#02_「弱さ」を通じて地方の政治を変えていくことができるなら|小松理虔
福島にいながら東京が気になって
いまはそんなに追わなくなったけれど、コロナウイルスが流行し始めたころ、去年の夏くらいからずっと、そうそう、連日のように東京都の小池百合子知事が登場して「オーバーシュート」だの「三密」だのと書かれたグリーンのパネルを手に会見を繰り返していたころ、ぼくは毎日のようにテレビにかじりついていた。ほんと、テレビばっかり。仕事が終わって帰宅すると、とにかくまずテレビをつけて、いやその前に冷蔵庫にビールを取りに行って、ニュース番組にチャンネルを合わせ、今日は何人? え、そんなに多いの? 今日また増えたの? えぇぇ1000人? ってな具合に、そこで紹介される感染者数を見ては一喜一憂していたものだ。
そもそもぼくの暮らす福島県いわき市小名浜は、東京から北東に200キロ以上離れた、ほぼソーシャルディスタンスしか存在しない地方の港町で、特段感染拡大していたわけでも、なにか差し迫った危機が自分の身に及んでいたわけでもないのだけれど、あれだけ連日のように大都市の感染状況がテレビで取り上げられていれば嫌でも都市部の動向が気になってしまって、たくさんの情報を受け取るうち、情報過多の状態に過剰適応してしまったのかもしれない。冷静になろうと思ってはいたものの、本来必要のないレベルの危機感を内面化してしまっていたように思う。
コロナ禍のリーダーショーを通じて
テレビに出ていたのは、緑の小池知事ばかりではなかった。大阪では、毎日のように情報番組に出演して「大阪モデル」の効果を力説する吉村洋文知事がクローズアップされていたし、初期の感染流行期には北海道の鈴木直道知事もしばしばメディアに登場した。そのうち首都圏で感染が拡大してくると、神奈川県の黒岩祐治知事や千葉県の森田健作知事(当時)も小池知事とセットで登場するようになる。岩手県で感染者ゼロが続いていたころは、公衆衛生で世界的に名高いジョンズ・ホプキンス大学を卒業していたという達増拓也知事も、その経歴とともにしばしば登場した。一国のリーダーたる菅総理が「もっと自分の言葉で」などとメディアから責め立てられているころ、知事たちはメディアをうまく使って、まさに「自分の言葉」で語ることで、危機に立ち向かうリーダーの姿を「演出」し続けていたわけだ。
奮闘する知事で思い出すのは、メディア露出はさほど多くはないものの、コツコツと感染対策を打ち出していた和歌山県の仁坂吉伸知事だ。現場トップの技監(技術系スタッフの総監督)を信頼し、その時々に必要な対策を次々に実施。中央におもねることなく県独自にPCR検査を行なって地道に感染者を囲い込み、感染者の増加を食い止めたと伝えられている。仁坂知事や和歌山県のコロナ対策については、ネットで検索したらいくらでも記事が出てくると思うので詳しくは紹介しないが、「できる知事」を過剰に演出しなくても、現場を見て、部下を信頼して、自分たちで策を考え、独自に対策を打てるリーダーは本当に心強いなあ、と思ってテレビを見ていたことも思い出す。
でもなあ、悲しいかな、そういうリーダーは実際には一握りで、平時ではうまいこと調整しながら物事を進めていたのに、非常事態では現場の知見を生かせず、形だけの会見に臨むしかないリーダーや、記者から問い詰められてなお「国の対応を待ちたい」みたいなコメントしか用意できないリーダーもいた。いや、ぼくはいま「平時ではうまいこと調整しながら」なんて書いたけれど、実際には「調整」なんかではなく「無策」だとか「人任せ」だとかで、はじめから大したビジョンもなく知事や市長になっちゃった、なーんて人もいたのだろう。それがバレちゃったわけだ。全国で発生した危機の中には、ビジョンなきリーダーによる起こるべくして起きたものも多かったのかもしれない。
コロナに向き合ったのは国ではなかった
