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タイ人の時間はゆっくり流れる(第18回)

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
今回のテーマは、タイの時間感覚。一般的に日本と比べて外国は時間にルーズとよく耳にしますが、タイも例外ではないそう。ただ、そこには現地の事情にあわせた"流儀"があるようです。わざと遅れるわけではなく、状況に合わせて柔軟に対処する。相手にも時間厳守を求めない。タイ式のやり方はかえってみんなに都合がよいのかもしれません(グローバル化の進展でタイもキッチリしだしているそうですが……)。

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タイ人が時間にルーズなのは事実?

タイ人の友人ができると、あるいは会社勤めで日常的にタイ人と接するようになるとまず多くの日本人が感じることは「タイ人は時間にルーズではないか」ということだ。約束の時間には平気で遅れるし、アポイントの急なキャンセルもまた日常茶飯事である。

1998年1月に初めてタイを訪れたときはタイ語がまったくできなかったこともあって、特にこれといった友人はできなかったが、2回目の訪タイである同年12月ごろに初めてタイ人の友人ができた。友人は当時大学生で、日本の歌手が好きで歌詞の意味をボクに訊ねてきた。ボクはボクでタイ・ポップスにハマっていたので、質問し合いながら仲よくなっていった。

その後、ガイドブックには載っていない、当時の若者に人気のパブなどに連れて行ってくれ、タイの若い人のカルチャーを知ることができた。しかし、その友人は待ち合わせにはいつも遅れてくる。15分ですめばマシなほうで、30分~1時間の遅刻も当たり前だった。当時は、携帯電話は日本でもまだ高価だったので一般的なものではない。若い人にはわからないと思うが、待ち合わせというのはある種一大イベントで、相手がそこに来ないとなかなか不安になるものだった。

カオサン通りが最盛期のころは変な日本人、時間にルーズなタイ人がいっぱいいた。

友人がいうには「渋滞がひどくてバスが来なかった」。言い訳でもなければ謝罪でもなく、ただただそう説明する。バンコクの渋滞のひどさは今でも問題になるが、90年代後半などはもっとひどかったので、たしかに路線バスが来ないことは多々あった。タクシーやトゥクトゥクもこういうときは乗車拒否ばかり。そういう事情で遅れたことはわかるのだが、それをいえばボクだって同じ条件だ。それならその分早く出てくればいいのに、と思うが、タイ人はそうしない。だから、遅刻は毎度普通のことなので悪いとも感じていない。

ボクがタイで会社員になったときも、タイ人社員は時間に対する感覚が明らかに日本人と違っていた。入社当初、バンコク郊外の工業団地にある日系某社の工場で「EUの環境基準に準じた日本がどうのこうの~」というセミナーが開催された。すると昼休み、近くの商業施設のレストランに行こうと言われ、入社したばかりで地理関係もよくわからないボクはそのままついていったが、商業施設まではなんと片道30分だった。

このように、日本人の感覚からすると、たしかにタイ人は時間にルーズだ。ただ、あくまでもそれは日本人が日本の社会から見たときの話に過ぎない。タイと日本はまったく違う国であって、そこにある「常識」もまた全然違う。日本感覚でルーズと決めつけるのはややアンフェアでもある。実際的なことをいえば、タイにおいても「遅刻魔」は存在する。日本人が時間にルーズだと思っているタイ人の中でも、さらに遅刻を重ねる人はいるのだ。

あくまでも、タイ人の一部が時間にルーズであって、全体的にはそういうわけではない。日本感覚からすればルーズだとしてもそれで社会が回っているのだから、なんら問題はないではないか。そもそも、タイ人と日本人の「時間を守る」に対する感覚が違う。一方的にルーズだと決めつけるべきではない。

