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自閉症は赤ちゃんのときにはわからない 「発達障害児を育てるということ」第2回

昨今の出版業界はちょっとした「発達障害バブル」。ASD(自閉スペクトラム症)やAD/HDについての発達心理学者や医師による新書や専門書、そして当事者によるコミックエッセイの類が、書店に山と積まれています。11月15日発売の光文社新書『発達障害児を育てるということ』がそれらの「発達障害本」と決定的に異なるのは、著者がその”どっちも”であることです。本書は発達心理学を専門とする大学教授(父)と、臨床心理士&公認心理師(母)の夫婦が、軽度自閉症の息子との日々について、専門家視点と保護者視点を行き来しながら書いた「学術的子育てエッセイ」なのです。

発達障害児の保護者のみなさま、また、”うちの子、発達グレーかも?”と悩まれている方々、さらにそうしたお子さんに関わる方々に広く読んでいただきたく、本書の一部を公開するnote連載。第2回は「自閉症は赤ちゃんのときには見つからない」です。

本原稿は柴田哲・柴田コウ著『発達障害児を育てるということ』の一部を再構成したものです。

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自閉症児の視線


 自閉症の症状として取り上げられることが多いのが、社会性である。中でも視線が合う、合わないという話をよく聞く。自閉症の子の視線については、「自分を通り抜けて後ろの壁を見ているような」とか「こちらから合わせようとすると、ふと逸それる」といった様子もよく聞かれる。実際は、自閉症の子の視線の合わなさは、人によって違う。また、一人の自閉症の子の中でも成長過程によって様変わりしていく。そのため、現在では、視線が合う、合わないよりも、どのようなアイコンタクトなのかが重要と捉えられている。

 ヨウの視線について、母はほとんど気にならなかった。生後3ヶ月頃に出てくる「3ヶ月微笑」も見られ、よく笑っていた。3ヶ月微笑とは、生後3ヶ月前後に、赤ちゃんが誰に対してでも笑顔を見せるようになる現象で、社会的微笑とも言う。この時期には、人の顔以外にも、お面、絵、写真、さらに目・鼻・口・顔の輪郭なんかがある「顔状のもの」に対しても笑ったりする。社会的微笑とは言うものの、顔状の刺激に対する生理的な反応の面も強い。

 ヨウは、生後3ヶ月ころには人の顔を見つめたし、その後の成長過程でも視線をそらすことはなかった。生まれてしばらくはヨウの写真が少なかったので、この頃、母はヨウの姿を撮影しようと頑張っていた。しかし、カメラで母の顔が隠れると、ヨウはスンと真顔になり、うまく撮れない。母の顔を見せつつ、カメラに笑顔のヨウを撮ろうと頑張った。母は「お母さんの顔が見えないと笑顔が出ないんだなあ」と思っていたが、長男セイや次男オトのときにそうした思いをした覚えはなかった。ヨウは母の顔を見て笑っていたのではなく、顔状の刺激に反応していただけなのかもしれない。そうだとしたら、写真を撮るときのヨウの反応は、自閉症の兆候の一つだったのかもしれない。

 母はヨウと視線が合わないと感じたことはなかったが、保育園の一部の先生は違ったようである。ヨウは生後6ヶ月過ぎから保育園に預けられた。最初のうちはわけが分からずに預けられていたようで、母と別れる時も泣くことはなかった。しかし、生後8ヶ月ごろになると、母と別れるときによく泣くようになった。

 ちなみに、人見知りは生後6ヶ月前後から起こる。そのため、人見知りが起こる前だと、お母さんと別れるのが悲しくてギャン泣きする、といったことは起こらない。ヨウについて先生からは「早くから預けられていても、人見知りって起こるんですね。勉強になります」と言われたりもした。母は、社会性も普通に発達しているのではないかと思っていた。

 ヨウは、母や一部の先生にはよく懐き、愛着関係が形成される一方で、慣れない先生にはあまり愛想をふりまかない子だった。母がお迎えに行った際に、ある保育士さんに「なーんか、私だと視線が合わないのよねえ。園長先生だとニコニコなのに」と言われたことがある。ヨウは、割と誰にでも愛想の良かった兄たちとは違っていた。後にヨウのこだわりなどが顕著になって自閉症を疑い始めたころ、母は時々、この先生のことばを思い出した。


