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ブロックチェーンには柔軟性がない――『Web3とは何か』by岡嶋裕史 第1章 ブロックチェーン⑦

過去の連載はこちら。

一番売れているメタバース関連書。現在6刷です。

5月21日に「メタバースとは何か」というテーマで岡嶋さんが講演します。

第1章 ブロックチェーン⑥――ブロックチェーンには柔軟性がない

インセンティブがあればいい?

ではインセンティブを与えればいいのか?

ビットコインが冴えていたのは、このインセンティブ設計が絶妙だったからだ。検証作業に参加して成功するとビットコインが得られる。ビットコインはドルや円に交換することができ、しかもビットコインが支持されている限りにおいてその価値は増大していく可能性がある。通貨としてより、投機対象として拡大したのも当然である。バイナリー(2進法)ドリームである。誰もやりたくない検証などという面倒な作業に、絶大な誘因力でみんなを巻き込んだ。

そして、ここがブロックチェーンの弱点でもある。みんなに集まって検証してもらわないといけないのだ。民主的な結果を求めるために、みんなの善意に期待する?  

1人1人の資質はともかく、人は集まって大衆になると怠惰だ。選挙という明確な意思表示のチャンス、それもお金も時間もほとんどかからないものにさえ参加しない人が多い。

ずっと面倒で実害もある(コンピュータやネットワーク資源をたくさん浪費する)ブロックチェーンに、民主主義のために善意で参加してくれる人は少ないだろう。

そこでインセンティブという話になる。

たとえば参加してくれる人にクーポンやお金を配るのはどうか? この時点でブロックチェーンの教条は崩れるだろう。意識するにしろ意識しないにしろ、人はスポンサーの意向に敏感だ。「投票に行ってくれた人にはお金をあげます」なんて選挙の結果を誰も信用しない。そもそも原資が集まらないだろうし、誰がお金をあげたんだという話になる。

奇跡と幸運が幾重にも重なってパブリックチェーン運営に必要な最低限の頭数を確保できたとする。それでも、そんなに参加者が多くなければ、多数決の結果を操作できる可能性が高くなる。

選挙では過半数を取れば自分の意見が通る確率が上がる。では、みんながシンプルに過半数を目指すかと言えば、そればかりとも言えない。大きなグループで影響力の大きな数人に賛成してもらえば、その大きなグループの票を総取りできる可能性がある。大きなグループがいくつかの派閥に分かれている場合は、最大派閥のインフルエンサーを1人捕まえればいいかもしれない。ごく少数の人の意見で過半数をもぎ取れるチャンスは常にある。

ブロックチェーンも同様なのである。

たとえばビットコインは大規模化して、もはや個人のマイナーがブロックの追加に成功できる状況ではなくなった。マイニングプールと呼ばれるチームを作って、チームとして成功報酬を受け取り、それを貢献度に応じてチームメンバに分配している。ずでにいくつかのチームが成功報酬を寡占しており、これらのチームが協力すれば不正なトランザクションを承認したり、逆に正当なトランザクションを拒否することも可能である。

もちろん、「できる」というだけで、(いまのところ)それによって得られる対価が、正当なマイニングによるそれを下回っていると考えられているが、可能性はあるのだ。これを51%攻撃という。小さなチェーンでは51%攻撃が成功する確率が高くなる。

柔軟性がない

また、ブロックチェーンには柔軟性がない。

え? 逆じゃない?と思う人もいるかもしれない。横暴な管理者が民意に声を傾けてくれないから、民主的なしくみを作るのだと。自分の意見が反映されるのだと。

そうなのだ、管理者が好き勝手やるシステムは、管理者の思うままだ。利用者の意見を容れるも下げるも、管理者の気分次第である。だから管理者の支配から逃れたいのだ。

ところが、管理者の支配から逃れることと、自分の意見が通ることはイコールではない。雑多な意見を持った多数の人が現れるのである。まさに選挙の状況を見てもよいし、コロナ騒動における対応を観察してもよい。正反対の意見を言い合う人の集団があって、とても合意を取り付けたり、落としどころを見つけたりはできなさそうだとわかる。

