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岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』の第1章(2)を全文公開

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こんにちは。光文社新書編集部です。
クルーズ船の感染対策告発で注目を集める神戸大学教授・岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!――リスク・コミュニケーション入門』の本文の全文公開、第3弾です。
先日公開しました「はじめに」第1章(1)「リスク・コミュニケーションとは何か?」に続き、第1章(2)「リスクを見積もる、リスクに対応する」を以下に公開いたします。
ぜひお読みいただき、理解の一助にしていただければ幸いです。

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第1章  リスク・コミュニケーション入門


(2)リスクを見積もる、リスクに対応する


リスク・コミュニケーション、リスク・マネージメント、リスク・アセスメント


リスク・コミュニケーションは、

リスク・マネージメント
リスク・アセスメント

という2つの概念といっしょに、三位一体となって行ないます。

リスク・マネージメントは、リスクに対する具体的な対応です。

リスク・アセスメントは、リスク・コミュニケーションとリスク・マネージメントを行なう前に、必ず行なわれるリスクの「見積もり」です。どのくらいのリスクなのかを見積もらないと(アセスメント)、効果的なコミュニケーションもマネージメント(対応)も成立しないからです。当たり前ですね。

リスク・アセスメントは、したがって、効果的なリスク・コミュニケーションとマネージメントの大前提です。とても重要なんですね。

リスクの見積もり方──リスク・アセスメント


さて、リスクを見積もる(アセスメント)ときは2つの点に注目します。「リスクが起きる可能性」「起きたときの影響の大きさ」です。英語では「likelihood」「consequence」といいます。

例えば、自動車運転による交通事故は比較的多い事象です。2013年の日本の交通事故死者数は4373人(事故後24時間以内)。バブルの時代には1万人以上いた死者数は半数以下にまで減りました。日本は世界の中でも際立って交通事故のリスクが低い国なんです。

それでも、年間4000人以上の方が亡くなっているわけで、このリスクはまだまだ影響力の大きなリスクと言わざるを得ません。

一方、飛行機の墜落事故。

2014年はマレーシア航空にとって不幸な年です。3月にはクアラルンプール発北京行きの370便(乗客・乗員239名)が行方不明になり、本書執筆時点でも本機は見つかっていません。7月にはアムステルダム発クアラルンプール行き17便が撃墜され、乗客・乗員298人全員が死亡しました。

とはいえ、飛行機事故はめったに起きない事故です。自動車事故に比べると、ずっと発生頻度は低いものです。運輸安全委員会によると、2013年に日本で起きた航空事故は11件、死亡例はゼロでした。日本の交通事故死亡者が激減したとはいえ、それでも飛行機事故の死亡リスクの方が「圧倒的に」低いのです。

とはいえ、マレーシア航空の事例が示すように、めったに起きない飛行機事故は、いったん起きると大きな被害につながります。

これに人為的な要素が加わるとさらに問題です。

2001年の9月11日、ハイジャックされた2機の旅客機が、ニューヨーク市のワールド・トレードセンターに突っ込みました。当時、イーストサイドの病院に勤務していた私は、炎と煙を上げる2つのビルを目の前にして、とても信じられない思いがしました。この事故の影響で、ニューヨークでは2700人以上の方が命を落としました。

このように飛行機事故は「めったに起きない」「しかし起きると大変」という、リスクにおいての「ねじれ現象」が見られます。「likelihood」はとても小さく、「consequence」は甚大です。自動車事故のlikelihoodは飛行機事故に比べるととても大きいものですが、ひとつひとつの事故のインパクト(consequence)はそう大きくはありません。

「起こりやすさ」と「起きると大変」をごっちゃにしない


例えば、エボラ出血熱も、飛行機事故とよく似たリスク構造をもっています。すなわち、likelihoodは小さく、consequenceは大きい。

現在でも、エボラ出血熱の予防接種や治療薬は開発されていません。新薬や実験中のワクチンが検討されていますが、その有効性や安全性は不明なままです。発症すると死亡率が60~90%くらいといわれており、とても恐ろしい感染症です。

しかし、エボラ・ウイルスの感染は体液との接触がメインで、咳やくしゃみで感染するインフルエンザや結核よりも、はるかに感染性は低いといわれています。エボラ・ウイルスは基本的にアフリカ大陸にしか存在せず、日本に持ち込まれる可能性が低いことも、日本における「起きる可能性」をさらに小さくしています。