リーダーの姿は、テレビ以外でも、たとえば地方新聞でも、あるいはYouTube配信でもSNSでも見ることができた。そしてその姿を見るたびに、なんでうちの地元の対策は甘いんだ、市長、ちゃんとしてくれよなんて愚痴をこぼしたり、一喜一憂した。そんな人が多かったのではないだろうか。ぼくたちはこのコロナ禍で、かなりの頻度で「地域のリーダー」の姿を見続けてきた。そして、リーダーたちの姿を見て、どのようなリーダーを持つかが命や暮らしに直結するという、とても当たり前のことを学び直したと思う。頼りないリーダーではなくて、国に対しても臆することなくモノをいい、一番現場の状況がわかっている自分たちで地域の対策を決めるんだという知事を持てるかどうかで、ぼくたちの暮らしが、命が、大きく変わってしまうのだ。それだけじゃない。もし自分の地域で取り組んだ対策に効果が出たとなれば、ほかの自治体もそれを真似したり応用したりできる。優れたリーダーを持つことは、自分たちを守るばかりでなく、地域全体にポジティブなイメージを与え、さらなる地域連携にもつながるということだ。選挙って、やっぱり大事だなあ。総理大臣とちがって、市長や知事を選ぶ選挙は、ぼくたちが直接投票できるんだもの。
* * *
なぜここまで知事や市長がフォーカスされたかといえば、コロナウイルスに対峙するのは、国会議員でも総理大臣でもなく、それぞれの自治体のリーダーであり職員であり、保健所のスタッフであり、病院の先生であり看護師であるからだ。たとえばぼくのSNSには、地域の限られた医療体制のなか、防護服で身を固めながら、自宅療養を続けるガン患者を巡回して診察する医師の魂の叫びが投稿され続けている。自分がコロナウイルスに感染したら彼らを診る人がいなくなる。ギリギリの疲労と戦いながら診察を続ける医師の投稿は、このウイルスと最前線で対峙しているのがだれかということを如実に言い表していた。
別の投稿には、地域の福祉事業所に勤める人たちの姿があった。密でなければ支援の難しい人たちがいる。人と人が距離を詰め、体に触れなければ支えられない命がある。慎重に対策を施し、このコロナ禍でもなお日々を楽しく、おもしろく、そして慎重に組み立てている人たちの投稿もまた、コロナと向き合う主体が国ではなく「地域」であり「ローカル」であることをはっきりと伝えていた。
そうなのだ。ウイルスと立ち向かうのは、地域でありローカルだ。その現場は、ぼくたちの暮らしのすぐそばに、SNSでちょくちょく見られるくらいのところに、その当事者の顔がすぐに思い浮かぶくらいの距離にある。だからぼくたちは、コロナについて考えることを通じて、頭のどこかで、「地域」や「ローカル」のことについて考えてきたのではないだろうか。
へえ、うちの地元の保健所の所長ってこんな人だったのか。っていうか保健所ってすべての自治体にあるわけじゃないんだ! 地元の医療体制どうなっちゃってんの? え? もともとこれっぽっちしかベッドの数がなかったの? うわー、もっと保健所の人員増やしたり体制整えたりしないといけないんじゃないの? たまたま第1波はうまく切り抜けたからよかったけど、医療とか福祉とかに力を入れるべきじゃないの? 隣の町はもっとうまくいってるよ、真似しようぜ。
字面だけ見たら単なる愚痴だけれど、けっこう多くの人たちが、自分たちなりに、地方の行政、国とのパワーバランスや首長のリーダーシップ、感染症対策や医療体制、つまり地方行政や地方自治について考え続けてきたと言えないだろうか。もしかしたら、テレビばかり見ていたぼくですら、メディアを通じてリーダーたちの動きを「監視」していたのかもしれない。つまり、コロナ禍は、図らずも「住民と行政の間の緊張関係」を作り出した。他県の取り組みと見比べたり、現場の意見をぶつけ合わせたり、ものすごくレベルの高い「地方自治」の取り組みを結果として実践してしまっていたと考えられないだろうか。
とすれば、これはすごいことだ。これほど多くの人が、自分の地域について、行政について考えることなんてそうそうない。コロナ禍では皆が「当事者」になった。だから皆がちょっとずつかもしれないけれど、「地方行政」や「地方自治」について考えることにつながった。こう言うと大袈裟だけれど、コロナ禍によって生まれた地域・ローカルへの関心は、これまで中央集権・東京一極集中が強まっていた日本のあり方を大きく変えるかもしれない。いや、変えて欲しい。
人はどこまで「自分で」決めているのか
そこでだ。
自分たちのことは自分たちで決める。現場の意見を信頼してリーダーが決断する。そんな自立した地域がいま、改めて求められているのではないか。コロナで進んだ地方自治の芽を育てていくべきだ。今こそ一極集中をやめて、地域が自立すべきだ!
