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もう一度会いたい「ほかり食堂」の肉豆腐|パリッコの「つつまし酒」#209


肉豆腐道の原点

 地元、石神井公園の「ほかり食堂」が閉店してしまったのは、昨年の6月末のことでした。その時は、「今後も土日祝日のみは営業し、ラーメンだけは提供していく」という、人がらがあふれ出まくった張り紙を見たりもしたけど、やはりご高齢のご主人が商売を続けていくのが難しくなってしまったんでしょう。しばらく後、完全に閉店してしまいました。
 ほかり食堂は、創業1939年、80年以上も続いた超老舗。同じ年に創業し、同じ商店街の並びにある「辰巳軒」と合わせて、石神井の奇跡とも言える大衆食堂でした。リーズナブルで、居心地のいいテーブル席と小上がりがあって、安心感しかない味わいのラーメンやカレーがうまい。単品料理もいろいろとあり、缶ビールや缶チューハイは冷蔵ケースから自分でとってくるスタイルで、昼でも夜でも気軽に飲めるのがまた良くて。
 特に好きだったのが「肉豆腐」で、これが他のどこにもない独特のもの。肉豆腐と言ったら、牛または豚肉と豆腐、玉ねぎか長ねぎあたりを甘辛い汁で煮込んだものがオーソドックスですが、ほかり食堂の肉豆腐は豆腐と豚肉とたっぷりの野菜類を炒めたものだったんですよね。かつてご一緒したある酒飲みの先輩は、「これ、肉豆腐じゃなくて『うま煮』という料理だよね」と言っていて、あぁ確かにと思ったもんです。ただ同時に、僕はほかり食堂に肉豆腐の幅広さ、自由さを教えてもらい、そこから重度の肉豆腐好きとしての道を歩みだしたとも言え。

この皿は!

 ところでこれはつい先日の話。地元の飲み友達のひとりが、「今、ほかり食堂で『ご自由にお持ちください』大放出をやってますよ!」と連絡をくれました。ご自由にお持ちくださいとは、街でたまに見かける、不用品のフリー配布システムですが、ものすごくレアなケースとして、閉店してしまった飲食店がこれを行うことがあるんですよね。とても寂しいことだけど、好きだった店とあれば、是が非でもなにかしらゲットし、末長く思い出の品として手もとに置いておきたい。僕は、その連絡を受けた1分後には家を出、ほかり食堂に向かっていました。

おお
本当にやっていた

 たどり着いたほかり食堂では、確かに「ご自由に〜」が行われていて、間に合って良かったという思いとともに、やっぱりもう、これで歴史に幕を閉じてしまうんだな……という寂しさが押し寄せてきます。きっと他にも大勢、この貴重な品が欲しい方々がいるだろうな。と、あまり欲張らず、いくつかの食器や、貴重すぎる食品サンプルなどをいただいて帰りました。

悲しいけど嬉しい

 話は変わってつい最近、何年か前になにかにとりつかれたように毎日描いていた酒やつまみの絵を、自費出版の1冊の画集にまとめる機会がありました。で、別に意識したわけではないんだけど、その1ページ目が、ほかり食堂の外観や料理のイラストだったんですよね。

画集の1ページ目

 その入稿データ確認などをしていてふと気づき、思わず鳥肌が立った出来事がありました。なんと、僕が無意識にもらってきたお皿のひとつが、あの肉豆腐がのっていた皿だったんです!

この模様はまさに

 もしかしたらまさにこの皿こそが、僕が初めて出会って感動した肉豆腐がのっていた、その皿かもしれない。その可能性はゼロではない。と思ったら、なんだか泣けてきてしまって……。

記憶と記録を頼りに

 というわけで、今回はほとんどほかり食堂の思い出話になってしまいましたが、あの肉豆腐にもう一度会いたい! けれども、それはもう無理。ならばせめて、それっぽい肉豆腐を自分で作ってこの皿にのせ、それで晩酌をしたい! という話なわけです。
 ところが、自分の性格のずさんさゆえなんですけれども、イラストは残っているのに、肝心のほかり食堂の肉豆腐の写真が見つからない。できればモノクロのイラストではなく、写真を見て確認しておきたい。と思ってネットを検索してみたところ、以前にほかり食堂でご一緒したライターの先輩、安田理央さんと、玉置標本さんの記事が見つかったのでした。これが実に有益で、さすが先輩たち!

安田さんが撮った肉豆腐の写真
こちらは玉置さんの記事より

 しかも、玉置さんの記事には、「野菜と炒められた肉豆腐は、ショウガと胡麻油の効いた中華な味。フワフワとした豆腐がうまい。店主に教えてもらった作り方によると、しっかりと油で炒めてから味付けするのがコツだそうで、キャベツよりも白菜が合うそうだ」と、味や作りかたに関する記載まで!
 なるほど、たっぷりのごま油で肉、野菜、豆腐を炒め、それをうま煮っぽく味つければいいのかな。そこでスーパーへ行って材料。さらに、こんなものを買ってきてみました。

白菜のうま煮の素

 これは間違いないでしょう。素人の僕があやふやな記憶を頼りにどうこうするより、絶対に間違いない、キッコーマンさんが「うま煮」と断言する素を使うほうが。というわけで、さぁ作っていきましょう。

肉と野菜を炒めて
豆腐を加えて

 ほかり食堂のものをイメージし、あえてちょっと雑に切った豆腐をぽろぽろと崩すように炒めたら、うま煮の素で味つけ。それを、なんとなくほかり食堂にあったっぽいおぼんにのせて、なんとなくほかり食堂にあったっぽい缶チューハイを添えたら、うん、だいぶほかり食堂だぞこれは!

だいぶほかり食堂

 いや〜これはもしかして、ほかり食堂の味を完全再現しちゃったんじゃないの!? なんつって、晩酌を開始。
 ぱくっもぐもぐ。おぉ、うまい。けどあれ? なんていうんでしょう。ほかり食堂で毎度肉豆腐を食べるごとに感じた、感動がありません。深みが足りないというのかな。いや、キッコーマンさんに文句があるとかではなく、ちゃんと美味しいんですが、ほかり食堂のあの店内で食べる不思議な魔法がかかったような美味しさが、今一歩足りない。けどまぁ、そりゃあそうだよなぁ。80年の歴史を歩んできた大衆食堂の味を、僕がたった一度で再現できるはずもない。よく写真を見比べると、豆腐の炒め具合とかもぜんぜん足りてない感じがありますしね。
 とにもかくにも、このお皿を受け継げたことは心からありがたい。一歩一歩肉豆腐道を極め、せめて30年後くらいには、満足のいく一品が作れるようになっているといいな〜。


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パリッコ(ぱりっこ)
1978年、東京生まれ。酒場ライター、DJ/トラックメイカー、漫画家/イラストレーター。2000年代後半より、お酒、飲酒、酒場関係の執筆活動をスタートし、雑誌、ウェブなどさまざまな媒体で活躍している。フリーライターのスズキナオとともに飲酒ユニット「酒の穴」を結成し、「チェアリング」という概念を提唱。2021年8月には、新刊『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』を上梓! また、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』(スタンド・ブックス)『晩酌わくわく! アイデアレシピ』 (ele-king books)、『天国酒場』(柏書房)、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』(光文社新書)、『酒場っ子』(スタンド・ブックス)、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、漫画『ほろ酔い! 物産館ツアーズ』(少年画報社)、など多数の著書がある。
Twitter @paricco

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