Q6「パンクは左翼なのか?」——『教養としてのパンク・ロック』第10回 by 川崎大助
過去の連載はこちら。
第1章:なぜなにパンク・ロック早わかり、10個のFAQ
〈7〉Q6「パンクは左翼なのか?」
そうだ――と言い切りたいところなのだが、しかしかならずしも、そうではない。もし全世界のパンク・ロック支持者全員に統計をとってみることができたならば、おそらくは左派やリベラル派が多数を占めるだろう、と僕は想像するが――だがパンク・ロック音楽家にもファンにも、少なからぬ数の右翼もいることは、歴史が証明している。
たとえば今日、極右や人種差別主義者、ネオナチの代名詞と化している感のあるスキンヘッズ(=頭髪を五分刈り以下程度の坊主頭にする、もしくは完全に剃り上げるストリート・スタイル)は、伝統的に、パンク・ロックと浅からぬ因縁を有する。そもそもはイトコ同士だったのに、モメて袂を分かってしまったぐらいの関係性だろうか。
また「パンクは政治的なのか?」と問われると、これも前述同様の、玉虫色の答えとなる。総じて見ると、パンク的姿勢のアーティストには、政治的、社会的問題に「意識的」であり、そんな考えが歌詞や発言に反映されている人が、たしかに多い。とはいえ、元来のパンク・ロックとは、とくに「政治的」なものではなかったからだ。
たとえばラモーンズ、あるいはリチャード・ヘルを擁したテレヴィジョンなどのニューヨーク・パンク勢の曲は、直接的には、政治性はさして高くなかった。ロンドンでも、当初この点は同様だった。セックス・ピストルズは登場するやいなや世間を騒がせ、大いに物議をかもしたが、とくに「政治的意図」があったがゆえに生じた事態ではない。「結果的に」政治性を帯びてしまった、ということは言えるだろうが。
ピストルズは政治的か?
典型的な例が、ピストルズが世を激震させた最初のシングル2連発、「アナーキー・イン・ザ・UK」と「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」(両者ともに『名曲100』にランキング)。これらですら「政治的なのか」というと、疑問符が付く。なぜならば、双方ともただひたすらに、呪詛を、嫌みを、社会全体に、あるいは「かくあるべき」とされている世間の良識に向けて投射している――といった歌だったからだ。不遜や不埒という語がこれほど似合う音楽も稀だというほどに。
つまりは「これぞニヒリズム」だった、と解釈するのが正しい。まるで悪罵を飛ばしながら同時に自己崩壊していくような、まさに毒々モンスターみたいな音楽とでも言おうか。ゆえにそういった意味で「過激」ではあるのだが、しかし一方、明確な政治的主張があったわけではない。さすがにまあ、演者側が右派や保守層でないことは明らかだろうが、しかし左派かどうかすらも――じつは、少なくとも歌からは――一切わからない。
もっとも、デビュー・シングルの「アナーキー~」では、「イギリスに無政府状態(アナーキー)を」とは、歌われている。主人公は歌の序盤で「俺はアナキストだ」なんて述べる。とはいえ、ここがすぐにブレるのだ。「俺はアナーキーになりたい/アナキストになりたいんだ」などと後退する。だから本当は、歌のなかの彼は、いまは何者でもなく、なにができるわけでもない、日々鬱屈しては、いらいらしているだけの人物――なのかもしれない。序盤のアナキスト宣言は、その前の節、つまり歌い出しの「俺は反キリスト(アンチ・クライスト)だ」と韻を重ねただけ、なのかもしれない(ライドン本人はそう主張している)。ただただ言いたいことの核心は、最後の最後に出てくるひとこと「俺は頭に来てんだよ、デストロイ!」だけだった――のかもしれない。
つまりピストルズの歌における反体制の姿勢とは、わかりやすく右や左を選べるような小気味いいものではない、ということだ。言うなればその対極だ。まったくもって、はっきりするはずもない「混沌(Chaos)」のぶちまけのような面が、あった。血も凍るような冷笑と、むき出しの刃物のような怒りにもとづいた、身も蓋もない「悪魔めいた高笑いの歌」とでも言おうか。
こうした点から、たとえば非常に評価が高い2008年のバットマン映画『ダークナイト』における、ヒース・レジャーが演じたジョーカー像のなかに、ジョニー・ロットンの転写を垣間見た人は、世に少なくなかった。レジャー版のジョーカーは、カネや権力に焦がれるような、色や欲に翻弄されるような、つまり現世と接点があるようなレベルの「悪」ではない。というか、なぜ「悪」となったのか、その動機すら一切不明、正体不明。ただひたすらに秩序を紊乱し、正義を穢し、人の世に「混沌を招来しようとする」……そんな怪異なるキャラクターの遠い背景に、セックス・ピストルズがいただろうことを僕も信じる。若きライドンが叫んだ「アナーキー」や「デストロイ」の断片があったことを。
「政治的なパンク・ロック」の元祖はクラッシュ
他方、今日の我々が認識するような意味での「政治的なパンク・ロック」の元祖は、ザ・クラッシュだと考えられている。76年のピストルズにすこし遅れて、77年にデビューした彼らは、明確に「政治的」な歌詞を連発した。失業や搾取、アメリカによる帝国主義的政策への批判など、社会問題も小から大まで積極的に歌のテーマとした。またパンク・ロックと政治の関わりにおいて、最初の大きなエポックとなった運動およびイベント『ロック・アゲインスト・レイシズム(RAR)』においても、クラッシュは重要な役割を担った。
もちろんパンク以前にも、「政治的な歌」は数多くあった。ロックやフォーク、ソウルの世界に、反体制的な歌、左翼的な歌、人種問題への言及や反戦歌など、無数にあった。だがしかし、クラッシュによる「政治的パンク・ロック」の即効性は、傑出していた。身辺のささいな日常的事柄から、社会に満ち溢れた矛盾の核心へと一瞬で斬り込んでいくその「足の迅さ」もさることながら、各種発言やコンサートやイベントなども通じて、具体的、直接的に社会問題に関与していく積極性も、後続世代の模範となった。
【今週の2曲】
The Clash - Washington Bullets (Remastered) [Official Audio]
Sham 69 - Borstal Breakout
(次週に続く)