新型コロナワクチンの治験結果が発表された瞬間――ファイザーCEOの著書より
本記事では、『Moonshot ファイザー 不可能を可能にする9か月間の闘いの内幕』(ファイザー社CEOアルバート・ブーラ著)から、新型コロナワクチンの治験結果が出た場面を抜粋します。
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第五章 至上の喜び
運命の日曜日
一一月五日、木曜日。プロジェクト・ライトスピードのチームは定例ミーティングのため顔を合わせた。激戦となった大統領選挙から二日後のことである。
ミーティングでは、ワクチン治験結果の盲検化を解除するのに十分な量のデータがそろう時期について報告があった。この結果に基づいて、緊急使用許可の申請に進めるかどうかが判断されることになる。その時は近づきつつあることが、報告で明らかになった。今週日曜日の夜までには結果がわかるという。
治験データ公開に先立つ数時間前、臨床開発チームのごく少数のグループがひっそりと動いていた。治験データの盲検化を解除し、有効性に関する数値を表にまとめ、データモニタリング委員会に報告するためだ。
一一月八日の日曜日のこの日、私たち幹部陣はその結果について報告を受けることになっていた。九か月にわたる研究と開発の日々がどのような形で結実するのか、それを幹部陣が初めて目にする機会である。報告はその日の午後になるということだった。
舞台裏では、チームが超特急でデータの処理にあたっていた。世界じゅうの治験実施施設から得られた膨大な量のデータを照合し、表にまとめ上げる。彼らはまさに徹夜で働いた。
あとになって聞いた話だが、あるデータ分析担当者は深夜一時半に担当分のデータを受け取った。ところが、自宅のWi‐Fi接続が突然切れて使えなくなってしまったという。早朝の四時半までには、次の工程の分析担当者にデータを送らなければならない。彼はWi‐Fiの電波を求めて深夜の町を車で走り回った。そして、営業時間外ですでに閉まっていたガソリンスタンドの外側で、かすかに拾える程度の弱い電波を発見したという。ガソリンスタンド脇に停めた車のなかでデータ処理に取りかかったところ、警察の車両が近づいてきて、何をしているのかと尋ねられた。ワクチンに関わる作業をしていると説明すると、警官は彼の身を守るため、データ処理の間ずっとそばに付いていてくれたという。こうして彼の担当データは無事に時間内に送り届けられた。
さかのぼること一日前の一一月七日、私は気もそぞろで集中できずにいた。晴れわたった晩秋の日にもかかわらず、心はどうにも軽くならない。私たちのワクチン開発を政治問題化してしまった混乱続きの二〇二〇年大統領選挙は、数日前に(一応ながら)終わりを迎えていた。アメリカじゅうの誰もがそうであるように、私もまたそわそわと落ち着かない気分だった。もっとも私の場合、政治への不安よりもワクチン治験結果への不安によるところが大きかったのだが。
その週はアメリカ全土で一二万人を超える感染者が確認されたというニュースとともに幕を閉じようとしていた。これは一日の新規感染者数としてはパンデミックが始まって以来最大である。しかも、これらの数字はその後も爆発的に増え続けることになる。ファイザーのCEOとして、そのニュースは私個人への侮辱のように感じられた。私はとてつもない責任を感じていた。
翌一一月八日の日曜日に第三相試験の結果がわかると知っていたのは、ドイツにいるビオンテックのパートナーたちのほかには、ファイザー社内でもごく一部の人々だけだった。
私の頭にはいくつもの問いが浮かんでは消えていく。mRNA技術を採用したのは、はたして正しい選択だったのだろうか? b1ではなくb2の候補を選んだ決断は誤りではなかったか? 追加接種のタイミングは二一日後ではなく、他社のように二八日後にすべきだったのではないか? それになぜ、二回目接種から七日後を測定日としてしまったのだろう? 免疫反応がより高くなる一四日後まで待つべきではなかったか? 他社はどこも一四日後に検査している。私たちのこれは勇気ではなく勇み足ではないか?
