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タイ人を理解する鍵となる感情「怒り」|「微笑みの国」タイの光と影 vol.29

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
今回は、本連載のタイトルでもある「微笑」よりも重要な、タイ人の人間性を考えます。それは「怒り」。もちろん個人差はありますが、タイで長く暮らすと、怒りっぽいタイ人が多いことに気付くそう。そこには格差や学歴などを超えた「気質」のようなものが見えてきます。また、外国人相手には強く出られる構図もあって……

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同じ系統の民族のラオ族はあまり怒らないのに……

 タイの隣、ラオスの首都ヴィエンチャンで、現地在住の日本人と話していたときにタイ人の気質について訊かれたことでハッとした。
「タイ人ってなんであんなに怒りやすいんでしょうね」

 ほとんど同じ出自の民族であるラオス人はそんなに怒らないという。確かに、ラオスを旅行すると普通にタイ語が通じ、タイと同じように旅行ができる。その際にはとても穏やかに過ごせるので、ラオスはとてもいい国だと感じる。タイ人にとっても同じようで、ラオスは数十年前のタイのようなノスタルジーがあるという人もいる。

 ラオスは社会主義国ということもあって、メディアはかなり規制されている。ベトナムもそうだが、どこまで本当かわからないものの、殺人事件などの重大な犯罪はほとんど起こらないといわれている。深夜にひとりで街を歩いても、なんら危険を感じないほどだ。ベトナムはタイほどではないにしても短気な人を見かけるが、実際にラオスではカッカするラオス人に会うことはまずない。

ヴィエンチャンのナイトマーケット。穏やかで誰もケンカしていない。

 一方、タイはというと……。
 タイの殺人事件などは人口比でいうと日本の数十倍の発生率だとされる。銃器所持にはある程度の資格を満たす必要があるものの、一般的なタイ人であれば購入できる。徴兵制度もあるので、銃器を扱った経験がある人も日本人より圧倒的に多い。

 近々日本では陸上自衛隊の新隊員が射撃場で上官らを殺傷した事件が大きなニュースになったが、タイでも軍人や元軍人などによる銃器の犯罪がよく起こる。近年の大きな事件では、東北地方のナコンラチャシマー県で2020年2月、上官の私的なビジネスでこき使われた兵士が完全にキレてしまい、上官などを射殺後に商業施設に立てこもり、29人を殺害し、58人の負傷者を出した。これを見ると、日本の自衛隊の事件は民間人などを巻き込まなかっただけマシと思えてしまうくらいだ。

 こういった環境に慣れてしまったのですっかり感じなくなったが、いわれてみれば確かに、タイ人は驚くほどにカッとしやすい。日本ではよく「瞬間湯沸かし器」などと揶揄されるが、タイにはこういう人が日本の比ではないほどに多い。先述の兵士のように、カッとなって前後の見境がつかなくなり、文字通り「キレて」しまい誰かを殺してしまう事件は本当によくある。
そのため、タイでは日々、ニュースにならないくらいにひどい事件が起こっている。男女の痴話ゲンカをきっかけに相手を殺傷するということも頻繁だ。

 先日観ていたテレビではタイのセミプロのカーレース・シリーズが放映されていた。その中のデッドヒートで、うしろの車がコーナーの減速時に前の車に合わなくて軽くヒットしてしまった。すると、ぶつけられた方はうしろの車が横に並んだ瞬間、故意に車をぶつけて妨害していた。日本のモータースポーツではまず見ることのない場面である。

外国人観光客はめったに遭遇しないが、銃が身近なタイでは犯罪も少なくない。

イライラしている職業はある程度決まっている

 こういった怒りやすい気質はタイ人全般にあると思う。怒りをコントロールすることを最近は「アンガーマネージメント」などというようだが、当然ながらタイにそんな言葉はない。

 先に殺人事件の認知件数が日本の何倍もあるとしたが、実際に小さな暴行事件、傷害事件はそこら中で起こっている。不良少年たちが徒党を組んで暴力事件を起こすこともある。1対1で男気を見せるようなケンカなんかなく、相手を叩きのめすためには手段を選ばない。

