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#08_傷ついた後だからこそ、わかった気がするローカル発の「アート」について|小松理虔

あえていまアートについて考える

 先日、新聞社の方からメールが届いて、ある本の書評を書いてほしいとお願いされた。はて、なんの本かと思ってメールを読み進めてみると、中村政人さんの『アートプロジェクト文化資本論 3331から東京ビエンナーレへ』という本について、地域づくりの文脈から読み解いてほしいというオファーだった。

 ぼくはアート業界の人間ではないけれど、なるほど地域づくりの観点からならばなにか書けるかもしれないな、ということでなんとか800字ほどの書評を出した。それにしても、ぼくのような人間に記者さんがオファーを寄越すということは、それだけ地域づくりとアートの距離が縮まってきているということなのだと思う。日本各地でアートプロジェクトが開かれ、アートの持つ力が、地域おこしやまちおこし、あるいは課題解決の手段として使われるようになっている。「地域/ローカル」というものを長いことゆるゆると考えてきたこの連載でも、アートについて考えてみるタイミングかもしれない。

 地域とアート。その距離の縮まりを、さあどのように書いていこうか、わかりやすい実例はどこにあるかと辺りを見回してみると、まず思い浮かぶのがぼく自身だった。なにを隠そうこのぼくも、地元に戻ってきてから急速にアートとの距離を縮めてきたひとりだ。自分のこれまでの体験を分析することで、地域とアートの関わりについて、なにかおもしろい考察が書けそうだ。

 などと考えていたら、ぼくのところに(本当に偶然に)、アートに関する2冊の本が立て続けに届いた。片方は、全国の興味深いアートプロジェクトをまとめた『危機の時代を生き延びるアートプロジェクト』(千十一編集室)という本(こちらはクラウドファンディングのリターン)。もう片方が、東京藝術大学による取り組み「Divercity on the Arts プロジェクト」の活動をまとめた『ケアとアートの教室』(左右社)という本(献本でいただいた)だ。

 前者を「社会とアート」について書かれた本、後者を「福祉とアート」について書かれた本だとカテゴライズしてもいいだろう。現代アートまっしぐらの解説本ではなく、傍流・亜流で、社会や福祉、社会課題とアートの関わりについて考察した本が送られてくるというのがおもしろい。ぼくにもピッタリだと思った。

  そこで今回は、これらの本の力も借りながら、これまでの経験を紐解きながら、地域とアートの関わりについてぼくなりに考えてみたいと思う。まずは少し、過去の「アート経歴」から振り返っていこう。

アートが地域にもたらす「なにか」

 もともとぼくは、アートなんぞにこれっぽっちの興味もない人間だった。転機はいまから14年ほど前にさかのぼる。2008年ごろだろうか。中国の上海で日本人向けの情報誌をつくっていたとき、上海のアートシーンについて特集したことがある。当時の上海はアートへの投資が盛んに行われ、市内のさまざまなところにアートスペースやギャラリーが建設されていた。そこで、個人的に気になっていたアーティストやディレクター、話題のギャラリーなどに取材して回ったのだ。

 ただ、ぼくが興味を持ったのは、個々の作品やアーティストの生き様、ではなく、アーティストたちの存在が「結果として地域になにをもたらしたか」だった。作品についての解説は難しいけれど、彼らの存在がその地域になにをもたらしたかなら、ぼくにも取材できたからだ。

 たとえば、上海を代表するアートセンターに「M50」という施設がある。上海市内の莫干山路という通りに建設された大変有名なアートセンターだ。もともとは工場だったそうだが、アーティストたちが入って制作拠点にしたところ、次第にギャラリーやアトリエができ、人が集まるにつれて商業施設ができて「アートエリア」として発展した、そんな場所だ。

 何度か足を運んでみると、アーティストたちがゆるいコミュニティを形成していることに気がついた。彼らの作品を見に、彼らのプロジェクトに参加するために、あるいは世界のさまざまな問題について語り合うためにいろいろな人たちが集まってくるのだ。その人の輪は、「お客さん」というよりも距離が近く、かといって強い交友関係とまではいかない。言うなれば「知り合い以上友人未満」というか、「観客とスタッフのあいだ」というか、まさに当事者と非当事者のあいだにいる人たちのコミュニティが、アーティストの周りに出現しているのがおもしろかった。

