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『ポルノ・ムービーの映像美学』|馬場紀衣の読書の森 vol.23

まず作品の数に驚かされる。それから、取りあげられる女優の数に驚く(ご丁寧に一人一人の解説までついている)。二度驚いて、それから、まだ映画を観るという喜びが残っている。

エロティック映画からハードコア・ポルノまで、エポックとなった作品を年代順に追いながら、ポルノ・ムービー100年の歴史を辿れるように構成されたこの本は、内容が充実しているぶん、ページ数もたっぷりとあって読みごたえは十分すぎるくらい。

世間では下品とか、下劣とか、とかく「下」の意味をもって表現されがちなポルノグラフィティの類だけど、ジョルジュ・バタイユ的なエロティシズムでも、単なるエロでもどちらでもかまわないけれど、エロティックな好奇心や刺激を求めてポルノ・ムービーを観たことのある人なら、ポルノ・ムービーがけっしてポルノだけで完結しているのではないことを承知しているはずだ。

映像のなかにはストレート映画と同様に、時代精神の表れがあり、映画的な引用があり、映像的な快楽が、もちろんある。まあ、多少(ときには過激に)下品なものもあるけれど、膨大に制作されるストレート映画のなかに凡庸な駄作と傑作が混在しているように、映画界の末席に位置するポルノ・ムービーにも、駄作と良作がある。なにより、ストレート映画では味わえない蠱惑的な美しさに特化した映像に出合うチャンスもある。そして良作に出合えた時の喜びは、ほかの映画と同様、やっぱり嬉しいものがある。

ただ、これはあくまで個人的な経験なのだけど、ポルノ・ムービーを観て「これはハズレだった」というのは、あまりない、気がする。駄作でも、くだらなくても、ポルノ・ムービーというものが観る人にとって、つねに個人的な映像経験でありつづけるからかもしれない。

長澤均『ポルノ・ムービーの映像美学 エディソンからアンドリュー・ブレイクまで 視線と扇情の文化史』、彩流社、2016年。


なにしろ映画史100年の流れが綴られているので、その魅力をすべて紹介しきれないのがもどかしい。もどかしいという意味では、ポルノ・ムービーには映像が残っていない作品というのがままある。世界で最初のハードコア・ポルノ映画は1908年にフランスで製作された『A L'Écu d'or ou la Bonne Auberge(黄金の盾あるいは良宿)』という作品らしいのだけど、それらしきスチール写真が残っているだけで「観る」ことはかなわない。あるいは1907年に、こちらもやはりフランスで製作された『Le Voyeur(盗撮)』こそ最初のポルノだという説もある。こちらも情報はほとんどない。

最初期のエロティック・フィルムは闇市場で流通していたから、一般的な映画史のように記録が残りにくいのだ。フィルムが失われた理由はほかにもある。たとえば、最初のポルノとされている『A L'Écu d'or ou la Bonne Auberge』は、『A Les Culs d'Or(黄金の尻)』というタイトルでも流通していたし、またあるときは『Mousquetaire(銃士)』の名で出まわっていた。

たとえ同じ映画でも、上映される場所や、ときには業者が勝手にタイトルを変えてしまう、なんてことがあったらしい。どうしてこんなにややこしい真似をするのかというと、複数回の上映を可能にするためで、あるタイトルで上映したらタイトルロールだけを作り直して、もっと扇情的なタイトルでふたたび上映するといった具合に、観客を「搾取」していたのである。そうしてチケットを購入した客が「騙された!」と思うのか「ラッキー!」と思うのかはわからないけれど、とにかく、こうしてポルノ・ムービーの時代は幕を開けたのだ。



紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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