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岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』の第1章(1)を全文公開

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こんにちは。光文社新書編集部です。
このたび、岩田健太郎先生のご厚意のもと、光文社新書『「感染症パニック」を防げ!――リスク・コミュニケーション入門』の本文を公開させていただくことになりました。
先日公開しました「はじめに」につづき、本文の第1章ー第1節「リスク・コミュニケーションとは何か?」を以下に公開いたします。
ぜひお読みいただき、理解の一助にしていただければ幸いです。

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第1章  リスク・コミュニケーション入門

(1)リスク・コミュニケーションとは何か?

なぜ、効果的なリスコミが大切なのか


「はじめに」でも申し上げたように、リスクに対峙するときは、リスクそのもの「だけ」を扱っているのでは不十分です。リスクの周辺にあるものに配慮し、効果的なコミュニケーションをとることが大事になります。

世の中にはたくさんのリスクがあります。多くのリスクは、単にひとりの人に対するリスクではなく、複数の人を巻き込みます。

我々はリスクに関する情報をあちこちから入手します。意識して集めることもあれば、なんとなく耳に入ってくることもあります。前者の例としては、インターネットによる検索作業、後者は例えば、テレビのニュースから飛び込んでくる情報がそれにあたります。

2011年の東日本大震災のときにも、たくさんの情報が飛び交いました。ちょうどツイッターやフェイスブックが普及しだした頃で、こうしたソーシャルメディアを用いた情報収集、情報発信も盛んに行なわれました。役に立つ情報もあれば、役に立たない情報もあり、露骨な流言(るげん)・デマも飛び交いました。

テレビの影響力も相変わらず大きなものでした。私たちは自動車や家屋をなぎ倒していく津波の映像に恐怖し、東電福島第一原発の爆発映像に戦慄(せんりつ)しました。不眠不休で記者会見を行なう政治家に感動したり、不適切な発言をする政治家に怒りを覚えたり、失望したりしました。

このように、リスクにはコミュニケーションが非常に大きな影響を与えています。効果的なコミュニケーションは、リスクそのものを減らしたり、リスクに付随するパニックを回避するのに有効です。逆に、稚拙なコミュニケーションは、リスク回避失敗に直結し、リスク以上のパニックを惹起(じゃっき)します。

効果的なリスク時のコミュニケーション、すなわちリスク・コミュニケーションがとても大切だということがご理解いただけましたでしょうか。

なぜ、感染症か


では、感染症というリスクについて考えてみましょう。感染症においてもやはり、効果的なリスク・コミュニケーションは非常に重要です。

感染症とは、微生物が原因になる病気のことをいいます。そこには、他の病気にはない、いくつかの特徴があります。

まず第一に、当たり前のことですが、感染症は感染します。つまり、人に伝染(うつ)るんです。ときに動物から、ときに人から、ときに食べ物や飲み物から……。心筋梗塞も、癌も、アルツハイマー病も怖い病気ですが、直接外からやってきたりはしません。

この「外からやってくる」というイメージが、感染症に特有の、ある種の恐怖を付随させます。

実際には、やってくるのは感染症の原因である微生物であって、感染症という病気「そのもの」ではありません。でも、イメージとしては、病気「そのもの」が外からやってくる感じです。多くの人にとって「黴菌(ばいきん)」=「感染症」ですから。医療者の中にすら、いや、感染症専門家と自称する人々の中にも、そういう誤ったイメージを持っている人は多いものです。

第二の特徴は、感染症の原因は、ほとんど目に見えないということです。インフルエンザ・ウイルスも、結核菌も、肉眼では見ることができません。目に見えないものが伝播するという不確かさが、恐怖に拍車をかけます。

まれに、目に見えるものも「感染症」を起こすことがあります。例えば、条虫(さなだむし)。しかし、こういう目に見えるものは、たいていオドロオドロしい格好をしており、恐怖は増幅されることはあっても、減じることはありません。「条虫ってかわいい」なんて思うのは寄生虫マニアだけです(ちなみに岩田はかわいいと思います)。

それから、感染症を媒介するもの(ベクターといいます)も無視できません。こうしたベクターには、蚊とかダニとかノミがいます。こういう「ムシ」たちも、見た目に恐ろしく、ダーティーなイメージも強く、人に嫌悪感や恐怖感を植え付けます。

