出口治明『ぼくは古典を読み続ける』|馬場紀衣の読書の森 vol.8
本書で紹介される「珠玉の5冊」は、以下の通り。ダーウィンの『種の起源』、プラトンの『ソクラテスの弁明』、ヴェルヌの『地底旅行』、ロックの『市民政府論』そして『歎異抄』。どれも一度は耳にしたことがある本ばかりだ。古典の名作としては、まずまずのセレクションといえよう。きっと、5冊にしぼるのに苦労されただろうなあ、と、想像できてしまう。ぜひ読んでほしいところだけれど、実際にページをめくったことのある人は、意外に少ないかもしれない。
紀元前399年。ソクラテスは青年に対して有害な影響を与える存在として、そして国家の認める神々を認めずに、ダイモーンの類を祭るという理由で告訴されてしまう。弟子の一人、プラトンが書き残した『ソクラテスの弁明』という書物は、法廷に立ったソクラテスが自らの立場を語ったものだ。
ここで語られる内容が、どれほど歴史的事実に即しているかは疑いが残るところだけれど、(時間の遠さにくらくらしてしまう)想像するに、おそらくは実際に行われたであろうソクラテスの弁明をできるだけ忠実に記したものと思われる。よしんば『ソクラテスの弁明』が始めから終わりまでプラトンの創作だったとしても、この本の持つ意義は変わらない。ここに記されているのは単なる事実の忠実な記録ではなく、人間的真実の一端であるし、長い年月をかけて世界中で読み継がれてきた事実もそのままだ。
古典は、人間が過去に残してきた記録でもある。だから、古典を読めば世界で起きていることが理解できる、そう著者は語る。古典を読むべき理由はほかにもある。たとえば、古典を通して考える力を養うことができる。さらに言えば、古典は、世界共通のテキストでもある。ダーウィンが『種の起源』を発表したのは160年以上も前のことだし、ロックの『市民政府論』が出版されたのは名誉革命の翌年だ。この本がその後のアメリカの独立宣言やフランス革命に影響を与えたことを考えると、ロックの思想が現代社会に影響力をもっていることは否定できない。古典は、世界と自分を、過去と現在をつなげる役割も果たしてくれるというわけだ。
そしてこれは著者自身も語っていることだけれど、なにより、古典はおもしろい。
本書で取りあげた5冊を入り口に、べつの古典へと手を伸ばせるように工夫されているのも、この本の良いところ(「あわせて読みたいブックガイド」を参照のこと)。ヴェルヌの『地底旅行』の読者には、同作者の『海底二万里』やメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』などが紹介されている。これは、完璧なセレクションだと思う。きっと、楽しく選ばれたのだろうなあ、と、想像できてしまう。一冊読めば、もう一冊読みたくなる。古典の森は、奥深い。
▼ 出口治明さんが選ぶ「珠玉の5冊」