2019年には完成している奥の展望台は2022年8月下旬にグランドオープンを迎える。建造物の遅延もタイでは日常茶飯事。

そもそも学校に門限がない

日本人は時間に厳格だが、これは世界的に見るとむしろ珍しい方ではないかと思う。仕事やバイト先などで5分前集合だとか、極端な例だと30分前や1時間前の出勤が暗黙の強制になっているところもあると聞く。ボク自身は子どものころからこれに強い疑問を持っていたものだ。ならば集合時間をその時間にすればいいのでは? と。

遅刻をすることで、待ち合わせ相手の時間、もしくはその時間に稼げたであろうなんらかしらの対価をこちらの都合で損失させている。おそらく日本人が時間厳守なのは、こういった相手に配慮する精神なのかと思う。

こういった時間に対する厳しさは、結局のところ教育の賜物なのではないか。否定しているわけではなく、日本人の美徳のひとつではあると思う。小学校から高校くらいまでは校門に教師が立ち、時間が来れば門を閉め、入れなかった生徒は遅刻としてなんらかの罰を受ける。朝の一般的な風景だ。ボクが若いころ、その門扉に挟まれて死亡した生徒のことがニュースになったことすらある。

タイにはこの風景はない。だから、時間厳守を誰も教わらずに大人になっていく。そもそも、教師ですらそういう環境で育ったわけだから、生徒が遅刻したところで「あら、遅かったのね」くらいにしかいわない。日本の学校のような、時間を守らなかったときの罰が基本的にはないのだ。

誤解を招きそうなのでいっておくと、遅刻を許すというより、あくまでも遅刻をした場合にそれを誰も咎めないのである。大半の生徒は時間までに学校に来る。公立校の場合は近所の子どもたちばかりなので、そもそもほとんど遅刻しないだろう。中高は自宅から学校にやや距離ができるが、基本は地元なのであまり問題はない。

朝夕の渋滞は実は学校の送迎も大きく関係している。

私立の学校は、場合によっては家から結構遠い。また、基本的には保護者による車での送迎になるので、遅刻の確率が上がってくる。朝夕、バンコクでは激しい渋滞が社会問題になるが、実は渋滞の車の半分くらいは通学に関係している。保護者が送迎をするわけで、かといって、学校の敷地は本来車を受け入れるほど広くはできていないため、学校周辺は混雑する。そして、その周辺道路は会社出勤の人の車も相まってさらに渋滞して、最後にはバンコク全土が大混乱になる。事実、学校が休みになる3月から5月、10月は朝夕の渋滞がかなり緩和されるので、学校送迎は相当影響している。渋滞がひどいと、時間に間に合わなくなるのは必至。それでも、学校側はそれは仕方がないこととみなしてくれる。決して怒られないし、学業上のなにかしらの失点になることもない。

前項のボクの友人のバスの話と同様、ここで日本人は「それなら早く家を出ればいいじゃないか」と考えがちだ。しかし、友人が早くバスに乗ることはないわけだ。実はここにタイならではの事情というか、時間感覚がある。

仮に学校の授業が8時スタートとしよう。まさに朝のラッシュタイムに学校が始まるわけだが、まったく渋滞がなければ自宅から30分程度の距離とする。当然、なんら問題がなければ7時半に家を出れば間に合うわけだが、渋滞もあるし、始業前に子どもが友だちとお喋りしたいかもしれないので、7時に家を出る。

これだけ時間に余裕があれば、ちょっとした渋滞なら十分に間に合う。早ければ7時半に、よくある軽い渋滞なら45分には到着できる。ところが、これはあくまでも「いつも通り」ならであって、ときどきとんでもない渋滞が発生する。年度初めは新入生の保護者が送迎に不慣れで渋滞するし、突発的な交通事故もどこかで起きる。日本でいう五十日(ごとおび)は、タイでも渋滞がひどくなる傾向にある。それから、警察官が交差点に立って自らの判断で交通整理を始めると、これまた渋滞が悪化する原因になったりする。こういった「異常」が発生すると、ひどいときには片道で1~2時間もかかってしまう。