というような主張をすることもできる。でもなあ、それはとても正論だと思うのだけど、なんだかその言葉が自分にも跳ね返ってくるような気持ちになる。はて、自分の人生、自分の暮らしや仕事。ぼくは自分で決めてこられただろうか、自立ってなんなのだろうかと。地域のことと自分のこと、思考が行ったり来たり、さまよってしまう。地方の自立や自治について考えると、思わず自分のことも考えてしまうのだ。知事によるコロナ対応と、ぼくの自立や決断の話はほとんど関係しないのだけど、とりあえず、頭に思い浮かぶまま思考を進めてみよう。
* * *
いわきに戻ってきて、かれこれ10年になる。その前は上海で働いていて、その前は福島県の福島市というところで仕事をしていて、さらにその前は東京都内で大学生をしていた。サラリーマンを辞めて上海に行こうと思ったとき。上海から郷里に戻ろうと思ったとき。それぞれのタイミングで、ぼくは大きな決断をしている。その意味で、オレは自分で自分の人生を切り開いてきた! と言えなくもないし、自分でも、多少そう思っているところはある。
けれど、サラリーマンを辞めて上海に行ったときも、上海から地元に戻ってきたときも、じつは2回とも大失恋を経験していて、大きな決断をしたというよりか、恥ずかしながら「自暴自棄になった」というほうが正確かもしれないとも思うのだ。つまりそういういい意味での「後押し」があったからこそ、えいやっと海外に移住したり、Uターンしたりできたわけだ。「自分で決断した」ように思えるけれど、本当に「自分で決断した」わけではない。「自分で決断した」というより、状況によって「決断させられた」部分も大きいのではないか。なんというか、自分で決断するには、決断を後押しする、あるいは決断を迫る、なんらかの「外的要因」が必要だということかもしれない。「自分で決断した」なんてハッキリとは言えなくなってしまう。
自立と依存
で、そうして戻ってきたいわきで、ぼくはサラリーマンをする傍ら、仲間とオルタナティブスペースを立ち上げ、自分たちで考えたイベントを行い、新たな仲間と知り合い、自分たちで自分たちの暮らしを面白おかしく盛り上げてきた。それら実践の体験を自分なりにまとめ、一冊の本としても出版した(『地方を生きる』ちくまプリマー新書・2021年)。ぼくは、自分で選びとって、あるいは自分で切り拓いて自分の暮らしを作ってきたつもりだし、自分でいろいろなアイデアを考え、自分でそれを形にしてきたつもりだ。
しかしまた一方で、そうやって新しいことにチャレンジできたのは、たまたまぼくがなんのトラブルもなく健康な状態にあったからだし、家族の支えや理解、サポートがあったからこそだ。オルタナティブスペースを立ち上げられたのも、たまたま手頃な物件が地元の商店街に見つかったからだし、なぜ手頃な価格になっていたかといえば、原発事故のせいでゴーストタウン化したタイミングに借りたからだ。「自分で決断した」の裏側には、偶然や環境的要因が何層にも重なっている。何でもかんでも「自分で決めた」「自分でやってきた」というようにまとめてしまうのは、いささか暴力的かもしれないとも思う。
ならば、じゃあその「自分で決断した」ってどういうことだろう。多くの人たちの見えないサポートとか、友人とか家族とか、システムとか環境とかが複合的に、めちゃくちゃうまいこと絡み合っていたために、ぼくたちはその存在を意識することなく、「自分で決めた」と思うことができたということかもしれない。じつはいろいろなところに依存して、その力を借りていて、だからこそなんでも自分で決めた、オレは自立しているッッ! と思えているにすぎないのだろう。
「自立」というと、あたかも自分の足だけで立っている、というようなことをイメージすると思うけれど、そうでもないようだ。東京大学先端科学技術研究センター特任講師の熊谷晋一郎さんは、とあるインタビュー記事のなかで「実は膨大なものに依存しているのに『私は何にも依存していない』と感じられる状態こそが『自立』なのだろうと思います。自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない」と語っている。熊谷さんのこの言葉は本当にクリティカルというか、いろいろなことに当てはまるなあと感じるのだ。
熊谷さんの言うとおり、自立は「自分だけで立っている」わけではない。そして、自立と依存は対極にあるのではなく、相互依存があって初めて自立しているということなのだろう。自立というのは、言うなれば「他者と互いに影響し合い、お互いの力や、環境の力を借りながらも、自分なりにものごとを判断・決定して、自分の独立性を保つことができている状態」と言えるかもしれない。まああくまで、ぼくなりの解釈でいえば、なんだけれど。
地域の自立って?
