『50歳からの性教育』|馬場紀衣の読書の森 vol.11
本書のタイトルがどうして『50歳からの性教育』なのかというと、50歳という年齢をとりまく環境に理由がある。なによりまず、男女ともに身体に変化が現われる。女性は卵巣の機能が低下し、エストロゲン(女性ホルモンの一種)が減り、身体は着実に閉経のための準備を進めていく。女性は56歳までに閉経するのが一般的で、その前後10年程度がいわゆる更年期に相当する が、年齢とともに男性も、緩やかではあるが男性ホルモンの分泌量が少なくなり、更年期症状のでる人がいる。この先、ままならない身体とどう共存していくのか。身体の変化をどのように受け止めるかは、自分だけでなくパートナーとの関係にも影響してくる重要な課題だ。生殖としての性に終わりが近づいても、人生は続くのだから。
「性は一人ひとりの生き方の根幹に備わっているものです。私たちは誰もが人とのかかわりのなかで生きていますから、相手の根幹、つまり相手の性を知り、尊重しないことには関係を築けない」との言葉は50歳でなくても、心に留めておきたい。「自分の性と他者の性を尊重することで、人生が豊かになる」という言葉は、大人になる前に心に留めておきたい。
事実、2010年代後半から日本の性教育の大幅な遅れによる危機感は指摘され続けている。近年は性について解説する絵本や書籍、コミックの販売が目立つようになったけれど、それでも子どもたちの性教育はまだまだ十分とは言い難い。それでは大人の性の知識はどうかと聞かれると、こちらも学び直したほうがよさそうだ。
世界各国のセックスの頻度と満足度を調査したイギリスのコンドームメーカーの報告によれば、日本は世界で一番セックスをしない、しかも満足度も最下位の国らしい。この調査結果を笑ってすますことができないのは、本来なら「快楽と共生」を核にするはずのセックスが、日本では「攻撃と支配の手段」になっている可能性があるからだ。性という場面では、快楽共生と支配はとても近くにある。正しい知識がなければ、快楽はいとも簡単に支配へと転じてしまうのだ。セックスの主導権が男性にあること。主体的に欲する女性への否定的な眼差し。男性性中心の女性差別的な状況が、日常生活だけでなく性生活にも表れていると著者は指摘する。
パートナーと仲のよい関係を築くためには、パートナーと対等な関係でなくてはならない。人間関係の土台になる性について学ぶことは、だからお互いの心と身体とじっくり向き合い、人間関係全般について、そして自分自身について学ぶことでもある。自分の身体なのに触れたことのない場所はないか。セックスについての「古い」思いこみに囚われていないだろうか。性の知識をアップデートしているだろうか。人生の折り返し地点にある人も、とうに50歳を過ぎた人も、50歳とはかけ離れた時間を生きる人も、読後に生まれ変わっているのは読者の現在だろう。