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あいまいな地方の私

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福島県いわき市小名浜在住のローカルアクティビスト、小松理虔さんによる地方論です。コロナ禍によってこれまで以上に「地方」への関心が高まる中、全面的な礼賛ではなく、さりとて批判的文脈…
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記事一覧

「都市か、地方か」の不毛な二項対立の思考には陥らないほうがいい理由|小松理虔

 地方都市に暮らしている立場でいうのもなんだけれど、コロナ禍でよく語られた「これからは都…

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#10_地方に「都市」をもたらし、世界を開く場所としての書店のこと|小松理虔

見直すことと思考すること 自分がいま住んでいる地域の見え方の解像度を上げるのにもっとも手…

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#09_観光を「だれかを受け入れる側」として捉えたときに見えてくるもの|小松理虔

いわき市という「都市」 ぼくはいま、福島県のいわき市に住んでいる。東北地方の東南の端っこ…

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#08_傷ついた後だからこそ、わかった気がするローカル発の「アート」について|小松理…

あえていまアートについて考える 先日、新聞社の方からメールが届いて、ある本の書評を書いて…

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#07_「リモート」の対義語が「ローカル」だと気づいたとき、メディアについて分かった…

ぼくの肩書き  こんなぼくにも年に2、3度、講演の仕事が舞い込んでくる。「まちづくり」や…

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#06_いわきの海に泳ぎ、磐梯山に登って思った「わたしのための」子育て論|小松理虔

夏の終わり。夏の終わりには…… 10月に入り、すっかり気温が下がってきた。9月は夏日にな…

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#05_ただ「いる」ことが許される、「ゆるく弱い居場所」の可能性をあきらめない|小松理虔

居場所とはそもそも何だったか ここ最近、「居場所」という言葉をよく耳にするようになった。新聞やテレビなどでコロナ禍で深刻なダメージを受けた人たち、とりわけ子どもたちの現状について語られるとき、彼らの「居場所のなさ」が取り上げられているのを頻繁に目にするからかもしれない。  コロナウイルスの流行で学校が休みになると、子どもたちは家で時間を過ごす。けれど、その家には、仕事を休まざるを得ない父や、雇用状態が不安定な状況になってしまった母…がいることも増えた。みながストレスを溜め込

#04_母ちゃんの作った「カツオの揚げ浸し」を食べながら「割り切れない」地方の食につ…

これぞ無限カツオ 梅雨の合間の、真夏みたいにカーンとした青空が広がった日の夕方、の、風呂…

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#03_スポーツを「地方のわたしたちみんな」の側に取り戻すということ|小松理虔

家庭持ちのゴールデンウイーク 悩ましいゴールデンウイークだった。何が悩ましいかって、そう…

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#02_「弱さ」を通じて地方の政治を変えていくことができるなら|小松理虔

福島にいながら東京が気になって いまはそんなに追わなくなったけれど、コロナウイルスが流行…

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#01_死はいつだってぼくの隣にあった|小松理虔

地方と不確実 なんだろう 、妙な感覚なんだけれど、ここ最近、自分に死が近づいてきたように…

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