この話を無理やり地域に当てはめてみる。たとえば東京は、電気というエネルギーを地方に依存しているし(その延長線上に東京電力福島第一原子力発電所の事故もある)、東京都の食料自給率は全国最下位、たったの1%だ。ちなみに全国トップは北海道の196%だ(農林水産省・平成30年度の都道府県別食料自給率データより)。電気と食料、つまり生活に必要なもののうち極めて重要な二つのエネルギーを東京は自給できていない。だから東京が「自立」しているなんて笑わせるなよ、と福島県に暮らすぼくなんぞは思ってしまう。でも東京の都心に暮らしていれば、田んぼや畑は見えないし、見なくて済むし、最近では電線も地下に埋設してしまっているし、そもそも発電所は都心からは遠く離れたところにあるしで、それを見なくてもうまく暮らしが回ってしまう。だから依存しているとは思わずに済んでいるだけ、ということになるのだろう。
もちろん、地方だって似たようなもので、たとえばぼくの暮らす福島県の浜通り地域は長くエネルギー産業に依存してきた。無論、それ自体が悪いのではなく、依存先が限られ、なおかつその依存の構造そのものを忘れきってしまっていたのが問題だったとぼくは考えている。「それしかない」は、一見すると強みに感じるかもしれないけれど、「それがダメになったとき」の逃げ道がなくなるということも意味している。依存度が高まると、地域のあらゆるものがそれなしには成り立たなくなってしまうわけだ。逆に、依存先が増えればそれぞれの依存度は低くなり、地域の自立にプラスに働くということだ。一次産業も二次産業もバランスよく。あれがダメでもこれがある。そうするためには、地域のなかにいろいろな選択肢や依存先を作っておかなくちゃいけない。大消費地である東京にモノを売ることだけじゃなく、常にそのオルタナティブ(代替可能なもの)を意識し、考えておかなくちゃいけないんだね。
コロナ禍で「内」に向かう意識
で、そんなふうに地方のリソースを東京に集中させて日本はここまでやってきたわけだけれど、日本の人口は減り続け、高齢化も止まらず、景気の低迷も続いている。東京一極集中というのは、そもそもは、東京に富を集中させ、地方はその恩恵に与り、全体として成長していこうというものだったのだろう(トリクルダウン的な?)。過去は、それはそれで多少うまくいってたところもあったのだとは思う。けれどいまは、東京に集中すればするほど地方は疲弊し、国全体としてもうまくいかなくなっていることがはっきりわかってきた。
第一生命経済研究所の熊野英生・主席エコノミストは、「東京一極集中による出生減」というレポートで、東京一極集中が少子化を助長させ、日本全体の地盤沈下を加速させていると指摘する。熊野さんが注目したのが「東京は出生率が全国で最も低いのに、出生数が全国で唯一増加している」というねじれた現象だ。熊野さんによれば、東京には、全国から25〜34歳、つまり親になる世代の若者がどんどん流入してくる。企業活動の中心が東京であり、よりよい待遇で働きたいと思うほど若者たちは地方から東京を目指すからだ。若者を吸い上げている分、出生数は増加する。けれど、東京に行ったとしても子育てを行う制約や負担はやはり大きく、多くの若者は、結婚や出産をためらう。だから数としては多くても、出生「率」が上がらないということのようだ。そうして東京への一極集中が進むほど日本全体の地盤沈下が加速する。
若者は東京に行く。けれど東京暮らしがハッピーかというとそうでもない。結局「東京もきつい」のだ。若者たちは、よりマシなほうの地獄を選んだ結果、地方ではなく東京を選び、そこに居続けているとも言えるわけだ。やはり「東京が地方を支えている」わけじゃない。弱っているのは東京も同じで、さらに弱った地方から吸い上げることでかろうじて東京が成立している、ということなのかもしれない。