独裁者がいるわけではないのに、みんながみんな不満を持っている。時には、何も決めないことが、悪い決断をしてしまうことよりも、もっとよくない事態を引き起こすこともある。下手をすると、「まだGAFAの寡占のほうがましだった」と考えるようになってしまうことだって考えられる。

選挙を軸とした既存の民主主義は多くの人に失望されている。若年層はどう投票率を上げても、高齢者の票の絶対数に敵いそうもない。政治家は選挙期間中に約束していたことと違うことばかりをしている。

だから選挙に依らずに世界を変えていこうとするハクティビズム(ハッキングを通じて社会に働きかけたり、政治的な意思表示をすること)が勃興したり、機能不全に陥った民主主義の代わりにビッグテックの冴えたシステムに組み込まれようとする動きが現れる。

多くの人にとっては、ビッグテックによる支配はいやなものだろうが、いまの行政システムよりはまだマシだというわけだ。

そんな状況下でブロックチェーンのようなものを見ると、「システム的に民主制が実装できる」「情実を排した公平な施策が可能だ」とつい思って過大な希望を持ってしまうのだが、民主的なしくみには民主的なしくみそのものが持つ弱点がある。

手数料はなぜ高騰するのか?

たとえば仮想通貨系のブロックチェーンでは、ブロックのサイズと追加間隔が常に問題になる。追加の間隔が短すぎると検証作業ばかりが発生する。同時に検証作業を終えた人が複数現れてチェーンが分離する事態も頻発するだろう。かといって長くしすぎると、送金の承認に時間がかかることになり、通貨として使い物にならない。そのため、多くの仮想通貨系ブロックチェーンにとってブロックの追加間隔は悩ましい問題である。

利用者が増えてくると(ビットコインであれば)その10分の間にトランザクションがたくさんたまるようになる。ブロックのサイズは決まっているので、サイズを超えるようなトランザクションは格納できずあふれることになる。あふれたトランザクションは次のブロックに入れてもらう候補に繰り越しされるが、そこでもまたあふれるかもしれない。

実際にビットコインでもイーサリアムでも、こうした現象が起きている。そこで手数料が高騰するのだ。

おかしくないだろうか? ビットコインやイーサリアムが登場したときは、手数料がいらないか極めて低廉に海外送金できるメリットが強調されていたはずだ。銀行は個人の少額海外送金を無視しているわけではないが、ニッチな市場なのでサービスに熱心ではない。そのしくみは使いにくく高い。まさに頭の固い支配者そのものである。そこで、ボトムアップのみんなのしくみとして仮想通貨系ブロックチェーンが現れたわけなのに、なぜ手数料がかかるのか。

それは、トランザクションがあふれているからである。

ビットコインもイーサリアムも、ブロックの追加時にビットコインやイーサで報酬が支払われるのでそれを目当てにマイナーが検証作業をしてくれる。手数料がなくてもやってくれるだろう。でも、トランザクションがあふれているなら話は別だ。ビットコインやイーサリアムのトランザクションには、マイナー宛の手数料を含むこともできる。たくさんあるトランザクションのうちどれかを選んでブロックに収めねばならないとき、高い手数料を設定してくれているトランザクションから選択していくのはマイナーにとっては当然のことである。

バブル期に、タクシーを止めるために万札を振りかざしていたのといっしょだ。本来の設計では払わなくていいはずだが、飽和しているので追加料金がないとやってもらえないのだ。

結局、需要が供給を上回れば高値がつく。ブロックチェーンは善意で回る無料のしくみではない。

NFTの章で取り上げるために、ネタとして自分のNFTアートを出品してみた。そのとき示された手数料(イーサリアムではガス代という)は2万円強であった。高い。ふつうに金融機関から国際送金しておつりがくる額である。(続く)


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