つまり、エボラ出血熱も(日本においては)飛行機事故同様、「めったに起きない」、しかし「起きたら大変」なリスクなのです。

このように、「起きる可能性」と「起きたときの影響」に大きなギャップがある場合、人はそのリスクをどう受け入れてよいか悩みます。怖いのか、怖くないのか。

このへんは悩みどころです。しかし、大切なのは、「両者をごちゃごちゃにしない」ということです。「エボラは怖い」→「だから大流行する」と考えてしまうのは、「起こりやすさ」と「起こった場合の影響」がごちゃごちゃになっていて、リスク・アセスメントが妥当に行なわれていない、ということになります。

いずれにしても、リスク・アセスメントのときには、リスクの「起こりやすさ」と「起こったときの影響」を両方考えなくてはなりません。そして両者を個別に考えることも大切です。

また、リスク・アセスメントに続いて行なわれるリスク・コミュニケーションの際にも、両者を区別して、「どちらのリスクの話をしているのか」を聞き手に分かりやすく説明することが肝要になります。

検討すべきさまざまな要素


他にも、リスク・アセスメントが検討しなければならないことはいくつもあります。

例えば、

だれにリスクがあるのか?
何人ぐらいに被害が生じる(生じうる)のか?
どのような被害がどのくらい生じるのか?
いつまでリスクが続くのか?

といった見積もりです。

例えば、感染症の流行であれば、だれに重症例が発生しやすく、何人くらいの患者が発生して、何人くらい死亡者が出て、どのくらい流行が続くのか、という見積もりが行なわれます。

もっとも、現実には、感染症におけるリスク・アセスメントはそう簡単ではありません。

厚生労働省は以前、「新型インフルエンザ」が流行したときの死亡率を「2%」と見積もっていました。この「2%」という数字は、過去のパンデミックから推計したものでした。

しかし、2009年のパンデミックのときの死亡率は、それよりずっと低いものでした。ガードを高く上げて「水際作戦」を行ない、パニックに近い状態で「新型インフルエンザ」に対峙したのですが、ふたを開けてみたら、死亡率は見積もっていたよりもずっと低かったのです。

でも、これは自然界を扱う自然科学の分野では、ある程度仕方のないことなのです。自然界は不確かさ、不確定要素に満ちているからです。

2014年は、エルニーニョ現象の影響を受けて冷夏になると予測されていましたが、実際には多くの地域で、猛暑がやってきました。天気予報は、短期的にはかなり正確に未来予測ができるようですが、長期的な予想は、現在でも外れることが多いのです。

東電福島第一原発事故は、津波のリスクが「想定以上」だったことから起きました。火山の噴火や津波の発生予測は、災害そのものを回避するほどに正確に行なうことはできません。

実験室の中で、干渉要素がない環境では、未来予測は簡単です。初期条件を与えてやれば、転がるボールがどこにたどり着くか、正確に計算、予測が可能です。

しかし、自然科学における未来予測は難しいです。感染症においては、人の動き、風向き、建物、温度、湿度、商業活動や景気変動に至るまで、非常に多くの要素が複雑に絡み合って感染症の発生や流行に関与します。

アセスメントは幅を持たせ、マネージメントは複数の選択肢を用意する


これが長期的な予想になれば、なおさらです。

2009年の「新型インフルエンザ」のときにも、5月に流行したインフルエンザは、「梅雨になれば、湿度が上がる。ウイルスは湿度に弱いから、これで流行は終息するはずだ」と予測した専門家がいましたが、この予測は当たりませんでした。自然界において、湿度のような「一要素」だけで未来予測をするのは無理筋なんです。実験室の中では加湿によってウイルスの活動は低下するでしょうが、現実世界は、実験室よりももっともっと複雑にできているのです。

大胆な未来予測は一般受けしやすいです。断言口調はマスメディアに好まれます。「結局どうなんですか」と一言で結論を言わせるのは、テレビのニュース番組や討論番組の常套手段です。しかし、テレビに出て、断言口調の未来予測を乱発するような専門家は、あまり信用しない方がよいのです。

自然災害や感染症の流行を検討する場合、リスク・アセスメントは必ずしも正確ではありません。したがって、リスク・アセスメントにおいては、ピンポイントで未来を予想しようと無茶をするのではなく、その予測が外れる可能性も込みにして、幅を持たせて考える必要があります。そして、そのような幅のあるリスク・アセスメントに基づいて、臨機応変にリスク・マネージメントが行なわれなければなりません。

つまり、リスク・マネージメントも、一点買いでひとつの計画だけに固執するのではなく、いくつかの予測シナリオに基づいて、プランB、プランC、プランDといった複数の選択肢を持っておくことが大事です。