東京に依存するだけでは当然行き詰まる。だからこそ地方に生きるぼくたちは、新たな依存先として「インバウンド」に希望を見出し、特にアジアの富裕層に目をつけ、「爆買い」してもらうことで地域に活力をもたらそうと考えてきた。少子高齢化が一層進み、働き手の給料は増えず、周囲の国々に経済発展の面で後塵を拝している日本だが、どんな魔法を使ったのか見事に物価が低く抑えられていて、しかも、地方都市でも都市部と変わらない高品質のサービスを受けることができ、町はとても清潔だ。近隣諸国から見て、実に魅力的で、安全で、手頃な旅行先として人気になるのもすごく納得できる。ぼくの暮らす小名浜ですら、コロナの前は、豪華客船に停泊してもらおう、豪華客船の乗客に小名浜で消費してもらおうというまちづくりビジョンがあったくらいだ。船から降りていける場所といえば、魚屋が軒を連ねる物産館「いわき・ら・ら・ミュウ」と、震災後にできたイオンモールくらいしかないけれど、海外からお客さんが来たら、ぼくも小名浜を案内して歩きたい。
ところが、コロナウイルスが水を差した。インバウンドのみに依存していたような町は一気に経済が冷え込み、観光だけに特化していた町も深い傷を受けた。水を差されたどころか、全身に冷水をぶっかけられた、いや、轟音とともに落ちる滝に打たれた。つまり目が覚めたのである。
全国各地でインバウンド依存が見直され、もう少し地元にも目を向けようと、地域の意識が変わってきた。自分たちの身の回りにあるものを新たな「依存先」にしたわけだ。星野リゾート社長の星野佳路さんが提唱する「マイクロ・ツーリズム」は、もはや旅の新しいスタンダードを作りつつあるし、倒産したホテルや料亭が介護事業所になったり、地元の人向けの交流拠点として活用されるようになったりと、地元の人たちの福祉やウェルネスに光が当たっていることもグッドな変化だと思う。それぞれの地域が、よそから来てくれる人だけでなく、地元の人たちに目を向けるようになっている。
地方の豊かな自然環境に着目した「ワーケーション」もナイスな働き方だと思う。リモートで済ませられる仕事はリモートで済ませればいいし、人と人との距離を取り、むしろ自然との距離を縮めることでよりよい暮らしを作ろうという人たちも増えてきた。効率化できるところは効率よく進め、それでできた余暇で大事な人たちとの「三密」を楽しめばいい。何も考えず仕事に費やしていた時間を見直すことでローカルな関わりや家族や友人との時間が増えたら、救われる人も増えるのではないか。
このように、コロナウイルスは、ぼくたちの目線を外ではなく「内」に向けるきっかけを与えてくれた。目の前に危機が訪れたからこそ、真に大事なものは何かということを人それぞれに考え始めるようになったのだろう。地域の自立を考えてきたようで「自分の自立」のことを考えずにいられなかった本稿もまた同じ流れのなかにある。もちろん思考の内向きが過ぎて「排外的」になってしまってはいけない。「内省」的に、これまでの地域の有りようや、自分の人生を振り返るきっかけにしたいものだ。
地域に目が向いているこの機会に、地方の中小企業の労働環境の改善、賃金の底上げ、事業のさらなる効率化など、「地方と東京の賃金格差」という根本を是正する必要があるだろう。これ以上の「沈没」を食い止めるため、やはり東京一極集中は是正されるべきとぼくも考える。若い世代へのさらなる社会的投資も必要だ(大きな政治的決断が求められるかもしれない)。そうしてローカルな暮らしをトータルで底上げし、底上げして生まれた余裕で「おもてなし」できたらいい。
とはいえ、そのような対策を施したとしてもだ。コロナ禍で受けた傷は一気には回復せず、ぼくたちは節々に痛みを感じながら、ある種、その傷や、傷がもたらした衰えとともに生きていくほかないのだと思う。かつての日本のように、みんながそろって右肩上がりに成長していくという未来は描きにくい。東京も地方も弱さを抱えるいま、強いものに依存し、経済的恩恵にあずかろうというような垂直統合的な社会モデルではなく、弱さを開示し、弱さを通じて連携し、人がそれでもなお幸せに生きていくための支援やサポート、つまり「福祉」的な取り組みに投資を行っていくことで、衰えるスピードを抑え、あわよくばわずかな成長を狙うという水平連携の社会モデルが現実的のように思う。強さによる統合から弱さによる連携へ。「地方自治」の意味合いも、少しずつ変わってくるような気がする。
21世紀半ばにおける日本のあるべき姿?