1歳半健診


 ヨウは1歳半健診で何も指摘されなかった。日本の法律では、乳幼児に対して、1歳半と3歳時に健診を行うことが決められている※1。乳幼児健診は市町村が行うので、住んでいる市町村の保健センターや指定された病院で受ける。健診では、身体の成長、栄養状態、疾病や異常、運動機能の障害、精神発達や言語障害、予防接種の実施状況などが確認される。

 特に1歳半健診の目的は、先天性疾患や発達の遅れの発見である。身体的な(先天性)疾患があれば、発見され、治療に繋がっていくことが多い。発達については、明白な(発達の)遅れがなく、ことばがいくつか出ていると「遅れなし」とされることが多い。最初のことば(初語)が出始めるのは1歳頃で、約半数の子どもは1歳3ヶ月時点で少なくとも3語程度の単語を話す。単語というのは、もちろん「ママ」「ブーブー」などである。

 1歳半を超えた時点でまったくことばが出ていないと、発達の遅れや聴覚の異常などの問題を疑うことになる。そのため、健診では、ことばが出ているかどうかが重要なチェック項目となる。健診では、初めての場所や状況に緊張した赤ちゃんがことばを発しないことや、寝てしまっていることもある。そのため、養育者(多くの場合、母親)への聞き取りでチェックされることも多い。

 その結果、ことばが少しでも出ていると、自閉症やAD/HDといった発達障害は見落とされる可能性がある。そもそも発達障害は、ある程度成長して、保育園や幼稚園で他の子と関わったり、ルールに従うことを求められたりする中で明らかになることが多い。ヨウは、数は少ないものの、いくつかの単語は出ていたので、発達的な指標は正常の範囲内だった。そのため、1歳半健診では特に引っかからず、母からも特に相談することもなかった。

ことばの出ていない子のその後


 1歳半時点でことばが出ているかどうかを問題にすることは間違ってはいない。1歳半時点でことばが出ていない子どもの半数弱は、将来的に何らかの発達上の問題を生じる※2。このうち、多くの子は、3歳から小学校に入るまでにはしゃべり始める。ただし、次第に自閉症、AD/HD、学習障害などの障害(に伴う症状)を示すようになる子も多い。その後もことばをほとんどしゃべらないといった重度の知的障害を示すのは数%である。なお、1歳半時点でことばが出ていない子どもの半数強は3歳までに話し始めるし、特に問題も起こらない。つまり、本当に「ことばが遅かっただけ」(擬陽性)の子たちである。

 1歳半時点でことばが出ていないことが、障害の存在のサインと言えるかというと、半分強が擬陽性なので微妙ではある。もちろん、擬陽性は放っておいて良い。ただし、「ことばが遅いだけ」か「障害に伴うことばの遅れ」かは、1歳半の時点では判別できない。もし「障害に伴うことばの遅れ」だった場合、早くから療育を始めとした手を打つことによって、将来起こりうる問題を軽減できる可能性はある。

 もちろん、発達障害に詳しい専門家が子どもの様子を時間をかけて観察し、精密な発達検査を行えば、もう少し正確に「ことばが遅いだけ」か「障害に伴うことばの遅れ」かを見分けることはできる。とは言え、そこでわかるのは、ことばは出ていないが、その他の遅れや問題は見つからないのか、ことばの遅れとともに、認知面の遅れや注意の問題があるのかといったことである。そして、後者ならば、「障害に伴うことばの遅れ」の可能性が(かなり)高まる。あくまで可能性が高まるだけで確定はできないし、1歳半くらいの年齢では、多くの場合、どのような障害なのかといったことは、まだわからないだろう。

11月15日発売です!