 国家による監視や管理が強く働く中国だが、作家たちはその監視を巧妙にかいくぐり、むしろその国家のありようを批判的に捉えようと奮闘していた。彼らは現実としては上海に住んでいるけれど、国家の外にいるようだった。ぼくは、そんな「はみ出し者」たちとの交流に、言いようのない居心地の良さと刺激をもらったものだ。ぼく自身も外国人としての孤独を感じていたし、現状をぶっ壊したいような思いに駆られていた時期だったからかもしれない。

 その一方、話題のアーティストの個展が開催されれば、彼らの才能に投資しようという資産家やセレブリティもやってくる。身につけている服に時計、車、彼らが案内してくれるレストランやクラブ。それらは、世界的なバブル経済にあった上海マネーの、凄まじいまでのパワーを感じさせるものだった。

 ぼくは一時期、半年ほどだが、上海市内のアートギャラリーの通訳をしていた時期がある。ギャラリーの地下には、国中から買い集めた若手作家の作品が収蔵されていた。これが10万元、これは20万元と、札束を数えるように作品を紹介してくれたマネージャーの姿を、いまでもはっきりと覚えている。そこにもコミュニティはあった。ギャラリーに集まる人たちとクラブに行って個室を借り、サイコロで遊びながらウイスキーをガブ飲みしたりしたこともあった。これもまた、アート(やそれにまつわる投資)がつくり出すコミュニティのひとつなのだろう。ぼくは、こんなふうにアートのつくり出すコミュニティのほうに「上海らしさ」を感じ取っていったわけだ。

 もう一つ興味が湧いたのは、彼らの存在がその地域にもたらすものだった。アートセンターができたことで多様な人が集まるようになると、その周囲にはギャラリーやアトリエだけではなく、さまざまなショップができる。すると、週末などに人が訪れるようになり、次第に観光地化されていくのだ。メディアなどで取材されるうち、エリア全体の注目度やブランド力も上がり、地価が上がって再開発の対象になり、最終的にはショッピングモールができたり高級マンションができたりする。当時の上海がすごかったのは、そのサイクルの速さだ。たった数年で、その街の風景がガラリと変わってしまうような印象だった。経済が落ち込んでいた日本では到底真似のできないそのダイナミズムに、ぼくは痺れた。

 だが、ここで大事なのは、彼らが、まちづくりのために、地域の経済発展のために、あるいは、コミュニティの創出のために作品を作っているわけではない、ということだ。

 彼らがもたらすものは、いつだって主たる目的にはなり得ない。それらは、彼らのアクションの「結果として」偶然にもたらされるもので、うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。人が来るかもしれないし、来ないかもしれない。作家たちは作品をつくりたくてやっているだけで、副次的効果など知ったことではないのだろうと思う。

 一方、そこに暮らすアーティストでもないぼくたちは、ついつい、地域の発展とか観光誘致とか経済効果とか、そういう目的や成果のような価値観を持ち込んでしまう(いまの日本における地域アートも似たようなものかもしれない)。しかし、だからこそぼくたちは、アーティストたちが示す新たな価値観や社会の捉え方、彼らの根源的な衝動に触れることで「揺さぶられる」のだ。彼らは、ぼくたちとは違う世界を見ている。その世界を見てみたくて、触れてみたくて、ぼくたちは彼らのもとを訪れる。その結果、ぼくたちが勝手に盛り上がり、地域が活性化されたり、されなかったりするわけだ。

 次第にぼくは、自分の生まれ育った小名浜でも、彼らのような人たちと、なにかおもしろいことができるのではないかと思うようになった。ぼくは作家ではないし、キュレーターやディレクターにもなれない。ただ、場をつくることならできそうだった。