第三の特徴として、感染症はときに、短期的に集団発生します。ときに局地的に発生し、場合によっては世界中を巻き込んで広がっていきます。これも、心筋梗塞や癌やアルツハイマー病にはない特徴です。

とくに現代では、交通が非常に発達し、諸外国で流行した感染症も日本に容易に入ってきます。2014年のエボラ出血熱は、短期的に西アフリカで勃発し、広がっていきます。昔だったら「遠いアフリカの出来事」で片付けられていたかもしれない感染症に、極東は日本の我々が怯える時代になっています。

2009年に流行したH1N1インフルエンザは、当初、メキシコで局地的に流行していましたが、瞬(またた)く間にアメリカ、カナダと広がっていき、日本も含めた世界中で流行しました。

こういう世界的な流行のことを「パンデミック」といいます。

一世紀近くさかのぼる1918年にも、インフルエンザのパンデミックは起きました。俗に「スペイン風邪」と呼ばれるこのときのパンデミックでは、世界中でインフルエンザが流行し、実に4000万人もの死者が出たといいます。

スペイン風邪と同時期に、第一次世界大戦が起きましたが(1914~1918年)、このときの戦死者(非戦闘員含む)が1000万~2000万人程度と言われています。当時、スペイン風邪というパンデミックが、いかに大きな恐怖を社会に与えたかが容易に推察できます。

ときに、このスペイン風邪はなぜ「スペイン風邪」と呼ばれているのか。実は、このときのインフルエンザの流行はアメリカから始まったそうなのですが、第一次世界大戦の影響を受けなかったスペインからの情報発信の影響が大きかったのです。それで「スペイン風邪」と名付けられたようです。こういうところでもコミュニケーションの影響が出ています。

短期的に集団に影響を及ぼす感染症の流行は、自然災害にたとえられるかもしれません。地震や津波、台風や大雨と似たような性格を持っています。いや、自然界がもたらした感染症の流行は、自然災害「そのもの」と呼んでもいいのかもしれません。

このように、感染症には他の病気にはないいくつかの特徴があります。そのため、感染症には独特の恐怖感を惹起する効果があるのです。その恐怖は、ときにまっとうなものであり、ときに的を射ていない恐怖です。だからこそ、効果的なリスク・コミュニケーションが重要になってくるのです。

リスク・コミュニケーションとは?


では、リスク・コミュニケーションとはいったいなんなのでしょうか。

リスク・コミュニケーションは、テクニカル・コミュニケーションの一種です。

テクニカル・コミュニケーションとは、科学や技術(テクノロジー)に関する情報についてのコミュニケーションです。子どもから、新しい技術や道具を扱う労働者、科学者まで、いろいろな人に活用できます。テクニカル・コミュニケーションの目的は、情報伝達、教育、あるいは説得です。

リスク・コミュニケーションは、リスクを伴う場合のテクニカル・コミュニケーションです。健康、事故防止、環境問題など、さまざまなリスクを扱います。やはり対象者はいろいろな関係者すべてになります。例えば、シートベルトに関するリスク・コミュニケーションは、シートベルトを使うすべての人(子どもを含む)に適用できます。

コミュニケーションの対象となるリスクは、ときに恐怖を惹起します。逆に、そのリスクに対して無関心だったり、気づいていないこともあります。「このようにリスクに対応しましょう」というメッセージを出しても、「そんなのムリムリ」と思ってしまい、メッセージが伝わらないこともあります。

厚生労働省は以前、日本脳炎にかからないようにするために、「外出するときは長袖、長ズボンを着用して、肌を露出しないようにしましょう」とメッセージを伝えました。

日本脳炎というのは蚊が媒介するウイルス感染症です。確かに、蚊に刺されないようにするには肌を露出しないのが好ましい、というのは事実です。しかし、日本の夏休みに、子どもに向かって「外に出るときは長袖、長ズボンにするんだよ」と言う親が、いったいどれだけいるでしょうか。「そんなのムリムリ」と思うのが普通ではないでしょうか。

無関係な人の参画で生じるさらなるリスク


そもそも、聞き手がそのリスクとは全く無関係だったりして、会話が噛み合わないことすらあります。

典型例は、STAP細胞に関する騒ぎです。

STAP細胞ができたと主張する論文は大きな話題になり、その論文の妥当性に疑いが生じたときは、多くの人たちがこのトピックを論じ、議論がなされ、怒りが表明されました。その実、そういう「騒ぐ人たち」のほとんどは細胞生物学の素養も関心もなく、普段『ネイチャー』や『サイエンス』といった専門誌を読むこともなく、STAP細胞とは直接的にも間接的にも何の利害関係もない人たちでした。

