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成功者は本当に優れているのだろうか?―僕という心理実験19 妹尾武治

トップの写真:ビッグバン直後に誕生した最初の分子「水素化ヘリウムイオン」が発見された惑星状星雲NCG 7027 © Hubble/NASA/ESA/Judy Schmid

妹尾武治
作家。
1979年生まれ。千葉県出身、現在は福岡市在住。
2002年、東京大学文学部卒業。
こころについての作品に従事。
2021年3月『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。~心理学的決定論〜』を刊行。
他の著書に『おどろきの心理学』『売れる広告7つの法則』『漫画 人間とは何か? What is Man』(コラム執筆)など。

過去の連載はこちら。

第2章 日本社会と決定論⑪―下層国民が上級国民に対して反乱を起こす

Stay Psychopathy, Stay Romantic

もし新しいOSを持つ人たちが多数派になり、それにふさわしい社会システムを構築出来れば「うつ」などの精神疾患はもはや病気ではないことがわかるのかもしれない。病んでいるのは社会の方かもしれない。
 
コロナ禍で社会のありようは、思っていたよりもずっと簡単に変化させうることが分かった。OSのバグとしてのこころの病は、この世から存在を消すかもしれない。かなり無理のある話だが、そうなったら良いなと思っている。大学で学生に日々触れていると、それは実現出来る夢だと強く思える。
 
ここで考えてみたいことがある。今の社会における「成功者」と呼ばれる人たちは、一体何者だろうと。

成功者を黙殺せよ

オンラインサロンの成功者たちと熱心な信者たち。オンラインサロンに限らず、それぞれの街にいる成功者とその成功法則。地方都市はプチ成功者たちのセミナーで溢れかえっている。信者たちはどうすれば、彼らのように成功出来るのかと熱心にメモを取っている。しかしほとんどの信者はあくまでも信者のままで、次の成功者にはなれない。“自己啓発(本)のジレンマ”というそうだ。
 
だが成功者たちは、彼らの信者より本当に優れているのだろうか? 確かに「見える部分」だけは、優れていると言えそうだ。大きな家に住み、美麗な配偶者を持ち、子供に高度な教育を与える。だが見えない部分を考えた時、彼らは本当に信者よりも優れた人間なのだろうか?
 
例えば、一昔前のトップアスリートの一部が、不倫をしていたことが最近明るみにされている。皆が知る超有名選手も、不倫をして親会社にその事実をもみ消してもらっていた。もちろんお金を十分に渡すなど、それなり(彼らなり)のルールには従っていたと思う。当時の時代の価値観というものもあっただろう。

「あなたはあなたのお考えだと思うけど、そういうものが世の中の歴史上にも、いろいろずっとある。そういうことを全否定したら、芸術も全否定になっちゃいますよ。」1996年10月 石田純一

この言葉もまた真実であり、悪などでは決して無いと思われる。
 
成功者には見せない「闇」がある。そして隠されたままになっている闇もごまんとある。超有名芸能人の積年の不倫は大手芸能事務所によって揉み消され続け、世に出てこなかった。
 
尊敬される対象、成功者、彼らは彼らのごく一部しか信者に見せない。人間は多面的な生き物だ。全方位的に完璧な人間などいない。優れた部分だけを見せるならば、誰だって尊くなれる。そして、「闇」もまた尊い。
 
なぜあなたは自分を卑下するのか? あなたにもイチローや、松井秀喜や、滝沢秀明や、野口英世や伊藤博文よりも立派な部分は必ずある。特定の人間のみが、人の上に立ち人を導くにふさわしいという考えは本当だろうか?
 
選挙で“頭の良い人”を選ぶ仕組みは本当に正しいのか? ただのくじ引きで、政治家を選べば良くはないか?