 上海の取り組みにをさらに取材してみると、各地に、なんだかよくわからないがたまにギャラリーになったり、いろんな人たちの居場所になったり、バーやイベント会場になったりする、要は「多目的でなんにでもなり得るスペース」が点在していることがわかった。そういう場所は、どうも「オルタナティブスペース」と呼ばれているようだった。そうか、オレがやりたいのはこれだ! と確信し、地元に帰ることになる。

 いま、ぼくの仕事場になっている「UDOK.」というスペースは、こうして誕生した。その意味で小名浜と上海はアートを通じてつながっていると言える。なぜならぼくの小名浜でのアクションそのものが、上海のアートシーンから得た刺激によって誕生しているのだから。アートって、そのくらいの力があるものなのだ。

アーティストでない人たちの芸術祭

 そんなわけで2011年5月にオープンしたUDOK.には、材木屋営業マン兼ウェブマガジン編集者のぼくに加え、ゼネコン勤めのドローイング作家、かまぼこ職人のVJ兼DJ、原発事故から避難して移住してきたサウンドクリエイター、独立を目指すフォトグラファーの氷屋や、キルギス帰りの歴史研究家や非正規労働で疲れ切ったクラフト作家…と、予想以上に興味深い人たちが集まった(こうした愛すべき人たちは、連載の過去回でも詳しく紹介している)。

 週末になると、みんなでよくイベントを開催した。文化や歴史に詳しい講師と共に街を歩いたり、散歩するついでに写真を撮ったり、街の風景をスケッチしたり、クラブイベントのような催しを開いたり。どれも小さなイベントだけれど、毎週のようになにかをやっていた。ワークショップや制作プログラムを数年間ずっと連続して開催していたようなものだ。

 やればやるほど、新しい仲間が見つかったり、知り合いが増えたりした。そして、小名浜という街がこれまでとは違った魅力を放っているように思えてきた。いつの間にかぼくたちの手元には、自分たちが自ら制作してきた写真やらスケッチやら、何十という「作品」が集まっていた。

 そこで企画されたのが「小名浜本町通り芸術祭」という企画だった。せっかく作品が集まってきたのだから、自分たちを「作家」に位置づけ、自分たちの作品をまちなかに展示してしまおうと考えたのだ。UDOK.だけでは手狭なので、商店街全体にはみ出し、知り合いの喫茶店や、小名浜のシンボルだったショッピングモール「リスポ」の店内、商店街のシャッターにも作品を展示した。予算はほとんどなかったけれど、「業界初の低予算アートプロジェクト」を自称して自分たちでおもしろがった。

 小名浜在住のグラフィックデザイナー、髙木市之助実行委員長のもと、2013年に第1回を開催すると2020年まで合計で6回も開催している。外部にツテもないので著名な芸術家を招くこともできないし、招待作家はほとんどが地元で活動する作家たちだった。当然、このDIY芸術祭が日本の美術史に名前を刻むことなどないだろう。

  だが、ぼくたちはそれでも表現したかったのだと思う。愛すべきクソな地元を楽しみ尽くしたかったし、そこで生まれた作品を展示して、いろいろな人たちと交流したかった。震災や原発事故という未曾有の災害を経験したばかりで、皆それぞれに不安や不満、閉塞感を抱えていた時期だ。モヤモヤを爆発させたかったのだろう。

 気づくと、地域の人たちとの関わりが生まれていた。作品を展示するにはお店に交渉に行かねばならない。交渉だけだと失礼だから、お店で買い物をしたほうがいいな、コーヒーも飲んでいこう、そんなふうに振る舞ううちに、世代を超えた交流が生まれていて、そのうち「期待してるぞ」とか「がんばれよ」なんて声をかけてもらえるようになった。芸術祭は、街との関わりも変えていたのだ。

 ぼくはこうして、芸術祭を主催する側、作品を制作する側に回ることで、これまでにない視点で小名浜という街を捉えられるようになった。「地元にないものは、自分たちつくることだってできる」という経験を積むこともできた。そしてなにより、そういう活動を続けることで、新たな仲間を獲得し、コミュニティが豊かになり、震災と原発事故で受けた傷もまた、少しずつ癒えたのだと思う。