「いやいや、STAP細胞ができていれば、将来医学的にそのような恩恵を受けて……」なんていうのは、まさに「机上の空論」です。ノーベル生理学・医学賞の対象となったiPS細胞でさえ、その臨床応用がいつできるのか、どのくらいできるのかすら、不透明なところが大きいのですから。

そこには割烹着(かっぽうぎ)を着た若い女性科学者のサクセスストーリーとその没落を、愉快に、あるいは嫉妬心・ルサンチマンを込めて騒ぎ立てるヒステリーがありました。「こいつは殴っても誰にも文句は言われないらしいぜ」という免罪符を得た人たちが、嬉々として人をタコ殴りにするような非難集中が起きました。

私はSTAP細胞の論文が妥当だ、と擁護しているのではありません。「妥当ではない」「間違っていた」という理由で、関係のない人が外野から、理不尽なまでに石を投げ続けた事実がヒステリックだったと言っているのです。

悪い行為を罰することは妥当ですが、罰するのは法や規則であり、私人(メディアを含む)が人を罰するのは、リンチ(私刑)です。結局、この騒ぎは、ひとりの人間の死にまでつながってしまいました。リスクと無関係な人がよけいなコミュニケーションに過剰に参画して、「人の死」という新たなリスクが生じてしまったのです。

「説得」「納得」「合意」──相手あってのさまざまな形


リスク・コミュニケーションは、いろいろな目的に用いることが可能です。災害のような緊急時には、人々を適切な行動に導くために「説得」という形をとることがあります。

2011年の東日本大震災以降、NHKの地震・津波速報は、積極的に、この「説得」という方法を取り入れています。「高台に逃げてください」「絶対に海に近づかないでください」というメッセージは、説得の目的を持っています。

もうちょっと柔らかく、説得というより「合意」を得るために、リスク・コミュニケーションを用いることもあります。

タバコをやめること(禁煙)については、喫煙者が理解、合意したうえで、自ら積極的にタバコをやめる必要があります。「説得」より「納得」なんですね。この場合は、説得だけしていても効果がないか、短期的な効果しかありません。コンセンサス(合意)を得て、本人自らが「やめよう」と積極的に思ってくれることが必要になります。

コミュニケーションは相手あってのコミュニケーションです。したがって、基本的にリスク・コミュニケーションは、一方的な情報伝達ではなく、双方向の「対話」という形をとります。相手の言い分も聞かねばならないのです。

例えば、先のタバコの例の場合もそうです。タバコをやめられない理由、タバコをやめなくてもよい理由(自己正当化)……こういった相手側の言い分を無視して、一方的に「正しい」情報発信をしても、それでは目的を達成できません。

前述のように日本の場合、目的はそっちのけで、「ちゃんとやりました」というアリバイ作りになってしまうことが多いです。リスク・コミュニケーションは、目的を達成してこそ初めてやった意味が出てきます。「ただ、情報を流しました」だけでは、「仕事をしたフリ」、アリバイ作りにしかなりません。

コミュニケーションをとることは、手段であり、目的ではありません。「禁煙指導をした」だけでは、効果的なリスク・コミュニケーションとは言えないのは、そのためです。

リスク・コミュニケーションのバリエーション


リスク・コミュニケーションには、「これ」というひとつのやり方があるのではなく、いろいろな方法をとることが可能です。例えば、リスク・コミュニケーションは、

クライシス・コミュニケーション
コンセンサス・コミュニケーション
ケア・コミュニケーション

など、いくつかに分類することも可能です。

どのタイプのリスク・コミュニケーションをとるべきか。それは、そのコミュニケーションの目的の性質から逆算して選択されます。目的に応じて手段が決定されるのです。目的に即した、もっとも効果的なコミュニケーションをとることが大切になります。