私立校は保護者の送迎による登下校が当たり前。

では、そうしたトラブルを加味して2時間前に家を出ればどうなるか。ラッシュ前の時間は渋滞をしていないので、8時始業のところ6時半には学校についてしまう。1時間半前の出発でも同様だ。学校側も早すぎる登校は迷惑だし、生徒も保護者も時間の潰しようがない。現実的ではないのだ。だから、基本的には「通常」の渋滞を想定した時間に家を出ることになり、「異常」が発生すればどうしても遅刻してしまう。こうなると、もう遅れても仕方がない、ということになる。

地元の人にはそれなりの距離感と時間感覚があって、それに合わせて移動時間を算出しているわけで、つまりタイ人は時間にルーズなのではない。彼らなりに時間を守ろうとはしているのだ。ただ、外国人、特に日本人からすれば時間を守っていないように見えてしまう。

渋滞の影響の少ない運河ボート。ボートや路線バス、BTSや地下鉄には時刻表がないのもタイの特徴だ。

自分も遅れるのだから相手も許す心

時間にルーズというのは、すなわち時間の感覚がないとか、時間厳守を軽視しているということ。タイ人は時間にルーズと思われがちだが、時間を守らないわけではない。軍隊はそれこそ時間に合わせて行動するし、会社員だって、前項の事情などで遅刻は日本人より多いものの、始業時間をちゃんと承知し、できる限り守ろうとはしている。

たとえば国鉄だ。基本的には時間通りに運行が始まる。時刻表に「●時●●分出発」とあれば、基本その時間に合わせて列車は出発する。ただ、スタートは、という点だけだが。というのは、タイ国鉄はいまだ単線部分が多いので、どこかの駅で上下線がすれ違う際に一方の列車が待たなければならない。さらに踏切なんていいかげんで、昨今こそだいぶ守られるようになったが、列車が来ていても線路に侵入する車がいたりする。また、機関車が古いなどの事情もあって、速度も遅い。そのため、距離が延びるほど遅れが生じる。1本が遅れると後続列車だけでなく、単線のために対向する側も待たなければならないので、さらに遅れる。バンコク-チェンマイ間の寝台列車に乗ったときは終点到着が予定より3時間くらいオーバーしていた。ところが、これは奇跡的なことらしい。なんでも5時間以上遅れるのが当たり前なのだとか。

タイ国鉄で活躍するのはディーゼル機関車。しかし、予算が少なく、機材のほとんどは老朽化している。

10年くらい前、ボクは東京で同級生と待ち合わせた。ボクは日本国内の電話を持っておらず、友人らの番号もわからないので、なにかあったらSNSにメッセージをくれるように伝えてあった。そして1本電車を逃してしまい、待ち合わせ場所に2分だけ遅刻した。すると友人らはもういなかった。厳しすぎやしないか。それともこれが日本の普通なのか? しかも、なんの連絡もない。ボクがこれを根に持っているのは、その友人と別の機会で会う約束をしたときに1時間以上も待たされたことがあったからだ。ボクはタイの生活で待たされることには慣れているし、なんとも思わなかったが、一方こっちはわずか2分遅れただけ。これはないと思った。

タイ人が時間厳守に対して厳しくないのは、結局のところ、それが許される風潮が強いからだ。日本で暮らしているタイ人はちゃんと時間通りに動いている。だから、タイ人自身が人間的にルーズというよりかは、社会的に許されるからそうなっている。

社会が許す。すなわちタイ人自身が時間を厳密に守らなくても、それほど目くじらを立てない。軍隊もそうだし、ビジネス上は時間厳守でないとどうにもならない場面は出てくるが、そういうケースでは日本に住むタイ人のように、タイ国内のタイ人だってちゃんと守る。そこまで厳しくないときや、特にプライベートであればまず時間にそこまで厳しくしない。

これは、タイ人がちゃんと相手にも事情があることを配慮してくれるからでもあるし、自分だって遅れることもあるのだからお互いさまで、自分をさておいて相手を叱ることなんてできないという気持ちからだ。たしかに遅刻は相手の時間を奪うことで、された側にしてみたら奪われたことになるかもしれないが、許容範囲内であれば、無駄に怒ることの方がよくないと考えるのがタイ人なのだ。