治験結果の発表
翌朝、私はニューヨーク市から車で一時間ほど北東にあるコネチカット州のサテライト・オフィスに向かった。少数の幹部たちと集まって、結果の報告を受けるためだ。私たちは人々の情熱と、科学力と、技術力をすべて注いで賭けに挑んだ。それは我が社だけでなく、人類全体に絶大な影響をおよぼすであろう賭けだった。
私の乗る車とほぼ同時に、ミカエル・ドルステンの車がやってきた。建物の外で彼と顔を合わせたとき、ふと気づく。私とミカエルはこの八か月というもの、毎日のように精力的に一緒に仕事をしてきた。それにもかかわらず、ここ数か月で彼と直接会うのはこれが初めてだ。一緒にいくつもの決断を下し、今まさに試験結果を待っている画期的なワクチン候補を開発してきたその間ずっと、私たちはオンラインでしか顔を合わせていなかった。チームのほかのメンバーとはときおり直接会うこともあったのだが、ミカエルは家庭の事情から対面には非常に慎重で、そのため私たちはいつもウェベックスやフェイスタイムでミーティングをしていたのだ。
ミカエルにとって、新型コロナウイルス感染症と闘う取り組みは、まさに個人的な闘いでもあった。もちろん、彼は患者を心から思う医師として、そしてすばらしい人間として、このウイルスに対するワクチンと治療薬を開発するという大義に身を捧げてきた。だがそれとはまた別の事情もあった。パンデミックの初期に、彼の妻であり同じく医師であるカタリナが新型コロナウイルスに感染したのだ。
カタリナは重症化し、ニューヨーク市内のマウントサイナイ病院に入院する。ミカエルは数週間にわたって、病院のICUでこのウイルスと闘う妻を日夜見守った。そして同時に、自分の妻が味わっている苦しみを他の誰も味わわずに済むように、ワクチンと治療薬の開発に取り組んでいたのだ。私と妻のミリアムにとってもカタリナは仲の良い友人で、私たちは彼女の容態を心から心配していた。
ミカエルとはもう長い付き合いだが、カタリナがこのウイルスと闘っていた数週間ほど、不安げで動揺した彼の姿は見たことがない。私はプロジェクト・ライトスピードの件でミカエルに電話するのを控えるようになった。だが彼はすぐにそれを察して、こう言った。妻の件があるからこそ、自分はこのプロジェクトにかける思いをさらに強くしているんだ、と。その後も、ミカエルはプロジェクトに深く関わり続けた。先ほども言ったとおり、これは彼にとって個人的な闘いなのだ。
温かい真心と肘タッチを交わし合ったあと、私とミカエルは他の幹部と合流した。彼らはすでにそろってオフィスで待っていた。我が社の法務顧問で私の近しい相談役でもあり、法務とビジネスに関する驚くほど多くの難題を賢い判断と優れたユーモアで処理してくれるダグ・ランクラー。ファイザーの社外対応を統括する最高コーポレート・アフェアーズ責任者で、私がときおりファイザーの国務長官と呼んでいるサリー・サスマン。才能ある弁護士で、私の新たな首席補佐としてパンデミックのさなかにスムーズに仕事を引き継いでくれたヨランダ・ライル。揺るぎない自信と落ち着きを備えた彼らを、私はいつしか心から頼りにするようになっていた。
そんな彼らと並んで座り、軽い雑談を交わす。天気に、スポーツ、時事問題……時間が速く過ぎてくれる話題なら何でもよかった。ダグは緊張のあまり吐きそうだと言いだした。そうした不安を別にすれば、友であり同僚である彼らと再びこうして一緒にいられるのは嬉しいひとときでもある。
だが同時に、私は首席補佐のヨランダの携帯電話から軽やかなメッセージ着信音が響くのを、今か今かと待ち構えてもいた。データモニタリング委員会の会合が終わり、結果が判明したら、ヨランダに報せが入る予定なのだ。終わりの見えないパンデミックのなかで感じ続けたストレス、疲労、焦燥、希望、そして夢が、今、最高潮を迎えていた。
午後一時二七分、ヨランダの携帯電話がメッセージの着信を告げた。
「幹部チーム、集まってください」
私たち五人は無言で会議室に向かい、ウェベックスのビデオ会議に接続した。最高開発責任者のロッド・マッケンジーは自宅のあるミシガン州からすでに接続済みだ。会議室内にはドキュメンタリー撮影のためのカメラも入り、決定的瞬間をとらえようとしていた。
私たち一同は画面をじっと見つめた。だが、結果を知らせてくれるはずの臨床研究チームの人々はまだ誰もオンラインになっていない。私たちはひたすらに待った。長い数分が過ぎる。この仕打ちはきっと、これまでの長い治験期間中にチームにさんざんプレッシャーをかけた仕返しだな、と私はジョークを言った。