「クライシス・コミュニケーション」とは、クライシス、すなわち目下に迫った火急の危機におけるコミュニケーションのことを言います。

例えば、災害時のような緊急事態に用いられ、それはより「説得」口調で行なわれます。「今すぐこうしましょう」という強い口調を伴うのです。

「コンセンサス・コミュニケーション」とは、聞き手との双方向性の対話を通じて行なわれ、合意形成のために行なわれるものを言います。関係者すべてが参加することが可能で、またそうすることが望ましいです。あとで「オレは聞いていないぞ」という不満が出てくるのは好ましくないからです。いわゆるステークホルダー(関係者)の意見を全部吸い上げる必要があるのです。

とはいえ、ステークホルダー同士が同じ価値観を持っているとは限りません。いや、そうでないことがほとんどです。そして、リスク対応が、あるひとつのリスクだけに注目してよいわけではありません。あるステークホルダーにとって重大なリスクは、他のステークホルダーにとって大切なリスクとして噛み合っていないことも多いのです。

例えば、「新型インフルエンザ」と呼ばれた2009年のインフルエンザ・パンデミックのときは、インフルエンザ流行というリスクを減らすための「不要不急な外出の制限」というリスク対応は、「経済活動の縮小」というもうひとつのリスクを生みました。健康リスクと経済リスクの2つのリスクがバッティングしたのです。

また、性感染症や望まない妊娠を防ぐために性教育が行なわれますが、しばしば「性教育をすると性道徳の堕落という別のリスクを招く(寝た子を起こす)」と懸念する反対意見が出されます。

さらに、予防接種による感染症リスクの回避を目指す人は、予防接種そのものの副作用のリスクを回避したい人の反対に遭います。

このように、リスクは「あちらを立てれば、こちらが立たない」という相反する性格を持っており、「こうすれば正しい」という一意的な正論はそう多くはありません。だからこそ、ステークホルダーをすべて集め、バラバラな目標をより大きなひとつの目標にまとめ、効果的なコンセンサス・コミュニケーションをとることが重要なのです。

最後の「ケア・コミュニケーション」とは、リスクについて十分に科学的データや情報が集まっており、どうそれに対峙したらよいか、いわゆるエビデンスも集積されており、科学的知見についておおむね合意が得られているときに用いられます。

例えば、シートベルトが交通事故における死亡率を減らしてくれる、みたいな知見です。

とはいえ、残念ながら、医療においてはシートベルトやパラシュートの効果のようなはっきりした科学的真理が明示されていることは多くありません。どんな医療にも、反対を唱える意見は出てきます。

B型肝炎ワクチンがB型肝炎ウイルス感染症の予防に有効なことは、基礎医学的にも臨床医学的にも相当量のデータが示されており、専門家の間では科学的合意が形成されています。

しかし、それは安全性が完全に証明された、という意味ではありません。比較的安全と言われるB型肝炎ワクチンでも、ごくまれに副作用が起きることもあるのです。

また、予防接種の安全性に疑いを持つ人も少なくなく、「ワクチンに含まれる成分は身体に有害だ」という意見も後を絶ちません。

そういう意味では、厳密な意味でのケア・コミュニケーションというのは、医療の世界ではやや使いにくいと私は思います。

というわけで、教科書的には、リスク・コミュニケーションは先述のように、クライシス・コミュニケーション、コンセンサス・コミュニケーション、ケア・コミュニケーション、の3つに分けられているのですが、医療、そして感染症を扱う場合には、ほとんどが、

クライシス・コミュニケーション
コンセンサス・コミュニケーション

の2分類でよいと私は思います。

とはいえ、分類は程度の問題です


それぞれのリスク・コミュニケーションの戦術については、使い方を間違えると、大変なことになります。

津波が来たときは、コンセンサス・コミュニケーションをとって「合意形成をしましょう」なんてのんびり対話をしている時間はありません。説得口調のクライシス・コミュニケーションの方が目的に合致しています。

逆に、避難所の運営については時間をかける必要があり、相手の言い分も聞かずに説得口調のクライシス・コミュニケーションをとるのは妥当ではありません。関係者一同を集め、みんなでゆっくり話し合うコンセンサス・コミュニケーションの方が、より目的に合致しているでしょう。

もっとも、両者は完全に分断された別の概念というわけではありません。クライシス・コミュニケーションにおいてもある程度のコンセンサスは必要ですし、コンセンサス・コミュニケーションにおいても説得口調が必要なときもあります。

