禍の種は最初から――エンタメ小説家の失敗学31 by平山瑞穂
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第6章 オチのない物語にしてはならない Ⅰ
アマチュア時代に書いた作品の再利用
エンタメ文芸の場合、「明瞭な起承転結」が求められるということは、すでにくりかえし述べてきた。もう少し詳しく言うとそれは、物語にメリハリのついた起伏がなければならず、はっきりそれと見て取れる物語上の終着点がなければならないということだ。つまり、オチらしいオチが必要なのだ。
そして、オチをオチたらしめるためには、作中に張りめぐらせた伏線を、すべてきれいに回収する必要がある。「あれはどうなったの?」という疑問を読者に残すような形にしてはいけないのである。たとえ、そこはあえて明示しないほうが物語のたたずまいとしては美しくなるはずだ、という確信があったとしても。
この章では、その問題について述べようと思う。そのために、また拙作のいくつかを例に取りたい。まずは二〇〇八年九月、角川書店(現KADOKAWA)から刊行された七作目の長篇小説、『桃の向こう』である。
以下はやや余談になるが、二〇〇七年、角川書店の人々と初めて顔を合わせたときのことが、強烈な印象とともに脳に刻みつけられている。このことには、のちに僕がこの版元からあっさりと切り捨てられた経緯との対比という意味でも触れておきたい。
当日、会社での勤務を終えて待ち合わせ場所である喫茶店に向かった僕は、待てど暮らせどそれらしい人が姿を現さないことに不安を覚えていた。どうも、メールで知らされていた時間を覚えまちがえて、早く来すぎてしまっていたらしいと見当がついたのだが(兼業で時間的にも体力的にも余裕がなく、ギリギリで行動していた当時は、よくそういう不手際をやらかしていた)、タブレットもなかった当時、その場では本来の約束時間を確認する手段もなく、せめて場所をまちがえていないことを祈りながら、ただじりじりと待っていた。
小一時間ほどすると、彼らは恐縮しながら急ぎ足に僕の正面へと歩を進めてきた。おそらく、先に席に着いているようにすべく早めに出てきたにもかかわらず、僕がすでに来ていたので慌ててしまったのだろう。僕は急いで事情を説明し、彼らに非がないことを強調しなければならなかった。
印象が強かったのは、彼らが「大勢でやってきた」と思ったからだ。五、六人の集団で現れ、僕の正面にズラリと並んでいたかのように記憶していたのだが、今になって確認すると、実際には、雑誌『野性時代』の編集長と担当編集者、それに書籍の編集部で僕の担当になることが決まっていた編集者の三人にすぎなかったようだ。
それまで、出版社のだれかと会う際には、初めての顔合わせであったとしても、担当編集者が一人で現れるケースが普通だったので、三人だけでも「大勢」というものものしい印象になってしまっていたのだろう。いずれにしても、彼らのその姿勢には、「これから総力を挙げてあなたをバックアップしていきます」とでもいったニュアンスが感じられた。
事実、『野性時代』の編集長が自ら、出会い頭にまず滔々と賛辞を並べ立ててくれたような記憶がある。細かい点までは覚えていないが、その多くは、『ラス・マンチャス通信』をめぐるものだったはずだ。彼らもまた、このデビュー作をきっかけに僕に注目し、「この作家は売れるはずだ」という期待を抱いてくれていたのだ(少なくともその時点では)。
さて、初顔合わせの際に提示されたオファーは、『野性時代』への連載を経て書籍化できるような作品を書いてほしい、というものだった。たしか編集長は中途で退席し、その後は担当者二人とともにどこかで夕食を摂りながら、詳細について打ち合わせたのだったと思うが、正直、あまりよく覚えていない。なにしろ文芸誌(それも、『野性時代』のような老舗の有名どころ)に連載した作品を本にしてもらえるというのは初めての経験であり、興奮していたのだ。
もっとも、まだサラリーマンと兼業で、連載の経験もなかった僕には、毎月原稿を提供できる自信はなかった(一、二年後にはすっかり慣れて、それも難なくこなせるようになっていたのだが)。不定期に短篇の連作を掲載する形でもかまわないということだったので、ひとまずは短篇を一本、書くことになった。
ざっくりと、青春小説的なものにしたいという意向はすでに決まっていた。そのときふと思い出したのは、アマチュア時代、それもかなり初期に書いた、『桃の向こう』という短篇小説だった。
ちなみに、作家デビューできるまでの一三年間に僕が書いた作品はかなりの点数にのぼっており、デビュー当時は、これなら当分はネタに困るまいと思っていた。ところが実際には、そううまくはいかないことが多かった。
第一章で述べたとおり、アマチュア時代の作品群はほとんどが純文学系の新人賞向けに書いたもので、エンタメ文芸としての「文法」を適用した作りにはなっていなかったし、そうでなくても、プロとしての経験を積んでから読みかえすと、至らない点が多々見受けられ、「これを手直しするくらいなら、ゼロからあらたに書き起こしたほうがはるかに楽だ」という判断に至るのが普通だったのだ。
しかし、その『桃の向こう』は、プロの目で見てもわれながら悪くない出来栄えであり、これなら十分、使用に耐えると思った。もちろん、それをただそっくり『野性時代』向けの原稿にしたわけではなく、生硬な箇所を書きあらためたり、独りよがりな部分に説明を補って補強したりはしたものの、大枠としては、元のままの形を活かすことができた。ほんのり不条理小説の香りもする作品だったが、短篇ならばそれも許されるだろうと思った。アマチュア時代に書いた作品を再利用することができた、稀有なケースのひとつだ。
あとから思えば、この時点ですでに、禍の種は仕込まれてしまっていたのだ。(続く)