 初めに紹介した1冊目の本、『アートプロジェクト文化資本論』には、アートプロジェクトを「専門性と市民性」という座標軸と「持続性と即応性」という座標軸、ふたつの軸で捉える考え方が紹介されている。たとえば、瀬戸内国際芸術祭のような各地の国際芸術展などは、「専門性・高」かつ「持続性・高」に位置づけられ、震災復興活動やコミュニティ支援などは「市民性・高」かつ「即応性・強」として位置づけられている。この座標軸に当てはめるなら、小名浜本町通り芸術祭は、市民性が高く持続性と即応性はちょうど半分くらい、といった感じだろうか。この座標に当てはめることで、ぼくたちのような地域のプロジェクトをポジティブなものとして捉えることができる。

 また、同書には、「観光や街づくりの予算と抱き合わせで計上されるようになってから、かえってどんな地域でも芸術祭が開催できるようになった。このことでアート界の既存の構造が変化しはじめ、アートに関してどんなに『未開』だった場所でも、いまやアート活動を始めることができるようになった」と書かれている。

 この本の著者である中村政人さんは「東京ビエンナーレ」の総合プロデューサーを務めているような方だが、その中村さんが「過渡期」だというのだから心強い。ぼくたちの小名浜での取り組みだって、過渡期だからこそ生まれた有象無象の一つとして位置づけることもできるかもしれない。

 何らかの資格があってアーティストになるわけではないし、美大を卒業していなければ作家になれないわけでもない。なにか表現したいものがある人はみなどこかに作家性を持っているし、それを認めなければ、地方のこんな小さな商店街で低予算の芸術祭など開けない。それぞれの表現を大切なものとして捉え、作家性を認めていけば、その地域に作家を増やすこともできる。もちろん、あなたの地元でも。

 その一方で、自分たちでやってみたからこそ、芸術家たちの創造力の豊かさ、社会に向けられた目線の鋭さ、作品の射程の長さには到底敵わない、とも思った。ぼくたちのような地元の人間だけでは、どれほど外の目線を意識したとしても、地域に対する批評性が鈍るし、作品としての強度も弱く、地域の歴史や文化との連続性も作りにくい。やはり「餅は餅屋」で、アーティストにしかできない表現というものがある。

 芸術家たちの、時空を飛び越える目

 小名浜でこんな活動をしてきたからか、次第に、UDOK.を展示場所として使えないか、演劇を上演できないか、などというオファーが届くようになった。どうとでも使える場を持っていたことで、ぼくたちは福島の外にいる作家たちとつながることができるようになったわけだ。オルタナティブスペース、やっててよかったなあ。

 なかでも最も印象に残っているのが、2016年、全国的な活動をしていたアートグループと共同で、小名浜を舞台にツアー型の芸術祭を開催したことだ。いわき市に残る「浦島伝説」や「龍」に関するさまざまな伝承を下敷きに壮大な物語を創作し、その物語に関連する作品を小名浜地区の複数の場所に展示して、それを巡るという企画だった。参加したアーティストは10組以上にのぼり、ぼくは地元担当として会場を押さえたり、移動の車を出したり、アーティストたちのさまざまな要望を聞き、地元の人たちとの調整にあたった。

 彼らは、100年、1000年という時空を超えて地域の物語に耳を傾け、作品に落とし込んでいく。そこには、ぼくたちの知らないいわきの魅力や課題が描き出されていた。震災や原発事故が生み出したものについても、的確に射程にとらえていた。現地の調整役の仕事は大変で、けっこうな無理難題もあったけれど、作品をすべて鑑賞し終わったとき、こんなふうに地域を捉えられるものなのかと驚嘆した。そして、地元を見る目が一変してしまった。大袈裟な言い方だけれど、あの展示に関わる前と後で、ぼくはほとんど別人になっているはずだ。

