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不寛容な社会にどう生きるか?―僕という心理実験Ⅸ 妹尾武治

トップの写真:ビッグバン直後に誕生した最初の分子「水素化ヘリウムイオン」が発見された惑星状星雲NCG 7027 © Hubble/NASA/ESA/Judy Schmidt
妹尾武治
作家。
1979年生まれ。千葉県出身、現在は福岡市在住。
2002年、東京大学文学部卒業。
こころについての作品に従事。
2021年3月『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。~心理学的決定論〜』を刊行。
他の著書に『おどろきの心理学』『売れる広告7つの法則』『漫画 人間とは何か? What is Man』(コラム執筆)など。
過去の連載はこちら。

第2章 日本社会と決定論①

先頭を走るより、最後尾で皆の背中を見て。
誰も気がつかなかった驚きの考え方ではなく、
本当は誰もが気が付いていることを。
やさしい言葉で。それがとても素敵なことだと。
ホメラレモセズ クニモサレズ

不寛容な社会にどう生きるか?

不寛容な社会である。日本国内で強者と弱者の分断が起きている。お金持ち、社会的ステータスの高い人間は“上級国民”と呼ばれ、下級国民であると自認する大衆の多くから敵認識されているように見える。

入学生の祝辞で、東大生たちに「君たちは恵まれている」と指摘した上野千鶴子のことが思い出される。たまたま虐待されず、いじめも(さほど)受けず、大学に行くお金もあり、精神疾患にもならず「実力勝負が出来る恵まれた状況を享受し続けたもの」だけが、上級国民になれる時代のようだ。

親の地位・金・身分は実質的に世襲制度状態であり、それを覆すような機会の平等は既に失われている。私自身、過度に恵まれた存在であることを自覚している。

私が言いたいのは「強者も弱者もその実すべて運だ」ということ。初めから決まっていたことであなたの責任ではないし、あなたの実力でもない。上も下も無いということだ。

映画『グッド・ウィル・ハンティング』では、ロビン・ウィリアムスが輝きの欠けた目をした老教授のカウンセラーを演じる。幼少期に親に捨てられ、里親に虐待を受け続けてきた青年を、マッド・デイモンが好演している。初老のカウンセラーは、その悲しい瞳の若者に「君は悪くない」と繰り返して力強い言葉を与え続ける。初めて自分を信じられるようになった青年は、愛する人を追いかけて西海岸へ旅立つ。俯瞰視点で、進んで行く”大切な車”を見ながら、映画の幕が閉じられる。「僕たちは誰も悪くない」と。

生い立ちを不幸だと感じる人に「君は悪くない」と告げるなら、同時に成功者たちに「君のせいじゃない」と告げることもまた必要な作業だと思う。

「学べるかどうか」「学ぶ努力が出来るかどうか」も運命

福沢諭吉は、「天は人の上に人を造らず人の下に人をつくらず」と言った。この有名な言葉の後にこう続くことはあまり知られていない。

されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや。
(中略)されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

彼のロジックは、生まれながらに貴賎はないが「学問をすることで自分自身をよりよく改変するべきであり、その結果人間には差が生まれる」というものだったのだ。

だからこそ『脱亜論』では文明国である日本が、未開国で後進国のアジア諸国を導くために、中韓などを植民地化することを肯定している。

しかし「学べるかどうか」「学ぶ努力が出来るかどうか」、これらさえも全ては事前に決まっていたことであり、運命なのではないか?

高学歴であるから、金持ちであるから、精神的にタフであるから、そうでは無いものよりも優れているというロジックはおかしい。全ては必然であり、全ての事象の生起確率はある意味で等しく、事後的な努力による改変は出来ない。改変が行えるとして、その努力さえも運命で決まっている。

だから、そこに価値づけをする行為はおかしいと思う。勝ち組にも負け組にも優劣は無い。枯葉が落ちるという自然現象と、人間の思索に、価値づけして「自由意志の優劣」をつけることがおこがましいのと同様だ。お金持ちの成功した人生と、虐待やいじめを経て自分の子供を虐待している親の人生に、優劣をつけようとするのは人間のごく狭い価値観であり、思い込みだと私は思う。

高学歴の袋小路まで行き着いた学者たちは、手にしたオッカムの剃刀で、自由意志を切り始めた。私はその流れを市井の人に伝えたいだけのことだ。科学の基本ルールの徹底で導いた判断が、もはや”サイエンス”に見えず、平等への希望という”文学”になることも、決まっていたことだろう。

人間には自由意志がない。と言っても、自由意志を完全に信じない形で生きることは不可能だ。だからこそ、仏教ではその状態を「悟り」と呼ぶ。ブッダが、悟りを得るために全てを捨てたのは、それほど自由意志という幻影から人間が自由になれないことを示唆している。

私はより簡易な態度で生きることを提案したい。事実として決定論を受け入れつつ、信念としての自由意志   Blue Will   を持つという方法だ。

この世は決まっていて、どうしたって人間一人の力ではその運命に抗えない。だがしかし、自分の意志の力で何か人生を好転させることが出来るかもしれない。時間を巻き戻し過去の解釈を変えることで、幸福な未来を信じても良いのかもしれない。僕たちはそう信じる試みをしても良い。幸せになるために青臭い意志を持てば良い。僕はあの人を幸せに出来るのかもしれないと。

RPGの秀作『クロノ・トリガー』でリオン(グランドリオンの化身として)はこんなことを言っている。

「あんたの意志が、今、本当の強さをもったのさ。」(続く)

過去の連載はこちら。



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