が、なんとたったの500円。「チキンティッカ」をつけても650円と、大変リーズナブル。それでいてものすご〜く美味しく、去年一昨年の緊急事態宣言中など、何度このお弁当に外食欲を満たしてもらったことか。なのになんで一度も手で食べようと思わなかったんだろうか。うかつだったな〜。

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「ライスティッカ弁当(マトングリーン)」(650円)

 買ってきたばかりでまだホカホカのこのカレーを、まずはひと口、スプーンで食べてみます。あ、美味し。いつもの味。

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じゅうぶん美味しい

 しかしながら、今日はこれを手食していきましょう。まずはエスニック雑貨店で買ったステンレスの大皿に、お弁当の中身をすべて盛りつけなおします。そうしたら、本場インドでは地べたに敷いた敷物の上でカレーを食べるのが一般的ということで、そのようにセッティングをしてみる。これを、あぐらもしくは立て膝で食べるらしいんですが、そのちょっとした背徳感がたまりません。が、インドではむしろ、日本の立ち食いなんかは体に良くないということで、もってのほかなんだそうで。

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セッティング完了

 さぁ、いよいよ手食の世界に突入していきましょう。入念によ〜く洗った手で、慣れないものでおっかなびっくり、チキンやお米をちょんっとつついたりしてみる。その後覚悟を決め、えいやっと、ごはんとカレーの間くらいのゾーンに指をつっこみ、ぐるぐるとかき混ぜる。「使うのは、人差し指、中指、親指の3本の第2関節まで」という作法もあるようですが、そこは宗教や文化の違いによってまちまちだそうなので、アバウトに。ただし、不浄とされる左手では絶対に直接食べものは触らず、使うのは右手のみ(食器などは左手で持ってもいい)。

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おっかなびっくり

 カレーを混ぜはじめると、ちょっとした衝撃がわかりやすく全身を走り抜けました。「これ、もう食べてるぞ!」と。唇や口のなか、舌などで感じる「食感」は、美味しさの大きな要素のひとつでありますが、スプーンではなく自らの手を使うことにより、文字通りすでに“食”を“感”じはじめている。いや、おもしろいです。

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3本指ですくって親指で口に押しこむように

 で、実際に手食をしてみると、脳内シミュレーションがじゅうぶん行われていたこともあってか、まったく難しいことはありません。それに、手の感覚も加わるので味がすごく立体的になるし、カチリとしたスプーンの歯触りがないぶん、なんだかいつもと同じカレーとは思えないほど優しく感じる。
 それに加え、実際にやってみて気づいたことがたくさんありました。
 そもそも手食では、手に持てないような熱々の料理は食べません。そのかわり、冷めてもずっと美味しい。これはもう、理屈ではなくそういうものらしい。
 それから、左足が自然と立て膝になり、右肘は右膝の上に置くようにして食べている自分に気づく。つまり、その基本とされる姿勢がすごく理にかなっている。
 さらに、カレーだけでなくチキンやマトンなどの具材。これもまた、手で持ち、ぐっと力をかけてみたりしてみると、何気なく歯で噛み切ってしまっていたときには気がつかなかった食感の違い、固さなどが、文字通り手にとるようにわかる。
 加えて、これは主に僕だけの問題かもしれませんが、お酒について。いつもはなんの疑問も持たずに右側にスタンバイさせるビールですが、手食中は右手で飲むことができません。つまり、左側が定位置となる。で、左手で飲む。右手でカレーを食べて、間髪入れずに左手で飲む。このリズムの楽しさ! ふだん、自分がいかに右手ばっかりを使って食事をしていたのかに気づかされました。
 ラスト付近、なんとなく思い立ち、ひと口だけこのカレーをもう一度スプーンですくって食べてみました。すると、先入観か、どうもスプーンの鉄の味が気になってしまう。それに、さっきまではぜんぜん感じてなかったのに、スプーンで食べると突然「冷めた食べもの」という印象が強くなり、なんだか味わいが物悲しい。

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冷たいな……

 何度も食べてきたカレーを手食するだけで、気づかされたことの多さよ。なんとも興味深い食体験でした。

すべての料理はミールスである(?)