要するに「程度問題だ」ということです。

また、リスク・コミュニケーションは、トピックに応じて分類することも可能です。トピックは、環境問題かもしれないし、原発の安全性かもしれません。本書のように、健康、医療──とくに「感染症」という限定的なテーマに焦点を絞ったリスク・コミュニケーションがトピックかもしれません。

フェルディナン・ド・ソシュールが「構造主義」という概念で看破したように、ものごとの分類は恣意(しい)的にいろいろな形で行なうことが可能なのです。この分類でなければいけない、という教条的な決まりや科学的な真実があるわけではないってことです。

私がリスク・コミュニケーションを、

クライシス・コミュニケーション
コンセンサス・コミュニケーション

の2分類に敢えて簡略化し、なおかつ両者の間にはグレーゾーンがたくさんありますよ、と言うのはそのためです。

日本のリスク・コミュニケーションにおいては、教科書的な分類を暗記することに汲々となってしまい、その分類の「キモ」をつかみ取れないことが多いです。本質よりも形質を重視してしまうのです。そのため、分類そのものに振り回され、それを恣意的に換骨奪胎(かんこつだったい)する自由な精神と勇気を欠いていることがあるように思います。

目的のためにマニュアルを作ったのに、そのマニュアルに従わねば……と本来の目的を達成できなくなってしまうような逆説は、よく観察するところです。

くり返しますが、要するにリスク・コミュニケーションは手段に過ぎません。目的を果たし、「結果」が出せればそれでいいんです。


医療におけるリスク・コミュニケーション


医療においても、

クライシス・コミュニケーション
コンセンサス・コミュニケーション

の2分類は有効です。

エボラ出血熱の患者が搬送されてきたときには、感染対策の責任者が、トップダウンで「ああしろ、こうしろ」と命令するシステムを発動させるのが有効です。クライシス・コミュニケーションの発動です。「さあ、どうしたらよいのかみんなで考えよう」なんて、生死の狭間(はざま)に苦しむ患者をそっちのけにして話し合いをしていてもしようがありません。

コンセンサス・コミュニケーションは、例えば、病棟における患者隔離の方法を「事前に」決定するときなどに用います。感染症伝播を防止するために、マスクやガウンの使い方を決めるとき、トップダウンで感染対策チームが決めてしまうと現場から不満が出てくることがあります。理論的に正しいやり方でも、「机上の空論」になってしまうことはよくある話です。

そういうときは、現場目線を取り入れるために、双方向的なコミュニケーションを行ない、コンセンサスを築いていく必要があるのです。

先ほどのエボラ出血熱の例でいうと、患者が発生したときの対応は、クライシス・コミュニケーションの範疇(はんちゅう)に入りますが、患者が発生していない時点での事前の準備段階では、コンセンサス・コミュニケーションの方が重要になります。

ここでも、目的から逆算して、効果的な方法を選択することが重要なんです。

第2節 リスクを見積もる、リスクに対応する につづく…

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本書の内容(目次)

はじめに

なぜ今、感染症か。なぜ今、リスク・コミュニケーションなのか 
パニックや不感症との対峙──リスクをどう捉え、伝えるか 
なぜ医療現場のリスコミはうまくいかないのか 
それは「人の心に届く」メッセージか 
「一所懸命やりました」のその先へ──技術、準備、訓練、応用、精神、真心…… 

第1章 リスク・コミュニケーション入門
   
(1)リスク・コミュニケーションとは何か? 

なぜ、効果的なリスコミが大切なのか 
なぜ、感染症か 
リスク・コミュニケーションとは? 
無関係な人の参画で生じるさらなるリスク 
「説得」「納得」「合意」──相手あってのさまざまな形 
リスク・コミュニケーションのバリエーション 
とはいえ、分類は程度の問題です 
医療におけるリスク・コミュニケーション 

(2)リスクを見積もる、リスクに対応する 

リスク・コミュニケーション、リスク・マネージメント、リスク・アセスメント 
リスクの見積もり方──リスク・アセスメント 
「起こりやすさ」と「起きると大変」をごっちゃにしない 
検討すべきさまざまな要素 
アセスメントは幅を持たせ、マネージメントは複数の選択肢を用意する 
臨床医学と「可能性の重み」 
出来の悪い研修医のアセスメント 
理想はフットワークの軽いボクサー
 
