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ルポ 筋肉と脂肪|馬場紀衣の読書の森 vol.65

いつも、すこしだけ空腹でいるように意識している。一日に三度も食事をする(というのがどうやら一般的らしい)というのがせわしなくて、私はしょっちゅう食事のタイミングをのがしてしまう。だから空腹状態という食べすぎの現代人にはちょうど良い習慣も、健康のため、美容のため、総じては自分のためにしてあげられる「健康的な選択」というよりも、なにしろ生きていくので精一杯なので、ふと気がついた時にはエネルギーが底をついているという状態なのだ。なにか食べなくては、と、とりあえず消化の良いものを選んで口に放り込むと、たちまち食べものが体にしみていくのが分かる。食べなくても食べものを見ただけで、胃が収縮運動をはじめる。これはこれでなかなか気持ちの良い感覚だ。というわけで、今もすこしお腹がすいている。

食べたいものがたくさんあって、あれもこれも食べたいと思っても、結果的に健康(そうに見える)な食べものを選んでしまうのは、そうしょっちゅうまわってこない食べる機会をできるだけ筋肉や脂肪や骨のために使いたいという下心があるからで、ついに食べることなく終わってしまった食べものというのが、私にはたくさんある。タピオカミルクティーもそう。夏場のかき氷も、クリスマスのケーキも、いつ食べたらよいのかずっとわからないままでいる。

それで、なんの話かというと『筋肉と脂肪』である。本書は、食にまつわる紀行文やエッセイなど食べものに心を寄せてきた作者によるスポーツ科学を考察したルポルタージュ。それにしても、筋肉と脂肪というのはこの本のタイトルとして完璧だと思う。硬くてやわらかくて、大きくなったりしぼんだりする、人の身体を人たらしめるもの。私たちは誰しも身体から離れて生きることはできない。そういう意味でも、身体は生きるための場であり、その究極を表現するのがアスリートなのかもしれない。

直結する身体と時代のまっただなかに、リアルな食べものが存在する。ただし、とも思う。食事はそれ自体が「目的」ではなく、あくまでも生きるため、生活を維持するため、あるいは目標や希望を叶えるための手立てのひとつであるはずだ。プロテインをごくごく飲めば僧帽筋や上腕筋に筋肉がめきめきとつくわけでもなく、連筋のたんぱく質の合成を促す(らしい)スケソウダラを大量に食べたとしても、短距離走のアスリートの記録が飛躍的に伸びるわけでもない。なにを選び、どう食べるか、試行錯誤したり修正しながら思考力や精神力を高めることによってエネルギーは生まれる。

この本を読んでいると、各々の目的によって食べるものは大きく変わるのだということがよくわかる。食は体をつくり、パフォーマンスを変化させる。その実感を語るアスリートたちの声には強い説得力がある。

自分の身体の声が聞こえたらいいのにな、と思うことがある。なにを控えて、なにを摂取すべきか。身体のエネルギー残量が見えていれば食事をとり損ねることもなくなるだろう。そんな私の浅はかな考えをこの本は、静かに𠮟ってくれた。食べものは身体と直結しているのだ、と。「自分の筋肉や脂肪や内臓や、つまり動く身体そのものが、私という人間が生きている証なのだ」と。そうだった。食べることとは、生きることなのだ。

平松洋子ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け、新潮社、2023年。


紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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