 このプロジェクトは、開催期間だけではなく「その後」にも影響を残している。プロジェクトのリサーチ段階で、いわきの沿岸部の複数の地点に「八大龍王」という水の神様を祀る石碑があることがわかった。さらに、いわき市には浦島太郎が生まれた家とされる神社があったり、「龍」と名のついた岬が複数あったり、竜宮城の使いが寺院に献上した灯り(「龍灯」と呼ばれる)が見えたという伝承があったりと、なにかと「龍」にまつわる伝承があることがわかってきた。それらを膨らませ、龍にまつわる伝承や民話、震災復興などについて考える「磐城八大龍王巡り」というツアーが生まれたり、「いわきの龍」について語るイベントが開かれたりと、プロジェクトの外にもじわじわと影響を与えている。芸術家たちが再発見した「龍」が、地域の文化を語るうえでのキーワードになったわけだ。

 彼らが切り開いた場には、新しく関心を持った人たちも出入りする。ツアーを実際に歩いてみたい、観光してみたいという人もやってくる。案内する人によって異なるツアーコースも生まれてくるし、実際、ぼくは県外からやってきた観光客を連れて、この龍にまつわるスポットを巡ったことがある。ぼくはもはやツアーコンダクターだ。アートプロジェクトを通じて、地域に新たな風を吹き込むコミュニティや役割が生まれたということだ。

 ここまでくると、アートを「作品」と考えるだけでは足りなくなる。アートは、地域に飛び出していくと、作品ではなく「出来事」になっていくのだ。その出来事は創造性によってつくられていく。だから、その出来事に巻き込まれると、自分たちが持っている創造性にも飛び火して、地域を見る目が変わったり、社会課題を捉える角度が変わったりする。アートは、この地に暮らすぼくたちが、ここで生き続けるための力を育んでいるといってもいいだろう。

福祉とアートの親和性

 もう一つ。浜松市にある認定NPO法人、クリエイティブサポートレッツの実践も紹介したい。レッツは、アートの手法を用いてだれもが自分らしい時間を過ごす場を提供し続けている法人として知られている。理事長の久保田翠さんとは、たまたまあるアートプロジェクトを通じて知り合い、次第にレッツが運営する場に出入りするようになったのだが、レッツと関わったこの数年で、ぼくの価値観は、また再び大きく揺らぎ始めた。

 興味深いのがレッツの掲げる「表現未満、」という概念だ。たとえば、知的障害のある人たちの行いは、社会では「迷惑行為」とされてしまうことがある。だが、その行動を「迷惑行為」ではなく、表現とまでは言えないまでも、その人らしい大切な「表現未満、」なのだと考えて、その行為を受け止めようとするのがレッツの取り組みだ。法人の立ち上げ以降、アートや演劇、建築などさまざまなジャンルの人たちとプログラムを組んでいて、久保田さんは「芸術選奨文部科学大臣新人賞」を受賞している。福祉事業を手掛ける法人の代表が、芸術の賞を受賞しているというのがすごい。

 レッツの日常は、実にカオスだ。福祉事業所にありがちな「作業」はない。利用者は、寝たければ寝てもいいし、楽器を鳴らしたければ楽器を鳴らしてもいい。紙をひたすら細かくちぎっている人もいるし、ドラムを叩きまくる人もいる。スタッフは、それぞれの「これがしたい」に寄り添い、スタッフ自らの得意とする表現なども組み合わせながら、実にクリエイティブに、日中の「過ごし」の時間を作り出す。レッツのスタッフには、福祉の専門家はほとんどいない。演劇や音楽、アート、デザインや映像など、なにかしらの表現に関わったことのあるスタッフが多いのが特徴だ。さまざまなバックボーンを持っているスタッフもまた、それぞれの「表現未満、」をぶつけ合って、多様な利用者との過ごしの時間を作り出している。

 そしてそのクリエイティブな「過ごし」を、施設の中だけにとどめず、まちなかでやろうとするのがレッツの最大の特徴だ。利用者とともに頻繁に散歩をしたり、玄関先で地域にはみ出しながら音楽ライブを開いたり、イベントを開催する際にも、利用者たちが自由に歩き回ったり、昼寝したり歌ったり踊ったりしている。とにかく施設の外に出て、一般の人たちに見えるかたちで「表現未満、」をしているのだ。