(3)効果的なリスク・コミュニケーションのために 

信頼されていることが大事 
過去の失敗から学習する 
リスク・コミュニケーションを効果的に行なう3つのポイント 
だれが聞き手なのか 
状況はどうなっているのか 
些末な情報にとらわれない 
正確な状況把握もやはり大事
主観を主観としていっしょに伝える 
数の扱いについて──慣れるまでややこしい 
検査の数字も理解が必要 
感染症の状況把握──基本は、人、場所、時間 
だれに起きたのか 
定義に振り回されない、しかし言葉のニュアンスには注意 
どこで起きたのか 
いつ起きたのか 
状況把握は難しい──間違いを認めないことがダメージを増やす 
リスクとダイナミクス 
状況把握だけではダメ──「なんのために」を常に問い返す 
アウトカム設定のない日本の感染対策 
プロフェッショナルなリスク・コミュニケーションを日本にも
 
(4)聞き手を動かすコミュニケーション 

メンタル・モデル・アプローチ 
相手のメンタル・モデルを聞き出す 
一方的な情報はコミュニケーションとは呼ばない 
クライシス・コミュニケーションのあり方と聞き手 
くり返しと微調整 
3つのチャレンジ・アプローチ 
伝える技術 
効果的なプレゼンテーション 
上手に質問できない日本人、医師、官僚 
「井の中の蛙」は質問ができない 
リスク・マネージメントとは「自分の知らない領域の自覚」 
答えが出ない問題と取っ組み合う力 
時間効率を考える
 
(5)価値観・感情とリスク・コミュニケーション 

社会構成主義的アプローチ 
文脈・文化によるリスクの扱い方の違い 
相手の言い分を聞いて初めて成立するコミュニケーション 
価値観と権利を大事にする 
危険と怒り 
リスク下では人は上手に情報をキャッチできない 
沈黙してはいけない 
社会信頼アプローチ──感情・情緒がものを決める 
理詰めの背景にある感情・信念──アメリカ 
関係性と、重要性
 
(6)リスクを伝えるリスク
 
リスク・コミュニケーションを阻む障壁 
所属団体の方を向いてしまうリスク 
上司のサポートは不可欠 
組織内でのコヒーレンス(一貫性) 
外部に対するコヒーレンス 
情報提供は効果的に──ひと工夫して誤解を避ける 
記者会見のあり方──友好的に、しかし毅然と 
会見では現状分析、目標を伝える 
怖いところ、怖くないところを伝える 
病院内でのリスク・コミュニケーション 
病院全体でリスク・マネージメントを行なう形に 
「公衆には伝わらない」というあきらめは、適切か? 
パニックになった人々を相手にするには 
アパシーを克服する 
リスク・アセスメントに対する不信感 
受け入れられるリスクの違い 
科学そのものへの不信──科学者以外を巻き込んで啓発する 
言葉の難しさ──意味の違い、解釈の違い 
スティグマ、偏見によるリスクを減らす
 
(7)優れたリスク・コミュニケーターであるために
 
リスク・コミュニケーションと倫理 
言い方の問題──イメージの変化を活用する 
リスク・コミュニケーターと見た目、態度 
記者会見はタフな営為 
プレゼンターの選択──よけいな露出は避ける 
プレゼンテーションの準備──スライドよりトーク 
誠実に見えるプレゼン、効果的なスライド 
質疑応答を大切にする 
曖昧さと誠実に向き合う 
ビデオ・プレゼンテーション──どこでも何度でも再生できる 
メディアとのつき合い方──影響力を上手く活用する 
メディア関係者との距離感 
情報発信のさまざまな手段──新しいメディアの可能性 
医学知識・情報を必ず最新のものにしておく 
英語力は絶対に必要──勉強するしかない 
デマを発信する人は英語力が弱い 
アナロジーの罠──通じない人には全く通じない 
トンデモと対峙する 
ワークショップ──あくまでも手段として 
専門家会議──会議のための会議にしない 
インターネット時代の情報提供 


第2章 感染症におけるリスク・コミュニケーション《実践編》

【エボラ出血熱】 
【1999年の西ナイル熱】 
【2001年のバイオテロ(炭疽菌)】 
【2003年のSARS】 
【2009年の新型インフルエンザ】 
【2014年のデング熱】  


参考文献 
あとがき 

↓ Kindle版もあります

【あわせてお読みください】
岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』の「はじめに」を全文公開
岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』の第1章(2)を全文公開

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