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あいまいな地方の私

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福島県いわき市小名浜在住のローカルアクティビスト、小松理虔さんによる地方論です。コロナ禍によってこれまで以上に「地方」への関心が高まる中、全面的な礼賛ではなく、さりとて批判的文脈… もっと読む
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記事一覧

#10_地方に「都市」をもたらし、世界を開く場所としての書店のこと|小松理虔

見直すことと思考すること 自分がいま住んでいる地域の見え方の解像度を上げるのにもっとも手…

#09_観光を「だれかを受け入れる側」として捉えたときに見えてくるもの|小松理虔

いわき市という「都市」 ぼくはいま、福島県のいわき市に住んでいる。東北地方の東南の端っこ…

光文社新書
1か月前

#08_傷ついた後だからこそ、わかった気がするローカル発の「アート」について|小松理…

あえていまアートについて考える 先日、新聞社の方からメールが届いて、ある本の書評を書いて…

光文社新書
1か月前

#07_「リモート」の対義語が「ローカル」だと気づいたとき、メディアについて分かった…

ぼくの肩書き  こんなぼくにも年に2、3度、講演の仕事が舞い込んでくる。「まちづくり」や…

光文社新書
5か月前

#06_いわきの海に泳ぎ、磐梯山に登って思った「わたしのための」子育て論|小松理…

夏の終わり。夏の終わりには…… 10月に入り、すっかり気温が下がってきた。9月は夏日にな…

光文社新書
8か月前

#05_ただ「いる」ことが許される、「ゆるく弱い居場所」の可能性をあきらめない|小松…

居場所とはそもそも何だったか ここ最近、「居場所」という言葉をよく耳にするようになった。…

光文社新書
10か月前

#04_母ちゃんの作った「カツオの揚げ浸し」を食べながら「割り切れない」地方の食について考える|小松理虔

これぞ無限カツオ 梅雨の合間の、真夏みたいにカーンとした青空が広がった日の夕方、の、風呂上がり。艶かしいほど赤く美しい切身を箸で取り、すりおろしたニンニクをぎっちりと入れた濃口醤油につけて一息に口に放り込むと、爆発する旨味とともに「生きててよかった」というわけのわからない感慨に包まれる。分厚くカットした身はねっとりとした食感があり、豊かな余韻を残しつつ、旨味が喉の奥に消えていく。一切れ噛み終わるころにはすでに次の一切れに箸が伸びていて、合間に冷たく冷えたビールを挟みながら、二

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#03_スポーツを「地方のわたしたちみんな」の側に取り戻すということ|小松理虔

家庭持ちのゴールデンウイーク 悩ましいゴールデンウイークだった。何が悩ましいかって、そう…

#02_「弱さ」を通じて地方の政治を変えていくことができるなら|小松理虔

福島にいながら東京が気になって いまはそんなに追わなくなったけれど、コロナウイルスが流行…

#01_死はいつだってぼくの隣にあった|小松理虔

地方と不確実 なんだろう 、妙な感覚なんだけれど、ここ最近、自分に死が近づいてきたように…