なぜぼくが柄にもなく「弱い連携」などということを考え始めたのかというと、この10年、被災地で震災復興を見続けてきたからだ。少しだけ、震災のことに触れたい。
今年で震災から10年になった。よく聞かれたのが「心の復興」という言葉だ。莫大な予算をかけて、各地でハード面は整備されたけれど、なかなか人は戻らず、若者たちは都市部へと流れ、新しい町のままで過疎が進んでいる。強い孤独や喪失感を抱えた人たち、不安定な暮らしを余儀なくされている人も多い。それで「これからは心の復興だ」という言葉が出てくるのだろうとは思う。けれど、「これから心の復興に着手します」というのは、この10年ものあいだ心の復興が「後回しにされた」ということでもあり、とても複雑な気持ちになる。そもそも復興とは、人も地域も一緒に進んでいくもののはずだ。被災した人たちに支援の手が入り、人が動き始め、地域が息を吹き返し、仕事が生まれ、暮らしが立て直され、新しい拠点に多様な人たちが混じり、地域に共歓の場が生まれ、外からやってくる人も、そこに暮らす人たちも、そして地域も一緒に、共に前に進んでこそ復興だとぼくは考えている。どっちが先って話でもないし、10年経ってなお「心」が置き去りにされて復興していないのなら、それは復興の「失敗」ではないか。
東日本大震災復興基本法の第2条には、こんなことが書いている。「被害を受けた施設を原型に復旧すること等の単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策及び一人一人の人間が災害を乗り越えて豊かな人生を送ることができるようにすることを旨として行われる復興のための施策の推進により、新たな地域社会の構築がなされるとともに、21世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指して行われるべき」と。
皆さん、どうだろう。「21世紀半ばにおける日本のあるべき姿」。正直なところ「新しい地域社会」が構築された感じはしない。むしろ、莫大な予算で右肩上がりの時代の「ハコモノ行政」が生き延びていると感じないだろうか。現実には、少子高齢化や人口減少が深刻な速さで進んでいる。この「弱い」被災地で、人口増加や経済成長が見込めた時代の「強い」復興を目指してしまった。そのギャップが心の復興の足かせになったのかもしれない。
とまあ、そんなことを考えるようになり、情緒的な言い方になるけれど、ぼくは、強さじゃなくて「弱さ」を通じて、地域の連携を、自立を、地方自治を考えていけたらいいなと思うようになった。
どの地域も、東京すらも課題だらけ。傷や課題を隠すのではなく、むしろ開示し、弱さを通じてつながり、共に改善点や解決策を探る社会のほうに、ぼくは現実的な未来を夢想する。強さは競争と排除を、弱さは協力と連携を生む。そうして横に地域がつながることで、国が示す「レディメイド」の地方創生をなぞるのではない、地域ならではの「オーダーメイド」の地域づくりが生まれたらいい。それこそ「21世紀半ばにおける日本のあるべき姿」なんじゃないのかな。
コロナ禍で、ぼくたちは「強いリーダーシップ」を求めた。国のトップや自治体のリーダーたちの強いメッセージによって感染を食い止め、人々の不真面目な行動を制限して欲しいと。けれど、強さを求めすぎて、メッセージの強さ、声のトーン、身振り手振り、いわばパフォーマンスにばかり気を取られていなかっただろうか。テレビを繰り返し見続けるうちに、見えにくい地味な仕事や現場の苦悩を知ろうとせず、分かりやすい情報ばかりを追い求めてこなかっただろうか。
危機の時代は、リーダーに強さや頼もしさが求められる。ぼくたちは、わかりにくい現場の状況を理解しようとせず、複雑さとは真逆のわかりやすいメッセージを欲しがってしまう。けれど、やはりその裏側には、ぼくたちの暮らしを成り立たせている、弱く複雑な現場がある。やはりぼくたちは「強さ」を抑制的に見ていく必要があるだろう。いくら強そうなリーダーでも「自立」や「自助」ばかりを強調されても困る。弱さを認め、弱さを知ろうとするリーダーなら心強い。