 これに味を占めてしまった僕は、その後も家でこっそり、手食酒を楽しんでいます。たとえば、ごく普通のレトルトカレー。これなんかももちろん、ふだんとはまったく違った味わいになるわけで。
 ある日のお昼、100円程度で買えてしっかり美味しいお気に入り「おいしいカレー」を手食してみることにしました。ここでポイントなのは、プラスでいくつかのおかずがあるとさらに良いということ。今回は、インドの漬物「アチャール」気分で、福神漬けの他に、家にあった普通のお漬物2種類を加えてみましたが、それだけでもじゅうぶん楽しさはアップします。

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レトルトカレーには見えない?

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インドカレー同様に食べ進める

 ごはんとカレーの境目を混ぜながら食べるのはもう慣れたもの。手食することにより、いつものレトルトカレーが、なぜだかだいぶインドカレー。そうか、カレーって、カレーだったんだ! などと、当たり前のようなよくわからないような真実に気づかされたり。
 また、スプーンよりもきめ細かい動作が可能になるので、ごはんとカレー、お漬物の割合を、ひと口ごとに緻密に組み立てることが可能。ものすごく広がるんですよね。漫然とスプーンで食べるカレーとは明らかに違い、味のバリエーションが。

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「幕の内弁当」だって

 またある日。この楽しさ、もはやカレーにこだわる必要もなくね? と思いはじめ、以前もこの連載で紹介した、お弁当の名店「津田屋」の幕の内弁当を手食してみようと思い立ちました。
 そこでお店に行き、ずらりと並ぶメニューのなかから、いちばん“手食欲”をかきたてられるのはどれかな〜? と選んだのが、「2色そぼろ幕の内弁当」。定番の「のり2段幕の内弁当」とも迷ったんですが、のり弁をちぎりながら食べたら、それはもうおにぎりなんじゃないか。そこへいくとほら、そぼろって、お箸だと若干食べにくいじゃないですか。むしろ手食のほうが向いてるんじゃないの? と。

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これはもう、和製ミールス

 これまた大当たりでしたね。まずもって、そぼろごはんの手食になんの違和感もない。ただただうまい。それから、色とりどりのおかずたち。すべての感触、固さ、弾力などがまったく違い、お弁当って味に加え、こんなにもいろんな食感の食べものたちで構成されていたんだと衝撃を受けます。
 海老フライのしっぽを持って先端にかじりつく嬉しさ。ゆでたまごや揚げた里芋の意外な強度。ポテトサラダの手で食べやすさ。そして、あちこちを混ぜながらミールス的に食べる、味の無限の可能性!
 おっと、ここまでくるともう慣れたもの。幕の内弁当に合わせたいのはやっぱり日本酒ですが、何度もおちょこやグラスに注がないといけない瓶のものではなく、「カップ酒」を選ぶのが最良の選択ということでみなさん異論はないでしょう。その点だけ、ご留意いただければと。

パリッコ(ぱりっこ)
1978年、東京生まれ。酒場ライター、DJ/トラックメイカー、漫画家/イラストレーター。2000年代後半より、お酒、飲酒、酒場関係の執筆活動をスタートし、雑誌、ウェブなどさまざまな媒体で活躍している。フリーライターのスズキナオとともに飲酒ユニット「酒の穴」を結成し、「チェアリング」という概念を提唱。2021年8月には、新刊『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』を上梓! また、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』(スタンド・ブックス)『晩酌わくわく! アイデアレシピ』 (ele-king books)、『天国酒場』(柏書房)、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』(光文社新書)、『酒場っ子』(スタンド・ブックス)、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、漫画『ほろ酔い! 物産館ツアーズ』(少年画報社)、など多数の著書がある。
Twitter @paricco

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