医師や保健師と発達障害


 1歳半健診では保健師による身長・体重の測定や、医師や歯科医の診察がある。医師は小児科医だし、保健師も子どもの健康に関するプロである。ただし、彼らの専門は、あくまで医学や看護学であり、身体的な健康(もしくは病気や異常)に関するものが中心である。大人の声かけにほとんど反応しなければ、その子どもには、障害が身体的な症状として表れていると言える。こうした場合や身体的な病気や異常(例えば、耳が聞こえていないなど)には、おそらくほぼ全ての小児科医や保健師が気づくだろう。しかし、1歳半の段階では、発達障害は明白な症状として表れていない場合がほとんどである(ただし、その兆候としてことばの遅れがある)。もちろん、小児科医や保健師の中には、発達に詳しい人もいる。しかし、すべての小児科医や保健師がそうではない。彼らはあくまで、身体的な疾患や健康の専門家である。

 現代、健康であることの定義は、単に生物学的に正常であることだけではなくなってきている。健康であるためには、生物学的にバランスの取れた状態に加え、心理的に安定しており、社会的に他者とのつながりや居場所のある状態が必要である。発達障害とは、基本的に、そうした生物・心理・社会的なさまざまな側面で難しさを抱える状態である。

 医療の領域でも、生物・心理・社会的な複数の観点から考えることは、一般的にはなってきている。しかし、医療は、まずは、身体的な健康に関する領域である。身体的な(生物〈学〉的な)原因がよくわかっていない発達障害に関して、医師や保健師の専門性において扱いが難しいのはやむを得ない。その結果、1歳半健診でことばが出ていれば(そして、その他の明白な遅れや異常がなければ)、スルーされるということが起こる。

専門職の不足


 1歳半健診の場には、多くの場合、発達や障害の専門職はいない。「いない」というのは、1歳半健診の場に、発達や障害の専門職がいないという意味と、そもそもそうした専門職は(ほとんど)いないという二重の意味である。多くの市町村で、発達や障害についての専門的な知識や技術を持つ専門職が、常勤のポストで雇われていることはほとんどない。こうしたポストのほとんどが非常勤、要するにアルバイトである。もっというと、発達や障害だけでなく、心理職の場合、その多くが非常勤(アルバイト)である。心理職のメジャーなポストであるスクールカウンセラーも非常勤であることが多い。専門職とか、心理職というとかっこいいが、実態はフリーターと言ってもいいかもしれない。

 1歳半健診を実施しているのは市町村である。そして市町村の保健センターや保健課には、発達や障害の専門職や心理職の正規のポストがないことも多い。その上、1歳半健診において、発達や障害の専門職や心理職を置かなければならない法的な根拠や基準はない。1歳半健診に発達や障害の専門職、もしくは心理職を(アルバイトで)雇うかどうかも市町村の(保健センターの)判断になる。

 市町村が専門職を雇用しようとしても、そもそも人材がいないこともある。人口の多い都市部では、ある程度の数の心理職がいる。しかし、人口の少ない地方では、そもそも現場が少ない。仕事が少ないので、専門職もいない。1歳半健診のときにアルバイトを雇おうとしても、都合良く発達や障害の専門職や心理職がいるわけではない。

 都市部では、大学院の博士課程に在籍する院生やオーバードクター(博士課程を修了したものの、大学の研究ポストが得られずに大学院に居残っている人)なんかが、スクールカウンセラーを始めとして、発達、障害、心理関係の仕事(アルバイト)をしていることも多い。

 他方、地方にはそうした人材がいないことが多い。例えば、ヨウは1歳半健診を当時暮らしていた静岡市で受けたが、静岡市やその周辺には博士課程のある大学(院)がなく、博士課程の大学院生やオーバードクターがいなかった。そのため、静岡市とその周辺の発達や障害の現場で、専門職(心理職)として活動していたのは、多くが東京や名古屋といった大都市圏の大学院を出て、夫の転勤なんかの都合で静岡に来た女性であった。もちろん、その数は多くはない。そのため、1歳半健診で、発達や障害についての専門的な知識や技術を持つ人を置こうにも、そもそも、そうした人が(地域に)いないという状況だった。