タイでも見なくなった雨宿り

日本人は時間に厳しすぎる、とボクは思う。現在はスマートフォンの存在が当たり前だから待ち合わせもしやすくなったし、相手が来るまで時間を潰すことだって安易になった。ボクが高校生のころまでは待ち合わせは十分な打ち合わせの上で成り立ち、到着したらそこを離れるわけにはいかないので、時間潰しの手段はせいぜい文庫本くらいだった。それと比べれば、今はなんと楽勝か。それなのに、そこまで時間に厳しくなる理由はなんなのだろう。

待ち合わせに命がかかっている場面ならともかく。しかし、そんなことは普通に生きている限りそうそう起こることではない。「●●分前行動」もなんら意味がない。時間を厳密に守ったところでなにか生産性が上がったり、社会的あるいは経済的な発展ができるのかというと、違うだろう。それは今の日本が東南アジアなどで憧れの国ではなくなったところを目の当たりすればわかる。

多少、時間に対してのんびりと構える余裕があってこそ、タイ人のように他人にも優しく、おおらかに生きられるのではないか。ある程度、タイ人の時間感覚に慣れると、こちらもイライラしないし、いい意味で遅刻に罪悪感もなくなる。それに、タイ社会でタイ人の時間感覚に染まると、そもそもちょっとした遅刻は気にもならなくなる。

とはいえ、社会やビジネスのスピードがネットの発達によって世界的に標準化されつつあって、タイもその波の中にいるのは事実だ。タイ人も時間にルーズではいられなくなっている。バンコク都内ならBTS(スカイトレイン)や地下鉄もあるので、よほどのことでない限りは遅刻のしようがない。日本より電車の故障が多いのは事実だが、路線バスしかなかった時代からすれば移動はスムーズになった。

BTSの駅。開通当初はそうでもなかったが、現在はバンコク都民の生活を支え、時間感覚の変化にも影響を与える。

以前は雨が降れば商売全体が停滞するのがタイだった。道は大渋滞になって動かなくなるし、バイク便は橋の下で雨宿りを始める。会社の営業担当も雨で移動ができなくなって、喫茶店で雨が止むのをのんびり待つ。ところが、今はタイ人も折りたたみ傘なんかを普通に持っていて、ちょっとした雨だったらさっと傘をさして動いている。時間にルーズではいられないのだ。

こういうときに傘を持っていないのは、案外外国人だったりする。日本人だと、居住年数が長い人ほど傘を持たない傾向にある気がする。かつては雨が降ったら雨宿りしていればよかったので、それに慣れてしまったからだ。そう、ボクもそのひとりで、いまだ傘を持って歩く習慣が身につかない。

在住歴が長い人の中には時間にルーズな人もちらほらいる。タイは他人の目を気にしなくていい社会でもあるので、自由に生きられる。そのため、自分で自分をしっかりと律していかないと、どんどん悪い方に流される。その中でタイ人の時間感覚の悪い側面だけ身につけ、平気で1時間遅刻したりする人などがいる。こういう輩はだいたいロクな人間ではないので、ある意味、人間性のバロメーターとしてつき合いを考えた方がいい。対日本人ではせいぜい15~30分くらいの遅刻が限度といったところか。

タイ人は日本人から見ても昔ほど時間にルーズではなくなったので、初めてでもよりつき合いやすい人たちになったと思う。ただ、ああいった「いい加減」が好きだった人からすると、なんかタイ人が冷たくなったような気がしないでもない。許容する心が必要としながらも、時間を守らないいい加減さを懐かしんだり、日本人に対しては30分が許容範囲としたり、時間の感覚というのは難しいものである。

今は広範囲で長時間の雨が増えたが、以前は狭い範囲の短時間集中だったので、待てばすぐに止むということも雨への行動に影響があったのかもしれない。

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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