 血の気の多い若者がケンカっ早いのはまだ理解できる。しかし、中年・高齢男性も暴力事件を起こしているのだから手に負えない。日本では煽り運転などがよくニュースなどに取り上げられるようになって、逮捕者も多くなってきている。タイも似たような交通トラブルはよくある。だがタイでタチが悪いのは、カメラがあろうがなかろうが、運転手を引きずり出して暴行することもよくあるのだ。あるいは、なにか行き違いがあったときに仕返しにブレーキを踏むこともある。怖いケースでは、高速道路で時速約120キロからほぼ停止状態に近いくらいにまで急ブレーキを踏むこともある。かつて、客を乗せたタクシーがボクの斜め前でほかの車に対してそういったことをしたところを見た。報復相手だけでなく、自分の車だってほかの車から追突される可能性だってあるのだが、そこまで考えていない。というか、考えられないくらいにカッとなっているのだ。

 アンガーマネージメントという言葉はないが、こういった冷静さに関しては富裕層の方がわりとしっかりしていると思う。ただ、決してそれがいいというわけではない。タイの富裕層は下の階級の人を人間とも思っていない人も少なくないので、その場では怒らなくても、あとでもっと陰湿な仕返しをすることもあるからだ。

 富裕層やある程度ちゃんとした地位にいる人、あるいはそれなりの金額を扱う職業の人は、一般的な外国人観光客やタイ在住者に対して基本的には穏やかに微笑んでおり、表立って怒りをあらわにすることはそうない。逆にいうと、瞬間湯沸かし器な性格を持っている人はある程度職業などが絞られてくる。わかりやすいところでいえば、タクシー、バイクタクシー、飲食店店員、売春などに関係するようなバーなどの店員が多い。

タイの外国人向け歓楽街には外国人に対してイラつくタイ人が少なくない。

なにがタイ人をそんなに怒らせるのか?

 あくまで観光で来た人にもわかりやすい職業を並べているが、冒頭にも述べたように、これらの仕事の人は本当によくおキレになられる。どうしたらこんなに人は怒れるのかというくらい、イライラしている。

 以前、バイクタクシーに乗ったときに、ボクは明確にどこそこに行きたいと告げたが、相手が聞き間違えた。ただ、実際に行きたい場所はすぐ近くであり、聞き間違えた方はずっと先だ。だから、思っていたよりも遠かったわけじゃない。そこでボクを降ろして、また戻って客を取ればいいだけの話である。しかし、バイクタクシーのおっちゃんは怒り狂っていた。

 タイではタクシーの乗車拒否がよくある。一応禁じられているものの、取り締まる人がいないので横行している状態だ。特に夕方以降の渋滞する時間はひどい。コロナ以降はよりひどくなっているのだが、以前から止まるには止まるものの、メーターを使わず、割高な料金をふっかけてくる。その気持ちもわからなくもないが、解せないのは、止まって行先を告げる時点ですでに怒っている人だ。夜の歓楽街周辺のタクシーも、なぜか怒りまくっているドライバーが多い。

黄色と緑のツートンカラーは個人タクシー。だからとて、イライラしている運転手がいないわけではない。

 ナイトエンターテインメントに従事する人たちもそうだ。彼らの場合はすでに何度もこの連載で書いてきたように、外国人を見下していることもひとつの理由である。仕事に慣れてきて客がつくことのありがたみを忘れ、働くことを面倒に感じている。まあ、これはどの仕事、どんな人種にもよくあることだが。いずれにしても、なぜか怒りっぽいのが多いこれらの職業に従事する人に共通しているのは、中流階層の下の方から低所得者にかけた層のタイ人であることが多い。

 彼らは誰彼構わずに怒っているのかというと、必ずしもそうではない。何度もいうが、タイ人は実際にはクレバーな人たちである。特に人間関係に対しては誰もが敏感だ。今どきの日本の小中学生はどうなのかわからないが、思春期の年代というのは運動ができる、勉強ができる、友だちが多いなどいろいろな特徴のパワーバランスの下に人間関係が成り立っていると思う。大人になれば世界が広がるのでそういった無意味な特徴からバランスが発生することはなくなるものの、世界の狭い子どもたちには子どもたちの序列とルールがある。

 それと同じで、タイという社会にも外国人にはわからないパワーバランスがあって、しかも怖いのはそれに逆らうこともはみ出すことも許されないという、見えない強制力があることだ。陰湿ないじめも多々ある日本の小中学生の無慈悲な人間関係のバランスよりも、タイ人社会はもっと怖い。 