臨床医学と「可能性の重み」


このような次善の策を持つことは、我々のような「未来予測が難しい」患者診療をしている臨床医が常日頃行なっているもので、現場感覚にとてもフィットした考え方です。

受診してくる患者さんは、さまざまな訴えを持っておいでですが、受診後、即座に確定診断がつかないことも多いです。「熱のある患者で、たぶん肺炎だろう。しかし、尿路感染も否定はできない。あるいは髄膜炎の可能性もある」というように、さまざまな仮説が複数併存することはよくあります。

で、このとき大切なのは、単に「可能性」を羅列しないこと。可能性には「重み」をつけなければなりません。

出来の悪い研修医のカルテには、鑑別診断はこのように書いてあります。

肺炎除外(※編集部注:「○○除外」は、可能性があるため検査して除外する、の意)
尿路感染除外
髄膜炎除外

もっと出来の悪い研修医のカルテでは、

肺炎

の一本狙いで、他の可能性が想定に入っていません。もっともっとひどいのになると、

という現象のみで満足してしまいます。熱は現象であって診断ではありませんから、これは最悪です。

「熱」という現象で満足せず、「なぜ熱が出ているのか」を検討することが大事なのであり、それが分からないと的確な治療はできないのです。

こういう研修医は的確な治療ができないので、ぼんやりと場当たり的な治療に終始します。「熱」に抗生物質を使ってみたり、解熱剤を使ってみたり、ステロイドのような抗炎症作用のある薬を、思いつきと慣習のままに使います。まあここだけの話、ベテランと言われるドクターにも、このような場当たり的な治療はわりとよく見るのですが。

では、優秀な研修医のカルテにはどう書いてあるか。例えば、こんなふうに書いてあります。

おそらく肺炎
しかし、尿路感染の可能性も少しはある
髄膜炎の可能性は否定的だが、除外しきれていない

このように各可能性にウエイト(重み)を持たせてリストアップしているのです。これが妥当性の高いアセスメントです。

出来の悪い研修医のアセスメント


さて、出来の悪い研修医は、「肺炎除外」「尿路感染除外」「髄膜炎除外」と、重みのないアセスメントをしています。これだと、何でも等しく除外しなければいけません。なので、絨毯爆撃的に、すべての可能性に対してたくさんの検査をすることになります。

検査の費用はかさみますし、患者の苦痛、心労も増します。髄膜炎の検査では、背中に針を刺して髄液をとりますが、わずかながら「脳ヘルニア」という恐ろしい合併症のリスクも伴います。そのような「よけいなリスク」を背負い込んでしまうのが、プアな(出来の悪い)アセスメントの弊害です。

肺炎一本やりの研修医はもっと危険です。肺炎の検査と治療しかしていませんから、もしもそのアセスメントが間違っていた場合には、診療は総崩れになります。これではほとんど「ばくち」です。

「熱」だけで、アセスメントもなしに治療を開始してしまうのは論外です。熱を冷ますために抗炎症作用のあるステロイドを投与すれば、熱は下がりますが、ステロイドには免疫抑制能力もあります。患者になんらかの感染症があれば、どんどん悪くなってしまう可能性が高いです。

さて、ここで「おそらく肺炎」、という重みをつけたアセスメントをしておけば、検査や診療は肺炎に重きを置いたものになります。しかし、尿路感染も見逃せないので、尿の検査はするかもしれません。しかし、髄膜炎の可能性は無視はできないものの、おそらくは違うだろう、ということで、合併症のリスクのある髄液検査は回避し、しかしいざという急変時には即座に対応できるよう心づもりだけはしておきます。

リスクには常に双方向性があると申しましたが、優秀な研修医は、病気のリスクだけではなく、「検査のリスク」もきちんと勘定に入れるのです。

このように、重みのある量的なアセスメントをすることによって、医者は「病気のリスク」と「検査や治療による合併症のリスク」のバランスを上手にとり、患者へのリスク・マネージメントの妥当性を最高に高めることができるのです。

「肺炎」一本やり、「熱」という「アセスメント未満」の診療でも、「まぐれ」でうまくいくことはあります。しかし、まぐれ勝ちに頼る医療は、リスク・マネージメントとしては非常に稚拙なやり方です。こういうやり方は必然的に、いつか失敗します。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とは、けだし至言なのです。

重みもなく、絨毯爆撃をやる医療(これもよく見ます)も、決して質の高いリスク・マネージメントとはいえません。こちらも「検査のリスク」のような別のリスクを勘定に入れないので、長い目で見ると患者は損をするということになります。すなわち、医療におけるリスク・マネージメントの目的である、「患者の健康維持や回復」には合致しない、ということになるのです。