「今こそ報復のとき、というわけだ」と笑う。
時間を潰すため、私たちはさらに雑談を続けた。すぐ隣に座っていたミカエルに、治験から得られる有効性レベルはどれくらいだと思う、と尋ねてみる。ミカエルは椅子のうえで身をよじりつつ、ためらいがちに七〇パーセントと答えた。そうだったらどんなにいいだろう、と私は思った。
ついに、結果を携えた研究者たちが画面に現れた。彼らの様子から何かを読み取ろうとしても、その表情からはほとんど何も伝わってこない。それはまるで、宇宙探査ものの映画のワンシーンのようだった。不安に包まれた管制センターで人々が息をのみ、遠く離れた宇宙カプセルから届く宇宙飛行士のノイズ交じりの第一声を待つ。無事着陸できたのか、それとも月の裏側に放り出されてしまったのか――まさにそんな感じだった。
ワクチン臨床研究開発担当シニア・バイスプレジデントのビル・グルーバーが口を開いた。「いいニュースです。治験は成功しました。盲検化解除後のデータを検討した外部専門家の委員会は、緊急使用許可を速やかに申請することを強く推奨する、とのことです」
「速やかに」や「強く」といった言葉は、この委員会にしてはめずらしく強い表現だった。彼らは治験全体を通じて常に慎重で、ほどよく言葉少なで、かつ客観的な表現を貫いてきたからである。だが、今聞いた言葉からは彼らの興奮が伝わってくるようだった。
私たちは椅子から飛びあがって祝福の声を上げはじめた。サリーも、ダグも、ヨランダも歓声を上げている。私はまるで、翼のついたウイングスーツを着て、山々や緑の谷の上を滑空しているような気分だった。ヨランダがすぐにシャンパンのボトルを手に戻ってくる。彼女は良い結果が出るという希望を込めた想定のもと、あらかじめシャンパンを冷やしていたのだ。
今でも覚えているのだが、このすばらしい瞬間に乾杯している間、私はふと、その日私たち幹部の護衛にあたってくれていた二人のボディガードに視線を向けた。彼らはいつものように無言で立っている。だが、何が起きているのかを理解し、深く感動しているのが伝わってきた。一人の目には、あふれんばかりの涙が浮かんでいた。
驚きの有効性レベル
なおも祝福を続けていた私たちだったが、物語のクライマックスはまだここからだった。それは一五分後に訪れる。サトラジット・ロイチョードリーともう一人の経験豊かな生物統計学者が、私とダグにワクチンの有効性レベルを伝えてきたのだ。実際の有効性に関する数値は、非常に重要な情報となる可能性がある。そこで、まず私とダグだけで報告を聞き、そのうえで取り扱いを決めることになっていた。
全員が一度部屋から出て、私たち二人だけが結果を聞くため新たなビデオ会議に接続し直す。六〇パーセントを超える有効性があれば十分に良い結果と言えるだろう、と私は考えていた。ところが、担当者の一人はこう言ったのだ。
「確認された九四の新型コロナウイルス感染症例のうち、九〇例がプラセボ接種グループに属していました」
私は衝撃を受けた。聞き間違いだろうと思い、話をさえぎって尋ねる。
「今、一九(ナインティーン)例と言ったかな? 一、九だね?」
「いいえ、九〇(ナインティ)です。九、〇ですよ!」
「だが、それじゃあ有効率は?」
「九五・六パーセントです」
ダグと私はしばし言葉を失った。
「その数値はどれくらい確かなんだ?」、私は尋ねた。
「統計的有意性は非常に高いです」と一人が答える。「一六四の症例すべてを集めて最終解析に進んでも、この数値はそこまで大きく変わらないものと考えています」
ダグと私は生物統計学者に礼を言って、ビデオ会議から退出した。そして、互いに顔を見合わせた。もしかしたら自分たちは今、世界で最も重要な情報を手にしているのではないかと気づいたのだ。その責任はあまりにも重かった。
「さて、どうする?」、私は尋ねた。
「この情報は公衆衛生に絶大な影響をおよぼし、各国保健当局のパンデミックに対する考え方や対策にも関わってきます。速やかに公表すべきです」
私は頷いて賛意を示した。
以前、ワープスピード作戦の責任者であるモンセフ・スラウイと協議した際、私たちはある取り決めをしていた。発表するのは中間解析の成否だけに留め、最終結果が得られるまでは具体的な数字は公表しない、というものだ。モデルナも同様の対応をとるとモンセフが請け合ったのを、私は覚えている。モンセフが懸念していたのは、中間解析時点で具体的な数字を発表しておいて最終解析でまた数ポイント違う数字を出せば、世間が混乱するだろうということのようだった。
