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デジタルデータだけれど、オリジナルであることを見分けられる技術――『Web3とは何か』by岡嶋裕史 第2章 NFT③

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第2章 NFT③――デジタルデータで唯一性を証明したい

この章ではNFTについて考えていきたい。

そもそもNFTとは何なのか。何のための技術なのか。

これは、「デジタルデータで唯一性を証明したい」に尽きる。デジタル技術はその登場と洗練によって、多くのビジネスを変えてしまった。

「唯一無二のオリジナルがあって、みんながそれを有り難がる」が、創造物ビジネスの基本である。オリジナルには価値がある。だって、複製品は精度が悪いもの。

私はアンドリュー・ワイエスという画家が好きだ。あんまり知名度の高い画家ではないが、それなりに模写も出回っている。で、模写はオリジナルに比べたら安い。

ところが、デジタル技術が極まると、複製品が真物と見分けがつかなくなる。CDは売れなくなってしまった。CDへの録音がそもそもサンプリングのたまものであり、コンサートでオーケストラを聴くのに比べたら仮想体験に過ぎないが、CDに記録されたデータをデジタルコピーしたデータは、CDとまったく同じエンベロープパターンを描くことができる。オリジナルとコピーは寸分違わず同じなのだ。

いっそ、検索や頭出しが快適なぶん、コピーした楽曲ファイルの方が価値が高いとまで言える。さらに音響技術が高まると、リアルのコンサートを上回る体験ができるようになるだろう。

絵画についても同様である。人の手による模写は、どう頑張ってもオリジナルを超えられない。下手な人の絵画を、上手な人が模写すれば、オリジナルよりも優れた技術の絵画は生み出すことができるだろうが、それはオリジナルの価値をコピーが上回ることを意味しない。

しかし、デジタル技術による複製はそうではないかもしれない。バーチャルリアリティを開発するときに、360度のパノラマで仮想の世界に没入しよう(仮想現実)と頑張る人たちと、リアルと見分けがつかないくらいの映像を再現する(疑似現実)方向へ舵を切る人たちがいる。

後者の最先端はすでに16Kや32Kの映像を議論しているが、それがたとえ平面のディスプレイに映写されるとしても(VRヘッドセットなどを使わなくても)、現実のその場面に迷い込んでしまったかのように錯覚する水準の絵になる。

油絵などは凹凸の情報を含んでいるので、平面ディスプレイにそれを映し出す限りにおいてはそれを再現することはできない。しかし、画家が塗りつぶした部分(たとえば、日本で人気のフェルメールの「牛乳を注ぐ女」とか)に本当は何が描いてあったのか。塗りつぶす前と後の両方を鑑賞できるといった点は、真物で得られる体験を上回るかもしれない。

こうした技術の進歩はすでに前提条件として織り込まれているので、アーティストやパフォーマーはデジタル技術でコピーしにくいものを新しい商品として開発してきたのである。アイドルの握手会や、バンクシーの一連のアートなどがそうだ。デジタル絵画であれば、オークションの直後にシュレッダーで切り刻んで話題を独占することはできない。いくらでもバックアップを作れるからだ。

私は個人的に「オリジナルと寸分違わぬコピーを作れる」ことが、デジタル技術の精華だと思う。オリジナルと同じコピーを即時に、ゼロコストで。だから、世界中の多くの人が、決して資金的、資源的に恵まれない人も含めて、より良い教材や芸術や体験に触れることができる。そこにデジタル技術の価値がある。オリジナルを所有することではなく、共有することで、世の中の幸せの総量を増やそうという思想が背景にある。

一方、それでは幸せになれない人たちがいる。アーティストやパフォーマーだ。オリジナルの価値を源泉として、絵画や握手券を売ってきたのである。オリジナルに価値がなかったり、どれがオリジナルかすら定かではない状況になればこれらの価格は暴落するだろう。だからコピーしにくい商品を開発してきたわけだが、握手だって安心はできない。たとえばVRは「体験をコピーするための技術」と読み替えることができる。握手やハグですらコピーされる可能性はある。

そこで、「デジタルデータなんだけれども、オリジナルであることを見分けられる技術」としてNFTが注目を集めているのである。

この章ではNFTについて考えていく。(続く)


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