理想はフットワークの軽いボクサー

このように、リスク・マネージメントにおいては、単にガードを上げてリスクを回避することに全力を注いでもうまくいきません。

それは、ガードを上げっぱなしのボクサーにたとえられます。

ボクシングにおいては、ダメージを受けないことが目的ではありません。相手に勝つことが目的になります。ガードを上げっぱなしであれば、相手パンチのダメージリスクは回避できるかもしれませんが、試合は(判定で)負けます。

顔をガードしていてもボディにパンチを食らうリスクもあります。よって、必要に応じて「ガードを下げる」ことも、適切なリスク回避策になります。

試合の前にボクサーはイメージ・トレーニングを行ない、どのような試合展開をするか、予測を行なうことでしょう。しかし、その予測通りにピッタリ試合が展開されることは、まれだと思います。なにしろ相手は生きている、生身の人間なのですから。

例えば、ある試合において、試合前のイメージ・トレーニングで「相手の左フックに気をつけて右のガードを上げよう」と作戦を立てるかもしれません。一般的には有効なこの作戦ですが、相手もそのガードを見てやり方を変えてくる可能性は高いです。

相手は戦術を変える。自分もそれに応じて変わる。こういう臨機応変な判断が瞬時に行なわれなければなりません。「試合前の作戦ではこうだった」からと、当初の作戦に固執しているボクサーは、絶対にボクシングの試合には勝てません。

同様に、ある感染症の流行前に、事前に起こりうる事態を予想することは可能です。しかし、未来予測はしばしば外れます。大事なのは外れること「そのもの」ではなく、外れたときに、瞬時に新たな事態に対応できる応用力です。

「事前の計画ではこうだったんです」と、いつまでもうじうじと前の計画に固執していては上手くいきません。

まあ、感染症の方は、こちらの出方を見て戦略を変えるってことはありませんが、それでも、耐性化によって既存の治療薬が上手く効かなくなることはあります(微生物が意図してそうしているのではないのでしょうが)。

2009年の「新型インフルエンザ」のときは、当初、死亡率2%という前提で計画が進められてきました。しかし、「2%でなかった場合の可能性」は見事に捨象され、そうした「そうでない可能性」については、いっさい検討の対象に入っていませんでした。

そうして現実にやってきたインフルエンザの死亡率は、想定よりもずっと低かったのですが、その事実が判明してからも、方針が変わるのには時間がかかりました。相手がボディを打っているのに、かたくなに顔面をブロックし続けるボクサーのように。

このような、いくつかの可能性を同時に検討し、さまざまなリスクを複合的に検討する能力は、実際に診療現場で感染症と対峙しているプロでないと分かりません。しかし日本では、感染症対策は、現場を知らない官僚が「机上の空論」でプランしてきました。

もちろん、感染症の専門家たちも官僚をサポートしていますが、彼らのほとんどは微生物学者であり、現場の臨床家ではありません。「あの」ウイルスという「分かっていること」については誰よりも詳しいですが、「目の前で熱が出ている人」という不確定な状態に対応する能力もなければ、訓練も受けていません。

もっとも、最近では、臨床経験の豊かな厚労官僚も出てきていますので、よりフットワークの軽い、臨機応変なリスク・マネージメントがなされることを期待しています。

第3節 効果的なリスク・コミュニケーションのために につづく…

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本書の内容(目次)

はじめに


なぜ今、感染症か。なぜ今、リスク・コミュニケーションなのか 
パニックや不感症との対峙──リスクをどう捉え、伝えるか 
なぜ医療現場のリスコミはうまくいかないのか 
それは「人の心に届く」メッセージか 
「一所懸命やりました」のその先へ──技術、準備、訓練、応用、精神、真心……

第1章 リスク・コミュニケーション入門
   
(1)リスク・コミュニケーションとは何か? 

なぜ、効果的なリスコミが大切なのか 
なぜ、感染症か 
リスク・コミュニケーションとは? 
無関係な人の参画で生じるさらなるリスク 
「説得」「納得」「合意」──相手あってのさまざまな形 
リスク・コミュニケーションのバリエーション 
とはいえ、分類は程度の問題です 
医療におけるリスク・コミュニケーション 

(2)リスクを見積もる、リスクに対応する 

リスク・コミュニケーション、リスク・マネージメント、リスク・アセスメント 
リスクの見積もり方──リスク・アセスメント 
「起こりやすさ」と「起きると大変」をごっちゃにしない 
検討すべきさまざまな要素 
アセスメントは幅を持たせ、マネージメントは複数の選択肢を用意する 
臨床医学と「可能性の重み」 
出来の悪い研修医のアセスメント 
理想はフットワークの軽いボクサー
 
