「おもしろいのだから、多少長くてもかまわないではないか」――エンタメ小説家の失敗学14 by平山瑞穂
過去の連載はこちら。
平山さんの最新刊です。
第3章 作品の設計を怠ってはならない Ⅱ
「仕切り直し」を図る
結果としては四作目になってしまったものの、僕が『冥王星パーティ』の刊行を通じてもくろんでいたことは、一種の「仕切り直し」にほかならなかった。あまりにも風変わりなデビュー作『ラス・マンチャス通信』のことはひとまず置いておいて、「これからはこの路線で行く」ということを宣言するマニフェストのようなものとして、この作品を位置づけたいという思惑があった。
『冥王星パーティ』改題『あの日の僕らにさよなら』
実際には、間にさらに二作も挟まれてしまったことによって、そこに至るまでのあまりにごちゃごちゃした道筋をいったん整理しなければという気持ちはいっそう高まり、刊行直前の頃にはそれは、「再デビュー」を図ろうとする覚悟にまで育っていた。第1章で触れた、純文学への転身の試みとはまた別の意味で、あくまでエンタメ文芸の分野において、一から出直そうとする心構えだったのだ。
いずれにせよ、新規蒔きなおしということで、僕はこの作品の執筆に取りかかった当初、かなり気負い込んでいた。そしてあとから思えばその過度な気負いこそが、失敗に結びついてしまったのである。
『冥王星パーティ』とはまた、内容を想像しづらいタイトルと思われそうだが、本作は、二〇一三年に文庫化される際、『あの日の僕らにさよなら』と改題されている。そのタイトルのほうがはるかに、内容をダイレクトに伝えることができていると言っていい。
後述するが、この文庫のほうはどういうわけか実売部数で一〇万部を超える(僕にしてみれば異例中の異例の)ヒット作となり、「新潮文庫の100冊」にも二年連続で指定されたため、それを読んでくれた人は、もしかしたらこの本の読者の中にもいるかもしれない。
そのタイトルに暗示されているとおり、これは青春時代の「あの日」にひと組の男女が行き当たった失意や蹉跌と、時を経て再会した二人が、それを乗り越えてあらたにそれぞれの道を踏み出していくことをめぐる物語である。
高校時代に共通の友人の紹介で知り合い、お互いに読書好きということで惹かれ合った都築祥子と桜川衛。二人は「友だち以上恋人未満」よりも距離を詰められないまま、ちょっとしたすれ違いが原因で関係を絶ってしまう。その後、祥子は男性と交際するたびになぜか相手に振りまわされ、気がつけば修復のしようがないほど人生行路が狂わされている。一方、衛は、かつてのナイーブな自分を捨て去り、三〇歳を前にした今では、セックスフレンドが何人もいるようなやり手の証券マンとなっている。
そんな衛が、ある日ふと祥子のことを思い出し、ネットでその名を検索してみたところ、なにやらいかがわしいサイトに辿りつく。それは女性が自ら撮影した自身のヌード画像などのあられもない姿を公開しているサイトであり、顔までははっきりと写っていないものの、衛はそれが自分の知っている都築祥子その人であることに確信を抱く。あの祥子に、いったい何があったのか――。
そんな物語だが、実は、最初に着想した時点では、「かつて知っていただれかがネット上に怪しいセルフポートレイトを公開していることに、主人公が偶然気づく」という部分しか、脳内には存在していなかった。
今は交流の途絶えてしまったかつての恋人や友人、あるいは一方的に思いを寄せていた相手などについて、ネットでふと名前を検索してみるというのは、多くの人が経験していることなのではないかと思う。Facebookなどが一般化している現在なら、本人の情報に辿りつける確率も格段に高まっているだろうが、これを執筆した時点ではまだそれもなかった(Facebook日本語版の公開は二〇〇八年)。そんな状況下でネット上に現われうる、ある種の「闇」を表現したかったのだ。
衛や祥子についての諸設定や、二人が高校生時代に交わした交流などについては、すべて、そこから逆算する形で編み出していったものだ。それだけに、今なら考えられないことだが、起稿した時点で、この小説にはまだ輪郭の定まったプロットというものが存在していなかった。「迷走の果てにネット上で衛とつながった祥子が、衛を含む、かつて深い関わりを持った男たちを、現在の居所で開くささやかな宴に招待する」というざっくりとした流れを想定していた程度だった。それ以外はことごとく、書きながら考えていった。
なお悪いことに、先に述べたとおり、僕はこれを「仕切り直し」の旗印にしてやろうと鼻息が荒くなっていた。書きながらどんどん新しい構想や要素を思いつき、考えもなしにそれを次々に作中に投じていった。「当初見込んでいたよりだいぶ長くなっているな」という自覚はあったものの、「おもしろいのだから、多少長くてもかまわないではないか」と思っていた。
結果としてできあがった原稿を、僕は満を持して新潮社の担当Gさんに託した。一読した彼女は、開口一番、「おもしろかったです」と言ってくれたので、内心でガッツポーズを取った。ところがそれに続けて彼女は、耳を疑うような宣告を突きつけてきた。
「でも、長すぎます。この原稿、現状で八〇〇枚近くあるんですよ。これでは一冊にできません。三〇〇枚分ほど、削り込んでください」
(続く)