うーん。さすがにテレビに張り付きすぎたかもしれない。ローカル・アクティビストと名乗っているくらいなのだから、もう少しこの地元の現場に目を凝らし、課題がどこにあるのかを慎重に考えるべきだったと反省している。
思い切って思考の方向性を変えるべきタイミングかもしれない。ぼくたちは、東日本大震災を経験し、「震災後」の世界を生きていると思いがちだけど、気候変動にコロナ禍、豪雨などの災害が頻発するいま、常に「災中」にある。その意味で日本はずっと「弱さ」を抱え続ける。かつてのような右肩上がりの成長モデルではなくて、「災中」を意識した弱さによる社会モデルを獲得する必要があるのではないだろうか。そのビジョンは、震災では見つからなかったけれど、コロナ禍で国民が全員「当事者」となり、みなが弱さを抱え、社会の不確実さや脆弱さ、人生のままならなさを強く意識するようになったいま、ようやく、おぼろげな姿を見せはじめていると言えるかもしれない。その変化をポジティブに考えたい。
先ほど紹介した熊野さんのレポートには、実はこんなデータもある。東京都では、15〜19歳の若者の人口が減っていて、東北や中国、四国、九州ではこの年齢層の若者の人口が増えているというのだ。これは「大学進学」が主な理由だという。つまり、「東京から地方へ」という人の流れはゼロではない。「地域おこし協力隊」のように、自治体がベーシックインカムを保証したうえで、地域づくりに参加してもらうような枠組みだってあることはある。この地方への流れを固定していかないと「地盤沈下」は続く。
ぼくは文中で「マシな地獄を選んだ結果、若者は東京に行く」と書いたけれど、蓼食う虫も好き好きという諺もあるくらいで、「マシな地獄を選んだ結果、なぜか地方を選んでしまった」という人たちもいるはずだ。どうせ地獄だ。大差はあるまい。同じ地獄なら、近くに海があり、山があり、温泉やうまい地酒のある地獄も悪くはない。それに、弱さや課題を知ろうとすればこそ地獄の楽しみ方を自ら編み出すこともできるはずだと思うのだ。ただ、外から見れば地獄に見えるから、そこに明確な意志を持って飛び込むのは難しいかもしれない。だからぼくは、うまそうな魚の刺身と一升瓶の地酒を持って、若者たちや余所者たちがこちらへ落ちて来るのを待つ。まさにアリ地獄の心境で。
ぼくはその穴のなかで、アリが転げ落ちてくるのを待ちながら、地域の地獄を楽しむかたわら、柄にもなくこれからの地方自治について考えている。やはりぼくたちは、コロナ禍を通じて、心のどこかで、多かれ少なかれ新しい社会の有りようについて考えてしまっているのではないだろうか。それは、新たな地方自治の胎動とも言える。その種は、あなたの心の中にも蒔かれている。いや、わざわざこのコラムを読みに来て最後まで読みきってしまったくらいだ。その種は、あなたの中で、もう発芽しているころかもしれない。
写真/小松理虔
つづく
第1回はこちら
著者プロフィール
小松理虔/こまつりけん 1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。ヘキレキ舎代表。オルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、いわき海洋調べ隊「うみラボ」では、有志とともに定期的に福島第一原発沖の海洋調査を開催。そのほか、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。『新復興論』(ゲンロン叢書)で第45回大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著本に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。