だが、このとき誰もが想定していたのは五〇~七〇パーセント程度の有効性である。そして今私たちの手もとにあるのは、世界じゅうの保健当局が知らされ心構えをしておくべき情報だった。有効率九五・六パーセントのワクチンが、世界に届けられるのだ。情勢は根底から変わることになる。ダグの発言は当然ながら、こうした事情を理解したうえでのものだった。
「モンセフとの取り決めについては?」、私は尋ねた。
「これは世界の保健当局にとって重要な情報です」、ダグは答える。「やはり、すぐに公表すべきでしょう」
私は少しの間考えてから、こう提案した。「九〇パーセント以上の有効性と公表するのはどうだろう? これならモンセフと取り決めたように具体的な数字を明かすことなく、有効性の高さを世界に明確に伝えることができる」
「それならいけそうですね」とダグ。
私たちは会議室のドアを開けた。ダグが一度別室に向かい、ミカエル、サリー、ヨランダを再び呼び集める。そうして再度ドアを閉めたところで、最初に思い浮かんだのは先ほどのミカエルとの会話だった。ワクチンの有効性を七〇パーセントと予想した、あの会話だ。私は、そのニュースを明かした。
「ミカエル、九〇パーセント以上だったぞ」
「なんてことだ!」、彼は叫んだ。
ミカエルと同じく、その場にいた誰もが衝撃を受けていた。全員とても信じられなかったのだ。私は彼らに、自分たちは具体的な数字を聞いているが、ワープスピード作戦側との協議内容を尊重して、「九〇パーセント以上」と大枠だけを公表するつもりだと説明した。その数週間後、モデルナが九四・六パーセントという具体的数字とともに中間解析の結果を公表したときは、驚いたものだ。あれはワープスピード作戦側との取り決めに関するこちらの理解とは食い違う対応だった。
ヨランダはすぐさま、事前に取り決めていた情報公開のプロセスに入った。まずはファイザー幹部陣を集めてミーティングを行い、その後すぐに取締役会を開かなくてはならない。プレスリリースの最終承認も必要だし、そのほかやるべきことは山ほどあった。
「これはゲームチェンジャーになるぞ」
私は少しの間、部屋に残って一人じっと座っていた。完全にあっけにとられていた。頭の中をさまざまな考えが駆けめぐる。これからどうなる? 次のステップは何だ? 製造と流通はどうすればいい? まだワクチンを注文していない国には、どう対応する? 誰もがこのワクチンを欲しがるだろう。そのすべてに行きわたるほどの量を本当に供給できるのか――? だが、すぐにはっと我に返った。こんなにも歴史的な祝福のときを、一人ぽつんと過ごすなどあり得ない。特に、ギリシャ人ならば! 私は勢いよく立ち上がってダグのもとに向かった。
「息子に電話して伝えてもいいかな?」と尋ねる。
息子のモイス(この名は私の父からとったものだ)はパンデミック期間中ずっと大学に行かずに家におり、この数か月間というもの常に私の話し相手になってくれていた。息子はイリノイ大学で電気・コンピューター工学を専攻しており、自室からズームを通じてオンライン講義を受けていた。その部屋がちょうど私の自宅オフィスの真上にあるものだから、しょっちゅう小さなオフィスに下りてきては、興味深い会話に聞き耳を立てていたのだ。
やがて、息子は私の信頼厚い相談役となった。プロジェクト・ライトスピードの重要なミーティングのほぼすべてに(カメラの後ろから)同席していたし、さまざまな国の首脳たちとの会話も耳にしている。ミーティングや電話が終わると、私はきまって息子に意見を尋ね、二人でしばし議論を交わした。このプロジェクトに関して私が抱いていた深い不安や恐れといった個人的な思いの数々も、息子には包み隠さず打ち明けた。彼と話をすることで、私は考えを整理し、物事をクリアな目で見ることができたのだ。息子がこの数か月、私のサポート役として重要な役割を果たしていたことをダグは知っている。そのため、私の頼みも大目に見てくれた。
「ただし、正式に発表があるまでは、友人の誰にも漏らさないように言ってください」と注意される。
私はさっそく息子にサムズアップの絵文字を送信した。
すると、すぐに返信がきた。「有効性、高かった?」
私は「期待以上に。帰ったら話そう」と返信する。息子からはハートの絵文字が送られてきた。(了)