 こういった世界でどんなにがんばっても這い上がれない人たちは、常にフラストレーションを抱えている。貧困がコンプレックスになっている人もいるかもしれない。若ければあがくこともあるが、中には非行に走ってケンカや酒に明け暮れ、ドラッグで身を滅ぼしていく。そして、大人になるほど上には逆らえないことを身に染みて理解し、自分より下の人たちに当たってみたり、タイ社会の外側にいる外国人に怒りをぶつけてみたりする。

 外国人に対してであればなにをいっても、タイ社会の蚊帳の外なので問題がない。だから、確かに怒りやすいとはいえ、怒る相手を選んでいるので、実はある種の冷静さも持っている。しかし、残念ながらタイの低所得者層は学もなく、貧しさから働かなくてはならずアレコレ考える暇もないので、彼らの目に映る世界は非常に狭い。貧しいがゆえに外国人に対して卑屈になって、それが暴言などに繋がることもある。

チャオプラヤ・エクスプレスボートの従業員はイライラどころか外国人に怒鳴り散らす異常さがある。

結局「微笑みの国」は虚像

 住んでいる世界が小さいので想像力が狭い範囲にしか働かず、稀にそれなりにタイ社会に通じた外国人に対して怒ってしまい、問題を起こすタイ人もいなくはない。しかし、そうしたケースはかなり少ない。タイ人はそういった人間関係の嗅覚に優れているので、事前に察知したりする。また、微笑みの国というスローガンを利用し、犯してしまった失敗を微笑みでうやむやにして、外国人を丸め込むこともうまい。

 先ほど、それなりの地位にある人はアンガーマネージメントがわりとしっかりしているとしたが、タイの公務員は例外だと思う。タイは王国であり、公務員は王様が雇った者であるということは何度もこの連載で書いてきた。公務員はとにかくタイの平民よりもずっと偉いので、その外にいる外国人はもっと下に見る。

 タイの公務員というのは、どうしてああもイライラしているのか不思議だ。タクシーやバイクタクシーの連中よりもずっとイライラしている。タクシー運転手が怒ったところで、基本的に彼らになにかできるわけではないが、公務員はなにかしらの権力を持っているのでタチが悪い。

 以前、ある警察署の前で夫婦喧嘩を見たことがある。警官とその妻が署内の駐車場でケンカしていた。小さな子どもを連れているにもかかわらず、かなり激しい口論で、次第に警官が妻を殴り始めた。しかし、それを見ていた人たちは誰も止めることがない。ボクが止めに入ろうとすると、逆にそれを止められた。ボクを止めたタイ人らは「警察官だからね」といった。そんな異常な社会の中で生きていれば、見ず知らずの外国人に突然怒り出すタイ人なんて、もしかしたら変質的な人ではないのかもしれない。

渋滞や仕事、気温など、バンコクは確かにストレスの多い場所でもある。

 もちろん、みんながみんな怒っているわけではない。夜の店でも外国人が行く店はタイ人がいつも怒っていて、暴言や暴力が普通にある。しかし、タイ人が行く夜の店は、実は外国人向けのバーなどよりもずっと安全だ。人を見て怒ったり怒らなかったりのタイ人だが、タイ人向けの店はやはり従業員も客もタイ人で、同じ言語を有することもあって、下手な態度を取らない。そういった接客に慣れているので、そこにボクのような外国人がぽっと入ってきても、案外丁寧な対応だったりする。

 タクシー運転手もいい人はちゃんとしている。これはどの国も同じだろう。それでも、タイで怒っている運転手に出会う確率は日本よりもずっと高い。これも人を見て怒っているわけだ。逆にいえば、微笑みも人を選んでしているともいえる。自然にやっているわけではないのに、どこが「微笑みの国」なのか。

 会社員でも怒りっぽい人は少なくない。ただ、今のタイはまだある程度いい身分の子息が大学を出て会社員になっている。タイの地場企業なら別だが、特に外資系の企業ならそうだ。ただ、工場の生産ラインで働くワーカーもまた別だけれども。とはいえ、こういったキレやすい性質はタイ人全般にあるので、オフィスワーカーでも無縁ではない。さすがにタクシー運転手などのように突然ブチギレることはないが、こういう階層の人の場合は、ある日突然退職していく。

 タイ人とつき合っていくには微笑みの裏を読む必要もあるが、実は彼らの「怒り」の感情を理解することの方が、微笑みなんかよりももっと身近で大事なのである。

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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