見出し画像

黒の服飾史|馬場紀衣の読書の森 vol.64

毎朝クローゼットから服を選ぶとき、どんなデザインの服を着るかよりも先に私の頭にうかぶのは、何色の服を着るか、だ。それが赤なのか青なのか黄色なのかでその日の気分が決まってしまうので、真剣にならざるをえない。ごく個人的に言って、何色の服を着るかは、これから始まる長い一日をどんな気持ちで迎えるかを決める至極重要な儀式なのである。

他人のクローゼットを片っぱしから開けてまわるなんて失礼なことはできないので、実際のところは分からないのだけれど、想像するに、誰のクローゼットにも必ず一着はあると思われる色の服は、黒にちがいない。この禁欲的な色は、何枚あっても困らない。モードで、洗練されていて、道徳的な感じ。着る色によって気分が左右されてしまうのは、それにまつわる文化を知らず知らずのうちに受け取っているためかもしれない。

本書によると、黒が喪の色を代表するのは修道服に由来しているからで、これには中世末期の煉獄思想が関係している。信仰生活の証である黒は「人間の罪深さを象徴する色であり、その罪ゆえに煉獄で苦痛を味わわねばならない死者を悼む喪の色」で、没個性的ともみなされる黒は厳粛なイメージと結びつき、権威と権力を象徴する色として扱われてきた。黒には壮大な歴史物語があるのだ。

死、喪、恐怖、メランコリー、禁欲。黒という色から自然にあふれてくるイメージには悲しいものがおおいのが特徴だ。不思議なのは、黒をそのように感じさせてしまうものの正体である。明度を欠いていること、彩度による色のニュアンスがないこと、無彩色であるということ。そのすべてが没個性的で色を失っているように感じさせるのかもしれない。

それでも、黒は、美しい。19世紀のフランスの詩人シャルル・ボードレールが黒い燕尾服にこだわったのは、この服にメランコリックな印象を感じとったからだった。彼にとって黒い燕尾服は、退廃の時代に生きなくてはならない人の苦悩を表現した服であり、それゆえに美しいのである。

この時代、色を扱う染師の仕事は悪魔的だと蔑視の対象にされていたという。神の創造した色にはなにかしらの神からのメッセージがある。だから中世では、赤と青の染めは同じ工房ではできなかった。わざわざ染めを分業したのは、神の創造した自然の色から人間の手で新たな色を作り出すことを神への冒涜と考えたからだ。二種の染料がまじりあって新しい色が生まれることを人びとは恐れた。中世の人の色彩への関心には、現代人とのズレがあって興味深い。彼らにとって黒はどのように見えていたのだろう。

徳井淑子黒の服飾史、河出書房新社、2019年。



紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

これまでに読んできた本はこちら

この記事が参加している募集

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!