 発達障害について相談できる機関や人が見つからない、というのは地方に共通する悩みである。一方、都市部は地方に比べて、そうした窓口は多いものの、人口も多いので常に混み合っており、順番待ち、という悩みがある。
 専門職が「いない」、もしくは、「足りない」と、仮に障害の可能性に気づいても、その後の療育の場を用意することが難しくなる。実際には、専門職不足は本当の問題ではないかもしれない。療育は固定した人員配置が必要となるため、人件費の問題から自治体としてはやりたくない(できない)、というのが本当のところなのかもしれない。

 いずれにせよ、療育の場は全く足りていない。1歳半健診で問題を指摘しても、その後の療育の場がないため、ことばが多少出ていれば、気になることが見つかったり、親が気がかりを訴えたりしても、「様子を見ましょう(経過観察)」となることも多い。かつては、この「様子を見ましょう」は、半年後に再検査といった具体的なものではなく、「もっと問題が大きくなったら、病院かどこかへ行ってね」という程度であることも多かった。最近は少し改善されて、半年後に再検査をするといったことが多いようである。

 しかし、今でも「様子を見ましょう=とりあえず放置」という状況が続いている自治体もないとは言えない。また、希望すれば療育教室は紹介してもらえるかもしれないが、入れるかどうかは、療育教室の空き具合による。

1歳半健診で相談していたら……


 ヨウが自閉症だとはっきりした後に、母は「もし1歳半健診のときに『ヨウの言葉について気になっている』と伝えたらどうだっただろうか」と考えることがあった。

 1歳半健診は、地域によってやり方がさまざまに異なるが、3歳児健診に比べて子どもも幼いため、簡易的にでも一通りの発達検査をするのは難しい。発達検査といっても積み木を持たせたり、はめ板をはめたり、その場で何らかの意味のあることば(単語)を発しているかを確認したりするだけなのだが、こうしたことをすべての子どもに行うのは難しい。お昼寝時で眠たい子も多く、また慣れない場所で緊張して反応が悪いこともある。なので、3歳児健診と比べても、養育者からの聞き取りによる確認が多い。

 ヨウは健診に行く前、保育園では「たくさん車の名前も言えるし、ばっちりですね」などと言われていた。しかし、母からすると気になる点もあった。長男セイも1~2歳頃には働く車にはまり、たくさんの車種を知っていた。しかし、ヨウのことばは、働く車の名前に限っても、セイに比べるとやや少なかった。また、ヨウは車の名前は言えるけれど、「おじいちゃん」や「おばあちゃん」といった人の名前(呼称)は増えていかなかった。しかし、母自身も健診に携わっていたこともあり、指さしもして、積み木も持つことができて、はめ板もできるヨウについて、「わざわざ言って、どうするのかなあ」という気持ちがあった。

 ヨウが通っていた保育園は、発達障害や特別支援について勉強熱心で、自閉症の支援で有効とされる視覚支援や構造化などの工夫をしてくれているところだった。しかし、保育園で、ヨウの発達について指摘されたことはなかった。母に知識があるがゆえに、素直に伝えられなかったところもある。伝えておけば、今住んでいる地域に引っ越す際、申し送りをしてもらえたのだろうか、といったことを、母は後から考えたりもした。

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※1 他にも自治体によっては、独自に3、4ヶ月健診などの乳幼児健診を実施していることがある。

※2 西村辯作(編) 2001『〈入門コース・ことばの発達と障害〉②ことばの障害入門』大修館書店Pp. 3―30.

著者紹介

柴田 哲(ヨウの父)
一九七〇年、兵庫県生まれ。関西の国立大学教育学部教育心理学科、大学院教育学研究科博士課程を修了。博士(教育学)。東海地方の国立大学教育学部准教授を経て、現在、関西の私立大学文学部教授。専門は発達心理学。
 
柴田コウ(ヨウの母)
一九七三年、大阪府生まれ。関西の国立大学教育学部教育心理学科、大学院文学研究科博士課程を単位取得退学。臨床心理士・公認心理師。乳幼児健診の発達相談員等を経て、現在、児童相談所の児童心理司。

※本書は子どものプライバシー保護の目的で詳細な所属先を伏せ、ペンネームで執筆しています。

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