 冒頭で紹介した2冊目の本、『危機の時代を生きのびるアートプロジェクト』において、著者の橋本誠さんは「レッツはアートを目的にしているのではなく、常に新しいアプローチで社会に関わりながら、問いを投げかけること自体をアート的な活動ととらえて、活動を続けている」と紹介している。そうなのだ。レッツは、社会への問いかけ、働きかけそのものをアート的な活動と位置づけて、毎年のようにさまざまな取り組みを仕掛けている。まさにその活動、アクション、出来事がアートプロジェクトなのだ。

 レッツの活動に触れると、価値観が揺さぶられる。障害とはなんだろう、支援とはなんだろう、表現とはなんだろうと次々に問いが生まれるのだ。その体験で得られる衝撃は、先ほど紹介したようなアートを鑑賞したときの衝撃に似ている気がする。少なくともぼくにとっては、レッツで過ごす時間と、アートプロジェクトに参加する時間には、なにか共通するような価値観の揺らぎがあると感じられるのだった。

 なぜだろう。先ほど紹介した本の中で、橋本誠さんは「アートプロジェクトが持つ特徴のひとつとして、それはアーティストのみの手により実現されるものではなく、誰もが持つ創造力が相互に刺激し合い引き出され、思いもよらない風景がそこに立ち上がる、ということがあると思う」と言及している。

 たしかに、と思った。レッツでは、アーティストが作品を提供し、鑑賞者はそれをただ鑑賞する、というような強い縦の関係がない。それぞれの創造力が相互に刺激し合い、引き出されるからこそ「思いもよらない風景」が立ち上がるのだろう。これはレッツに限った話ではない。小名浜本町通り芸術祭にも、龍をめぐるアートプロジェクトにもあったと思う。みな「作品」ではなく「出来事」に巻き込まれる。だから鑑賞者は「共犯者」になり、相互に関わり合うことで「思いもよらない風景」を立ち上げてしまうのだ。

 ただ、ここまで考えてきても、まだ福祉とアートとの間には距離があるように思う。たしかに、レッツがそうであるように、だれもが有する「表現未満、」のようなものを掬い取ろうとすれば、福祉とアートは密接に結びつくようにも感じられるし、実際、障害のある人たちの芸術作品を「アール・ブリュット」と呼んで振興を図るような動きもよく目にする。普段からなにかしらの表現行為を取り入れている福祉事業所も少なくない。だが、まだ点と点がつながらない感が字するのだ。

 そこで、本稿3冊目の参考書『ケアとアートの教室』を開いてみると、「はじめに」のところに、こんなことが書いてある。この部分はとっても大事なことなので、そのまま引用する。

ここでいうアートとは、絵画や彫刻といった、いわゆる作品と化したものだけに限らない。ひとが日常のなかで食事を少しでも美しく盛りつけたいと思う気持ちや、ファッションを通して何かを他者に印象づけようとする行動も、誰のなかにでもある「アート=創造性」なのである。そして、ひとはどんな苦境においても、そうした創造性を完全に忘れることはない。むしろ、そうした創造性に小さな喜びや希望を見出し、自己と向き合い、ときに他者とそれを共有することで、ひとはひとらしくあり続けることができ、「生きよう」とする思いを強くできる。

 ここだけを読むと、「アート=創造性」とイコールで結んでしまっていいのか、とも躊躇するけれど、たしかにぼくたちが小名浜本町通り芸術祭で目指したことも、これだったんだなと思わずにいられない。目の前の風景を自分らしく描いてみようという創造力。震災のもたらした問題や課題を、ネガティブにではなく、できるだけおもしろがろうとしてみる創造力。ぼくたちは、津波や原発事故で深く傷ついたからこそ、自分たちに備わった創造性を起動し、そこに小さな希望を見出し、自分らしく生きる力を取り戻そうとしたのではないか。

