決定論がなぜ人に安らぎをもたらしうるのか?―僕という心理実験15 妹尾武治
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第2章 日本社会と決定論⑦―大河の一滴
1932年生まれの作家の五木寛之は、その作中で多くの人をひたすらに許して来た。彼の「許し」に救われた読者はごまんといるだろう。かくいう僕もその一人だった。彼の思想のベースには親鸞の『悪人正機説』の「赦し」がある。
五木は人間を「大河の一滴」だと言う。大きな運命に無為に流されるだけのごくごく小さな存在。河を降れば海に辿り着き、蒸発し山のもとに戻される。
「大河に対して水滴一滴が抗ったとして、一体何が出来ようか? 人間の意志の力などその程度のものだ。」
「だから運命を受け入れよう」と彼は言う。五木は決定論者なのかもしれない。鴨長明は『方丈記』の冒頭で「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と書いている。志賀直哉も「大河の水の一滴」という表現で人間を表している。
日本的アニミズム、神道、仏教は「人間の存在をごく弱いもの。運命に流されるだけの存在としての“自分”を受け入れよ」というメッセージを繰り返しており、読み手もまたそれを愛して来た。
同時に、仏教では「天上天下唯我独尊」という概念もある。つまり「自分の存在は絶対で、他に全く同一のものがなく、自分こそが世界の中心であり神である」と言うのだ。前著で解説した仏教思想の「唯識」を思い出して欲しい。「弱者であり、かつ神である」それが人間なのだ。
五木は言う。
「自殺するしかない人は、そうすればよいのだ。死のうとしても、死ねないときがあるように、生きようと努力してもそういかない場合もあるからである。だが、大河の一滴として自分を空想するようになったとき、私はなにもわざわざ自分で死ぬことはないと自然に感じられるようになってきたのだ。」
決定論がなぜ人に安らぎをもたらしうるのか? 五木の言葉が端的に語ってくれている。用いる言葉・表現は違えども、私も全く同じ意見だ。つまり、自分のようなごく小さな存在など、死んでも死なずとも何も変わらない。科学や文学にこれっぽっちも貢献など出来ない。そうならば、今すぐ死ななくてもいいのかもしれない。
五木はこうも言う
「本当のプラス思考とは、絶望の底の底で光を見た人間の全身での驚きである。」
さらにこう指摘する。
「これはナチスドイツのユダヤ人強制収容所で死の淵から、生還した心理学者ヴィクトール・フランクルが、収容所で命をかけて草稿案を練った名著『夜と霧』の中で導き出した人生の希望と全く同一である」と。
フランクルは、絶望の中でも夕日の美しさを感じられる人間の強さ・人間の希望を、その著書に記録している。徹底した絶望を感じた人間、自分の意志ではどうにもならないレベルの絶望に触れた人間だけが、その絶望からスタートして光を見出すことが出来る。逆説的幸福が始ろうとしている。
実感が伴えない決定論
決定論を実感レベルで信じられる人間など存在し得ない。存在するとすれば、それは狂人になった者だけだろう。今の日本社会では、精神疾患者は完全にマイノリティである。
ではどうすれば多くの人(マジョリティ)に、決定論を実感レベルで信じさせることが出来るだろうか。ロジカルな理解だけではなく、何がしかの“身体感覚に基づいた理解”を伴って。
私が決定論を信じていられるのは、自分の独特な生い立ちと、精神疾患の故である。現時点で、この数の比を逆転させることは不可能だろう。しかし、私には多くの仲間(香取慎吾の言葉なら“ナマカ”)がいる。前著を読んでくださった読者から「救われた」という言葉を多数もらえたこと。これは大きな喜びだった。
街路樹の葉を指先でこすり、それを鼻先に運べば必ず何かしら「香り」がする。松の針の葉であっても、皐月には皐月の香りがする。街は香りだらけだ。
晴れた日にはブラインドを上げ、窓を開ける。そうすれば光と風が部屋に差し込む。そういうとても大事なこと(幸せと呼べるものかもしれないもの)が、日常のすぐそばに実在しうることを、大切な人に丁寧に伝える。時にはおせっかいと言われても、しっかり伝える。言葉の理解で終わらせず、必ず指と鼻と胸で味わおうとする・させる。
ありがとう
そういうことが嬉しくて、でもなんだか哀しくて、泣いてしまいそうになる。それをなぜ「恥ずかしい」と思わねば・言われねばならないのだろう?
同じ方向を見て歩いている実感があれば、私たちは見つめ合う必要が無い。多様化する社会の中で、“運命を信じる人”(賢いと自認出来ない、真に賢い人たち)に少しずつ居場所が生まれていけばと私は思う。
重力。質量を持った物質がお互いに引き合う力。人間の科学は、この力が一体何なのか? どうして引き合う力が生じるのか? そしてどのように引き合わせているのか?について、何ら具体的なことを理解出来ていない。人が人に出会い、圧倒的に惹かれていく謎も、科学的には解説出来ていない。運命を科学で笑うことは出来ないし、飛躍の無い論理にときめきは乏しい。
LGBTQの人達や障害者の先人たちが、マイノリティの地位と認識の向上のための活動を絶え間なく行なってきた。差別が強かったその初期には、レインボーカラーを身につけて、マジョリティに気が付かれないように、電車やバスの中で、目を合わせずにお互いを静かに認識し合い、励まし合って来たのだ。
現在、社会の多様性は相対的に向上した。この静かな進歩は歴史的な事実だ。だから決定論者を(そして精神疾患者も)、社会の一部に組み込むことは決して不可能なことではない。
1950年台のアメリカの多くの州では、黒人と白人の結婚が認められていなかった。1967年バージニア州の裁判で、黒人女性のミルドレッドと白人男性リチャードは、肌の色を理由に結婚が認めないという愚かな「法律」を覆した。好奇の目で詰め寄ったマスコミに対して、リチャードは言った。「私はただ彼女を愛しているのだ。」
そこから経過した時間は、わずか60年ほど。一人の人生の時間の中ででも、社会の多様性は向上させうる。東京都の同性パートナーシップ制度の実現への動きなど、「好きな人のそばに居たい」という気持ちを叶えることが出来る人間の数は、確実に増えている。同時に、今もまだその気持ちが認められない人が、沢山居ることも忘れてはいけない。人間は醜く、その社会は生き地獄かもしれない。しかしそれだけでもない。前をまっすぐに見て歩いた者同士は、本当の意味で見つめ合い、自分自身の眼差しに初めて見据えられることで、戸惑いおののくだろう。
だが、この時さらに「本当の意味の多様性」「多様性の恐怖と危険性」についてしっかり考える必要が生じる。後述するが「本当の多様性」とは、反吐が出るような危険で気持ちの悪い人物があなたの隣に住んでいることを認め、共生することなのだ。(続く)