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「縛りはいっさいない」はずが……――エンタメ小説家の失敗学21 by平山瑞穂

過去の連載はこちら。

平山さんの最新刊です。

第4章 編集者に過度に迎合してはならない Ⅲ

「縛りはいっさい設けない」

 そのうちのひとつは、二〇〇七年八月に小学館から書き下ろしとして刊行した五作目の小説、『株式会社ハピネス計画』である。似たような失敗は他の作品でも犯しているのだが、象徴的な例として特にこれを取り上げることにする。

 小学館といえば、長らくコミックの出版社というイメージが強く、片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』などのメガヒットが出てからも、文芸出版業界では、「後発の邪道」という感じでなんとなく一段低く見られているようなところがあった。「どれだけ売れても、小学館が版元であるかぎり、直木賞は獲れない」と言われていた時期もある。

 二〇一一年に池井戸潤の『下町ロケット』が、続いて二〇一四年に西加奈子の『サラバ!』が直木賞を受賞したことでその汚名もすっかり返上され、現在ではその他老舗の文芸の版元とも立派に肩を並べているが、二〇〇七年ごろには、まだそのあたりについて懐疑的な空気があった。

 その小学館から声がかかったと報告した際には、新潮社の担当であったGさんからも、「あそこから出せば、ものすごく売れるかもしれないけれど、賞は獲得できないと思う。それでもいいのなら、やってみてはどうか」と助言されたことを覚えている。

 僕としては、話を受けないという選択肢は考えられなかった。なにしろ声をかけてきてくれた編集者のMさんは、デビュー作の『ラス・マンチャス通信』を読んでたいへんな感銘を受けたというのだ。ぜひ小学館でも、ああいう不思議な作風のものを書いてほしいという。新潮社では方向性として事実上封殺されてしまったその作風を、公然と追求できるかもしれないのだ。

 Mさんはその時点でまだ二〇代の女性だったが、初めての顔合わせの日、なぜか同部署の先輩の女性と連れ立って来ていて、態度も始終心なしかこわばっていた。後日、気心が知れてから理由を訊ねてみたところ、答えはこうだった。

「実は、一人でお会いするのがちょっと怖かったんです。だって『ラス・マンチャス通信』って、ものすごく変な小説じゃないですか。もちろん私はその変さが大好きなんですけど、こんな小説を書くのっていったいどんな変わった人なんだろうって。この作品は好きだけど、この作者には会いたくない、と思ってました。実際には、平山さんはすごくまともで、お気遣いもしてくださる方だったので、拍子抜けしてしまうほどだったんですが、あのときはまだ緊張していて……」

 同種の感想は、ほかにも何人かの編集者から聞かされた覚えがある。「意外と普通の人だったのでびっくり」だとか、「いやあ、こんなに常識的な方だったんですね」だとか。彼らはいったい、『ラス・マンチャス通信』という作品から、どんな浮世離れしたけったいな作者像を思い浮かべていたのだろうか。

 ともあれ、熱烈な『ラス・マンチャス通信』信者を自認するMさんとの間では、話はきわめてスムーズに進んだ。Mさんの要望は単純明快で、「『ラス・マンチャス通信』のようなねじれた世界観で自由に書いてほしい。縛りはいっさい設けない」という、僕にとってはこの上なくありがたいオファーだった。

 前章で述べた「設計ミスをめぐる失敗」がまだ記憶に新しかったこともあり、一応、A4で数ページ程度のプロットは事前に起こしたものの、援用することになる作風に鑑みて、あえて細かい点については記述を控えたものにしておいた。『ラス・マンチャス通信』的な奇妙な世界観を、透徹したコントロールのもとに生み出すのはむずかしいと思われたからだ。大枠だけ用意しておいて、あとは自由に想像や連想を遊ばせる必要があった。

難色

 原稿は、着々と仕上がっていった。エンタメ文芸作家としてはもう駆使することが許されないものと思っていたデビュー作の珍奇な作風――それを解放できることは、実に楽しかった。

 物語は、自らの極度な神経質さが原因で生きづらい思いをしている若いサラリーマン・氏家譲(ウージー)が、失職して辺鄙な地方都市にある実家に身を寄せていたところ、中学時代の同窓生である、「ロックスター」を自称する破天荒でうさんくささ満点の人物・阿久津武蔵に、自宅の離れに公然と住まわせている、暇を持てあました愛人・優璃亜の「相手をする」という奇妙なアルバイトを申しつけられるところから始まる。

 やがて譲は、武蔵が社長を務める「株式会社ハピネス計画」なる会社で、あやしげな自己啓発グッズを売ったりする仕事に従事することになる。その流れの中で譲は、中学時代、いじめられていた風変わりな元同級生の女子・藤原たまりと、夢なのかうつつなのかはっきりしない形での再会を果たし、次第にその、幻影とも取れるたまりとの逢瀬にのめり込んでいく。

 この、「夢と現実の境目があいまいなところ」をいかに生々しく描けるかという部分に、『ラス・マンチャス通信』とよく似た問題意識の発露があったのである。

 その原稿を、書けたところまででいいので読ませてほしい、とMさんは折々に申し出てきた。三割程度まで書けた段階で一度読んでもらったところ、彼女は大枠では「おもしろいです」と言ってくれたのだが、ある場面についてだけ難色を示してきた。それは、譲がたまりと初めて「再会」した場面のクライマックスに当たる部分であり、そこではかなり露骨な性描写が展開されていた。

 それをもう少し抑えた、暗示的なものに改めてほしいというのが、彼女の要望だった。

「こういうあけすけな性描写って、読者は引いちゃうんですよ。大丈夫です、描写を控えめにしたとしても、平山さんの文章表現はそれ自体が十分に“エロい”ので」

 最初に聞いていた、「縛りはいっさいない」という話とはちょっと違うな、とは思ったものの、その言い分はまあわからなくもなかったし、もともと性描写に格別のこだわりがあるわけでもなかったので、そこは言われるまま原稿を改めるだけでやりすごしていた。(続く)


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