(3)効果的なリスク・コミュニケーションのために 

信頼されていることが大事 
過去の失敗から学習する 
リスク・コミュニケーションを効果的に行なう3つのポイント 
だれが聞き手なのか 
状況はどうなっているのか 
些末な情報にとらわれない 
正確な状況把握もやはり大事
主観を主観としていっしょに伝える 
数の扱いについて──慣れるまでややこしい 
検査の数字も理解が必要 
感染症の状況把握──基本は、人、場所、時間 
だれに起きたのか 
定義に振り回されない、しかし言葉のニュアンスには注意 
どこで起きたのか 
いつ起きたのか 
状況把握は難しい──間違いを認めないことがダメージを増やす 
リスクとダイナミクス 
状況把握だけではダメ──「なんのために」を常に問い返す 
アウトカム設定のない日本の感染対策 
プロフェッショナルなリスク・コミュニケーションを日本にも
 
(4)聞き手を動かすコミュニケーション 

メンタル・モデル・アプローチ 
相手のメンタル・モデルを聞き出す 
一方的な情報はコミュニケーションとは呼ばない 
クライシス・コミュニケーションのあり方と聞き手 
くり返しと微調整 
3つのチャレンジ・アプローチ 
伝える技術 
効果的なプレゼンテーション 
上手に質問できない日本人、医師、官僚 
「井の中の蛙」は質問ができない 
リスク・マネージメントとは「自分の知らない領域の自覚」 
答えが出ない問題と取っ組み合う力 
時間効率を考える
 
(5)価値観・感情とリスク・コミュニケーション

社会構成主義的アプローチ 
文脈・文化によるリスクの扱い方の違い 
相手の言い分を聞いて初めて成立するコミュニケーション 
価値観と権利を大事にする 
危険と怒り 
リスク下では人は上手に情報をキャッチできない 
沈黙してはいけない 
社会信頼アプローチ──感情・情緒がものを決める 
理詰めの背景にある感情・信念──アメリカ 
関係性と、重要性
 
(6)リスクを伝えるリスク
 
リスク・コミュニケーションを阻む障壁 
所属団体の方を向いてしまうリスク 
上司のサポートは不可欠 
組織内でのコヒーレンス(一貫性) 
外部に対するコヒーレンス 
情報提供は効果的に──ひと工夫して誤解を避ける 
記者会見のあり方──友好的に、しかし毅然と 
会見では現状分析、目標を伝える 
怖いところ、怖くないところを伝える 
病院内でのリスク・コミュニケーション 
病院全体でリスク・マネージメントを行なう形に 
「公衆には伝わらない」というあきらめは、適切か? 
パニックになった人々を相手にするには 
アパシーを克服する 
リスク・アセスメントに対する不信感 
受け入れられるリスクの違い 
科学そのものへの不信──科学者以外を巻き込んで啓発する 
言葉の難しさ──意味の違い、解釈の違い 
スティグマ、偏見によるリスクを減らす
 
(7)優れたリスク・コミュニケーターであるために
 
リスク・コミュニケーションと倫理 
言い方の問題──イメージの変化を活用する 
リスク・コミュニケーターと見た目、態度 
記者会見はタフな営為 
プレゼンターの選択──よけいな露出は避ける 
プレゼンテーションの準備──スライドよりトーク 
誠実に見えるプレゼン、効果的なスライド 
質疑応答を大切にする 
曖昧さと誠実に向き合う 
ビデオ・プレゼンテーション──どこでも何度でも再生できる 
メディアとのつき合い方──影響力を上手く活用する 
メディア関係者との距離感 
情報発信のさまざまな手段──新しいメディアの可能性 
医学知識・情報を必ず最新のものにしておく 
英語力は絶対に必要──勉強するしかない 
デマを発信する人は英語力が弱い 
アナロジーの罠──通じない人には全く通じない 
トンデモと対峙する 
ワークショップ──あくまでも手段として 
専門家会議──会議のための会議にしない 
インターネット時代の情報提供
 

第2章 感染症におけるリスク・コミュニケーション《実践編》

【エボラ出血熱】 
【1999年の西ナイル熱】 
【2001年のバイオテロ(炭疽菌)】 
【2003年のSARS】 
【2009年の新型インフルエンザ】 
【2014年のデング熱】  

参考文献 
あとがき 

【あわせてお読みください】
岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』の「はじめに」を全文公開
岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』の第1章(1)を全文公開

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