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肥満男子の身体表象|馬場紀衣の読書の森 vol.41

セルバンテスの『ドン・キホーテ』を読んだ。私はこの物語がほんとうに好きだ。愛読する騎士道文学の影響を受けたキホーテは、狂った細い男で「あまりにひょろ長く、やせて、顔もこけて、脂肪がなく、柔軟性もなく、まるで結核で衰弱してしまったかのようにかなりやせ衰えている」。一方、飲食のために生きているサンチョ・パンサ(召使い)は「大きな腹部に、背丈が低く、長いすね」という姿。不自然にせりだした腹部というのは、つまり肥満体である。体をもたない実在のない小説の登場人物が、それでも物語を生きるために与えられた虚像はあまりに対照的だ。

プラトンの『きょうえん』でソクラテスは醜い神話の登場人物に喩えられる。力強く、健康で、美しい身体を完全なるもののイメージとするギリシア人にとって「肥満はすべての形の歪んだもの」であり、不完全な醜い身体は美徳の欠落とされた。かくいうプラトンもけっして美しいとはいえない姿をしていたらしいけれど。

肥満はローマ時代の医学では病気とみなされていた。当時の医師ケルススは、治療法として暖かい塩水への入浴や運動、質素な食事、睡眠など生活習慣の見直しを提案している。それでも改善しない場合には、外科手術だ。ある外科医は12世紀の終わりに患者の腹部を切り開いて脂肪を取り除いてみせた。1718年のパリでは、医者が患者の腹部から9ポンド(約4キロ)の脂肪を除去し、1899年にはユダヤ人女性が約6.8キロもの「だらりと垂れた腹」を手放したとの記述がある。

医師の手によって作り変えられた身体は、脂肪に頭を悩ませる人類の苦悩と、人間の身体が常に社会のイメージとして扱われてきたことを表している。身体は管理されるもの(それが誰の意思であれ)という言説を前提にしているということも。

肥満体の醜悪なイメージには長い歴史がある。ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』ではピギー(子豚)というキャラクターが「脂肪の塊」として描かれる。喘息もちで眼鏡をかけている彼は、肥満男子の肉体に捕らわれた理想の典型だ。そして彼は最終的に、人身御供となってしまう。

「肥満/脂肪(ファット)」と「男性」の概念による文化的イメージは、西洋において絶えず定義、再定義されてきた。読みすすめていくうちに、肥満男子が、肥満女子とは異なる仕方で区別されていることにも気づくだろう。普通(ノーマリティ)に関する言説から、古代ギリシアの男性美、小説に登場する肥満の探求まで、この本にはじつにおおくの肥満男子(ファット・ボーイズ)のイメージが登場する。この本は、男の身体そのものをめぐる探求でもあるのだ。


サンダー・L・ギルマン『肥満男子の身体表象 アウグスティヌスからベーブ・ルースまで』小川 公代 小澤央=訳、法政大学出版局、2020年。


セルバンテス『ドン・キホーテ 前篇1』牛島信明=訳、岩波文庫、2001年。


プラトン『饗宴』中澤務=訳、光文社古典新訳文庫、2013年。


紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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