【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.136
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難波江和英 内田樹『現代思想のパフォーマンス』
「言いたいこと」と「書かれたこと」が過不足なくきちんと対応するということは原理的に起こらない。わたしたちはつねに「言い足りない」か「言いすぎる」かどちらかなのである。
吉川徹『日本の分断』
失われた時代、失われた世代とさかんにいわれますが、これはまさに言い得て妙だと思います。この新しい日本社会のメンバーたちは、時代変化の参加基準をもっていないため、自分たちがどこにいて、どこに向かっているのか自覚しようがないのです。
和田泰明『小池百合子 権力に憑かれた女』
私が週刊誌の世界に入った頃、担当デスクに「君が屁をこいても記事にならないが、田中真紀子(当時外務大臣)だったら記事になる」と言われ、なるほど、雑誌とは「事象」よりも「人」に焦点を当てるものだと知った。雑誌の中吊り広告に人の顔が並ぶのはそういうわけである。
小関敦之『築地で食べる』
一〇〇年ほど前、築地の街は、東京で最も異国情緒溢れるハイカラな街であった。その事実は、すでに時代の流れのなかに埋もれつつあるが、築地精養軒のつくった「美味しいものが食べられる場所」としての名声は、築地市場ができることによって、図らずとも継承されていくことになる。
六角弘『怪文書Ⅱ』
怪文書という手段は、その理由いかんにかかわらず、不正であることに変わりない、というのが私の考えである。しかし、止むに止まれず怪文書に訴えるしか、組織が、会社が、個人が浮かび上がれない状況があるのもまた事実である。
はらぺこグリズリー『世界一美味しい煮卵の作り方』
料理に慣れてきて、「こんな味にしたい」「こんな風味を出してみたい」といったチャレンジがしたくなった時、市販品から離れて「自分の味付け」を探し始めるくらいでちょうどいいのではないでしょうか。
水月昭道『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』
悪ふざけのスイッチを押してしまう輩は、その人こそが何かしらの背景や思惑、心の傷のようなものを抱えているのかもしれない。しかし結局、やるほうもやられるほうも決して幸せにはならない結末に至ることが多い。