 そしてその次の段階では、人並外れた創造力を持ったアーティストたちと地域をめぐることで、アーティストの持つ批評的な視点から地域を見ることができた。なぜこの地域に原発があるのか。なぜこの地域は、これほどまで分断されなければならないのか。彼らとともに地域の課題を見つめ直すのは地元民としてはつらい経験だったけれど、彼らの力を借りて、いったん課題や困難の「外側」に出てみることで、広い視野で自分たちの状況を客観視できた気がする。ぼくは、彼らのおかげで、この地で生き続けることの納得できる意味みたいなものを感じることができた。

 福祉の現場で実践されていることにも共通する。だれかの生きにくさや課題はほんとうに課題なのか。課題をつくっているのは障害者本人なのか、あるいはそうではない人たちのほうなのか。外部の視点を取り入れながら社会に開き、さまざまな活動に巻き込みながら、ぼくたち自身の価値観を揺さぶろうとしている。

 アートとは、そうして、そこに生きるぼくたちの暮らしや日常に、これまでとは別の角度から光を当て、目の前の現実を一度引っぺがしたり、どこか別の場所に連れて行ってくれたり、対話を促したり、100年1000年を超える視座を提供してくれたりしながら、まさに「生きるために必要な力」を分け与えてくれるものなのだろう。もちろん、出会い方によっては、強いショックを受けたり、新しい傷を受けたりするかもしれない。けれど、それでもアートはだれに対しても開かれ、さまざまな人に作用する。

アートプロジェクトとローカル

 ここまで見てきたように、アートというのは、もはや「作品」というより「事象」であり「出来事」なのだと言っていいと思う。多くの人たちを巻き込んで「プロジェクト化」され、作品が完成したあとだけでなく、制作途中のプロセスにおいても、さまざまななにかを、関わった人たちに残していく。

 思えばこの震災後の11年。ぼくは一貫してアートプロジェクトに関わり続けてきたと言えるのかもしれない。食や観光など、小さな企画をいくつも立ち上げ続けてきた(この連載でも紹介してきた)けれど、それすら「派生プロジェクト」と位置付けることができるかもしれない。「自分」という存在をプロジェクトの主体だと考えれば、ぼくというアートプロジェクトが、もう11年も続いてきたことになる。

 周囲を見渡せば、この11年の間に出会った人、いっしょにコラボレーションをしてきた人たちとのゆるやかな関係が続いている。漁師もいれば料理人もいて、アーティストもいて、作家も研究者もいれば、妻も娘もいる。UDOK.を通じて出会った仲間たちもいる。そうして「自分というプロジェクト」を中心に広がる人間関係のことを「コミュニティ」と呼ぶのではないか。つまりこう言い換えてもいいだろう。ぼくは、一人の「人生の表現者」として自らアートプロジェクトを立ち上げ、震災や原発事故という危機を生き抜いてきたのかもしれないと。

 その「自分というプロジェクト」が、11年ものあいだ、一貫して「福島県いわき市小名浜」という地域で行われてきたことにも改めてハッとさせられる。そこには、さまざまな人の顔が見える。おもしろい店や興味深い風景がある。歴史や文化、そして誇りがある。そうして浮かび上がる小名浜という地域は、もはや単にマップ上に示された特定の区域ではない。自分というプロジェクトが作り上げてきた、まさに「生きる現場」としての「地域/ローカル」だ。

 なにもない、つまらないと思えたあなたも地元にも、自ら「出来事」をつくることはできる。あるいは、日本の各地で開催されていているアートプロジェクトに参加して、その活動に「巻き込まれて」みるのもいいだろう。彼らとともに想像力を起動し、さまざまな人と出会い、「思いもよらない風景」を立ち上げてみよう。地域とは、ローカルとは、まさにそのような実践のあとに生まれてくるものなのだ。

 

 

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著者プロフィール

小松理虔/こまつりけん 1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。ヘキレキ舎代表。オルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、いわき海洋調べ隊「うみラボ」では、有志とともに定期的に福島第一原発沖の海洋調査を開催。そのほか、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。『新復興論』(ゲンロン叢書)で第45回大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著本に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。

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