下層国民が上級国民に対して反乱を起こす

そもそも人間に優劣はあるだろうか。人間は生まれながらに平等だが、その後受験勉強などを経て「学んだ」人間は成功する。だからその成功者は不勉強で不努力な人間を信者として操り、導いて良い。より良い人生を彼らに歩ませよ。そんな声が学歴社会の上層部から聞こえて来る気がする(開化期以来それが“学問をすすめる”根拠となって来た)。
 
だが、学歴が高い人間が優れているわけではないことを、皆はもう散々わかっている。学歴が高いのはただその人のDNAの初期値が高く、実家に経済力があっただけであり、運だ。ハーバード白熱教室で一成を風靡したハーバード大学の政治哲学教授、マイケル・サンデル教授が近著でそう指摘し、世界を揺るがせている。
 
アメリカでは黒人のコロナの死亡率が、白人のそれの1.4~2倍に達する。上位1%の富裕層が有している富は、下位50%の下級国民が有する富よりも多いことも知られている。巨大ネットショッピングサイトの創業者のお金配りも、富の偏った配分を象徴した出来事だった。彼を心から尊敬している下層とされる国民がいかほどいるだろう。
 
親の経済状況と子供の言語的IQに高い正の相関があることが、2021年の『ネイチャー』誌上の論文で報告されている。親が金持ちであることが、教育にとって有利に働くのだ。東大生の親の世帯収入が、日本の大学の中で一位になり続けていることも、その表れだ。(私もその運に恵まれた存在だ。)
 
本来の学歴社会とは、機会の公平の下で勉学という「努力」を肯定する社会システムだったはずだ。つまり貧しい家庭であっても、努力すれば上級国民の仲間に入れるような「学びの機会の公平性」が担保されていると我々は信じて来た。
 
しかし、勉強を頑張れる環境を整えるためにはお金がものを言う時代になってしまった。お金の差によって整備出来る環境に不公平性があり、しかも現在ではその不公平性が世襲され、強化されている。そしてその事は、国民の目から隠され続けている。
 
働き手側の不慮の死によって、それまで主婦や主夫をしていた人が母子家庭や父子家庭に陥ってしまう。その子供を一代で上級国民化しようとした時、今の日本では真っ当なルートでは、それはほとんど不可能になる。実家がよほど裕福か、子ども自身のIQが元々異常に高いかでなければ、いわゆるいい大学(「正解」とされる場所)に入ることは難しい。

多少の不透明さがあるかもしれないお金のやり取りに手を出すなどの生き方(例えば内縁関係のパートナーから口約束で数百万円のお金を借りるようなこと)をせねばならなくなる。親がたまたま健康で、お金に困らない幼少期を過ごせた僕のような人間には、責める権利は無いと思った。
 
「そんなことはない。努力次第だ!」というのは支配者層の嘘だ。(もちろん例外はいる。しかし一部の例外によって、平均値の歪みが隠され続けている。)

我々は知らなかったのではない。気がつかないふりをしている。無理に忘れようとしているのだ。ピエール・ブルデューは『ディスタンクシオン』(1979年)において、学校教育制度は序列を作り階級格差を再生産し強調していくという考えを「文化的再生産論」という言葉でまとめている。43年前に正確な記述がなされているのだ。

人間は環境の力の奴隷であり、自由意志で自分の人生を切り開けない。そして、今その人間を取り巻く環境は、経済力の圧倒的な世襲制度のもと固定化さてしまった。
 
機会の平等が社会にあるという神話をベースに、成功者たちは「あなたたちは努力をしていない。もっと勉強しなさい。」と一般人に自己責任論を煽る。そして自分の財力は、自由意志の下に、自己責任で自身の才覚と努力で積み上げたものだと胸を張る。
 
1958年に刊行されたマイル・ヤングの『メリトクラシーの法則』では、能力をベースにした成果主義の帰結を予言している。それはつまり、成功者はおごり下級国民を見下す。下級国民は自業自得だと自負心まで奪われるというものだった。ヤングは最後にこう予言している。「2034年。下層国民が上級国民に対して反乱を起こすだろう。」

騙されてはいけない 奮い立て
僕たちに自由意志は無い
誇りを持てば 見つめ合える
手を取り合える

(続く)

 


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